青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

文字の大きさ
124 / 192
《第7章》 元カレは、王子様

もう一度、こちらへ

しおりを挟む
 瞳子が声を高くして伝えたお祝いの言葉に、サーシャは照れたようにこめかみに手をやった。そして、嬉しげに彼女を見つめかえす。

「ありがとう。僕、主役踊るのは六年前のロミジュリ以来で、今からすごく緊張してるんだ。あの時は、偶然と君と年齢が釣りあうって理由でだけで踊らせてもらえたから、今度はもう、誰もが頷いて観客全員を魅了するような王子になるよ」

「六年前のロミオだって、すっごく素敵だったのに! ベルギーまでは行けないけど、配信やってたら必ず観る」

「サユリも同じこと言ってた」

「そりゃそうだよ。『くるみ』も『シンデレラ』も、すっごくサーシャに合った演目だと思う。ノーブルで優しい王子様。あとね、『眠り』のデジレ王子も絶対にハマリ役。バジルは頑張ってキャラ変えるかあと二、三年待って、ワイルド系の渋みをつけないと難しいね」

「そう、僕にとってバジルはちょっとチャレンジな役どころなんだよね。先にフォーサイスとかキリアンを踊って、幅の広さ――多面性――を表現できるようになりたいって考えてて」

「キリアン、わたしも大好きだよー。『ベラ・フィギュラ』とか『詩篇交響曲』とか、味わいが癖になるよね」

「彼の作品は、グロテスクなまでにダンサーとしての輪郭や魂が剥きだしになるから、怖いもの見たさもある」

 だんだん話題がマニアックな深みに分けいっていくとともに、サーシャの登場に緊張していた瞳子の表情がほぐれてきた。

 かつての仕事仲間で、恋愛関係でもあった彼と、最初はどんなスタンスで話していいのか戸惑ったが、とにかく、同じ趣味の懐かしい友人だ。

 きっと摂取カロリーを気にしている生活だろうに、サーシャは楽しそうに彼女と同じペースでポテトとジュースを往復してくれている。それだけでも嬉しい。

 会話に不意の間がうまれたとき、彼は改まった真剣な表情になった。

「ごめん、今日は君を騙したみたいになって。あれ以来、君は僕に会いたくないんだろうなってずっと思ってた」

「気にしないで。本当に気分を害してたら、私、すぐに帰ってたよ。小百合ちゃんと結託してたのは、サーシャに会った瞬間に気づいたし」

「ありがとう。プリンシパルのことだけは、どうしても直接言いたかったんだ。あの時の『ロミオとジュリエット』、僕にとってはすごく特別な時間で、君には感謝してるんだ」

「……うん。わたしも今は、直接聞けて良かったって思ってる」

 瞳子ははにかんだように笑った。

 今は、心の底から祝福ができる。彼の活躍を、遠くからそっと追いかけることができる。

 借金を返しおわった数年後にはヨーロッパに旅行して、彼の舞台をライブで観てみたい。それが自分に許された友情の形だと思う――と、一人で納得して、「この分なら綺麗にお別れできるかな」と頭の片隅で考えはじめていたのだが。

「本当は君と会うのを迷ってたんだ。だって、僕が君の立場でも、かつてのパートナーに会うのは心が苦しい。痛む。同じことをしたかもしれない」

 すなわち、返信をせずに連絡を絶つ、ということだ。

「ただ、これを観たら、観てしまったら、日本に来て君に会わずにはいられなかった」

 彼は手元に置いていた自分のスマートフォンをとった。アーカイブ・フォルダをスクロールして、彼女に手渡してきた。

 映っていたのは、夜に撮影されたと思われる黒一色の動画だった。雨雫と光に滲む赤い建物が背景にある。カメラは徐々に横へと移動して、人影が現れた。

 逆光となったその人物は、時に画面からあふれ、時に画面など突きやぶるかのように、のびのびと自由に踊っていた。なのにどこか悲しげだった。

 瞳子も数秒にして気づいた。見覚えがあったからだ。

 ――これ、わたしだ。五月のあの夜。フレンチに連れていってもらったあの時の動画。

 サーシャに、プリンシパルに、こんなつたないレベルの物を見られるなんて、と瞬時に動画を停止する。初期画面に戻して、彼につき返した。こんなの、自虐的な態度しかとれない。

「恥ずかしいからやめて。これも小百合とか、うちのお教室の人から転送されたの? 映像は後で必ず消してね。昔のわたしを知ってる人にこんなの見られるなんて……。どうせ『下手になった』って思ったでしょ?」

「技術的には落ちたよね。あと、太ったし」

 サーシャは臆せずに痛いところをついてきた。彼女も、ムッとして反発する。

「じゃ、見なきゃいいでしょ!」

「五年間マトモに踊ってないなら、誰だってこうなるよ」静かに、彼は言葉をかさねた。「この動画で見るべきところは、テクニックじゃないと思う。表現力がBrilliantで、Extraordinaryだ。だから会いにきた」

 素晴らしくて、並外れている。

 プロに賞賛されても、昔関係があった人からの言葉では、額面どおり受けとめる気になれない。瞳子は渋面をつくった。

「……それで?」

「それだけだよ。昔より、表現力上がったね。僕も見習わなくちゃって、いい刺激になった。だから――今日の本題なんだけど――一つ提案しにきた。トーコ、もう一度踊ってみたら? 僕と一緒に踊ろうよ。君が踊るためなら、協力を惜しまないよ」

 端整な甘いマスクの貴公子が、誘いかけるように微笑んでいた。

 しかし、彼女の体温は一気に下がる。そんな綺麗ごとを言えるレベルなら、自分だってバレエをやめていない。爪先立ちポワントも、ジャンプも自在にできず、ヒールの靴をはけば必ず翌日は痛みが再発するのだ。

「他人事だから、そんなに簡単に言えるんでしょう?」

 底冷えする声で返答すると、サーシャは真面目な顔をして「クラシック・バレエのことじゃないよ」と言った。

「どういう意味?」

「だって君、半分以上、振りつけをつくってたじゃないか。ショパンのあの曲で。無音なのに、だけど、曲はずっと僕の耳奥で鳴り響いていた。この後しばらく、君のダンスの残像がひいていて、僕は自分の踊りにも影響されそうだった。六年前も君が踊ると、舞台は君だけになるような求心力があったけど、今はもっと凄くて、支配力さえあると感じた。クラシックバレエの世界に君は戻れない。それは一〇〇パーセント事実。でも、別の可能性があると、僕は期待している」

 彼は頬杖をついて、僅かに首を傾げてみせた。

 その仕草が王子そのもので、姫や妖精の世界から遠ざかっていた瞳子はクラッとよろめきそうになる。一般人が芸能人に間近に接したときにあてられるのは、この手の金色のオーラだ。

「昔より僕も人脈はあるし、立場が上がったから、トーコの力になれることは多いと思うんだけど。君はどう思う? 僕はトーコのダンス、今でも好きだよ」

 彼はあまりにも直截に、こちらの世界に戻れと言っていた。そして、ジュースのグラスを握っている瞳子の右手をとった。両手で包みこみ、顔をのぞきこんでくる。
しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

おじさんは予防線にはなりません

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「俺はただの……ただのおじさんだ」 それは、私を完全に拒絶する言葉でした――。 4月から私が派遣された職場はとてもキラキラしたところだったけれど。 女性ばかりでギスギスしていて、上司は影が薄くて頼りにならない。 「おじさんでよかったら、いつでも相談に乗るから」 そう声をかけてくれたおじさんは唯一、頼れそうでした。 でもまさか、この人を好きになるなんて思ってもなかった。 さらにおじさんは、私の気持ちを知って遠ざける。 だから私は、私に好意を持ってくれている宗正さんと偽装恋愛することにした。 ……おじさんに、前と同じように笑いかけてほしくて。 羽坂詩乃 24歳、派遣社員 地味で堅実 真面目 一生懸命で応援してあげたくなる感じ × 池松和佳 38歳、アパレル総合商社レディースファッション部係長 気配り上手でLF部の良心 怒ると怖い 黒ラブ系眼鏡男子 ただし、既婚 × 宗正大河 28歳、アパレル総合商社LF部主任 可愛いのは実は計算? でももしかして根は真面目? ミニチュアダックス系男子 選ぶのはもちろん大河? それとも禁断の恋に手を出すの……? ****** 表紙 巴世里様 Twitter@parsley0129 ****** 毎日20:10更新

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す

花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。 専務は御曹司の元上司。 その専務が社内政争に巻き込まれ退任。 菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。 居場所がなくなった彼女は退職を希望したが 支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。 ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に 海外にいたはずの御曹司が現れて?!

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

恋は襟を正してから-鬼上司の不器用な愛-

プリオネ
恋愛
 せっかくホワイト企業に転職したのに、配属先は「漆黒」と噂される第一営業所だった芦尾梨子。待ち受けていたのは、大勢の前で怒鳴りつけてくるような鬼上司、獄谷衿。だが梨子には、前職で培ったパワハラ耐性と、ある"処世術"があった。2つの武器を手に、梨子は彼の厳しい指導にもたくましく食らいついていった。  ある日、梨子は獄谷に叱責された直後に彼自身のミスに気付く。助け舟を出すも、まさかのダブルミスで恥の上塗りをさせてしまう。責任を感じる梨子だったが、獄谷は意外な反応を見せた。そしてそれを境に、彼の態度が柔らかくなり始める。その不器用すぎるアプローチに、梨子も次第に惹かれていくのであった──。  恋心を隠してるけど全部滲み出ちゃってる系鬼上司と、全部気付いてるけど部下として接する新入社員が織りなす、じれじれオフィスラブ。

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

処理中です...