青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

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《第10章》 天国の門

過去と現在

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 知りあったころ二回目に西新宿のホテルで会ったとき、彼は眠っている瞳子をのこして先に帰った。

 後に彼女が目覚めると、ホテルに備えつけの聖書がデスクに出されていて、ページが開かれっぱなしになっていた。ちょうど、去り際まで読んでいたかのように。

「覚えてる。あのページだろ? 『剣をとる者は、剣で滅びる』。あの一節、自分のこと言ってるようにしか思えなかったんだ。今はもう、そんな悲観した解釈しなくなったけど」

 彼は、終わった過去をふりかえる眼差しをしていた。瞳子は思う。あぁ、もうこの人は大丈夫だ。過去と現在が、正しく切り離されている。

「わたしもあのページを読んで、同じところで立ち止まりました」

「お互い、傷だらけの人生だ」

 飛豪は頬杖をついて視線を落とした。

「傷ついたから、得られた物もある」

 瞳子は自分だけに聞こえるよう小さく口にした。耳たぶに手をやると、真珠のなめらかな球体が指先にこたえた。







 年が明けた新年二日の夜、藤原が世を去った。最期は肺炎や呼吸不全など、あらゆる病状が合併症を起こしていた。

 夜の一〇時半すぎに彼の電話が鳴ったとき、ちょうど二人はリビングで翌日の初詣の計画をたてていた。

 ようやく瞳子の発熱が落ちついてきて、外出しても差し支えなさそうだった。近場の神社で、人の少なそうな時間帯を狙っていこう。そんな話をしていた。

 三が日の夜半にかかってくる電話に、良い報せなどない。

 黒川からの着信があった瞬間、二人は同時にその意味を悟った。話している間、飛豪はずっと漂白された無表情をしていた。

「瞳子、自分の喪服あるよな?」電話を切ると、彼は冷淡ともとれる声で確認した。

「わたし、一八歳で喪主やってます」瞳子も、ひりついた切り口上になった。

「三〇分で出るから」それだけ言うと、飛豪は席を立った。

 この一か月、彼がずっとお別れの心づもりをしていたことには気づいていた。

 藤原がほとんど目を覚まさなくなった先月の中旬から、飛豪は一滴もアルコールを口にしていない。いつでも車を動かせるようにしておきたいのが八割で、回復の祈念が残りの二割だったのだろう。クリスマスも、大晦日も、元旦も、二人は黙ってお茶やコーヒーを飲みつづけていた。

 マンションの地下駐車場は、この冬一番の冷えこみで凍えそうだった。玄関先から取ってきたミトンを瞳子はかじかんだ手にはめて、革手袋をハンドルを握っている彼に渡す。

「今はいい」

 ちらとだけ視線をよこしてから、飛豪はすぐに正面を向いて車を発進させた。しかし自身の態度を反省したのか、信号待ちで止まると簡潔に詫びをいれてきた。

「感じ悪くてごめん。できるだけ注意するから」

 その言葉すらもひび割れていて――彼女は、「気にしないで」としか答えられなかった。
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