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流星の夜

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 星が流れる。その天空を望みながら、大祭司長ジョアンナは仮面の下でそっと溜息をついた。見上げる空はもう幾度眺めたものだったか。
 その記憶さえ自分のものか、受け継いだものか判然としない。その事にジョアンナはくつりと笑う。
 ──意味などない。他人にとっても、私自身にとっても
 どういう経緯を辿って自分の手元に来たかなど、誰も気にはしない。自分自身も、もうそんな感情は摩耗してしまっている。長く生きた果てに見るのは、そんな諦観と共にある自分の姿だけとは。人生とはままならないものだ。
 世の多くの人間が望むであろう『不老不死』に近いものを体現しているが、嬉しいと感じた事は一度もない。
 長く続く時間は、自分にとっては苦痛以外の何ものでもないのだ。それを正しく知る人間のなんと少ない事か。人は自分と違う存在を理解する事など出来はしないのだと、思い知らされる。
「失礼します」
 後ろから声がかかった。ジョアンナが星を見ていたここ、第一神殿の最上部まで上がってくる事が出来る人物は少ない。ジョアンナ自身と今後ろにいるリスゴー上級大祭司は、その少ない人物の範疇である。
 振り返れば、下から続く階段の踊り場にリスゴーがいる。彼女はジョアンナがここにいる時は、呼ばれるまでそこから中には入ってこない。
「何かありましたか?」
「はい。星見の方から、兆候が現れた、と」
「そうですか……とうとう」
 ジョアンナは今日ほど仮面で顔を隠し続ける生活を有り難いと思った事はなかった。今仮面をはがされたら、彼女の顔には歓喜の表情が浮かんでいた事だろう。
 広くは知られていないが、神殿でも吉凶を星で見る。民間のものとは違い、その精度は驚くべきものがあるが、必要以上の情報を出さないのも、また神殿のやり方だ。
 この世界の全ては女神によって回っている。星もまた同じ。女神そのものの力ではないが、その眷属となった聖女の恵みの賜である。
 星見の為の学問も発達しているが、聖地でのみ学習、実践が出来る特殊なものなので、あることすら知らないものが多い。神官の中でもそうなのだ、一般人はもっとだろう。
 その星見達がある兆候を見いだした。真の魔王が住まうと言われている虚空城の出現が近いと読み取ったのだ。
 長く続く『記憶』の中でも、虚空城が実際に出現した例は皆無だ。その姿の欠片すら今まで見せようとはしなかった。だが、ようやく自分の代でそれがやってくる。全ての物思いも、罪も、全てを押し流す存在が。
 声の方は感情を露わにしないよう、長年かけて訓練してきた。これもまた、そうと義務づけてくれた先達に感謝する事柄だ。
「あちらの様子はどうですか?」
「……先日の一件以来落ち着いていたようですが、本日拉致監禁、暴行未遂に巻き込まれたようです」
 リスゴーの厳しい表情には、深い悲哀の色が含まれていた。人は彼女の事を恐れるばかりで、その本質を見ようとする者は存外少ない事をジョアンナは知っている。
 本来は情に厚い性質をしているのだが、彼女に与えられた役目、内部監査がその本質を隠させているように思えた。
 ──いや……
 逆か。その本質を持っているからこそ、苛烈とも言われる処遇を下す今の役目が与えられたのだろう。彼女はその性質から、不正により虐げられる人達の苦しみを知る。故に一切の不正を見逃さず、処罰にも手を抜かない。
 おかげで不名誉な二つ名をもらう羽目になってしまったが、それに関しては本人が無視を決め込んでいるので、いくらジョアンナといえども口出しは出来なかった。
「詳しい話を聞きましょう」
 そう言うとジョアンナは階段へ向かって足を踏み出した。

 リスゴーからの報告を聞きながら、ジョアンナは巡り合わせの妙を感じていた。
 前回の騒動の時も思ったが、まるで以前の記憶をなぞるように似た騒動に巻き込まれている。『彼女』にその記憶はないはずだし、周囲にも当然あるはずがない。
 なのにこれだけ似た事例に巻き込まれると言う事は、それだけ勇者の周囲には似通った障害が発生するという事なのか。それとも女神様のなにがしかの配慮なのか。
「現在は王宮の方に保護されているようです」
「王宮? 何故王宮が?」
「表向き彼女は勇者の婚約者として通っています。王家としても勇者に連なる者は粗略に扱う気はない、という所でしょうか」
「そうですか……」
 兆候が現れている以上、一刻も早く彼女の身柄を聖地に迎えたい。ここ聖地の限られた人間しか知らない事だが、魔王は倒されてはいない。『彼』は時空の狭間からこちらを虎視眈々と窺っているのだ。
 全ては望みを叶える為に。
「いかがしますか? 王宮相手ではリンジー一人では手に余るかも知れません」
 リスゴーの一言がジョアンナの夢想を散らした。今はまだそこに思いをはせる時ではない。目の前の問題を解決しなくては。
「いえ、彼女なら大丈夫でしょう。受けた報告が正しいのなら、討伐の旅に出した甲斐があったというものです」
 リンジー・ナタリー・ラングドン。生まれが不幸な娘であったが、持って生まれた資質により、神官として生きていく道が与えられた。
 それが幸か不幸かは本人にしか判断出来ないが、少なくとも生きる術を得る事が出来たのは喜ばしい事だとジョアンナは思っている。
 しかもリンジーは優秀だ。資質のみならず、努力する才にも恵まれていたようだ。
「延び延びになっていたリンジーの昇級を行います。すぐに手続きを」
「位階の方は」
「中級大祭司です」
 さすがのリスゴーもジョアンナの言葉に息をのんだ。これまで特進が認められていたのは二階級まだ。それですらこれまでにたったの二例が知られている程度だった。
 その中でのリンジーの三階級特進である。リスゴーでなくとも声をなくすだろう。
 本来ならば討伐の旅から帰ってすぐに昇級させても良かったのだが、こちらの都合で後手後手に回っていた。まさかこの聖地で大々的な不正を行う輩がいたとは。ジョアンナは暗い笑みを面に乗せた。
 大祭司長たるジョアンナのお膝元である聖地で秘密裏に行われていた献金横領事件を収めるのに、思っていた以上の時間を割いてしまった。おかげでリンジーの昇級手続きが滞ってしまったのだ。
 その時のリスゴーの怒りのすさまじさは、側で見ていたジョアンナとペイスが一番よく知っている。
 今度の事件により処分された神官は軽く三桁に昇る。今までよくも隠し通していたものだ。
 処分の決定、抜けた神官の穴を埋める人事、横領された献金の洗い出し等、やるべき事は山積みだった。それらの陣頭指揮をとったリスゴーは疲労困憊だろうに、ジョアンナの前では一切その様子を見せない。
 一度は横領を見逃してしまっていた事を悔い、引責辞任の話を出してきたリスゴーだったが、いくら彼女でもあれは簡単には見つけられまい。ひどく巧妙な手口であり、複数の商家・貴族が関わっていた。
 長い時をかけて潜み、内側から徐々に食い荒らしていた連中だ。他の神殿の、ある意味わかりやすい神官達とは次元が違う。おそらくはジョアンナでさえ容易には見つけられなかっただろう。
 彼女達のわずかな気の緩みから、ほんの些細な過ちさえ犯さなければ、今でも事件は闇の内だったと思われる。そういう意味では気の緩みを招いたリスゴーの長期不在は天啓でもあった。
 彼女が辺境も含めた長期の神殿視察の最中に、裏帳簿の一部が流出したのだ。リスゴーがいなければ他は無能揃いと思い込んだ犯人達だが、何故もう一人上級大祭司がいるのかという事に、彼女達は思い至らなかったのか。ジョアンナは常にそう考えていた。
 その普段の様子からとてもそうは見えないが、ペイスの方がリスゴーより数段厄介な存在だ。リスゴーの厳格さの影に隠れて見えづらいのだろう。大抵の人間は、ペイスは人が良いだけの人物と見ている。
 その実この聖地を裏から支えているのはペイスだ。ここ聖地には雑多な情報が多く集まる。それをより分け管理し必要に応じて『使う』のがペイスだ。
 これにはジョアンナもリスゴーも口を挟むことはない。彼女が私利私欲でそれを使わないとよく知っている為でもある。
「わかりました。大祭司ならば国王とも対等に交渉が出来ますね。授与式の方はどうなさいますか?」
「間に合えば行います。間に合わない場合は法衣のみ送りなさい」
「はい」
 普通昇級した場合には、位階に相応しい法衣を授与する授与式を執り行う。リンジーは中級祭司からの特進になるから法衣の色も変わる。
 本来ならきちんと授与式を執り行ってやりたいが、事態が事態だ。聡い子でもあるので、こちらの意図はくみ取ってくれるだろう。
 その事に思い至って、ジョアンナは再びくつりと笑みをもらした。あのように、若いと言うよりは幼いと呼んだ方が相応しい者にまで過剰な要求をするとは。
 本来ならばこちらが全てお膳立てして然るべきはず。なのに相手に察する事までを望むなど、長くこの地位にいる事で得る弊害のようなものか。
 そこまで考えが至って、ようやくジョアンナは開き直る事にした。既に血筋により逃れ得ない罪を背負っているのだ。これに一つ二つ後ろめたい事が増えた所でどうという事はない。
「これより後はリンジーに一任します。時が来たならルイザ・アトキンソンの身柄確保を第一に、余力があれば勇者一行を伴い聖地へと赴くように伝えなさい。他の情報は一切与えないように」
 大変な思いをしたばかりの彼女に、さらに辛い事を押しつけなくてはならない。それもまた、彼女の運命なのだと嘯いてみても、やはり罪悪感は薄まりはしなかった。
 それでも聖地に避難させなくては。あれが出現してからでは遅いかも知れない。何よりも問題なのは、彼女自身がそれを一切知らない事だ。
 聖地とて決して安全とは言い切れないが、それでも地上のどの場所にいるよりもましなのだ。
 ここに来れば、彼女は自分の全てを知る事になるだろう。その時に誹られても、それもまたやむなしだ。初代の頃からそれは覚悟の上でもある。
「全ては速やかに執り行いなさい。手続きの最中に虚空城が出現した場合には、ルイザ・アトキンソンの安全を最優先とします。虚空城からも、人からも守る必要がありますので、神殿騎士を使わします。用意を」
「はい」
 リスゴーは一礼して部屋から出て行った。この世で唯一魔王に対抗し得る存在。そして一族の悲願を達成する事が叶う唯一人の存在。
 自分自身の苦痛をも取り除いてくれるだろう彼女は、ジョアンナにとってはまさしく救世の聖女だ。
 ──本人にとっては迷惑な話でしょうけど
 まだ彼女は知らない。自分がこの世界にとってどういう存在なのかを。ジョアンナは再び部屋の窓から空を見上げた。
 そこに、もう流れる星はなかった。


※この翌日に虚空城が出現します。
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