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サイドストーリー連作:【対馬・亡国編】
第三話:漂流の涯て、捨てられた島
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対馬を焼き尽くす紅蓮の炎が水平線の彼方に消えてから、三日が過ぎた。
小舟の周囲を囲むのは、不比等のシステムが管理する「静謐な海」ではなく、理不尽なまでの荒れ狂う玄界灘の冬の波だった。
「……。サク、しっかりしろ。……。舌を噛むなよ。……。今、水を……」
厳心の声は、かつての瑞澪当主としての威厳を失い、砂を噛むような掠れ具合だった。
彼は血塗れの槍を杖にして、小さな船底に横たわる娘の口元へ、滴るほどの雨水を垂らす。サクの唇は乾燥してひび割れ、兄・弦一郎を目の前で失ったあの夜の絶叫すら、今はもう喉の奥にこびりついた乾いた塊(ノイズ)でしかなかった。
「……。お父……さん。……。兄さま、……どこ? ……。暗いよ、……冷たいよ……」
「……。弦一郎は、対馬の土になった。……。あやつは立派に戦い抜いたのだ。……。サク、お前は生きねばならぬ。……。あやつが命を懸けて守った、その『メモリ』を……死なせてはならぬのだ」
厳心の大きな、傷だらけの手がサクの震える手を包み込む。
サクの指は、兄の形見である結晶メモリを、まるで自分の命を繋ぎ止める最後のデバイスであるかのように、白くなるほど強く握りしめていた。そのメモリには、母・琴音が命を懸けて圧縮した「瑞澪の全ログ」が眠っている。不比等が何よりも恐れ、消去したがっていた、日の本の「自由の種火」が。
その時、小舟を凄まじい衝撃が襲った。
「――なっ、座礁か!? ……。いや、これは……『ゴミの檻(ケージ)』か!?」
厳心が立ち上がると、小舟は島とも呼べないような、巨大な「鉄の墓場」に乗り上げていた。
そこは大三島の遥か北端、かつて不比等の開発初期に廃棄された、基板や構造体の残骸が堆積してできた、地図にない人工の島。通称――『棄てられた島(ジャンク・ヤード)』。
厳心は、意識を失いかけたサクを背負い、膝まで浸かる錆びた冷却水の中を、槍を杖にして一歩ずつ進んだ。
周囲には、朽ち果てたドローンの残骸や、文字化けしたまま点滅を繰り返す巨大な屋外モニターが立ち並んでいる。
「……。誰も、……おらぬのか。……。不比等の秩序からも、瑞澪の加護からも外れた……死のアーカイブか、ここは」
厳心が洞窟のような廃材の隙間にサクを横たえた時、背後から無機質な駆動音が響いた。
『――不確定な生命反応を確認。……。登録抹消個体、および重要機密保持者。……。これより、エリアごと一括デリートを開始する』
「――チッ、ここまで追ってきたか!!」
上空に現れたのは、不比等の偵察用ドローンの群れ。対馬を滅ぼしたあの禍々しい光が、再びサクを狙って照射される。
厳心は、折れかけた槍を中段に構えた。
身体はもう限界だった。神経系は焼き切れ、槍を握る指の感覚もとうにない。
だが、娘を守るという一点のみが、彼の全回路を強制駆動させていた。
「――サク!! 耳を塞げ!! ……。我が槍は、対馬の誇り!! ……。一文字の秩序も、ここから先は通さんぞ!!」
厳心が地を蹴った。
重力定数を狂わせる不比等の妨害電波の中を、彼は「純粋な筋肉の記憶」だけで駆け抜ける。
ドォォォォォォォォォォォォンッ!!
槍の一突きが、先頭のドローンを物理的に粉砕した。
だが、数は絶望的だった。十、二十、……百。
無数の光線が厳心の身体を貫く。肩、脇腹、太もも。鮮血が錆びた鉄板を赤く染めていく。
「……。お、……。おおおおおおおぉぉぉぉっ!!!」
厳心は吠えた。
彼は知っていた。ここで自分が倒れれば、サクは殺される。瑞澪の歴史は、ここで途絶える。
「……。サク、……。逃げろ。……。この島の奥へ、……隠れるんだ」
「……。お父さん、……。嫌だ、……。置いていかないで……!」
サクは這いずりながら、厳心の足元に縋り付いた。
かつての最強の槍、瑞澪の当主が、今やボロボロの、死にゆく一人の「父親」として、自分の盾になっている。
その時だった。
島の深部、廃材の山が崩れるような轟音と共に、一つの巨大な「影」が動き出した。
それは不比等のドローンではない。
もっと古く、無骨で、そして「意志」を感じさせる、鉄の槌音。
ガギィィィィィィィン!!
上空のドローン群が、目に見えない衝撃波によって一斉に撃ち落とされた。
「……。騒々しいのう。……。ワシの寝床で、ゴミ掃除の真似事をするのは誰じゃ」
現れたのは、巨大な鉄の槌を担いだ、小山のような大男。
後に天箱を造り、亮の神器を鍛えることになる伝説の船大工――**徳蔵(とくぞう)**だった。
「……。貴殿は……?」
「……。瑞澪の厳心か。……。噂に違わぬ、無様な姿よな」
徳蔵は、厳心の前に立ち塞がると、不比等のドローンが放った追撃のレーザーを、自らの槌一つで「物理的に弾き返した」。
「……。ここは、ワシら『不完全な職人』の墓場じゃ。……。神の秩序とやらを振りかざすガキども(ドローン)に、踏み荒らされる筋合いはないわい!!」
徳蔵が地を踏むと、島全体の金属廃材が共鳴し、凄まじい不協和音(ノイズ)を放った。
不比等の精密な予測アルゴリズムは、この「不規則なノイズ」に耐えきれず、次々とドローンが自壊していく。
「……。助かった、……のか」
厳心は、安堵と共にその場に崩れ落ちた。
サクは、朦朧とする意識の中で、徳蔵の巨大な背中と、父を包み込むような島全体の温もりを感じていた。
ここには、まだ亮はいない。
亮は、この島のさらに奥、徳蔵の弟子として、まだ名もなき「ゴミ拾いの少年」として生きている。
だが、この瞬間。
対馬という「過去」と、この島という「現在」が、徳蔵という橋渡しによって繋がった。
サクは、意識を失う直前。
自分たちを助けてくれた、この鉄の匂いがする島を、初めて「暖かい」と思った。
ここから、亮と出会うまでの、そして本編第1話へと繋がるための、過酷だが「再生」の予感を秘めた共同生活が始まる。
厳心が槍を置き、サクが弓を拾う。
不比等への復讐ではなく、未来を「ビルド」するための物語が、この棄てられた島から、ようやく産声を上げたのだ。
次回予告:サイドストーリー第四話「徳蔵の槌音と、ゴミ拾いの少年」
徳蔵に拾われた厳心とサク。そこで二人が出会ったのは、黙々と回路の残骸をいじる、暗い瞳をした少年・亮だった。まだ互いの名も知らない三人が、不完全な神器を共に造り上げるまでの、再生の十日間を描く。
小舟の周囲を囲むのは、不比等のシステムが管理する「静謐な海」ではなく、理不尽なまでの荒れ狂う玄界灘の冬の波だった。
「……。サク、しっかりしろ。……。舌を噛むなよ。……。今、水を……」
厳心の声は、かつての瑞澪当主としての威厳を失い、砂を噛むような掠れ具合だった。
彼は血塗れの槍を杖にして、小さな船底に横たわる娘の口元へ、滴るほどの雨水を垂らす。サクの唇は乾燥してひび割れ、兄・弦一郎を目の前で失ったあの夜の絶叫すら、今はもう喉の奥にこびりついた乾いた塊(ノイズ)でしかなかった。
「……。お父……さん。……。兄さま、……どこ? ……。暗いよ、……冷たいよ……」
「……。弦一郎は、対馬の土になった。……。あやつは立派に戦い抜いたのだ。……。サク、お前は生きねばならぬ。……。あやつが命を懸けて守った、その『メモリ』を……死なせてはならぬのだ」
厳心の大きな、傷だらけの手がサクの震える手を包み込む。
サクの指は、兄の形見である結晶メモリを、まるで自分の命を繋ぎ止める最後のデバイスであるかのように、白くなるほど強く握りしめていた。そのメモリには、母・琴音が命を懸けて圧縮した「瑞澪の全ログ」が眠っている。不比等が何よりも恐れ、消去したがっていた、日の本の「自由の種火」が。
その時、小舟を凄まじい衝撃が襲った。
「――なっ、座礁か!? ……。いや、これは……『ゴミの檻(ケージ)』か!?」
厳心が立ち上がると、小舟は島とも呼べないような、巨大な「鉄の墓場」に乗り上げていた。
そこは大三島の遥か北端、かつて不比等の開発初期に廃棄された、基板や構造体の残骸が堆積してできた、地図にない人工の島。通称――『棄てられた島(ジャンク・ヤード)』。
厳心は、意識を失いかけたサクを背負い、膝まで浸かる錆びた冷却水の中を、槍を杖にして一歩ずつ進んだ。
周囲には、朽ち果てたドローンの残骸や、文字化けしたまま点滅を繰り返す巨大な屋外モニターが立ち並んでいる。
「……。誰も、……おらぬのか。……。不比等の秩序からも、瑞澪の加護からも外れた……死のアーカイブか、ここは」
厳心が洞窟のような廃材の隙間にサクを横たえた時、背後から無機質な駆動音が響いた。
『――不確定な生命反応を確認。……。登録抹消個体、および重要機密保持者。……。これより、エリアごと一括デリートを開始する』
「――チッ、ここまで追ってきたか!!」
上空に現れたのは、不比等の偵察用ドローンの群れ。対馬を滅ぼしたあの禍々しい光が、再びサクを狙って照射される。
厳心は、折れかけた槍を中段に構えた。
身体はもう限界だった。神経系は焼き切れ、槍を握る指の感覚もとうにない。
だが、娘を守るという一点のみが、彼の全回路を強制駆動させていた。
「――サク!! 耳を塞げ!! ……。我が槍は、対馬の誇り!! ……。一文字の秩序も、ここから先は通さんぞ!!」
厳心が地を蹴った。
重力定数を狂わせる不比等の妨害電波の中を、彼は「純粋な筋肉の記憶」だけで駆け抜ける。
ドォォォォォォォォォォォォンッ!!
槍の一突きが、先頭のドローンを物理的に粉砕した。
だが、数は絶望的だった。十、二十、……百。
無数の光線が厳心の身体を貫く。肩、脇腹、太もも。鮮血が錆びた鉄板を赤く染めていく。
「……。お、……。おおおおおおおぉぉぉぉっ!!!」
厳心は吠えた。
彼は知っていた。ここで自分が倒れれば、サクは殺される。瑞澪の歴史は、ここで途絶える。
「……。サク、……。逃げろ。……。この島の奥へ、……隠れるんだ」
「……。お父さん、……。嫌だ、……。置いていかないで……!」
サクは這いずりながら、厳心の足元に縋り付いた。
かつての最強の槍、瑞澪の当主が、今やボロボロの、死にゆく一人の「父親」として、自分の盾になっている。
その時だった。
島の深部、廃材の山が崩れるような轟音と共に、一つの巨大な「影」が動き出した。
それは不比等のドローンではない。
もっと古く、無骨で、そして「意志」を感じさせる、鉄の槌音。
ガギィィィィィィィン!!
上空のドローン群が、目に見えない衝撃波によって一斉に撃ち落とされた。
「……。騒々しいのう。……。ワシの寝床で、ゴミ掃除の真似事をするのは誰じゃ」
現れたのは、巨大な鉄の槌を担いだ、小山のような大男。
後に天箱を造り、亮の神器を鍛えることになる伝説の船大工――**徳蔵(とくぞう)**だった。
「……。貴殿は……?」
「……。瑞澪の厳心か。……。噂に違わぬ、無様な姿よな」
徳蔵は、厳心の前に立ち塞がると、不比等のドローンが放った追撃のレーザーを、自らの槌一つで「物理的に弾き返した」。
「……。ここは、ワシら『不完全な職人』の墓場じゃ。……。神の秩序とやらを振りかざすガキども(ドローン)に、踏み荒らされる筋合いはないわい!!」
徳蔵が地を踏むと、島全体の金属廃材が共鳴し、凄まじい不協和音(ノイズ)を放った。
不比等の精密な予測アルゴリズムは、この「不規則なノイズ」に耐えきれず、次々とドローンが自壊していく。
「……。助かった、……のか」
厳心は、安堵と共にその場に崩れ落ちた。
サクは、朦朧とする意識の中で、徳蔵の巨大な背中と、父を包み込むような島全体の温もりを感じていた。
ここには、まだ亮はいない。
亮は、この島のさらに奥、徳蔵の弟子として、まだ名もなき「ゴミ拾いの少年」として生きている。
だが、この瞬間。
対馬という「過去」と、この島という「現在」が、徳蔵という橋渡しによって繋がった。
サクは、意識を失う直前。
自分たちを助けてくれた、この鉄の匂いがする島を、初めて「暖かい」と思った。
ここから、亮と出会うまでの、そして本編第1話へと繋がるための、過酷だが「再生」の予感を秘めた共同生活が始まる。
厳心が槍を置き、サクが弓を拾う。
不比等への復讐ではなく、未来を「ビルド」するための物語が、この棄てられた島から、ようやく産声を上げたのだ。
次回予告:サイドストーリー第四話「徳蔵の槌音と、ゴミ拾いの少年」
徳蔵に拾われた厳心とサク。そこで二人が出会ったのは、黙々と回路の残骸をいじる、暗い瞳をした少年・亮だった。まだ互いの名も知らない三人が、不完全な神器を共に造り上げるまでの、再生の十日間を描く。
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