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サイドストーリー連作:【対馬・亡国編】
第五話:天箱(アマノハコ)の産声と、別れの誓い
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「棄てられた島」の地下ドック。そこには、数日前までただの巨大なスクラップの塊だった「天箱(アマノハコ)」のプロトタイプが、不気味なほどの静圧を湛えて鎮座していた。
徳蔵が叩き上げ、亮がコードを編み込み、そしてサクと厳心が瑞澪の「生命維持(バイタル)」のアルゴリズムを注ぎ込んだ。それは、船というよりは、海を滑る巨大なサーバー、あるいは不比等の秩序から逃れるための「論理のシェルター」だった。
「……動くのか、これ。……。見た目は、ただの錆びた棺桶にしか見えないけど」
サクは、新たにビルドされた重厚な弓を背負い、不安げに船体を撫でた。
亮は、コンソールの最終調整をしながら、一度も手を止めずに答えた。
「……。外見(UI)に拘ってる余裕はねえんだ。……。中身(バックエンド)は徳蔵の親父が保証してる。……。瑞澪の全ログを積んだこの船なら、不比等の監視網(ファイアウォール)を物理的にぶち破れる」
だが、亮の表情は晴れなかった。
彼の網膜ディスプレイには、島を包囲しつつある不比等の「漆黒の艦隊」の接近ログが、真っ赤な警告音(アラート)と共に流れていたからだ。
「……。厳心さん、サク。……。今すぐ出航してくれ。……。俺がゲートをハックして、最短の脱出経路(パス)を確保した」
「……。亮殿、貴殿はどうするのだ。……。共に来ぬのか?」
厳心が鋭い目で亮を射抜く。
亮は、ふっと自嘲気味に笑い、天箱のハッチから手を離した。
「……。この船はまだ未完成だ。……。自動航行(オートパイロット)には、誰かが外側から『不比等の目』を欺き続ける必要がある。……。それに、全員で逃げたら、あいつらの計算(アルゴリズム)はすぐに俺たちを捕捉する。……。誰かが、この島に残って『まだここに重要機密がある』と、あいつらのサーバーを騙し続けなきゃならない」
その言葉の意味を、サクは瞬時に理解した。
「――っ、嘘でしょ!? ……。一人で、……あの艦隊を相手に、囮になるっていうの!?」
「……。囮じゃない。……。デバッグだよ。……。あいつらの完璧な包囲網に、俺という『バグ』を叩き込んで、演算を狂わせてやるだけだ」
亮は、サクに背を向けたまま、手元のガントレットを操作した。
天箱のハッチが、重い音を立てて閉まり始める。
「――待って!! 亮!! あんた、死ぬ気なの!? ……。瑞澪を助けるために、あんたが消えたら、……そんなの、兄さまと同じじゃない!!」
サクは閉まりかけるハッチに駆け寄った。
亮は、ゆっくりと振り返った。その顔は、初めて会った時の暗い瞳ではなく、どこか清々しい、一人の「エンジニア」としての覚悟に満ちていた。
「……。サク。……。お前の兄貴は、死ぬために戦ったんじゃない。……。お前を『明日』へ繋ぐために、自分というログを上書きしたんだ。……。俺も同じだ。……。不比等の秩序が支配するこの世界で、俺たちの『自由』を再起動(リブート)させるには、……誰かが、この役割(ロール)を引き受けなきゃならない」
亮は、ハッチの隙間から、サクの震える指先をそっと握った。
油と鉄の匂い。けれど、それは確かに、生きている人間の、熱い血が通った体温だった。
「……。約束しろ、サク。……。この船を、……天箱を、絶対に守り抜け。……。大三島へ辿り着いて、体制を整えろ。……。そこで、……必ずまた会おう」
「……。約束なんて、……。守れる保証もないのに、……!」
「……。保証(SLA)なんて、俺たちの人生には最初からねえよ。……。だが、俺のコードは、……一度走らせたら(コミットしたら)、……絶対に止まらねえ」
亮は、サクの指に、古い真鍮製のナットを押し付けた。
それは、彼が初めてデバッグ・ツールを造った時の、最初の「部品(パーツ)」。
「――指切りだ。……。これを返してもらうまで、俺は……地獄の底からでも、……不比等のサーバーを這い上がって、……お前の前に戻ってきてやる」
ハッチが完全に閉まった。
サクの叫びは、天箱の防音隔壁に吸い込まれ、届くことはなかった。
直後、棄てられた島の全域で、凄まじい爆音と光柱が立ち上がった。
亮は、たった一人で島の中央管制塔へ駆け上がり、全エネルギーを「偽の生体信号(フェイク・ログ)」の生成へと回した。
不比等の艦隊の主砲が、亮の立つ管制塔を狙って一斉に火を吹く。
「――MI-Z-O!! ……。俺たちの『存在証明(アイデンティティ)』、全部不比等のネットワークに叩き込め!! ……。天箱が、……あいつらが見えなくなるまで、……俺がこの島の『神』になってやるよ!!」
『――了解、亮。……。あなたの心拍数は限界です。……。ですが、……最高のデバッグ(喧嘩)になりそうですね』
崩れ落ちる管制塔。降り注ぐレーザーの雨。
亮は、全身を焼かれ、意識が真っ白に染まる中で、ただ一点、水平線の向こうへ消えていく「天箱」の航跡だけを、その網膜に焼き付けていた。
【対馬・亡国編:完結】
徳蔵が叩き上げ、亮がコードを編み込み、そしてサクと厳心が瑞澪の「生命維持(バイタル)」のアルゴリズムを注ぎ込んだ。それは、船というよりは、海を滑る巨大なサーバー、あるいは不比等の秩序から逃れるための「論理のシェルター」だった。
「……動くのか、これ。……。見た目は、ただの錆びた棺桶にしか見えないけど」
サクは、新たにビルドされた重厚な弓を背負い、不安げに船体を撫でた。
亮は、コンソールの最終調整をしながら、一度も手を止めずに答えた。
「……。外見(UI)に拘ってる余裕はねえんだ。……。中身(バックエンド)は徳蔵の親父が保証してる。……。瑞澪の全ログを積んだこの船なら、不比等の監視網(ファイアウォール)を物理的にぶち破れる」
だが、亮の表情は晴れなかった。
彼の網膜ディスプレイには、島を包囲しつつある不比等の「漆黒の艦隊」の接近ログが、真っ赤な警告音(アラート)と共に流れていたからだ。
「……。厳心さん、サク。……。今すぐ出航してくれ。……。俺がゲートをハックして、最短の脱出経路(パス)を確保した」
「……。亮殿、貴殿はどうするのだ。……。共に来ぬのか?」
厳心が鋭い目で亮を射抜く。
亮は、ふっと自嘲気味に笑い、天箱のハッチから手を離した。
「……。この船はまだ未完成だ。……。自動航行(オートパイロット)には、誰かが外側から『不比等の目』を欺き続ける必要がある。……。それに、全員で逃げたら、あいつらの計算(アルゴリズム)はすぐに俺たちを捕捉する。……。誰かが、この島に残って『まだここに重要機密がある』と、あいつらのサーバーを騙し続けなきゃならない」
その言葉の意味を、サクは瞬時に理解した。
「――っ、嘘でしょ!? ……。一人で、……あの艦隊を相手に、囮になるっていうの!?」
「……。囮じゃない。……。デバッグだよ。……。あいつらの完璧な包囲網に、俺という『バグ』を叩き込んで、演算を狂わせてやるだけだ」
亮は、サクに背を向けたまま、手元のガントレットを操作した。
天箱のハッチが、重い音を立てて閉まり始める。
「――待って!! 亮!! あんた、死ぬ気なの!? ……。瑞澪を助けるために、あんたが消えたら、……そんなの、兄さまと同じじゃない!!」
サクは閉まりかけるハッチに駆け寄った。
亮は、ゆっくりと振り返った。その顔は、初めて会った時の暗い瞳ではなく、どこか清々しい、一人の「エンジニア」としての覚悟に満ちていた。
「……。サク。……。お前の兄貴は、死ぬために戦ったんじゃない。……。お前を『明日』へ繋ぐために、自分というログを上書きしたんだ。……。俺も同じだ。……。不比等の秩序が支配するこの世界で、俺たちの『自由』を再起動(リブート)させるには、……誰かが、この役割(ロール)を引き受けなきゃならない」
亮は、ハッチの隙間から、サクの震える指先をそっと握った。
油と鉄の匂い。けれど、それは確かに、生きている人間の、熱い血が通った体温だった。
「……。約束しろ、サク。……。この船を、……天箱を、絶対に守り抜け。……。大三島へ辿り着いて、体制を整えろ。……。そこで、……必ずまた会おう」
「……。約束なんて、……。守れる保証もないのに、……!」
「……。保証(SLA)なんて、俺たちの人生には最初からねえよ。……。だが、俺のコードは、……一度走らせたら(コミットしたら)、……絶対に止まらねえ」
亮は、サクの指に、古い真鍮製のナットを押し付けた。
それは、彼が初めてデバッグ・ツールを造った時の、最初の「部品(パーツ)」。
「――指切りだ。……。これを返してもらうまで、俺は……地獄の底からでも、……不比等のサーバーを這い上がって、……お前の前に戻ってきてやる」
ハッチが完全に閉まった。
サクの叫びは、天箱の防音隔壁に吸い込まれ、届くことはなかった。
直後、棄てられた島の全域で、凄まじい爆音と光柱が立ち上がった。
亮は、たった一人で島の中央管制塔へ駆け上がり、全エネルギーを「偽の生体信号(フェイク・ログ)」の生成へと回した。
不比等の艦隊の主砲が、亮の立つ管制塔を狙って一斉に火を吹く。
「――MI-Z-O!! ……。俺たちの『存在証明(アイデンティティ)』、全部不比等のネットワークに叩き込め!! ……。天箱が、……あいつらが見えなくなるまで、……俺がこの島の『神』になってやるよ!!」
『――了解、亮。……。あなたの心拍数は限界です。……。ですが、……最高のデバッグ(喧嘩)になりそうですね』
崩れ落ちる管制塔。降り注ぐレーザーの雨。
亮は、全身を焼かれ、意識が真っ白に染まる中で、ただ一点、水平線の向こうへ消えていく「天箱」の航跡だけを、その網膜に焼き付けていた。
【対馬・亡国編:完結】
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