勇者パーティーを追放されたので、張り切ってスローライフをしたら魔王に世界が滅ぼされてました

まりあんぬさま

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追憶編

黒の勇者、縁を断つ刃

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 ――静寂。

 玉座の間に、長い夢の残滓が漂っていた。
 カイルはゆっくりと瞼を開ける。
 意識が現実へと戻るにつれ、胸の奥を焼くような感情が再び蘇る。

「……バニッシュ」

 その名を口にした瞬間、胸の奥で鈍い痛みが走る。
 あの頃――まだ勇者だった時代。
 共に剣を交え、共に夢を語ったあの日々。

 だが、それはもう遠い幻だ。
 カイルは重い体を起こし、玉座から立ち上がった。
 かつて自らの怒りで破壊した壁の亀裂へと歩み寄る。
 そこから差し込むわずかな光が、黒い鎧を淡く照らしていた。

 そうだ……あの頃からだ。バニッシュ――お前に、劣等感を覚えるようになったのは」

 拳を握る。

「俺を追い越し、仲間を惹きつけ、俺の信じた正義すら超えていった……だが、もう違う。今度こそ――お前を超え、殺す」

 カイルは亀裂の先、漆黒の雲に覆われた空を見上げた。
 雷鳴が遠くで鳴り、風が吹き抜ける。

 その風は不思議と温かく、懐かしい匂いを含んでいた。
 まるで――誰かの想いが、彼に届いたかのように。

 一瞬、カイルの唇がかすかに緩んだ。
 あの頃の、ほんの少しだけ優しかった笑み。
 だが次の瞬間、鋭い気配が背後に立つ。

「――ずいぶん、長くお眠りのようでしたね」

 愉悦に満ちた声が、玉座の間に響く。
 カイルは視線だけを後ろに向けた。
 そこに立つのは、黒い靄を纏った影のような男――ヴェイル=ラグレス。
 フードに覆われた顔は見えない。だが、その笑みだけは感じ取れる。

 「ふん……バニッシュの居場所は掴めたのか?」

 「ええ、ですが――もう少々お時間を。準備を整えております」

 「なら、何しに来た?」

 カイルの声には威圧がこもる。
 空気が一瞬で張り詰め、黒い雷が部屋の隅で弾けた。
 だがヴェイルは一歩も退かず、むしろ愉快そうに笑う。

「いえ。ただ……昔を思い出しておられるようでしたので。カイル様に、迷いが生じないかと心配になりまして」

「くだらんな」

 カイルは鼻を鳴らし、視線を再び外に戻す。
 風が頬を撫でる――優しく、切ないほどに、かつての仲間の声が、どこか遠くで囁いた気がした。

 ――それでも、俺はお前を救いたい――

「……ふっ」

 一瞬だけ、笑った。
 ほんのわずかに、かつての勇者カイルの瞳が戻る。
 しかしその光は、すぐに闇へと呑まれる。

「俺は必ず――バニッシュを殺す」

「……」

「この腐りきった世界に、俺という秩序を刻むためにな」

 その言葉は呪詛のように重く、黒の魔力が玉座の間を包み込む。
 空が唸り、風が狂気を含んで吹き荒れる。

 ――刹那。
 ヴェイルはフードの奥で満足げに頷いた。

「ふふ……やはり、貴方は素晴らしい」

 黒い霧が渦を巻き、彼の姿は掻き消える。
 残されたのは、狂気と怨嗟の焔を宿した黒の勇者、ただ一人。

 玉座の間を出たカイルは、ゆっくりと城の広間へ向かった。

 廊下に残るのは――血の匂い、呻き声の残滓、壁に叩きつけられた血飛沫、引き裂かれた肉片と骨が無造作に転がる。

 それら全てが、既に人としての尊厳を失った餌の成れの果てだった。
 広間に入ると、そこは地獄そのものだった。

 鬼人族が、貪っていた。
 悲鳴も、命乞いも、もう存在しない。
 ただ、生存本能だけがうごめく狂宴。

「ほう……随分と食い散らかしたものだな」

 カイルは血の海を躊躇なく踏みしめた。
 その中心で肉を引き裂いていたのは、黄苑と阿久羅だった。
 黄苑は口元から滴る血を拭い、気だるげに振り返る。

「へへ、だいたい半分くらいは食ったっすね~」

 阿久羅も獣のように息を荒げながら食らいつくのをやめ、振り返る。

「お、おかげで……かなり、力が……増しました……」

 二人どころか――周囲の鬼人族たちも全身から異様な力を溢れさせていた。
 肉体が脈動し、牙も爪も伸び、獣のように息を荒げている。
 それをカイルは満足げに見渡す。

 そして――血まみれの男の腕を拾い上げた。
 まるで、葡萄酒を味わうように、ゆっくりと口元へ運び、噛み砕く。

 肉を裂く音が、広間に響く。
 ぼたぼたと顎から滴る赤い血をそのままに、カイルは言い放つ。

「もっと喰え。もっと強くなれ――残りのクズどもを、食い尽くせ」

 その声は恐ろしいほど静かで、狂気に満ちていた。
 黄苑と阿久羅ですら、一瞬息を呑む。
 それほどまでに、今のカイルは異形だった。

 威圧、絶対的支配、空気が震えるほどの魔力が全身から溢れ出す。
 それを前に、鬼人族たちさえ膝をつきかけた。

 ーーこれが、黒の勇者。

 血の海の中心に立つその姿は、もはや人ではなく破壊と支配の王。

「俺が新しい世界の秩序だ。そのための力を、今ここで刻み込め」

 鬼人族たちの目には、ただ一人の絶対者としてカイルが映っていたのだった。



 血の臭いが充満する広間を出ると、カイルは迷いなく歩き始めた。
 向かう先は――倉庫。
 廊下の暗がりを抜け、長く放置され埃の積もった古い扉を開ける。

 ギィィ……と軋む音が城内にこだまする。
 中は暗闇に支配され、たいまつに火を灯すと、橙色の火が倉庫の奥を照らし出す。
 カイルはゆっくりと歩いた。

 不用になった武器。
 破れた鎧。

 そのどれもが、今のカイルにとって価値のないゴミだった。

 ――ただ一つを除いて。

 倉庫の奥の壁に、布に包まれた長大な影が立て掛けられていた。
 カイルは歩みを止め、ぎり、と布を掴んで一息に引き剥がす。
 姿を現したのは――あの大剣。

 ロウメリアの呪鐘の騒乱で振るわれた、聖女の光を取り込んだ大剣。
 カイルは微塵もためらわず、それを掴み上げた。

「……これで――」

 酷薄な声で呟くと、その足は静かにヴェイルの部屋へ向かっていた。



 ヴェイルに与えた異様な部屋は、まるで異界に通じるような不気味な結界に包まれていた。
 カイルが扉を開けると、ヴェイルは魔術陣の中央で何かを視ていた。

「どうかなさいましたか?」

 相変わらず、フードの奥から笑いを含んだ声だった。
 カイルは無言で歩み寄ると、ロウメリアの大剣を床に突き立てた。

 ザクリ、と石床が割れる。

 次に――背から漆黒の大剣を引き抜く、漆黒の血潮のような魔力がうねり、それを見たヴェイルの口元が僅かに歪む。

「この剣と、これを――」

 床に突き刺さる大剣を顎で示し。

「融合させろ」

 それは命令だった。
 なぜ、とは問わない。
 問えば殺されるほどの圧があった。
 だが、あえてヴェイルは楽しそうに首を傾げる。

「なぜ、そのようなことを?」

 カイルは応えた。

「バニッシュとの縁を断つ。そのための刃が必要だ」

 その声音は狂気と執念を孕んでいた。
 意思の欠片も揺らがない、ただ一つの願望。
 ヴェイルはしばらく沈黙し、そして――

「……なるほど。実に興味深い」

 愉悦に満ちた声で笑った。
 胸に手を当て、一礼する。

「お任せください。ここに新たな大剣を生みましょう」

 カイルは満足げに頷く。
 その瞬間――ヴェイルのフードの奥で笑みが深くなったことに、カイルは気づかなかった。



 夜気が吹き抜ける。
 濃い闇の空に、雲が渦を巻き、雷光がちらりと走った。
 その中心――城の最上階、風を裂くように突き出たバルコニーに、英雄は立っていた。

 かつて勇者と呼ばれた男。
 今はもう、その名に相応しくないほどの禍々しい力に満ちている。
 カイルの手には、ひと振りの大剣があった。

 ロウメリアで使われた剣と、あの漆黒の大剣。
 それらを融合し生まれた、禍々しくも神聖な混血の刃。

 刃は漆黒、しかし、そこに――白銀の紋が走る。
 光が飲まれ、闇が光を凌駕する。
 相反する要素を抱えた大剣は、カイル自身の象徴のようだった。

「……これでいい」

 カイルはゆっくりと大剣を掲げた。

 風が唸る。
 大剣が応えるように、眩い光と黒炎が渦巻く。

 聖の輝き、黒の憎悪、二つの力が螺旋のように絡み合い、空へと伸びる。

 そして――振り下ろされた。
 咆哮と共に解き放たれた斬撃が、夜を割った。
 城門は砕け散り、地が裂ける。
 遥か彼方の山の頂が一瞬で両断され、その残骸が崩れ落ちる。
 大地が震え、空が揺らぎ、月光は砕かれた岩片に反射した。

「――ふ、ハハ……ハーハッハッハ!」

 カイルの笑い声が轟く。

 その眼下には、整列した鬼人族がいた。
 荒くれ者を食らい、力を得た獣。

 蒼黒の肌、銀の瞳、牙を剥き、血を啜り、獣のような息を荒げながらも――並び立つ。
 王を待つ兵のように。
 カイルは彼らを見下ろし、薄く笑う。

「いい顔だ。今のお前たちは使える」

 その声だけで、広場の鬼人族が背筋を伸ばす。
 カイルは大剣を掲げ、夜空に向けて高らかに叫んだ。

「さあ――終わらせようじゃないか!」

 月も星も震えるような声だった。

「俺とバニッシュお前――その縁に、終止符ピリオドを打ってやる!」

 雷鳴が落ちたかのように響き渡り、
 その夜、世界は確かに一つの節目を迎えた。
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