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第四章 曇天をさらう暴風雨 (ヒメ/阿久津交互)
11 荒れ模様
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阿久津さんは無造作に部屋に入り、ドアを閉めた。鞄をソファに放り投げ、ワイシャツのボタンに手をかける。
「さっさと脱げよ」
阿久津さんは低い声で言いながら、ワイシャツのボタンを開け終わるとシャツをズボンから引き出した。
ブルーストライプのシャツから肩を抜く。その筋肉質な肩に思わず視線が吸い寄せられた。
ドキドキと胸が高鳴る。阿久津さんは私の視線に気づくと、渋面になってまた舌打ちした。
触れていいんだ、この人に。今夜だけだとしても。たまたま笹の下で見かけて、恋い焦がれていた人に、触れてもらえるんだ。
感性が麻痺しているのかもしれない。そうじゃないつもりもない。だっていくら私でも、ここまで馬鹿みたいな振る舞いは初めてだ。
後悔したくない、ただその気持ちで、必死になって追いかけた人がここにいる。今私の方を見ている。私に触れてくれる。
神様。今まで都合のいいときだけ信じたりしてごめんなさい。でも、ありがとう。きっとこれが私にとってのチャンス。がんばったからご褒美をくれたんでしょう?
一途、の意味を履き違えたかもって、思ったときもあった。ううん、今でもそうかもしれないって思ってる。だけど、彼が私に触れるそのときは、彼が誰のことを考えているとしても、抱き合っているのは私なんだ。私はその間、間違いなく彼の身体を占有できる。今まで掴むこともできずに、手を伸ばしては諦めてきた彼自身を、この身体に刻むことができる。
「ここまできて、怖じけづいたか?」
阿久津さんが歪んだ笑顔を浮かべた。その目はギラギラと光り、優しさのかけらも見えない乱暴さを宿している。私はそれを見るやふるりと震えた。初めて彼の視線を受け止めたときのように。
「それとも、俺に脱がせろっての?」
阿久津さんが一歩、私に近づく。その手が私の顎を持ち上げた。頭一つ分のさらに上から、阿久津さんが私を見下ろす。
ぞくぞくする。目に吸い込まれるような感覚。冷たい色を宿した視線に、私は欲情する。
この人の乱れたところを見たい。
私は阿久津さんの首に抱き着いて、その唇を奪った。
咄嗟のことに、阿久津さんは身動きが取れずにたたらを踏みかける。
最初にしては濃厚で、エッチの前戯にしては軽すぎるキスの後、私は阿久津さんの目を覗き込んだ。
「抱いてください」
阿久津さんの手をつかみ、薄い夏服の上から胸に押し当てる。
「でも、もし私の身体が良ければ、また抱いてください。今日だけなんて言わないで」
阿久津さんがごくりと喉を鳴らした。
阿久津さん。気づいてた?
私にとって、あなたを籠絡するための武器は、この身体しかないの。
チビで、童顔で、馬鹿で、いろいろ足りないところばかりの私に、唯一、たっぷり備わっているこの胸。
あなたも多くの男と同じく、コレが嫌いじゃないってことは、その視線で分かってる。
「大人しく抱かれてから言え」
阿久津さんは唸って、私の手首を掴んだ。その唸り声が私の下腹部を締め付ける。乱暴な口づけが思考を麻痺させる。何でもいい。触れてくれるのなら。ドロドロに濡れて、どっちがどっちか分からないくらいに溶けて、混ざり合ってしまえばいい。もう二度と天の川に引き裂かれることのないほど。そうすれば、会えない恐怖に苦しむこともない。あなたは私になって、私はあなたになる。それくらいにぐちゃぐちゃに、二人で混ざりきってしまえば、いい。
阿久津さんはベッドに私を押し倒した。どさり、と柔らかくて冷たいシーツが私の背中を圧迫する。阿久津さんの目はまだ冷たくて、でもその奥に苦しみを見て取る。私は嬉しくて笑いそうになった。
阿久津さんは苦しんでいる。私のために苦しんでいる。自己嫌悪という形ででも、今日のこの行為で私をあなたに刻み付けるんだ。二度と忘れられないように。忘れさせてなどあげない。だって、
私はもう二度と、あなたを忘れることなどできないんだから。
阿久津さんは急に力を失くし、崩れるように私の首もとに顔を埋めた。
私は勝ち誇ったようなおかしな高揚が、急速にしぼんでいくのを感じる。
同時に、頬に生温さを感じて戸惑った。
「……何、泣いてんだよ」
阿久津さんは嘆息して、ごろり、と横たわった。
「なっさけねぇ」
ぽつりと呟くその声は、今までで一番力みを感じない。彼の本心だと察して、私は顔だけを阿久津さんに向ける。
「受け止めることも、跳ね退けることも、嫌われることもできないなんてな」
言うと、はー、と深い息を吐いた。
「やめとけよ、俺みたいなのは」
阿久津さんは両手で目を覆って言った。
その声に祈るような響きを感じて、私はじっと、彼の横顔を見つめる。
「面倒くさいだけだぞ。意地っ張りだし、偉そうだし、遊び人だし……」
今まで誰かに言われたのであろうことを口にして、
「オッサンだし」
「それは違います」
「いやオッサンだろ。もう四十よ? オッサンじゃなくて何なの」
「ええと……大人の男?」
「はぁ?」
阿久津さんは噴き出した。
目を覆っていた手が口元に移動し、笑う目元が見える。
あ。
笑うと、やんちゃ坊主みたいな顔。
ちょっと、かわいい。
また一つ新しく知った表情に、一段、想いが深くなる。
「おっまえ、ほんと、馬鹿な」
阿久津さんは笑った。声を上げて、手を身体の横に投げ出して、笑い出すと止まらなくなったらしい。場に不釣り合いなくらい晴れやかな笑い声で、阿久津さんは笑い続けて、目に涙すら浮かべて、腹を抱えて向こうを向いて、ひとしきり笑うと、
「あーあ。やめやめ。シャワー浴びて寝よ」
ぼやくように言って、風呂場へ歩きかけ、振り向く。
「お前はどうする?」
「へ?」
「帰るなら帰れば」
「は……? あの」
「俺、泊まってくわ。帰んの面倒だし、何か疲れた」
ベッドに座った私は口を無意味にぱくぱくして、言葉が浮かばず口を閉じた。
阿久津さんがまた口元に手を当てて笑う。
「好きにしろよ。俺も好きにするから」
「……それって、」
言って風呂場に去る背中が、私の声を聞き終えるより先に、ドアに遮られ見えなくなった。
(第四章完 次章ヒメ視点です)
「さっさと脱げよ」
阿久津さんは低い声で言いながら、ワイシャツのボタンを開け終わるとシャツをズボンから引き出した。
ブルーストライプのシャツから肩を抜く。その筋肉質な肩に思わず視線が吸い寄せられた。
ドキドキと胸が高鳴る。阿久津さんは私の視線に気づくと、渋面になってまた舌打ちした。
触れていいんだ、この人に。今夜だけだとしても。たまたま笹の下で見かけて、恋い焦がれていた人に、触れてもらえるんだ。
感性が麻痺しているのかもしれない。そうじゃないつもりもない。だっていくら私でも、ここまで馬鹿みたいな振る舞いは初めてだ。
後悔したくない、ただその気持ちで、必死になって追いかけた人がここにいる。今私の方を見ている。私に触れてくれる。
神様。今まで都合のいいときだけ信じたりしてごめんなさい。でも、ありがとう。きっとこれが私にとってのチャンス。がんばったからご褒美をくれたんでしょう?
一途、の意味を履き違えたかもって、思ったときもあった。ううん、今でもそうかもしれないって思ってる。だけど、彼が私に触れるそのときは、彼が誰のことを考えているとしても、抱き合っているのは私なんだ。私はその間、間違いなく彼の身体を占有できる。今まで掴むこともできずに、手を伸ばしては諦めてきた彼自身を、この身体に刻むことができる。
「ここまできて、怖じけづいたか?」
阿久津さんが歪んだ笑顔を浮かべた。その目はギラギラと光り、優しさのかけらも見えない乱暴さを宿している。私はそれを見るやふるりと震えた。初めて彼の視線を受け止めたときのように。
「それとも、俺に脱がせろっての?」
阿久津さんが一歩、私に近づく。その手が私の顎を持ち上げた。頭一つ分のさらに上から、阿久津さんが私を見下ろす。
ぞくぞくする。目に吸い込まれるような感覚。冷たい色を宿した視線に、私は欲情する。
この人の乱れたところを見たい。
私は阿久津さんの首に抱き着いて、その唇を奪った。
咄嗟のことに、阿久津さんは身動きが取れずにたたらを踏みかける。
最初にしては濃厚で、エッチの前戯にしては軽すぎるキスの後、私は阿久津さんの目を覗き込んだ。
「抱いてください」
阿久津さんの手をつかみ、薄い夏服の上から胸に押し当てる。
「でも、もし私の身体が良ければ、また抱いてください。今日だけなんて言わないで」
阿久津さんがごくりと喉を鳴らした。
阿久津さん。気づいてた?
私にとって、あなたを籠絡するための武器は、この身体しかないの。
チビで、童顔で、馬鹿で、いろいろ足りないところばかりの私に、唯一、たっぷり備わっているこの胸。
あなたも多くの男と同じく、コレが嫌いじゃないってことは、その視線で分かってる。
「大人しく抱かれてから言え」
阿久津さんは唸って、私の手首を掴んだ。その唸り声が私の下腹部を締め付ける。乱暴な口づけが思考を麻痺させる。何でもいい。触れてくれるのなら。ドロドロに濡れて、どっちがどっちか分からないくらいに溶けて、混ざり合ってしまえばいい。もう二度と天の川に引き裂かれることのないほど。そうすれば、会えない恐怖に苦しむこともない。あなたは私になって、私はあなたになる。それくらいにぐちゃぐちゃに、二人で混ざりきってしまえば、いい。
阿久津さんはベッドに私を押し倒した。どさり、と柔らかくて冷たいシーツが私の背中を圧迫する。阿久津さんの目はまだ冷たくて、でもその奥に苦しみを見て取る。私は嬉しくて笑いそうになった。
阿久津さんは苦しんでいる。私のために苦しんでいる。自己嫌悪という形ででも、今日のこの行為で私をあなたに刻み付けるんだ。二度と忘れられないように。忘れさせてなどあげない。だって、
私はもう二度と、あなたを忘れることなどできないんだから。
阿久津さんは急に力を失くし、崩れるように私の首もとに顔を埋めた。
私は勝ち誇ったようなおかしな高揚が、急速にしぼんでいくのを感じる。
同時に、頬に生温さを感じて戸惑った。
「……何、泣いてんだよ」
阿久津さんは嘆息して、ごろり、と横たわった。
「なっさけねぇ」
ぽつりと呟くその声は、今までで一番力みを感じない。彼の本心だと察して、私は顔だけを阿久津さんに向ける。
「受け止めることも、跳ね退けることも、嫌われることもできないなんてな」
言うと、はー、と深い息を吐いた。
「やめとけよ、俺みたいなのは」
阿久津さんは両手で目を覆って言った。
その声に祈るような響きを感じて、私はじっと、彼の横顔を見つめる。
「面倒くさいだけだぞ。意地っ張りだし、偉そうだし、遊び人だし……」
今まで誰かに言われたのであろうことを口にして、
「オッサンだし」
「それは違います」
「いやオッサンだろ。もう四十よ? オッサンじゃなくて何なの」
「ええと……大人の男?」
「はぁ?」
阿久津さんは噴き出した。
目を覆っていた手が口元に移動し、笑う目元が見える。
あ。
笑うと、やんちゃ坊主みたいな顔。
ちょっと、かわいい。
また一つ新しく知った表情に、一段、想いが深くなる。
「おっまえ、ほんと、馬鹿な」
阿久津さんは笑った。声を上げて、手を身体の横に投げ出して、笑い出すと止まらなくなったらしい。場に不釣り合いなくらい晴れやかな笑い声で、阿久津さんは笑い続けて、目に涙すら浮かべて、腹を抱えて向こうを向いて、ひとしきり笑うと、
「あーあ。やめやめ。シャワー浴びて寝よ」
ぼやくように言って、風呂場へ歩きかけ、振り向く。
「お前はどうする?」
「へ?」
「帰るなら帰れば」
「は……? あの」
「俺、泊まってくわ。帰んの面倒だし、何か疲れた」
ベッドに座った私は口を無意味にぱくぱくして、言葉が浮かばず口を閉じた。
阿久津さんがまた口元に手を当てて笑う。
「好きにしろよ。俺も好きにするから」
「……それって、」
言って風呂場に去る背中が、私の声を聞き終えるより先に、ドアに遮られ見えなくなった。
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