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追憶編
災いを告げる音、悪夢の鐘が鳴る
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「さて、そろそろカイルたちと合流する時間だな」
バニッシュは腰に手を当て、ぐっと背を伸ばす。
昼が近づくにつれ、祭りの通りはさらに賑わい、人の波が絶えない。
露店の匂い、楽師の笛、子供たちの笑い声、芸人の掛け声――すべてが混ざり合い、街全体が脈打つように盛り上がっていた。
そんな喧騒の中を抜け、合流地点に向かうと――すでにカイルが腕を組んで立っていた。
隣にはミレイユが控えめに立ち、ぺこりと会釈をする。
「相変わらず早いな」
バニッシュが苦笑しながら声をかける。
「当たり前だ」
カイルは眉ひとつ動かさず答える。
「むしろお前が少し遅かったくらいだ。……で、そっちはどうだ?」
「いや、特に何もなかったな」
バニッシュは頭をかきながら肩を竦める。
「そうか。こっちも特別な異常はなかった」
カイルは短くまとめるように言い、腕を組み直した。
ミレイユも思い返すように小さく首を横に振る。
バニッシュは周囲の喧騒を眺めながら、ふと問いかけた。
「それで、午後はどうするんだ?」
「そうだな……」
カイルは顎に手を当て、祭りを泳ぐ人波に一瞥を向ける。
考える間も、その表情は警戒心を緩めない。
やがて、静かに言葉を紡いだ。
「特に大きな問題も起きていないし、引き続き同じように巡回を続けよう」
「なら――」
バニッシュはふと思い出したように手を打った。
「午後から、教会で子供たちの聖歌があるらしいんだ。ちょっと覗きに行かないか?」
その提案に、カイルはぴたりと動きを止め、わずかに眉をひそめる。
「……あのなぁ、俺たちは警備の依頼を受けて仕事してるんだぞ。行くわけないだろ」
呆れ声で即答するカイル。
が、バニッシュはにやりと笑うと、カイルの耳元に顔を寄せ、声を潜めた。
「セリナさんも、ぜひ来てくれって言ってたぞ?」
「なっ……!」
カイルの顔に一瞬だけ動揺が走る。
ミレイユが小さく肩を震わせて反応を伺う中、カイルは慌て気味に言葉を続けた。
「だ、だからって仕事中に……行くわけには……」
そう言いながらも、どこか視線が揺れている。
だが、何かを考えるように顎に手を当て、数秒黙り込むと――。
「……いや、行こう」
静かだが、確固たる意志を込めた声だった。
真面目な目でバニッシュを見るカイルの姿に、バニッシュは一瞬戸惑ったが、すぐに口の端を吊り上げる。
「なんだよ、やっぱり行きたいんじゃねぇか」
肘でつつきながらからかう。
「ち、違う! そういうことじゃない!」
カイルは顔を赤くしながら否定する。
そのやり取りを見ていたミレイユは、
――またセリナさんのこと……
とでも言いたげに、ちょん、と頬を膨らませてそっぽを向いた。
教会に着くと、すでに人の波ができていた。
子供たちの親や近所の老人たちが、期待に胸を膨らませながら席を待っている。
祭りのざわめきとは違う、温かい空気が教会内に満ちていた。
入口で来客案内をしているセリナとタリズが、ひとりひとり丁寧に席を案内している。
順番が回ってきたとき、こちらに気づいたセリナがぱっと笑顔になった。
「皆さん、来てくれたんですね」
その柔らかな笑みに、カイルはどこか優しげな眼差しで応える。
「ええ、もちろんです」
慈しむような声色に、ミレイユは隣でまたぷくっと頬を膨らませる。
言葉には出さないが、心中のざわめきは隠しきれない。
セリナが先導し、三人は来客席に座る。
セリナが別の案内に向かったのを見届けるや否や、バニッシュはそっとカイルに身を寄せた。
「……しかし、本当に来るとはな。やっぱり――」
ニヤリと笑い、からかう声を潜める。
「違う」
カイルは即座に否定するが、その顔にはわずかな照れが残っていた。
だが次の瞬間、表情がきゅっと引き締まる。
「ただ……気になることがあってな」
その言葉には、先ほどエルフから聞いた情報の影が潜んでいるようだった。
バニッシュは意味が分からず肩をすくめる。
「なんだよ急に。どしたんだよ?」
「……あとで話す。今は聖歌が始まる」
カイルの視線の先で、子供たちが整列しはじめる。
柔らかな光がステンドグラスから差し込み、舞台を金色に染めていた。
和やかな時間の中に、じわりと不穏な気配が混ざり始めていることを――まだバニッシュは知らない。
大勢の観客が見守る中、舞台に整列した子供たちは――先ほどまでバニッシュにまとわりついていたやんちゃな顔とはまるで別人だった。
背筋を伸ばし、ぎこちなくも真剣に前を向く。
小さな喉が緊張で上下し、指先がかすかに震えている。
その可愛らしいほどの緊張ぶりに、客席からは思わず微笑ましい空気が生まれた。
前に進み出たタリズが観客に向き直り、落ち着いた声で挨拶をする。
「本日はお越しいただき、誠にありがとうございます。今日のために子供たちも一生懸命、練習を積んでまいりました。お越しくださった皆さまの――そして、この街の平和と幸を願い、心を込めて歌わせていただきます。どうか、ご清聴のほどお願いいたします」
柔らかく、どこか包み込むような声だった。
深々と一礼したあと、タリズは子供たちへと向き直る。
指揮者として腕を上げる。
――ピン、と空気が張りつめた。
先ほどまでざわついていた客席も、一瞬にして静まり返る。
子供たちはタリズの指先に集中し、緊張の面持ちのまま大きく息を吸い込む。
視線を交わし、タリズはステージ横のセリナへとそっと合図を送った。
セリナがピアノの鍵盤に指を置き、ゆっくりと伴奏を始める。
その優しい旋律に包まれ、子供たちは――ついに歌い出した。
最初はかすかに震えていた声も、少しずつ安定し、広がり、教会を満たしていく。
透明で、純粋で、少しだけ拙い声。
けれどその一生懸命さが胸に沁みる。
バニッシュは思わず目を細めた。
カイルも静かに頷く。
隣ではミレイユが胸に手を当て、しっとりと微笑んでいた。
子供たちの小さな体から紡がれる聖歌は、まるでこの街全体を優しく包み込むように――穏やかな風となって教会を満たし続けていた。
子供たちの清らかな歌声が教会に満ち、その余韻が静かに消えていく。
タリズが優雅に一礼をすると、客席からは――静かだが、温かい拍手が沸き起こった。
穏やかな空気、幸福と平和に満ちた一瞬。
――鳴るはずだった。
本来なら、この瞬間に教会の天辺にある祝福の鐘が澄んだ音色を響かせる。
しかし――
ゴォォォォン……ッ!
教会全体が震えるような――重く、濁りきった鐘の音が響き渡った。
まるで地の底から呻き声が溢れ出たような、魂を引き裂くような、不吉な音。
観客は一斉に顔を上げ、ざわめきが広がる。
「今の……何だ……?」
「祝福の鐘じゃない……!」
「胸が……苦しい……!」
誰もが困惑し、息を呑んだ。
すると――
教会の外、祭りが行われている広場のほうから、ただならぬ怒号と悲鳴が聞こえ始めた。
バニッシュたちは反射的にそちらを向く。
次の瞬間、教会の入り口から飛び込んできたのは、
苦しそうに頭を抱え、胸を押さえて倒れ込んでくる祭り客たちだった。
「い、痛い……! 頭が……割れる……!」
「やめろ……何だ、この音は……っ!」
「ううっ……!」
それは外だけではなかった。
教会にいた観客の一部も、同じように額や胸を押さえ、膝から崩れ落ちていく。
倒れながら、苦痛に呻き、震える人々。
聖歌の温かな空気は、一瞬で恐怖と混乱に塗り替えられた。
「み、皆さん、落ち着いてください!」
タリズとセリナが声を張り上げるが、混乱は拡大していく。
子供たちも恐怖で泣き出し、ミレイユは慌ててその子らを守るように駆け寄った。
地獄は――本当に、突然に訪れた。
先ほどまで聖なる歌声に包まれていた教会は、いまや苦痛と悲鳴の渦。
倒れ込む大人、泣き叫ぶ子供、胸を押さえて震える老人。
その混乱を前に、バニッシュは思わず立ち上がり叫んだ。
「どうなっているんだ……!?」
視界に広がるのは、まさに悪夢そのものだった。
タリズは状況を即座に理解し、セリナへと振り向く。
「セリナ! 子供たちを奥へ! 急ぎなさい!」
「は、はいっ!」
セリナは泣き出した子供たちを抱き寄せ、奥へ誘導しようとする。
しかし――
「セリナ姉ちゃん……苦しい……!」
子供たちの中からも、胸を押さえ込み、苦しそうに倒れ込む姿が出始めた。
「そんな……子供たちまで……?」
セリナの顔が一瞬で蒼白になる。
タリズは祈るように両手を胸に当てながら、混乱する人々を必死に落ち着かせようと声を張り上げた。
「皆さん、落ち着いてください! 深呼吸を……!」
だが、凶兆のようなドス黒い鐘の音はまだ鳴り止まず、
響くたびに苦しむ人が増えていく。
「どうする!? カイル!」
バニッシュが叫ぶと、カイルは歯を食いしばり、鋭く周囲を見渡した。
「……この症状、外の人間も教会の中の人間も同じ反応をしている。つまり、原因は――」
言いかけた、その時だった。
「鐘だッ! 鐘を破壊しろ!!」
教会中に響き渡る、大声。
その声は――聞き慣れたあのエルフだ。
姿は見えない。
だが、確かに彼の声だ。
カイルとバニッシュは一瞬だけ目を合わせた。
次の瞬間――
「行くぞ!」
「おう!」
カイルが先頭に立ち、教会奥の階段へ駆け出す。
ミレイユも震えた足でその後を追う。
バニッシュも走り出そうと一歩踏み出した――その肩を、
「待て!」
ぐい、と強い力で引き止められる。
「――ッ!?」
振り返ると、そこには、喧騒を背にしながら、あのエルフが立っていた。
鐘の不吉な音がまだ空気を震わせている中――エルフはバニッシュの肩を掴んだまま、真剣な目で問い詰めてきた。
「お前、結界は張れるのか?」
「は? 何言ってんだよ、こんな時に……!」
混乱に満ちた教会内で、意味の分からない質問にバニッシュは困惑する。
子供たちは苦しみ倒れ、大人たちも混乱し、カイルたちは鐘を壊しに向かったばかりだ。
だというのに、このエルフは――。
「いいから。張れるのかどうか、答えろ」
その声音はいつもの飄々とした調子ではなく、冷たい鋭さがあった。
「……張れるには張れるが、大したもんじゃないぞ」
「即席でいい。お前はこの教会に結界を張れ」
「はあ!? なんでだよ!? こんな時に何言って……!」
理由の分からなさにバニッシュは声を荒げる。
「とにかく、今は言う通りにしろ」
エルフは一切の説明を拒むように短く言い放つ。
その眼は――何かを知っている者の目だった。
バニッシュは言葉に詰まり、舌打ちしながらも頷く。
「……あ~~、わかったよ! やればいいんだろ!」
そう言うと、バニッシュはすぐに結界の描写に取りかかる。
床に膝をつき、呼吸を整え、魔力の流れを集中させる。
そんなバニッシュを見て、エルフはほんの一瞬だけ――目を細めて、何かを見定めるように見る。
エルフは踵を返し、今度は苦しむ群衆の中を抜けてタリズへ向かう。
タリズは倒れそうな人々を支え、必死に声をかけ続けていた。
「落ち着いてください……しっかり息を……!」
「タリズさん!」
エルフの声にタリズは振り返る。
その瞳が、驚愕に見開かれた。
「貴方は……!」
タリズの声には、ただの驚きではなく――旧知の者を見たような、恐れにも似た感情が滲んでいた。
エルフはタリズの目前まで歩み寄り、低く真剣な声で言う。
「タリズさん、貴方の力が必要だ」
タリズは息を呑み、震える指先で胸元の聖印を握る。
教会の外では、人々の悲鳴があがり、中では、不吉な鐘が鳴りやまない。
バニッシュは必死に結界を構築し、カイルは鐘へ向かって駆ける。
祭りの祝福の鐘が、不吉な音を鳴り響かせ続ける中で――この街に迫る災いが、ただ事ではないことを物語っていた。
バニッシュは腰に手を当て、ぐっと背を伸ばす。
昼が近づくにつれ、祭りの通りはさらに賑わい、人の波が絶えない。
露店の匂い、楽師の笛、子供たちの笑い声、芸人の掛け声――すべてが混ざり合い、街全体が脈打つように盛り上がっていた。
そんな喧騒の中を抜け、合流地点に向かうと――すでにカイルが腕を組んで立っていた。
隣にはミレイユが控えめに立ち、ぺこりと会釈をする。
「相変わらず早いな」
バニッシュが苦笑しながら声をかける。
「当たり前だ」
カイルは眉ひとつ動かさず答える。
「むしろお前が少し遅かったくらいだ。……で、そっちはどうだ?」
「いや、特に何もなかったな」
バニッシュは頭をかきながら肩を竦める。
「そうか。こっちも特別な異常はなかった」
カイルは短くまとめるように言い、腕を組み直した。
ミレイユも思い返すように小さく首を横に振る。
バニッシュは周囲の喧騒を眺めながら、ふと問いかけた。
「それで、午後はどうするんだ?」
「そうだな……」
カイルは顎に手を当て、祭りを泳ぐ人波に一瞥を向ける。
考える間も、その表情は警戒心を緩めない。
やがて、静かに言葉を紡いだ。
「特に大きな問題も起きていないし、引き続き同じように巡回を続けよう」
「なら――」
バニッシュはふと思い出したように手を打った。
「午後から、教会で子供たちの聖歌があるらしいんだ。ちょっと覗きに行かないか?」
その提案に、カイルはぴたりと動きを止め、わずかに眉をひそめる。
「……あのなぁ、俺たちは警備の依頼を受けて仕事してるんだぞ。行くわけないだろ」
呆れ声で即答するカイル。
が、バニッシュはにやりと笑うと、カイルの耳元に顔を寄せ、声を潜めた。
「セリナさんも、ぜひ来てくれって言ってたぞ?」
「なっ……!」
カイルの顔に一瞬だけ動揺が走る。
ミレイユが小さく肩を震わせて反応を伺う中、カイルは慌て気味に言葉を続けた。
「だ、だからって仕事中に……行くわけには……」
そう言いながらも、どこか視線が揺れている。
だが、何かを考えるように顎に手を当て、数秒黙り込むと――。
「……いや、行こう」
静かだが、確固たる意志を込めた声だった。
真面目な目でバニッシュを見るカイルの姿に、バニッシュは一瞬戸惑ったが、すぐに口の端を吊り上げる。
「なんだよ、やっぱり行きたいんじゃねぇか」
肘でつつきながらからかう。
「ち、違う! そういうことじゃない!」
カイルは顔を赤くしながら否定する。
そのやり取りを見ていたミレイユは、
――またセリナさんのこと……
とでも言いたげに、ちょん、と頬を膨らませてそっぽを向いた。
教会に着くと、すでに人の波ができていた。
子供たちの親や近所の老人たちが、期待に胸を膨らませながら席を待っている。
祭りのざわめきとは違う、温かい空気が教会内に満ちていた。
入口で来客案内をしているセリナとタリズが、ひとりひとり丁寧に席を案内している。
順番が回ってきたとき、こちらに気づいたセリナがぱっと笑顔になった。
「皆さん、来てくれたんですね」
その柔らかな笑みに、カイルはどこか優しげな眼差しで応える。
「ええ、もちろんです」
慈しむような声色に、ミレイユは隣でまたぷくっと頬を膨らませる。
言葉には出さないが、心中のざわめきは隠しきれない。
セリナが先導し、三人は来客席に座る。
セリナが別の案内に向かったのを見届けるや否や、バニッシュはそっとカイルに身を寄せた。
「……しかし、本当に来るとはな。やっぱり――」
ニヤリと笑い、からかう声を潜める。
「違う」
カイルは即座に否定するが、その顔にはわずかな照れが残っていた。
だが次の瞬間、表情がきゅっと引き締まる。
「ただ……気になることがあってな」
その言葉には、先ほどエルフから聞いた情報の影が潜んでいるようだった。
バニッシュは意味が分からず肩をすくめる。
「なんだよ急に。どしたんだよ?」
「……あとで話す。今は聖歌が始まる」
カイルの視線の先で、子供たちが整列しはじめる。
柔らかな光がステンドグラスから差し込み、舞台を金色に染めていた。
和やかな時間の中に、じわりと不穏な気配が混ざり始めていることを――まだバニッシュは知らない。
大勢の観客が見守る中、舞台に整列した子供たちは――先ほどまでバニッシュにまとわりついていたやんちゃな顔とはまるで別人だった。
背筋を伸ばし、ぎこちなくも真剣に前を向く。
小さな喉が緊張で上下し、指先がかすかに震えている。
その可愛らしいほどの緊張ぶりに、客席からは思わず微笑ましい空気が生まれた。
前に進み出たタリズが観客に向き直り、落ち着いた声で挨拶をする。
「本日はお越しいただき、誠にありがとうございます。今日のために子供たちも一生懸命、練習を積んでまいりました。お越しくださった皆さまの――そして、この街の平和と幸を願い、心を込めて歌わせていただきます。どうか、ご清聴のほどお願いいたします」
柔らかく、どこか包み込むような声だった。
深々と一礼したあと、タリズは子供たちへと向き直る。
指揮者として腕を上げる。
――ピン、と空気が張りつめた。
先ほどまでざわついていた客席も、一瞬にして静まり返る。
子供たちはタリズの指先に集中し、緊張の面持ちのまま大きく息を吸い込む。
視線を交わし、タリズはステージ横のセリナへとそっと合図を送った。
セリナがピアノの鍵盤に指を置き、ゆっくりと伴奏を始める。
その優しい旋律に包まれ、子供たちは――ついに歌い出した。
最初はかすかに震えていた声も、少しずつ安定し、広がり、教会を満たしていく。
透明で、純粋で、少しだけ拙い声。
けれどその一生懸命さが胸に沁みる。
バニッシュは思わず目を細めた。
カイルも静かに頷く。
隣ではミレイユが胸に手を当て、しっとりと微笑んでいた。
子供たちの小さな体から紡がれる聖歌は、まるでこの街全体を優しく包み込むように――穏やかな風となって教会を満たし続けていた。
子供たちの清らかな歌声が教会に満ち、その余韻が静かに消えていく。
タリズが優雅に一礼をすると、客席からは――静かだが、温かい拍手が沸き起こった。
穏やかな空気、幸福と平和に満ちた一瞬。
――鳴るはずだった。
本来なら、この瞬間に教会の天辺にある祝福の鐘が澄んだ音色を響かせる。
しかし――
ゴォォォォン……ッ!
教会全体が震えるような――重く、濁りきった鐘の音が響き渡った。
まるで地の底から呻き声が溢れ出たような、魂を引き裂くような、不吉な音。
観客は一斉に顔を上げ、ざわめきが広がる。
「今の……何だ……?」
「祝福の鐘じゃない……!」
「胸が……苦しい……!」
誰もが困惑し、息を呑んだ。
すると――
教会の外、祭りが行われている広場のほうから、ただならぬ怒号と悲鳴が聞こえ始めた。
バニッシュたちは反射的にそちらを向く。
次の瞬間、教会の入り口から飛び込んできたのは、
苦しそうに頭を抱え、胸を押さえて倒れ込んでくる祭り客たちだった。
「い、痛い……! 頭が……割れる……!」
「やめろ……何だ、この音は……っ!」
「ううっ……!」
それは外だけではなかった。
教会にいた観客の一部も、同じように額や胸を押さえ、膝から崩れ落ちていく。
倒れながら、苦痛に呻き、震える人々。
聖歌の温かな空気は、一瞬で恐怖と混乱に塗り替えられた。
「み、皆さん、落ち着いてください!」
タリズとセリナが声を張り上げるが、混乱は拡大していく。
子供たちも恐怖で泣き出し、ミレイユは慌ててその子らを守るように駆け寄った。
地獄は――本当に、突然に訪れた。
先ほどまで聖なる歌声に包まれていた教会は、いまや苦痛と悲鳴の渦。
倒れ込む大人、泣き叫ぶ子供、胸を押さえて震える老人。
その混乱を前に、バニッシュは思わず立ち上がり叫んだ。
「どうなっているんだ……!?」
視界に広がるのは、まさに悪夢そのものだった。
タリズは状況を即座に理解し、セリナへと振り向く。
「セリナ! 子供たちを奥へ! 急ぎなさい!」
「は、はいっ!」
セリナは泣き出した子供たちを抱き寄せ、奥へ誘導しようとする。
しかし――
「セリナ姉ちゃん……苦しい……!」
子供たちの中からも、胸を押さえ込み、苦しそうに倒れ込む姿が出始めた。
「そんな……子供たちまで……?」
セリナの顔が一瞬で蒼白になる。
タリズは祈るように両手を胸に当てながら、混乱する人々を必死に落ち着かせようと声を張り上げた。
「皆さん、落ち着いてください! 深呼吸を……!」
だが、凶兆のようなドス黒い鐘の音はまだ鳴り止まず、
響くたびに苦しむ人が増えていく。
「どうする!? カイル!」
バニッシュが叫ぶと、カイルは歯を食いしばり、鋭く周囲を見渡した。
「……この症状、外の人間も教会の中の人間も同じ反応をしている。つまり、原因は――」
言いかけた、その時だった。
「鐘だッ! 鐘を破壊しろ!!」
教会中に響き渡る、大声。
その声は――聞き慣れたあのエルフだ。
姿は見えない。
だが、確かに彼の声だ。
カイルとバニッシュは一瞬だけ目を合わせた。
次の瞬間――
「行くぞ!」
「おう!」
カイルが先頭に立ち、教会奥の階段へ駆け出す。
ミレイユも震えた足でその後を追う。
バニッシュも走り出そうと一歩踏み出した――その肩を、
「待て!」
ぐい、と強い力で引き止められる。
「――ッ!?」
振り返ると、そこには、喧騒を背にしながら、あのエルフが立っていた。
鐘の不吉な音がまだ空気を震わせている中――エルフはバニッシュの肩を掴んだまま、真剣な目で問い詰めてきた。
「お前、結界は張れるのか?」
「は? 何言ってんだよ、こんな時に……!」
混乱に満ちた教会内で、意味の分からない質問にバニッシュは困惑する。
子供たちは苦しみ倒れ、大人たちも混乱し、カイルたちは鐘を壊しに向かったばかりだ。
だというのに、このエルフは――。
「いいから。張れるのかどうか、答えろ」
その声音はいつもの飄々とした調子ではなく、冷たい鋭さがあった。
「……張れるには張れるが、大したもんじゃないぞ」
「即席でいい。お前はこの教会に結界を張れ」
「はあ!? なんでだよ!? こんな時に何言って……!」
理由の分からなさにバニッシュは声を荒げる。
「とにかく、今は言う通りにしろ」
エルフは一切の説明を拒むように短く言い放つ。
その眼は――何かを知っている者の目だった。
バニッシュは言葉に詰まり、舌打ちしながらも頷く。
「……あ~~、わかったよ! やればいいんだろ!」
そう言うと、バニッシュはすぐに結界の描写に取りかかる。
床に膝をつき、呼吸を整え、魔力の流れを集中させる。
そんなバニッシュを見て、エルフはほんの一瞬だけ――目を細めて、何かを見定めるように見る。
エルフは踵を返し、今度は苦しむ群衆の中を抜けてタリズへ向かう。
タリズは倒れそうな人々を支え、必死に声をかけ続けていた。
「落ち着いてください……しっかり息を……!」
「タリズさん!」
エルフの声にタリズは振り返る。
その瞳が、驚愕に見開かれた。
「貴方は……!」
タリズの声には、ただの驚きではなく――旧知の者を見たような、恐れにも似た感情が滲んでいた。
エルフはタリズの目前まで歩み寄り、低く真剣な声で言う。
「タリズさん、貴方の力が必要だ」
タリズは息を呑み、震える指先で胸元の聖印を握る。
教会の外では、人々の悲鳴があがり、中では、不吉な鐘が鳴りやまない。
バニッシュは必死に結界を構築し、カイルは鐘へ向かって駆ける。
祭りの祝福の鐘が、不吉な音を鳴り響かせ続ける中で――この街に迫る災いが、ただ事ではないことを物語っていた。
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気がつけば、クラスごと異世界に転移していた――。
しかし俺のステータスは“雑魚”と判定され、クラスメイトからは置き去りにされる。
「どうせ役立たずだろ」と笑われ、迫害され、孤独になった俺。
だが……一人きりになったとき、俺は気づく。
唯一与えられた“使役スキル”が 異常すぎる力 を秘めていることに。
出会った人間も、魔物も、精霊すら――すべて俺の配下になってしまう。
雑魚と蔑まれたはずの俺は、気づけば誰よりも強大な軍勢を率いる存在へ。
これは、クラスで孤立していた少年が「異常な使役スキル」で異世界を歩む物語。
裏切ったクラスメイトを見返すのか、それとも新たな仲間とスローライフを選ぶのか――
運命を決めるのは、すべて“使役”の先にある。
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※表紙のイラストはAIによるイメージです
スキルはコピーして上書き最強でいいですか~改造初級魔法で便利に異世界ライフ~
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【文庫版2が4月8日に発売されます! ありがとうございます!】
異世界に飛ばされたものの、何の能力も得られなかった青年サナト。街で清掃係として働くかたわら、雑魚モンスターを狩る日々が続いていた。しかしある日、突然仕事を首になり、生きる糧を失ってしまう――。 そこで、サナトの人生を変える大事件が発生する!途方に暮れて挑んだダンジョンにて、ダンジョンを支配するドラゴンと遭遇し、自らを破壊するよう頼まれたのだ。その願いを聞きつつも、ダンジョンの後継者にはならず、能力だけを受け継いだサナト。新たな力――ダンジョンコアとともに、スキルを駆使して異世界で成り上がる!
『追放された底辺付与術師、実は【全自動化】のチートスキル持ちでした〜ブラックギルドを追い出されたので、辺境で商会を立ち上げたら勝手に世界規
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「お前のような、一日中デスクに座って何もしない無能はクビだ!」
国内最大のギルド『栄光の剣』で、底辺の付与術師として働いていたアルスは、ある日突然、強欲なギルドマスターから追放を言い渡される。
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管理権限を解除し、辺境へと旅立ったアルス。彼は自身のスキルを使って、圧倒的な耐久力を誇る銀色の四輪型重装ゴーレムを作り出し、気ままな行商を始める。
一度構築すれば無限に富を生み出す「全自動」のチートスキルで、アルスの商会は瞬く間に世界規模へとスケールしていく!
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