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縁の決戦編
私の居場所
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――黒い霧が、すべてを呑み込んだ。
視界が塗り潰され、音が遠のく。
足元の感覚さえ曖昧になり、空間そのものが歪められていく感覚に、リュシアは思わず歯を食いしばった。
どれほどの時間が経ったのか。
やがて、ゆっくりと――霧が晴れていく。
「……っ」
最初に目を開いたのはセレスティナだった。
澄んだ翠の瞳が、警戒を孕んだまま周囲を映し出す。
そこは、魔の森。
だが――いつも拠点から見ている森とは、明らかに違っていた。
木々の密度、空気に漂う魔素の質、そして何より、土地に染みついた異質な気配、結界が壊され魔の森本来の姿が露わになったようだった。
「……ここは……どこなのでしょう」
セレスティナは静かに呟きながら、魔力を薄く展開する。
見覚えはない。
魔の森の中であることは確かだが、魔の森は広く、結界の外は危険であった為、全体を把握しているわけではない。
つれて来られた場所は、見覚えがなく、知らない場所だった。
隣で、リュシアが荒く息を吐いた。
「……アイツは……どこ?」
髪を揺らし、鋭い視線を森の奥へと走らせる。
さきほどまで纏わりついていた、あの不快極まりない気配――ぬめりつくような、意志を持った闇。
「……どこに消えたのよ……!」
その瞬間だった。
――ぬるり、と、森の影が、形を持ったかのように蠢く。
木と木の隙間、闇が濃く溜まった場所から、まるで影そのものが剥がれ落ちるかのように、一人の男が姿を現した。
フードで顔を覆い、全身を黒に包んだその男は足音一つなく現れる。
「……っ!」
リュシアとセレスティナは同時に距離を取り、即座に臨戦態勢へ移る。
魔力が膨れ上がり、空気が張り詰める。
そんな二人を前に、男は愉快そうに――フードの奥で、くつくつと喉を鳴らした。
「ようこそ」
甘く、粘ついた声。
「お迎えに上がりましたよ――リュシア様」
「……ッ!」
「アンタ……!」
リュシアは怒気を隠そうともせず、男を睨みつける。
「アンタ、なんなのよ! どうして私たちをこんな所に連れてきたの!?」
男はその問いに、まるで舞台役者のような仕草で応じた。
ゆっくりと一歩踏み出し、胸に手を当て、深々と一礼する。
「これはこれは……自己紹介が遅れてしまい、誠に失礼いたしました」
フードの影に隠れた笑みが、確かに歪む。
「私は、魔王直属七魔将の一人――黒蝕卿ヴェイル=ラグレスと申します」
その名が告げられた瞬間、森の魔素が、ざわりと騒いだ。
「ま、魔王……七魔将……」
セレスティナは思わず口元を押さえた。
血の気が一気に引き、指先がかすかに震える。
――魔王、それは世界を滅ぼそうとする強大な災厄の象徴。
数多の国を滅ぼし、英雄を屠り、希望を踏みにじってきた最凶最悪の存在。
その――直属である七魔将は、魔王の意志を体現し、災厄を振りまく尖兵。
そんな存在が、今――目の前にいる。
「……っ」
息が、詰まる。
「……それが……それが何だっていうのよ!!」
張り裂けるような声で叫んだのは、リュシアだった。
「何でアンタたちが……! どうして、私たちの前に――!」
だが、その怒声は――愉悦に満ちた声によって、あっさりと遮られる。
「おやおや……」
ヴェイルは、肩を揺らす。
フードの奥で、確かに笑った。
「リュシア様。貴女は、実に聡明なお方だ」
ゆっくりと、言葉を選ぶように。
「それに――あのラグナとの戦闘で、貴女はすでに記憶の一部を取り戻しているはず」
「……っ!」
リュシアの肩が、微かに跳ねた。
脳裏をよぎる、断片的な映像。
一人の強大な存在。
圧倒的な魔力。
告げられた言葉。
思い出したくない。
思い出してはいけない何か。
「……黙りなさい」
唇を噛み締め、リュシアはヴェイルを睨みつける。
その瞳には、怒りだけではない――恐れと動揺が、確かに滲んでいた。
「ど……どういうこと、ですか……?」
震える声で問いかけたのは、セレスティナだった。
理解できない、だが、心の奥底で知ってはいけないような警鐘がなっている。
ヴェイルは、そんな彼女を見て、楽しげに息を吐く。
「ふふふ……」
そして――まるで真実を祝福するかのように、大げさに、両腕を広げた。
「貴女は、もうお分かりでしょう? リュシア様。私が、ここにいる理由が」
ヴェイルの声が、森に響く。
空気が、凍りつく。
「なぜなら、貴女は、魔王モンプチ様の娘――リュシア=モンプチ様なのですから」
その言葉は、宣告のように、リュシアの名を、はっきりと呼ぶ。
逃れようのない事実として、叩きつけられた。
森が、息を止めたかのように沈黙が流れる。
リュシアは、唇を強く噛み締めたまま立ち尽くしていた。
握りしめた拳が、微かに震える。
爪が食い込み、痛みが走るほど――それでも、力を抜けなかった。
知られたくなかった。
知ってほしくなかった。
自分の中に眠る、崩壊と災厄の力。
そして、自分が――魔王の娘であるという、どうしようもない事実。
すべて、否定したかった。
すべて、なかったことにしたかった。
だが――それは、叶わない願いだった。
(もし……このことが、皆に知られたら……)
拠点には、もう居られないかもしれない。
あの温かな場所に、帰れなくなるかもしれない。
皆と、笑い合えない。
同じ食卓を囲めない。
名前を呼ばれることさえ――恐ろしくなる。
胸の奥に、冷たいものが広がっていく。
恐怖、悲しみ、畏れ、それらが絡み合い、リュシアの肩を――震わせた。
「……魔王の……娘……?」
困惑した声が、背後から届く。
セレスティナだった。
彼女は信じられないものを見るように、リュシアへと視線を向けている。
疑念と戸惑い、そして――かすかな不安を孕んだ眼差し。
その視線が、背中に突き刺さる。
「……っ」
耐えきれず、リュシアは振り返った。
「ち、違う……」
声が、かすれる。
「私は……私は……っ!」
必死に、叫ぼうとする。
否定しなければならない。
否定しなければ――すべてが壊れてしまう。
だが、その声を――冷酷に打ち消すように。
「違いませんよ」
ヴェイルの声が、静かに、しかし確実に響いた。
リュシアに向かって指を伸ばす、まるで観察対象を示すかのように。
「貴女も、何度か体現してきているはずです」
淡々と愉悦を隠そうともしない口調で。
「その崩壊と災厄の力を」
「……っ!」
リュシアの胸が、強く締め付けられる。
「今はまだ、僅かな力が漏れ出しているに過ぎません」
ヴェイルは、フードの奥で――ニヤリ、と笑った気配を漂わせる。
「ですが、いずれ貴女という器は、その力に飲み込まれる」
言葉が、刃のように突き刺さる。
「そして――すべてを崩壊し、喰らい尽くす力となるでしょう」
森の空気が、凍り付いたかのように静まり返る。
リュシアは、声を失ったまま立ち尽くし、セレスティナは、息を呑んでその背中を見つめる。
ヴェイルだけが――その光景を、心底愉しむように佇んでいた。
「偽りの暮らし、偽りの友情、それらは、さぞかし甘く、甘美で……温かなものであったでしょう」
ヴェイルの声は、やけに優しかった。
だからこそ――残酷だった。
諭すように、子どもを導くように。
「しかし――それらすべて、幻想に過ぎません」
その言葉は、刃となってリュシアの胸を抉る。
「貴女は、此処にいるべきではない」
一歩、近づく気配。
「此処に、貴女の居場所はありません」
フードの奥で、ヴェイルは愉悦に満ちた笑みを浮かべているのだろう。
その確信が、より一層、リュシアを追い詰めた。
「……っ」
リュシアは、下を向いたまま――拳を、ぎゅっと握りしめる。
肩が、震える。
否定したい。
叫びたい。
それでも――言葉が、出てこない。
瞳が潤み、今にも涙が零れ落ちそうになる。
「さあ……貴女の本当の居場所へ」
ヴェイルの声が、さらに甘くなる。
ゆっくりと、手が差し伸べられた。
「私と共に――参りましょう」
その瞬間だった。
――ヒュンッ!!
鋭い風切り音。
ヴェイルの顔のすぐ横を、一本の矢が疾走し、背後の木の幹へと刺さり氷が爆ぜる。
「……!」
ヴェイルが、わずかに身を引いた。
矢を放ったのは――セレスティナだった。
弓を引き絞ったまま、揺るぎない瞳でヴェイルを射抜く。
「あなたの言っていることは……正直、よく分かりません」
静かだが、強い声。
「魔王の娘であることも、災厄の力も……私には、計り知れないことです」
その声は、微塵も揺れなかった。
「――ですが」
矢をつがえ直し、はっきりと言い切る。
「リュシアは、私の親友です。連れて行かせるわけには――行きません!」
その言葉は、迷いなく放たれた。
「……!」
リュシアは、思わず顔を上げた。
一瞬、状況を理解できず――ぽかん、とした表情になる。
だが次の瞬間、胸の奥が、じんわりと熱くなる。
信じてくれた。
疑わなかった。
拒絶しなかった。
「……セレスティナ……!」
思わず、声が零れる。
その呼びかけに、セレスティナはリュシアの方に視線を向け。
そして――戦場には不釣り合いなほど、優しい微笑みを、リュシアへ向けた。
それは、何よりも強い肯定だった。
リュシアはセレスティナの隣に立ち肩を並べた。
先ほどまで胸を締め付けていた恐怖や迷いは――もう、そこにはない。
「……私は」
低く、しかしはっきりとした声。
「アンタとなんか――一緒に行かない」
瞳が、真っ直ぐにヴェイルを射抜く。
「私の居場所は……ここよ!」
その言葉には、揺るぎない意志が込められていた。
セレスティナの言葉で心に巣くっていた迷いも恐怖もなくなっていた。
共にいたい、ずっとここで暮らしていたいというリュシアの想いが瞳に小さな力となって光を灯す。
セレスティナもまた、一歩踏み出す。
弓を構え、狙いを定め、迷いなくヴェイルへ向ける。
「そういうことです」
凛とした声が、森に響く。
「あなたには――お引き取り願います」
わずかに、風が木々を揺らした。
やがて、ヴェイルは――ふぅ、と、わざとらしく息を吐いた。
「やれやれ……」
肩を竦めるその仕草は、どこか芝居がかっている。
「どうやら――ついてきたネズミが、リュシア様をかどわかしているようですね」
「……っ!」
セレスティナの眉が、ぴくりと動く。
だが次の瞬間――空気が、一変した。
ヴェイルの頭が、ゆっくりと持ち上がる。
フードの奥の闇の中で――にぃっと、歪んだ笑みが浮かんだ気配。
「ならば……いいでしょう」
その声は、先ほどまでの甘さを完全に失っていた。
「争いごとは、あまり好みませんが――少しばかり、手ほどきをして差し上げましょう」
ヴェイルがそう告げた瞬間――どくりと空気が、脈打つ。
ヴェイルの身体から、不気味なほど黒い魔力が溢れ出す。
粘性を持った闇が、煙のように、霧のように――周囲へと広がっていく。
「……ッ!」
森が沈黙し、黒い霧が地を這い、木々を覆い、空を染める。
視界が歪み、魔力の流れそのものが狂わされていく。
それは――今まで戦ってきた敵とは、明らかに違うことを確信させるのに十分なほどの凄まじい圧力。
「……っ、すごい……魔力……!」
セレスティナの額を、冷や汗が伝う。
リュシアもまた、無意識に息を詰めていた。
(……これが……七魔将……)
圧倒的で理不尽、存在しているだけで、世界を侵食するかのような力。
それでも、二人は、後退しなかった。
互いに視線を交わし、剣呑な闇の中で、はっきりと並び立つ。
七魔将・黒蝕卿ヴェイル=ラグレス。
その本気を前に、リュシアとセレスティナは、静かに備えた。
――命を賭した、戦いの幕が上がる。
視界が塗り潰され、音が遠のく。
足元の感覚さえ曖昧になり、空間そのものが歪められていく感覚に、リュシアは思わず歯を食いしばった。
どれほどの時間が経ったのか。
やがて、ゆっくりと――霧が晴れていく。
「……っ」
最初に目を開いたのはセレスティナだった。
澄んだ翠の瞳が、警戒を孕んだまま周囲を映し出す。
そこは、魔の森。
だが――いつも拠点から見ている森とは、明らかに違っていた。
木々の密度、空気に漂う魔素の質、そして何より、土地に染みついた異質な気配、結界が壊され魔の森本来の姿が露わになったようだった。
「……ここは……どこなのでしょう」
セレスティナは静かに呟きながら、魔力を薄く展開する。
見覚えはない。
魔の森の中であることは確かだが、魔の森は広く、結界の外は危険であった為、全体を把握しているわけではない。
つれて来られた場所は、見覚えがなく、知らない場所だった。
隣で、リュシアが荒く息を吐いた。
「……アイツは……どこ?」
髪を揺らし、鋭い視線を森の奥へと走らせる。
さきほどまで纏わりついていた、あの不快極まりない気配――ぬめりつくような、意志を持った闇。
「……どこに消えたのよ……!」
その瞬間だった。
――ぬるり、と、森の影が、形を持ったかのように蠢く。
木と木の隙間、闇が濃く溜まった場所から、まるで影そのものが剥がれ落ちるかのように、一人の男が姿を現した。
フードで顔を覆い、全身を黒に包んだその男は足音一つなく現れる。
「……っ!」
リュシアとセレスティナは同時に距離を取り、即座に臨戦態勢へ移る。
魔力が膨れ上がり、空気が張り詰める。
そんな二人を前に、男は愉快そうに――フードの奥で、くつくつと喉を鳴らした。
「ようこそ」
甘く、粘ついた声。
「お迎えに上がりましたよ――リュシア様」
「……ッ!」
「アンタ……!」
リュシアは怒気を隠そうともせず、男を睨みつける。
「アンタ、なんなのよ! どうして私たちをこんな所に連れてきたの!?」
男はその問いに、まるで舞台役者のような仕草で応じた。
ゆっくりと一歩踏み出し、胸に手を当て、深々と一礼する。
「これはこれは……自己紹介が遅れてしまい、誠に失礼いたしました」
フードの影に隠れた笑みが、確かに歪む。
「私は、魔王直属七魔将の一人――黒蝕卿ヴェイル=ラグレスと申します」
その名が告げられた瞬間、森の魔素が、ざわりと騒いだ。
「ま、魔王……七魔将……」
セレスティナは思わず口元を押さえた。
血の気が一気に引き、指先がかすかに震える。
――魔王、それは世界を滅ぼそうとする強大な災厄の象徴。
数多の国を滅ぼし、英雄を屠り、希望を踏みにじってきた最凶最悪の存在。
その――直属である七魔将は、魔王の意志を体現し、災厄を振りまく尖兵。
そんな存在が、今――目の前にいる。
「……っ」
息が、詰まる。
「……それが……それが何だっていうのよ!!」
張り裂けるような声で叫んだのは、リュシアだった。
「何でアンタたちが……! どうして、私たちの前に――!」
だが、その怒声は――愉悦に満ちた声によって、あっさりと遮られる。
「おやおや……」
ヴェイルは、肩を揺らす。
フードの奥で、確かに笑った。
「リュシア様。貴女は、実に聡明なお方だ」
ゆっくりと、言葉を選ぶように。
「それに――あのラグナとの戦闘で、貴女はすでに記憶の一部を取り戻しているはず」
「……っ!」
リュシアの肩が、微かに跳ねた。
脳裏をよぎる、断片的な映像。
一人の強大な存在。
圧倒的な魔力。
告げられた言葉。
思い出したくない。
思い出してはいけない何か。
「……黙りなさい」
唇を噛み締め、リュシアはヴェイルを睨みつける。
その瞳には、怒りだけではない――恐れと動揺が、確かに滲んでいた。
「ど……どういうこと、ですか……?」
震える声で問いかけたのは、セレスティナだった。
理解できない、だが、心の奥底で知ってはいけないような警鐘がなっている。
ヴェイルは、そんな彼女を見て、楽しげに息を吐く。
「ふふふ……」
そして――まるで真実を祝福するかのように、大げさに、両腕を広げた。
「貴女は、もうお分かりでしょう? リュシア様。私が、ここにいる理由が」
ヴェイルの声が、森に響く。
空気が、凍りつく。
「なぜなら、貴女は、魔王モンプチ様の娘――リュシア=モンプチ様なのですから」
その言葉は、宣告のように、リュシアの名を、はっきりと呼ぶ。
逃れようのない事実として、叩きつけられた。
森が、息を止めたかのように沈黙が流れる。
リュシアは、唇を強く噛み締めたまま立ち尽くしていた。
握りしめた拳が、微かに震える。
爪が食い込み、痛みが走るほど――それでも、力を抜けなかった。
知られたくなかった。
知ってほしくなかった。
自分の中に眠る、崩壊と災厄の力。
そして、自分が――魔王の娘であるという、どうしようもない事実。
すべて、否定したかった。
すべて、なかったことにしたかった。
だが――それは、叶わない願いだった。
(もし……このことが、皆に知られたら……)
拠点には、もう居られないかもしれない。
あの温かな場所に、帰れなくなるかもしれない。
皆と、笑い合えない。
同じ食卓を囲めない。
名前を呼ばれることさえ――恐ろしくなる。
胸の奥に、冷たいものが広がっていく。
恐怖、悲しみ、畏れ、それらが絡み合い、リュシアの肩を――震わせた。
「……魔王の……娘……?」
困惑した声が、背後から届く。
セレスティナだった。
彼女は信じられないものを見るように、リュシアへと視線を向けている。
疑念と戸惑い、そして――かすかな不安を孕んだ眼差し。
その視線が、背中に突き刺さる。
「……っ」
耐えきれず、リュシアは振り返った。
「ち、違う……」
声が、かすれる。
「私は……私は……っ!」
必死に、叫ぼうとする。
否定しなければならない。
否定しなければ――すべてが壊れてしまう。
だが、その声を――冷酷に打ち消すように。
「違いませんよ」
ヴェイルの声が、静かに、しかし確実に響いた。
リュシアに向かって指を伸ばす、まるで観察対象を示すかのように。
「貴女も、何度か体現してきているはずです」
淡々と愉悦を隠そうともしない口調で。
「その崩壊と災厄の力を」
「……っ!」
リュシアの胸が、強く締め付けられる。
「今はまだ、僅かな力が漏れ出しているに過ぎません」
ヴェイルは、フードの奥で――ニヤリ、と笑った気配を漂わせる。
「ですが、いずれ貴女という器は、その力に飲み込まれる」
言葉が、刃のように突き刺さる。
「そして――すべてを崩壊し、喰らい尽くす力となるでしょう」
森の空気が、凍り付いたかのように静まり返る。
リュシアは、声を失ったまま立ち尽くし、セレスティナは、息を呑んでその背中を見つめる。
ヴェイルだけが――その光景を、心底愉しむように佇んでいた。
「偽りの暮らし、偽りの友情、それらは、さぞかし甘く、甘美で……温かなものであったでしょう」
ヴェイルの声は、やけに優しかった。
だからこそ――残酷だった。
諭すように、子どもを導くように。
「しかし――それらすべて、幻想に過ぎません」
その言葉は、刃となってリュシアの胸を抉る。
「貴女は、此処にいるべきではない」
一歩、近づく気配。
「此処に、貴女の居場所はありません」
フードの奥で、ヴェイルは愉悦に満ちた笑みを浮かべているのだろう。
その確信が、より一層、リュシアを追い詰めた。
「……っ」
リュシアは、下を向いたまま――拳を、ぎゅっと握りしめる。
肩が、震える。
否定したい。
叫びたい。
それでも――言葉が、出てこない。
瞳が潤み、今にも涙が零れ落ちそうになる。
「さあ……貴女の本当の居場所へ」
ヴェイルの声が、さらに甘くなる。
ゆっくりと、手が差し伸べられた。
「私と共に――参りましょう」
その瞬間だった。
――ヒュンッ!!
鋭い風切り音。
ヴェイルの顔のすぐ横を、一本の矢が疾走し、背後の木の幹へと刺さり氷が爆ぜる。
「……!」
ヴェイルが、わずかに身を引いた。
矢を放ったのは――セレスティナだった。
弓を引き絞ったまま、揺るぎない瞳でヴェイルを射抜く。
「あなたの言っていることは……正直、よく分かりません」
静かだが、強い声。
「魔王の娘であることも、災厄の力も……私には、計り知れないことです」
その声は、微塵も揺れなかった。
「――ですが」
矢をつがえ直し、はっきりと言い切る。
「リュシアは、私の親友です。連れて行かせるわけには――行きません!」
その言葉は、迷いなく放たれた。
「……!」
リュシアは、思わず顔を上げた。
一瞬、状況を理解できず――ぽかん、とした表情になる。
だが次の瞬間、胸の奥が、じんわりと熱くなる。
信じてくれた。
疑わなかった。
拒絶しなかった。
「……セレスティナ……!」
思わず、声が零れる。
その呼びかけに、セレスティナはリュシアの方に視線を向け。
そして――戦場には不釣り合いなほど、優しい微笑みを、リュシアへ向けた。
それは、何よりも強い肯定だった。
リュシアはセレスティナの隣に立ち肩を並べた。
先ほどまで胸を締め付けていた恐怖や迷いは――もう、そこにはない。
「……私は」
低く、しかしはっきりとした声。
「アンタとなんか――一緒に行かない」
瞳が、真っ直ぐにヴェイルを射抜く。
「私の居場所は……ここよ!」
その言葉には、揺るぎない意志が込められていた。
セレスティナの言葉で心に巣くっていた迷いも恐怖もなくなっていた。
共にいたい、ずっとここで暮らしていたいというリュシアの想いが瞳に小さな力となって光を灯す。
セレスティナもまた、一歩踏み出す。
弓を構え、狙いを定め、迷いなくヴェイルへ向ける。
「そういうことです」
凛とした声が、森に響く。
「あなたには――お引き取り願います」
わずかに、風が木々を揺らした。
やがて、ヴェイルは――ふぅ、と、わざとらしく息を吐いた。
「やれやれ……」
肩を竦めるその仕草は、どこか芝居がかっている。
「どうやら――ついてきたネズミが、リュシア様をかどわかしているようですね」
「……っ!」
セレスティナの眉が、ぴくりと動く。
だが次の瞬間――空気が、一変した。
ヴェイルの頭が、ゆっくりと持ち上がる。
フードの奥の闇の中で――にぃっと、歪んだ笑みが浮かんだ気配。
「ならば……いいでしょう」
その声は、先ほどまでの甘さを完全に失っていた。
「争いごとは、あまり好みませんが――少しばかり、手ほどきをして差し上げましょう」
ヴェイルがそう告げた瞬間――どくりと空気が、脈打つ。
ヴェイルの身体から、不気味なほど黒い魔力が溢れ出す。
粘性を持った闇が、煙のように、霧のように――周囲へと広がっていく。
「……ッ!」
森が沈黙し、黒い霧が地を這い、木々を覆い、空を染める。
視界が歪み、魔力の流れそのものが狂わされていく。
それは――今まで戦ってきた敵とは、明らかに違うことを確信させるのに十分なほどの凄まじい圧力。
「……っ、すごい……魔力……!」
セレスティナの額を、冷や汗が伝う。
リュシアもまた、無意識に息を詰めていた。
(……これが……七魔将……)
圧倒的で理不尽、存在しているだけで、世界を侵食するかのような力。
それでも、二人は、後退しなかった。
互いに視線を交わし、剣呑な闇の中で、はっきりと並び立つ。
七魔将・黒蝕卿ヴェイル=ラグレス。
その本気を前に、リュシアとセレスティナは、静かに備えた。
――命を賭した、戦いの幕が上がる。
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無能扱いされたおっさんが、実は最強チートで世界を揺るがす!?
のんびり田舎暮らし×無双ファンタジー、ここに開幕!
クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました
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「クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました」
気がつけば、クラスごと異世界に転移していた――。
しかし俺のステータスは“雑魚”と判定され、クラスメイトからは置き去りにされる。
「どうせ役立たずだろ」と笑われ、迫害され、孤独になった俺。
だが……一人きりになったとき、俺は気づく。
唯一与えられた“使役スキル”が 異常すぎる力 を秘めていることに。
出会った人間も、魔物も、精霊すら――すべて俺の配下になってしまう。
雑魚と蔑まれたはずの俺は、気づけば誰よりも強大な軍勢を率いる存在へ。
これは、クラスで孤立していた少年が「異常な使役スキル」で異世界を歩む物語。
裏切ったクラスメイトを見返すのか、それとも新たな仲間とスローライフを選ぶのか――
運命を決めるのは、すべて“使役”の先にある。
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いつものことだと、流して終わりにしようと思っていた。
だがなんと、邪魔なライを始末してしまおうと話が進んでしまい、次々に攻撃を仕掛けられることとなった。
ハーシュはライを守ろうとするが、他の勇者に気絶させられてしまう。
勇者達は、ただ痛ぶるように攻撃を加えていき、瀕死の状態で洞窟に置いていってしまった。
自分の弱さを呪い、本当に死を覚悟した瞬間、視界に突如文字が現れてスキル《神族召喚》と書かれていた。
今頃そんなスキル手を入れてどうするんだと、心の中でつぶやくライ。
だが、死ぬ記念に使ってやろうじゃないかと考え、スキルを発動した。
その時だった。
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そして、このスキルを発動すれば神を自由に召喚出来るらしく、他の三大神も召喚するがうまく進むわけもなく......。
これは、雑魚と呼ばれ続けた勇者が、強き勇者へとなる物語である。
※小説家になろうにて掲載中
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