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サイドストーリー連作:【対馬・亡国編】
第一話:水平線の青と、母の温もり
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不比等の「藤原システム」が日の本を覆い尽くす、数年前。
対馬・瑞澪(みずみお)の里は、まだ「神の島」としての静謐(せいひつ)と、最新の電脳技術が穏やかに調和した、地上に残された数少ない楽園だった。
「……。サク、またそんなに泥だらけになって。……。女の子なんですから、少しは澪(みお)ちゃんを見習って、お淑やかにできないのかしら」
里の奥、厳心の屋敷の縁側。
洗濯物を畳みながら、優しく、けれど芯の強い声で笑う女性がいた。
サクの母親であり、厳心の最愛の妻――『瑞澪・琴音(ことね)』。
彼女は、瑞澪の一族の中でも「データの揺らぎ(感情)」を読み取る特殊な感覚に優れ、里のシステムのメンテナンスを一手に引き受ける優秀なエンジニアでもあった。
「……。お母さん。……。澪は、神官の修行があるから綺麗にしてるだけだよ。……。私は、お父さんと一緒に里の防衛ラインのパッチを当てに行ってたんだから。……。これだって、瑞澪を守るための立派な仕事だよ!」
当時まだ十代前半だったサクは、今よりもずっと短い髪を揺らし、自慢げに小さな弓を掲げて見せた。
その隣では、サクの兄である**『弦一郎(げんいちろう)』**が、苦笑いしながらサクの頭を撫でている。
「……。ははは、サク。……。お前の弓は、確かに筋がいい。……。だが、父上の槍は『守護』だ。……。お前の弓は、いつか誰かを『導く』ための光にならなきゃいけないんだぞ」
弦一郎は、厳心の跡継ぎとして期待されていた、聡明で勇敢な青年だった。
彼は亮の父とも親交が深く、瑞澪の未来を、不比等の中央集権ではなく、各土地の自治による「分散ネットワーク」で築こうと夢見ていた。
「……。導く光……? ……。よくわかんないけど、兄さまみたいにカッコよく射てるようになればいいんでしょ!」
サクは元気よく答え、庭へと駆け出していく。
その光景を、執務室から出てきた厳心が、満足げに見つめていた。
「……。琴音。……。子供たちの笑い声が絶えぬこの里を、私は命に代えても守り抜く。……。不比等の影が、九州の果てまで伸びてきているという報告があるが……」
「……。厳心さん。……。私たちは瑞澪。……。この島の歴史と、海が守ってくれます。……。それに、あなたという最強の槍がいるのですから」
琴音は厳心の大きな手に、自分の手を重ねた。
それが、永遠に続くはずだった、瑞澪の日常。
水平線の向こうに見える青い海は、どこまでも穏やかで、対馬を包み込む神の抱擁のようだった。
しかし、その青い水平線のさらに奥。
不比等の「漆黒の艦隊」が、一文字の情けも持たず、瑞澪の全ログを『削除(デリート)』するために、音もなく迫っていたのだ。
その夜。
対馬の全システムを制御する中央サーバー『海神(わたつみ)』が、見たこともない真っ赤な警告ログを吐き出した。
『――緊急通告。……。外部より、超高深度の論理爆弾(ロジックボム)が着弾。……。防衛パッチ「瑞澪の盾」、……。三〇%が瞬時に崩壊。……。侵入者のID……「藤原不比等」を確認』
「……っ、なんだ、この圧力は……!? ……。海から、……。海から『神の権限』が押し寄せてくる!!」
厳心の屋敷に、弦一郎が飛び込んできた。彼の顔は蒼白で、手にした通信端末からは、里の結界が次々と引き裂かれる断末魔のようなノイズが漏れていた。
「……。弦一郎、サクを連れて地下のシェルターへ行け! ……。琴音は私と共にサーバー室へ! ……。亮の父上にも連絡しろ。……。これは、ただの襲撃ではない……。歴史の抹消だ!!」
厳心は、壁に掛けられた古びた槍――後に亮と共に大和まで旅することになる、あの漆黒の槍を手に取った。
「……。お父さん、嫌だ!! ……。私も戦う!! ……。私の弓だって、……!」
「――サク!! 行くんだ!!」
厳心の、これまでに聞いたこともないような怒号が響いた。
それは怒りではない。愛する娘を、この理不尽なデリートの嵐から逃がそうとする、親としての、そして当主としての、血を吐くような祈りだった。
サクは弦一郎に腕を引かれ、泣きながら奥へと走った。
それが、サクが見た「笑っている母親」と「穏やかな兄」の、最後の姿になるともしらずに。
対馬の夜空が、不比等の放った青白いレーザーで真昼のように照らし出された。
「――不比等……。貴殿の『完璧』のために、この島を……人々の想いを踏みにじるというなら……。この厳心、地獄の果てまで貴殿を呪う槍とならん!!!」
厳心が吠え、炎に包まれる瑞澪の里。
いよいよ、サクと厳心の、血と涙に塗れた「亡国の旅」が幕を開ける。
次回予告:サイドストーリー第二話「紅蓮の海と、兄の最期」
シェルターへと逃げ込むサクと弦一郎の前に、不比等の直属暗殺部隊が立ちはだかる。妹を守るため、弦一郎が選んだ「禁断のオーバーロード」とは。そしてサクは、母の遺した「あるデータ」をその手に託されることになる……。
対馬・瑞澪(みずみお)の里は、まだ「神の島」としての静謐(せいひつ)と、最新の電脳技術が穏やかに調和した、地上に残された数少ない楽園だった。
「……。サク、またそんなに泥だらけになって。……。女の子なんですから、少しは澪(みお)ちゃんを見習って、お淑やかにできないのかしら」
里の奥、厳心の屋敷の縁側。
洗濯物を畳みながら、優しく、けれど芯の強い声で笑う女性がいた。
サクの母親であり、厳心の最愛の妻――『瑞澪・琴音(ことね)』。
彼女は、瑞澪の一族の中でも「データの揺らぎ(感情)」を読み取る特殊な感覚に優れ、里のシステムのメンテナンスを一手に引き受ける優秀なエンジニアでもあった。
「……。お母さん。……。澪は、神官の修行があるから綺麗にしてるだけだよ。……。私は、お父さんと一緒に里の防衛ラインのパッチを当てに行ってたんだから。……。これだって、瑞澪を守るための立派な仕事だよ!」
当時まだ十代前半だったサクは、今よりもずっと短い髪を揺らし、自慢げに小さな弓を掲げて見せた。
その隣では、サクの兄である**『弦一郎(げんいちろう)』**が、苦笑いしながらサクの頭を撫でている。
「……。ははは、サク。……。お前の弓は、確かに筋がいい。……。だが、父上の槍は『守護』だ。……。お前の弓は、いつか誰かを『導く』ための光にならなきゃいけないんだぞ」
弦一郎は、厳心の跡継ぎとして期待されていた、聡明で勇敢な青年だった。
彼は亮の父とも親交が深く、瑞澪の未来を、不比等の中央集権ではなく、各土地の自治による「分散ネットワーク」で築こうと夢見ていた。
「……。導く光……? ……。よくわかんないけど、兄さまみたいにカッコよく射てるようになればいいんでしょ!」
サクは元気よく答え、庭へと駆け出していく。
その光景を、執務室から出てきた厳心が、満足げに見つめていた。
「……。琴音。……。子供たちの笑い声が絶えぬこの里を、私は命に代えても守り抜く。……。不比等の影が、九州の果てまで伸びてきているという報告があるが……」
「……。厳心さん。……。私たちは瑞澪。……。この島の歴史と、海が守ってくれます。……。それに、あなたという最強の槍がいるのですから」
琴音は厳心の大きな手に、自分の手を重ねた。
それが、永遠に続くはずだった、瑞澪の日常。
水平線の向こうに見える青い海は、どこまでも穏やかで、対馬を包み込む神の抱擁のようだった。
しかし、その青い水平線のさらに奥。
不比等の「漆黒の艦隊」が、一文字の情けも持たず、瑞澪の全ログを『削除(デリート)』するために、音もなく迫っていたのだ。
その夜。
対馬の全システムを制御する中央サーバー『海神(わたつみ)』が、見たこともない真っ赤な警告ログを吐き出した。
『――緊急通告。……。外部より、超高深度の論理爆弾(ロジックボム)が着弾。……。防衛パッチ「瑞澪の盾」、……。三〇%が瞬時に崩壊。……。侵入者のID……「藤原不比等」を確認』
「……っ、なんだ、この圧力は……!? ……。海から、……。海から『神の権限』が押し寄せてくる!!」
厳心の屋敷に、弦一郎が飛び込んできた。彼の顔は蒼白で、手にした通信端末からは、里の結界が次々と引き裂かれる断末魔のようなノイズが漏れていた。
「……。弦一郎、サクを連れて地下のシェルターへ行け! ……。琴音は私と共にサーバー室へ! ……。亮の父上にも連絡しろ。……。これは、ただの襲撃ではない……。歴史の抹消だ!!」
厳心は、壁に掛けられた古びた槍――後に亮と共に大和まで旅することになる、あの漆黒の槍を手に取った。
「……。お父さん、嫌だ!! ……。私も戦う!! ……。私の弓だって、……!」
「――サク!! 行くんだ!!」
厳心の、これまでに聞いたこともないような怒号が響いた。
それは怒りではない。愛する娘を、この理不尽なデリートの嵐から逃がそうとする、親としての、そして当主としての、血を吐くような祈りだった。
サクは弦一郎に腕を引かれ、泣きながら奥へと走った。
それが、サクが見た「笑っている母親」と「穏やかな兄」の、最後の姿になるともしらずに。
対馬の夜空が、不比等の放った青白いレーザーで真昼のように照らし出された。
「――不比等……。貴殿の『完璧』のために、この島を……人々の想いを踏みにじるというなら……。この厳心、地獄の果てまで貴殿を呪う槍とならん!!!」
厳心が吠え、炎に包まれる瑞澪の里。
いよいよ、サクと厳心の、血と涙に塗れた「亡国の旅」が幕を開ける。
次回予告:サイドストーリー第二話「紅蓮の海と、兄の最期」
シェルターへと逃げ込むサクと弦一郎の前に、不比等の直属暗殺部隊が立ちはだかる。妹を守るため、弦一郎が選んだ「禁断のオーバーロード」とは。そしてサクは、母の遺した「あるデータ」をその手に託されることになる……。
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