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神崎さんちの3きょうだい
ちいさな怪獣編
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夕飯の準備でばたついているとき、電話がかかってきて慌てて火を消した。
電話に駆け寄る隣を、最近つかまり立ちの練習に精を出している隼人があうあうと這って来る。隼人はお腹が満たされ、オムツが汚れていなければ、比較的ご機嫌に一人で遊ぶ。とはいえ静かなときは大概イタズラをしているので、気は抜けないが。
受話器を耳に当て、答える。
「はい、神崎ですけど」
『あ、すみません。K小学校の岩瀬です』
息子、政人の担任だと気づき、どきりとした。
「あの、何かありましたか?」
思わず声を潜めると、担任は笑う。
『ああ、そんな大した話ではないんです。あの、家庭訪問のことで』
「家庭訪問?」
美津子は首を傾げた。政人からはそんな話は聞いていない。
『先週、プリントを出して、希望日を聞いたんですが、政人くんの提出がまだで。このお電話で予定聞かせていただいても?』
「あ、はい。すみません、お忙しいのにわざわざ……」
言いながら、担当の挙げた日と自分の予定を見比べる。日時が決まると、担当は少し、声をひそめた。
『あまり気にすることではないと思うんですが』
どこか歯切れの悪い言い方で、話し始める。
『今まで、政人くん、こういうことって無かったんですよね。すべきことはちゃんとするというか、きちんとしていて……。でも、最近、宿題とか提出物で、たまにこういうことがあって。弟くんが産まれたから、少し甘えたい気持ちもあるのかな、とは思うんですが』
「そ、そうですか……」
政人は機嫌よく隼人とも遊んでやっていて、美津子には問題なく見えていた。ついつい、我慢させてしまっていたかと自戒する。
『一時的なものかもしれませんけど。そういう話も、またお邪魔した際にさせていただきますね』
「はい、どうも……よろしくお願いします」
美津子は受話器を耳に当てたまま頭を下げた。担当は挨拶をして電話を切った。
受話器を置くと、隼人が美津子の足を支えに立ち上がっている。目が合うと、スクワットのような屈伸運動をして見せた。その得意げな顔に、思わず笑う。
抱き上げると、隼人は嬉しそうに身じろぎした。
「お兄ちゃん、どうしたのかしらねぇ」
ぽつりと言う美津子の顔を、隼人が不思議そうに見上げた。
「ただいまぁ!」
威勢よく帰ってきた政人は、そのままバタバタと洗面所へ向かった。いつもの通り砂だらけなのだろう。
「お腹空いた! 今日、ご飯なにー!?」
手を洗って台所に来た政人だが、顔中に砂がついている。美津子は苦笑した。
「政人、顔も洗って来なさい。服も、もうお風呂場で脱いで来ちゃって。家中、砂だらけになっちゃう」
「え、パンツでご飯食べるの?」
「嫌なら明日着る服でも着なさい」
「はぁい」
言いながら、政人はまた台所から出ていく。
着替えて戻ってくると、政人は隼人の方に向かった。
「隼人、ただいまー」
立って抱き上げるのは危ないので駄目だと言っているが、横に立った兄にしがみついて隼人が立ち上がると、政人もついつい抱っこしたくなるらしい。腋の下に手を入れ、持ち上げようとしているのを見て、美津子は苦笑する。
「ほらほら、ご飯よ」
「隼人は食べたのー?」
「先に済ませました」
もちろん隼人はまだ離乳食だ。早く姉兄に追いつきたいのか、一所懸命食べる。
「そうだ、政人」
何気ない風を装って、美津子は聞いた。
「今日、先生から電話があってね。家庭訪問のプリント、どこかやっちゃったの?」
ぎくり、と政人が肩を震わせたのが見えた。
(何かあるのね)
直感しつつ、じっと見つめる。
「そ、そう。どっか行っちゃった。そうだった、そんなのももらったかも」
目をさまよわせる政人は、本人なりにポーカーフェイスを作っているらしい。
それで騙せると思っているあたり、子どもらしくて笑ってしまう。
美津子は微笑んだまま、膝を折って政人の目線に合わせた。
「政人、怒らないから言ってごらん。どうしたの?」
政人は困ったように美津子の目を見返し、うなだれた。
「……持ってくる」
しぶしぶ自分の部屋へ向かう政人の背中を見送って、美津子は嘆息した。
政人が持ってきたのは、破れたり欠けたりした、くしゃくしゃのプリントだった。
一瞬、イジメにでも合ったのかと心配するが、美津子の手に渡ったプリントに、隼人が目を輝かせて近づいて来たとき、事情を察する。
「……隼人がやったの?」
政人は悲しそうな顔で、こくりと頷いた。
美津子は噴き出しそうになるのを堪え、隼人と政人を交互に見る。
獲物を目にした小さな怪獣は、美津子の膝上に手を置いて立ち上がり、紙を寄越せと手を伸ばす。
その手からプリントを離しながら、美津子は神妙な顔のままの政人を見た。
「怒られると思ったの?」
政人はこくりと頷く。
「政人が? 隼人が?」
「……両方」
美津子は笑って、政人に手を伸ばした。
うなだれたその頭を胸に引き寄せ、美津子は静かに髪を撫でる。
「怒らないわよ。政人は、隼人に怒ったの?」
「ううん。びっくりしたけど」
優しいのだ、本当に。この子は。
「それで、怒られるって心配になって、隠したのね」
美津子の腕の中で、また政人は頷いた。
和歌子だったら、「お母さん隼人が食べちゃったー! 大事なプリントだって言われたのにー!」と騒いで終わるだけだろう。が、政人はそうできないのだ。
(個性ねぇ)
感心しつつ、また政人の目を覗き込む。まだ不安そうな息子を落ち着かせるように、美津子は微笑んだ。
「怒らないわよ。びっくりしたね」
「うん、びっくりした。……隼人が、死んじゃったらどうしようって思って」
ああ、そういうことか、とまた気づく。
変なものを口にして、幼い弟がどうにかなるのではないかと気にしていたのだろう。
「優しいのねぇ」
言うと、政人は気まずげに目を反らした。
あまり褒め言葉だと思えないらしい。
(この子、優しすぎて心配だわ)
思いながら苦笑した。親バカというか、無いものねだりというか。
「よし、じゃあこの話はおしまい。さあ、ご飯にしましょう。お姉ちゃんもそろそろ、空手から帰って来るわよ」
「うん」
政人はようやく笑顔になった。近づいてきた隼人に手を伸ばし、ほお擦りする。
兄弟の仲のよい姿に、美津子はついつい、微笑んだ。
電話に駆け寄る隣を、最近つかまり立ちの練習に精を出している隼人があうあうと這って来る。隼人はお腹が満たされ、オムツが汚れていなければ、比較的ご機嫌に一人で遊ぶ。とはいえ静かなときは大概イタズラをしているので、気は抜けないが。
受話器を耳に当て、答える。
「はい、神崎ですけど」
『あ、すみません。K小学校の岩瀬です』
息子、政人の担任だと気づき、どきりとした。
「あの、何かありましたか?」
思わず声を潜めると、担任は笑う。
『ああ、そんな大した話ではないんです。あの、家庭訪問のことで』
「家庭訪問?」
美津子は首を傾げた。政人からはそんな話は聞いていない。
『先週、プリントを出して、希望日を聞いたんですが、政人くんの提出がまだで。このお電話で予定聞かせていただいても?』
「あ、はい。すみません、お忙しいのにわざわざ……」
言いながら、担当の挙げた日と自分の予定を見比べる。日時が決まると、担当は少し、声をひそめた。
『あまり気にすることではないと思うんですが』
どこか歯切れの悪い言い方で、話し始める。
『今まで、政人くん、こういうことって無かったんですよね。すべきことはちゃんとするというか、きちんとしていて……。でも、最近、宿題とか提出物で、たまにこういうことがあって。弟くんが産まれたから、少し甘えたい気持ちもあるのかな、とは思うんですが』
「そ、そうですか……」
政人は機嫌よく隼人とも遊んでやっていて、美津子には問題なく見えていた。ついつい、我慢させてしまっていたかと自戒する。
『一時的なものかもしれませんけど。そういう話も、またお邪魔した際にさせていただきますね』
「はい、どうも……よろしくお願いします」
美津子は受話器を耳に当てたまま頭を下げた。担当は挨拶をして電話を切った。
受話器を置くと、隼人が美津子の足を支えに立ち上がっている。目が合うと、スクワットのような屈伸運動をして見せた。その得意げな顔に、思わず笑う。
抱き上げると、隼人は嬉しそうに身じろぎした。
「お兄ちゃん、どうしたのかしらねぇ」
ぽつりと言う美津子の顔を、隼人が不思議そうに見上げた。
「ただいまぁ!」
威勢よく帰ってきた政人は、そのままバタバタと洗面所へ向かった。いつもの通り砂だらけなのだろう。
「お腹空いた! 今日、ご飯なにー!?」
手を洗って台所に来た政人だが、顔中に砂がついている。美津子は苦笑した。
「政人、顔も洗って来なさい。服も、もうお風呂場で脱いで来ちゃって。家中、砂だらけになっちゃう」
「え、パンツでご飯食べるの?」
「嫌なら明日着る服でも着なさい」
「はぁい」
言いながら、政人はまた台所から出ていく。
着替えて戻ってくると、政人は隼人の方に向かった。
「隼人、ただいまー」
立って抱き上げるのは危ないので駄目だと言っているが、横に立った兄にしがみついて隼人が立ち上がると、政人もついつい抱っこしたくなるらしい。腋の下に手を入れ、持ち上げようとしているのを見て、美津子は苦笑する。
「ほらほら、ご飯よ」
「隼人は食べたのー?」
「先に済ませました」
もちろん隼人はまだ離乳食だ。早く姉兄に追いつきたいのか、一所懸命食べる。
「そうだ、政人」
何気ない風を装って、美津子は聞いた。
「今日、先生から電話があってね。家庭訪問のプリント、どこかやっちゃったの?」
ぎくり、と政人が肩を震わせたのが見えた。
(何かあるのね)
直感しつつ、じっと見つめる。
「そ、そう。どっか行っちゃった。そうだった、そんなのももらったかも」
目をさまよわせる政人は、本人なりにポーカーフェイスを作っているらしい。
それで騙せると思っているあたり、子どもらしくて笑ってしまう。
美津子は微笑んだまま、膝を折って政人の目線に合わせた。
「政人、怒らないから言ってごらん。どうしたの?」
政人は困ったように美津子の目を見返し、うなだれた。
「……持ってくる」
しぶしぶ自分の部屋へ向かう政人の背中を見送って、美津子は嘆息した。
政人が持ってきたのは、破れたり欠けたりした、くしゃくしゃのプリントだった。
一瞬、イジメにでも合ったのかと心配するが、美津子の手に渡ったプリントに、隼人が目を輝かせて近づいて来たとき、事情を察する。
「……隼人がやったの?」
政人は悲しそうな顔で、こくりと頷いた。
美津子は噴き出しそうになるのを堪え、隼人と政人を交互に見る。
獲物を目にした小さな怪獣は、美津子の膝上に手を置いて立ち上がり、紙を寄越せと手を伸ばす。
その手からプリントを離しながら、美津子は神妙な顔のままの政人を見た。
「怒られると思ったの?」
政人はこくりと頷く。
「政人が? 隼人が?」
「……両方」
美津子は笑って、政人に手を伸ばした。
うなだれたその頭を胸に引き寄せ、美津子は静かに髪を撫でる。
「怒らないわよ。政人は、隼人に怒ったの?」
「ううん。びっくりしたけど」
優しいのだ、本当に。この子は。
「それで、怒られるって心配になって、隠したのね」
美津子の腕の中で、また政人は頷いた。
和歌子だったら、「お母さん隼人が食べちゃったー! 大事なプリントだって言われたのにー!」と騒いで終わるだけだろう。が、政人はそうできないのだ。
(個性ねぇ)
感心しつつ、また政人の目を覗き込む。まだ不安そうな息子を落ち着かせるように、美津子は微笑んだ。
「怒らないわよ。びっくりしたね」
「うん、びっくりした。……隼人が、死んじゃったらどうしようって思って」
ああ、そういうことか、とまた気づく。
変なものを口にして、幼い弟がどうにかなるのではないかと気にしていたのだろう。
「優しいのねぇ」
言うと、政人は気まずげに目を反らした。
あまり褒め言葉だと思えないらしい。
(この子、優しすぎて心配だわ)
思いながら苦笑した。親バカというか、無いものねだりというか。
「よし、じゃあこの話はおしまい。さあ、ご飯にしましょう。お姉ちゃんもそろそろ、空手から帰って来るわよ」
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