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神崎さんちの3きょうだい
キャッチボール編
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「政人ォ! 起きろ!」
「ごふっ」
ある土曜日の朝。所属しているバスケ部の練習が午後からであることをいいことに惰眠を貪っていた神崎政人は、みぞおちに固い何かの落下を受けて一瞬息が止まった。
「この……暴力女ッ……」
腹を押さえながら見やると、ベッドの横にはなぜか木製バットが転がっている。
それは自分が小学生の頃、草野球で使っていたものだと認識して、政人は息を吐き出した。
「……ぁんだよもう。俺、午後から部活なんだけど」
「まだ午後には早い!」
びし、とベッド横の時計を指差すのは姉の和歌子だ。傍から見れば大人しそうな美人だが、空手有段者で結構な負けん気の強さの持ち主であることを、二歳年下の弟である政人は知りすぎるほど知っている。
時計がまだ十時前を示していることを見て取り、政人はまた嘆息した。
「だから、何だよ」
まだ起き上がる気にはなれないが、おとなしく袋だたきに合うつもりもない。ベッドに転がったまま無意識に頭の中で対策を練る政人の前に、少年が顔を覗かせる。
「お兄ちゃん。キャッチボールしよ?」
にこり、と笑う弟は、七歳年下の隼人だ。小学生になったばかりの隼人は、何かと政人の後をついて来る。一番身近で年上の同性だから、憧れもあるのだろう。
キラキラと輝く目に見つめられ、さすがに居心地が悪くなった政人は上体を起こした。
「姉さんとやってこいよ」
「何言ってんの。私、十時から空手」
しゅ、と軽く型を見せる。キレのある動きが美しいとも言えるが、その拳が自分に向く前に起きるべし、と長年の経験で察して、政人はベッドから這い出た。
成長期真っ盛りの政人は、中学二年。いくらでも眠れる歳だ。本来であれば大事な睡眠時間なのだが、恐ろしい姉に逆らう気には到底なれない。
程ほどにキャッチボールにつき合って、姉がいないのをいいことに適当に切り上げて来ようと心中で決める。
「私、十一時半に終わるから、合流するね。公園、ちょうど体育館に行く途中だし」
「げっ」
思わず出た声を、和歌子が聞き咎める。
「……あんた、もしかしてテキトーにやってテキトーに帰ってくる気だった?」
ゴゴゴゴ、とどこかから地響きが聞こえてきそうなまがまがしいオーラを放って、和歌子の笑顔が政人を見つめる。
政人は急激に喉の乾きを覚えつつ、目をさまよわせた。
「いや、まさか、そんなことは」
言いながら、
(あれか、俺はガチでキャッチボール二時間やって、ソッコーで飯食って、部活で走り回って来いと、そういうことか)
思うが反論は口にできず、政人は脱力した。自分を見上げる隼人に目をやる。
くりっとした目は愛嬌があり、幼いときの自分によく似ている。まだ女の子と間違われるようだが、いずれ自分と同じように成長期を迎えれば、同じような道を歩むのだろう。つまりーー望むと望まないとに関わらず、女が寄って来る。
「やったぁ。ありがとう、お兄ちゃん」
笑う隼人の笑顔が眩しい。この顔でそう言われては誰も断れまい。
政人は思わず目を反らして息を吐き出す。
和歌子にも隼人にも敵わないと、心底自分のふがいなさを感じるのだった。
「あっ」
隼人のグローブがボールを弾く。
「しっかりボール見ろ。タイミングは悪くないから」
「うん」
真剣な顔でボールを追いかけ、拾い上げた。政人に放って来る球は、小さな放物線を描いた後で地面を数度叩いた。
それを左手のグローブで拾い上げ、構える隼人にゆるめに投げる。
(久しぶりだなぁ、キャッチボールなんて)
今度は上手にグローブで受け止めた。嬉しそうに目を輝かせる隼人に、思わず政人も微笑む。
隼人はグローブに挟まったボールを右手に持ちかえ、ふりかぶって投げた。
「お兄ちゃんみたいに飛ばなーい」
「ま、練習だ、練習」
言いながらコロコロと転がる白いボールを持ち上げる。グローブに数度ボールを打ち付けて、ふと気づいた。
(このグローブ、父さんがはめてたんだよなぁ)
「行くぞー」
言いながら、政人はまた、小さいボールを放る。
「あっ。悪ィ」
少し力が入りすぎて、ボールは隼人の頭上を通過した。かと思えば、隼人はジャンプしてグローブをはめた左手を伸ばす。
奇跡的に届いたボールの勢いに引っ張られて、隼人が尻餅をついた。ごろん、と転がり、政人は慌てて駆け寄る。
「おい、大丈夫か?」
尻から背中まで砂で服を汚した隼人は、うまく受け身を取ったらしい。頷くなり嬉しそうにグローブを掲げた。
「見て、お兄ちゃん。取ったよ」
心から誇らしげな笑顔と、白い球を挟んだ子供用のグローブ。
それは昔、政人が使っていたグローブだ。
「おう。かっこよかったぞ」
言いながら、こいつも相当な負けず嫌いだなと思う。
政人は微笑んで、弟の頭をくしゃくしゃと撫でた。
くすぐったそうな顔で、隼人は笑う。
「えへへ」
それを見下ろしながら、政人は胸中に、温かさと切なさがじわりと広がるのを感じた。
「お前はいいなぁ」
「何が?」
「いや。子どもはいいよなぁ」
隼人は不服げに唇を尖らせた。その膨らんだ頬の丸さに、政人はまた笑う。
「次、おまえピッチング練習しろ。投げ方教えてやる」
「ほんとっ? 教えて、教えて!」
ぴょんぴょん飛び跳ねそうなほどに喜ぶ弟の素直さを羨みながら、政人は隼人の手をつかみ、立ち上がらせた。
隼人の服についた砂を払いながら、政人は笑う。
「よーし。姉さん来たら驚かせるぞ」
「うん、驚かせよう! がんばる!」
ぴょんぴょんと跳ねる隼人の頭を、政人はまた乱暴に掻き混ぜた。
結局、二人はキャッチボールに夢中になり、すっかり時間を忘れた。政人が当てにしていた和歌子の合流は稽古の後の立ち話で遅れ、政人は昼食を掻き込んでダッシュで部活に向かうことになり、
(結局、貧乏くじを引くのはいつも俺なんだ)
ほぼ全力で道を走りながら、政人は心中、毒づいた。
「ごふっ」
ある土曜日の朝。所属しているバスケ部の練習が午後からであることをいいことに惰眠を貪っていた神崎政人は、みぞおちに固い何かの落下を受けて一瞬息が止まった。
「この……暴力女ッ……」
腹を押さえながら見やると、ベッドの横にはなぜか木製バットが転がっている。
それは自分が小学生の頃、草野球で使っていたものだと認識して、政人は息を吐き出した。
「……ぁんだよもう。俺、午後から部活なんだけど」
「まだ午後には早い!」
びし、とベッド横の時計を指差すのは姉の和歌子だ。傍から見れば大人しそうな美人だが、空手有段者で結構な負けん気の強さの持ち主であることを、二歳年下の弟である政人は知りすぎるほど知っている。
時計がまだ十時前を示していることを見て取り、政人はまた嘆息した。
「だから、何だよ」
まだ起き上がる気にはなれないが、おとなしく袋だたきに合うつもりもない。ベッドに転がったまま無意識に頭の中で対策を練る政人の前に、少年が顔を覗かせる。
「お兄ちゃん。キャッチボールしよ?」
にこり、と笑う弟は、七歳年下の隼人だ。小学生になったばかりの隼人は、何かと政人の後をついて来る。一番身近で年上の同性だから、憧れもあるのだろう。
キラキラと輝く目に見つめられ、さすがに居心地が悪くなった政人は上体を起こした。
「姉さんとやってこいよ」
「何言ってんの。私、十時から空手」
しゅ、と軽く型を見せる。キレのある動きが美しいとも言えるが、その拳が自分に向く前に起きるべし、と長年の経験で察して、政人はベッドから這い出た。
成長期真っ盛りの政人は、中学二年。いくらでも眠れる歳だ。本来であれば大事な睡眠時間なのだが、恐ろしい姉に逆らう気には到底なれない。
程ほどにキャッチボールにつき合って、姉がいないのをいいことに適当に切り上げて来ようと心中で決める。
「私、十一時半に終わるから、合流するね。公園、ちょうど体育館に行く途中だし」
「げっ」
思わず出た声を、和歌子が聞き咎める。
「……あんた、もしかしてテキトーにやってテキトーに帰ってくる気だった?」
ゴゴゴゴ、とどこかから地響きが聞こえてきそうなまがまがしいオーラを放って、和歌子の笑顔が政人を見つめる。
政人は急激に喉の乾きを覚えつつ、目をさまよわせた。
「いや、まさか、そんなことは」
言いながら、
(あれか、俺はガチでキャッチボール二時間やって、ソッコーで飯食って、部活で走り回って来いと、そういうことか)
思うが反論は口にできず、政人は脱力した。自分を見上げる隼人に目をやる。
くりっとした目は愛嬌があり、幼いときの自分によく似ている。まだ女の子と間違われるようだが、いずれ自分と同じように成長期を迎えれば、同じような道を歩むのだろう。つまりーー望むと望まないとに関わらず、女が寄って来る。
「やったぁ。ありがとう、お兄ちゃん」
笑う隼人の笑顔が眩しい。この顔でそう言われては誰も断れまい。
政人は思わず目を反らして息を吐き出す。
和歌子にも隼人にも敵わないと、心底自分のふがいなさを感じるのだった。
「あっ」
隼人のグローブがボールを弾く。
「しっかりボール見ろ。タイミングは悪くないから」
「うん」
真剣な顔でボールを追いかけ、拾い上げた。政人に放って来る球は、小さな放物線を描いた後で地面を数度叩いた。
それを左手のグローブで拾い上げ、構える隼人にゆるめに投げる。
(久しぶりだなぁ、キャッチボールなんて)
今度は上手にグローブで受け止めた。嬉しそうに目を輝かせる隼人に、思わず政人も微笑む。
隼人はグローブに挟まったボールを右手に持ちかえ、ふりかぶって投げた。
「お兄ちゃんみたいに飛ばなーい」
「ま、練習だ、練習」
言いながらコロコロと転がる白いボールを持ち上げる。グローブに数度ボールを打ち付けて、ふと気づいた。
(このグローブ、父さんがはめてたんだよなぁ)
「行くぞー」
言いながら、政人はまた、小さいボールを放る。
「あっ。悪ィ」
少し力が入りすぎて、ボールは隼人の頭上を通過した。かと思えば、隼人はジャンプしてグローブをはめた左手を伸ばす。
奇跡的に届いたボールの勢いに引っ張られて、隼人が尻餅をついた。ごろん、と転がり、政人は慌てて駆け寄る。
「おい、大丈夫か?」
尻から背中まで砂で服を汚した隼人は、うまく受け身を取ったらしい。頷くなり嬉しそうにグローブを掲げた。
「見て、お兄ちゃん。取ったよ」
心から誇らしげな笑顔と、白い球を挟んだ子供用のグローブ。
それは昔、政人が使っていたグローブだ。
「おう。かっこよかったぞ」
言いながら、こいつも相当な負けず嫌いだなと思う。
政人は微笑んで、弟の頭をくしゃくしゃと撫でた。
くすぐったそうな顔で、隼人は笑う。
「えへへ」
それを見下ろしながら、政人は胸中に、温かさと切なさがじわりと広がるのを感じた。
「お前はいいなぁ」
「何が?」
「いや。子どもはいいよなぁ」
隼人は不服げに唇を尖らせた。その膨らんだ頬の丸さに、政人はまた笑う。
「次、おまえピッチング練習しろ。投げ方教えてやる」
「ほんとっ? 教えて、教えて!」
ぴょんぴょん飛び跳ねそうなほどに喜ぶ弟の素直さを羨みながら、政人は隼人の手をつかみ、立ち上がらせた。
隼人の服についた砂を払いながら、政人は笑う。
「よーし。姉さん来たら驚かせるぞ」
「うん、驚かせよう! がんばる!」
ぴょんぴょんと跳ねる隼人の頭を、政人はまた乱暴に掻き混ぜた。
結局、二人はキャッチボールに夢中になり、すっかり時間を忘れた。政人が当てにしていた和歌子の合流は稽古の後の立ち話で遅れ、政人は昼食を掻き込んでダッシュで部活に向かうことになり、
(結局、貧乏くじを引くのはいつも俺なんだ)
ほぼ全力で道を走りながら、政人は心中、毒づいた。
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