青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

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《第8章》 叛逆のデスデモーナ

二人の男と一人の女

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 瞳子との関係が期間限定なのは彼にとって、絶対的な事実だった。

「あいつの話はやめよう。お前に話すと、美芳メイファンさんにそのまま情報流れそうで安心できない」

「……でも、そこにいるの青柳ちゃんじゃない? 金髪の男と一緒にいる」

 ちょうど、レストランフロアにエスカレーターが到着したところだった。

 先におりた高瀬の視線の先にいたのは、確かに彼女だった。あのアイスブルーのブラウスには見覚えがある。

 ハワイ系ハンバーガーショップの店外テーブルについていた彼女は、同席していた灰色がかった金髪の男とともに立ち上がった。同時に、こちらに背を向けていた男の横顔が見えた。

 二〇代半ばと思しきゲルマン系の風貌で、グリム童話や神話にでてくる王子様を現世で体現したかのような美青年だ。

 その顔に見覚えがあった。出張前の週末に観たDVDでロミオ役を踊っていた青年だった。アップで何度も映しだされていたし、彼女の元カレとあっては、そう簡単に忘れられる顔でもない。

 ――ロミオ。本名は、サーシャ・ノイマン。

 年齢からしても雰囲気からしても、二人が釣りあっているのは一目瞭然だった。

 ――あいつも白人ホワイトか。

 瞬時にそんなことを考えてしまった自分は、相当疲れているんだなと自覚する。中立ニュートラル公平フラットでありたいと、常々心がけている彼にしては内心の言葉でも珍しいことだった。

「ただの友達かな? それとも、フェイ君にも言えない友達かな?」

 高瀬はこちらを試すような口ぶりをしていた。

 別れ際のようだった。

 瞳子が鞄を肩にかけて、サーシャに向き直る。二人は、日本以外ではよく見かけるハグと頬を軽くあわせる挨拶をして――と思いきや、いきなりサーシャが彼女を腕のなかに深く抱きこんで頬に濃厚なキスをした。

「おっと!」と歓声を漏らしたのは高瀬だ。しかし、どよめいたのは高瀬だけではない。

 平日昼下がりとはいえ、東京駅目の前という立地の丸ビルはかなり人が多い。若手ハリウッド俳優のように華やかな顔立ちをした異国の金髪王子のキスシーンは、周囲からの注目を集めていた。

 瞳子はといえば、ただひたすら困ったように眉尻を下げていた。

 抵抗はしていない。しかし、小声でなにか彼に話しかけている。相手を傷つけることなく解放してもらいたいのだろう。そしてとうとう、飛豪の視線に気づいた。

 彼女の表情がぴしりと強ばったのが、遠目でも容易に見てとれた。

 次の瞬間、口元が大きく歪み、肩の力がぬけていく。「うわぁん。もうヤダ」と己の不運を投げやり気味に嘆いている顔になった。

 数か月一緒に暮らして分かったことだが、彼女は気を許した相手に対しては感情表現が豊かだ。飛豪としては、今の副音声がさほど外れていないと確信している。間違いなく、悪意や裏切りのない表情だった。

 彼女の潔白がここまで分かっているというのに、彼は最初のショックから抜けだすことができなかった。

 腹の底に泥炭を詰めこまれたような重苦しさが、秒ごとに加速していく。一部の感覚が灼ききれて、血流が黒一色に染まったような気がした。真っ昼間なのに、内側の深い沼の底にいるがぶるりと身じろぎして、頭をもたげた。

 動揺している内面とは別に、理性では判断をつけていた。

 踵をかえしてこの場を去り、後でゆっくり事情なり釈明なりを聞く。それがベストな対応だ。しかし、体は理性の指示するとおりには動かなかった。

「高瀬、ランチやっぱ新富町な」

 言い残すと、彼は大股で早足に歩きはじめた。二人の方へ。

 瞳子が大きく目を見開いていて、なにかを訴えかけている。唇がかすかに動き、「飛豪さん」と彼の名を呼んだ。

 その声は、彼を鎮める。なのに同時に、底知れなく苛立たせる。

 彼女の腕をつかみ、サーシャから引き離した。斬りつけるような視線で、その男を睨みわたす。十分に威嚇してから文句を叩きつけた。

“Es mi novia. No la toques. (俺の恋人だ。触るな)”

 続けて瞳子の耳元に顔を寄せて、聞こえよがしに甘く毒のある言葉を囁きかけた。

“Hola mi corazoncita. ¿Qué haces por acá? ¿Infiel? Nunca pensaba que me traicionarías.(スイートハート、こんなところで何してるんだい? 浮気? 君が俺を裏切るだなんて思ってもみなかったよ).........Oops. My sweet...you forgot I’d asked you to stay in my bed while I was away? (俺がいないあいだ、ベッドで待ってろって言ったのを忘れたのか?)”

 頭の回線がイカれている。

 途中までスペイン語が出てきてしまったのは、南米から戻ってきたからだけではなく言語中枢までもが狂いだしていたからだ。瞳子もサーシャも理解はできないものの、声のトーンで大体は理解しただろう。

 彼女はその剣幕に驚いていたものの、おずおずと口をひらいた。

”Higou san, sorry for all... but you gotta know that..(飛豪さん、ごめん。でも……)”

“You’ll explain it in our house, huh? Anyway we have to go.(言い訳は後で家で聞くよ。とにかく出よう)”

“Sascha, sorry!!(サーシャ、ごめん!!)”

 手をとって促すと、彼女は一言だけ詫びて大人しく歩きはじめた。

 サーシャはその様子から、飛豪が真実彼女の恋人だと見てとったのだろう。”Toko, I’ll send you message later.(トーコ、後でメールする)”とだけ言って肩をすくめた。
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