言霊の手記

かざみはら まなか

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第2章 憶測で語らない。可能性は否定しない。

7.大蔵家長女、磨白の後悔。奈美の名前の由来。

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「私の不在中に関する日常の子育てについては、君に任せている。」
と、父が母に告げる場面を磨白は何度か目にしている。

直接父に相談したい相談事については、事前に連絡してくるように、と父が母に告げている絵面は、いつでも磨白の中で再生できる。

磨白の目の前で、何度か繰り返されていたやり取りは。

磨白がたまたま見ていただけで、両親が見せようとして見せていた光景ではなかった。

父の分刻みのスケジュールは、今も昔も変わらない。

父が家にいても、母が父といられる時間は、無限ではない。

父に直接相談する場合は、相談する側が事前に情報を集めて、目的、目標、手段を明確にして、あらかじめ父に投げておくように、と母は常々、不在がちな父から言われていたらしい。

父と母が、予定にない時間に、直接話しをしようとすると、どうしても、父の別の予定に食い込む。

そして、母が頓着なく父の予定を変えようとする予定は、いつも同じだった。

家にいるときの父は、母との時間、磨白との時間、総との時間をそれぞれ確保していた。

父が母と話す時間は、磨白と総は、加わらない。

大人の話だから。

磨白が、父と母のやり取りを覚えているのは。

母が、父と磨白の時間に、父と話をしようとしていたから。

父は、磨白との時間だから、母の時間は今ではない、と母に告げることが増えていった。

磨白のための時間を母が当たり前のように使おうとしないように、と母に釘を刺す父。

「家族の話をするんだから、同じでしょ。」
とだけ言うと話を続けようとする母。

「磨白の時間を取り上げることを当然だと考えないように。」
と母を諭す父。

母は、父と磨白の時間に食い込もうとすることについては、磨白に弁明らしいことをしたことはない。

父と総の時間に、母は一度も入ろうとしなかった。

磨白は、母があまりに何も気にせず、磨白を気にせず父に話しかけるため、無自覚なのかと思っていた。

そのことを母に指摘したのは、父だ。

父に指摘された母は、父に、男の子には、男親との時間が絶対に必要だからと説明していた。

『娘にも息子にも男親との時間は、必要。』
と返した父。

『私は?』
と聞いた母に対する父の答えは磨白の耳には届かなかった。

その答えが磨白の耳に入らないように、父は声を潜めたのだと思う。

磨白が覚えているのは、母のショックを受けた顔と、母に退室を促す父の背中。

『子育ての相談とか、子どものことばかりじゃなくて。』
と母は、モゴモゴしながら父と会話していた。

『最初から、そういう条件だった。
出来ないのか、したくないからしないのか、どちらかをはっきりさせてくれるか?』
と父。

『結婚したんだし、子どもも出来たんだから、あなたが変わってくれないと。』
と母は、モゴモゴしながら続けていた。

『結婚して子どもが生まれたら、もう子どもじゃない。君はいつまで子どもでいようとしている?大人になれ。』
と父が話を切り上げ、母は押し黙ったまま、仕事へと出かけて行く父の後ろをついて歩く。

磨白と総に、行ってきますと言って出かけていく父と父を見送る母と磨白と総。

奈美を産んだ後の母は、何かが変わっていったと磨白は思っている。

誰かに話すことじゃないから、誰にも話さないけれど。

磨白が奈美を気に掛けるのは、妹だから、というだけじゃない。

奈美だけじゃなく、総にも、玲にも、磨白が面倒見を発揮しているのは、生来の性格からではない。

磨白は、母の異変に気付いたときに、父や叔父や誰か、大人に訴えることができていたら、とときどき考えてしまう。

気付いていた磨白が行動を起こしていれば。

母は、家を飛び出さずに。

今も家にいて、磨白達の母でいた未来があったかもしれない。

磨白は、母の顔をぼんやりとしか思い出せない。

家の中で起きていたことは、鮮明に思い出せても、母の顔ははっきりと思い出せない。

磨白を育てようと一生懸命だった母。

母といることに安心しきっていた磨白が、母と手を繋いでいた思い出は、磨白の中でシルエットで蘇る。

母が家を出た当時、幼稚園生だった玲。

母がいた頃の思い出よりも、母がいない日々の思い出が増えていく。

母に対して、何も求める気がない奈美。

世の中の母というものは、自分達の母と同じではないと割り切っている総。

四人兄弟の中で、母に対して一番ウジウジしている自覚が磨白にはある。

母に希望を持つことを諦めきれなくて、割り切ることも出来ない磨白。

だから、磨白は、家族を優先できるバイト先を選んだ。

磨白は、奈美の姉であり、君下法律事務所所長の君下の助手でもある。

今日の磨白は、記録係だ。

磨白がノートパソコンを使いこなすようになったのは、叔父の君下が使っているのを見てから。

磨白が君下のところに押し掛けたとき、君下はノートパソコンを使っていた。

『叔父さんが〈なみ〉という名前を聞いて思いつく一番素敵な漢字は何か書いて教えて?』
と、当時小学生だった磨白に聞かれた叔父の君下は、インターネットで調べながら、いくつか書き出していった。

『叔父さんが思う一番意味が綺麗で分かりやすくて覚えやすい漢字の組み合わせの〈なみ〉はどれ?』
と真剣に聞いてくる磨白に、君下は、奈美という名前を指で示した。

『奈良県の奈と美しいで奈美かなあ。』
という君下に。

『私の妹につける〈なみ〉は、奈良県の奈と美しいで、誰にでも通じる奈美がいい。』
と磨白が言い。

何も知らない叔父と磨白の危機回避能力により、磨白の美少女な妹の名前は、並から奈美に変わったのだ。
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