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第五章 押せ押せ織姫と腰の引けた彦星(ヒメ視点)
02 ステイ
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ホテルの支払いは当然のように阿久津さんがしてくれた。私も財布を出そうとしたが、無言の視線で止められた。
私はもはや、その呆れたような睨みつけるような視線が癖になりつつある。
私を見てくれる。それだけで嬉しいのだ。
歩幅は大きいけれど、私に合わせてゆっくり進んでくれる阿久津さんを、ぽてぽてと追いかける。私は少し早歩きで、阿久津さんは少しゆっくり歩く。そういうペースで合う歩調が嬉しくて、照れ臭くて、なんだかスキップしたくなる。
浮き立つ気持ちに任せて黙ってついて行っていたら、向かう先に駅が見えてはっとした。
「あ、阿久津さん」
「あ?」
面倒くさそうに、阿久津さんが私を見下ろす。その視線が嬉しくて、思わずデレそうになる顔を引き締め、私は両拳を小さく握りしめた。
歩みを緩める様子のない阿久津さんについて行きながら、私は口を開く。
「き、今日は、お休みですよ!」
「あ、そ」
つ、つれないー! しかしそこがまた良い!
「私も、お休みなんです!」
「だから?」
その目! 睨みつけてるつもりかもしれないけれど、多少時間を共にした私には分かります。完全に拒否している目ではないことが!
行くのよヒメ! 女を見せるのよ!
私の中で澤田ヒメ応援団がボンボンを振る。
「お出かけ、しましょう!」
阿久津さんは立ち止まった。私も慌てて、急ブレーキ。
黙って私を見つめる三白眼。私は真ん丸い目をさらに丸くして、じぃっと見つめ返す。負けるわけにはいかないの!
「クールダウンした方がいいだろ」
阿久津さんは静かに言った。
「お互い。その方がいい」
ふいと、顔を反らし、また歩き出す。
「……どういう、意味ですか?」
「そのまんまの意味だよ」
嘆息混じりに、阿久津さんはまた横目で私を見やった。
「お前、ほとんど眠ってなくてナチュラルハイだろ。家帰って寝ろ。夏の終わりに体調崩すなよ」
「わ、私、身体は丈夫なんです!」
向きになって言うと、阿久津さんは苦笑した。
何か言うかと思ったら、何も言わずに歩いていく。
「あの、阿久津さん」
耐え兼ねて声をかけると、
「待てるか?」
静かに声が返って来た。
低い声音の言葉の意味を解釈できず、私は目をまたたかせる。
阿久津さんは少し間を置いて、また口を開いた。
「突き進んでいる間は、人間、熱心でいられるもんだ」
阿久津さんが、心持ち、歩く速度を上げた。無意識かもしれない。私はどうにか、ついていく。
「立ち止まったとき、空白になったとき、その熱心さを保っていられるか……」
「で、でも!」
私は追いすがりながら、口を挟んだ。
「鉄は熱いうちに打て、って言うじゃないですか!」
阿久津さんはそこでようやく、自分の歩みが速くなっていたことに気づいたらしい。あ、という顔をしてペースを緩めた。
「まあ、それは若い奴の台詞だな」
阿久津さんは笑った。苦笑ではなかったけれど、それはどこか切ない笑顔だった。
私は言い返そうとして、言葉が見つからず黙った。
「……阿久津さんは、空白になったとき、誰を思い出すんですか?」
聞きながら、聞きたくない、と思った。
さらりとした黒いボブショート。年相応でありながら若々しく光る瞳。爽やかで愛嬌のある笑顔。
アヤノさん、ですか?
決定的な問いは、口にできず飲み込んだ。
阿久津さんは前を向いたまま笑っている。
「どうだろうなぁ」
癖、みたいなものだ。
私が阿久津さんを思い出すのは。この二ヶ月で、癖みたいになってしまった。
阿久津さんが、いつから惹かれたか分からないけれど、もしかしたらそれも、癖みたいなものかもしれない。
楽しいとき、辛いとき、綺麗なものを見たとき、美味しいものを食べたとき、想う人。
でもその癖は、私よりも長く続けられて、習慣みたいになっているだろう。習慣は彼の一部になってしまって、彼自身からすぐに切り離せないだろう。
「待てますよ」
私は俯いて言った。本当はちゃんと、彼の目を見て言いたかったのに、そうできない自分が悔しかった。
「阿久津さんが、ふっ切れるまで、待ちます」
顔を上げられない代わりに、声を大きくした。阿久津さんは軽く声を出して笑った。私の方を見ずにいるのは、気遣いかもしれない。
「どうだろうな」
さっきと同じ言葉を、阿久津さんは口にした。
期待していない口ぶりに文句を言おうとしたけど、その横顔を見て、やめた。
待てますよ。
待ちます。
きっと。
私はもはや、その呆れたような睨みつけるような視線が癖になりつつある。
私を見てくれる。それだけで嬉しいのだ。
歩幅は大きいけれど、私に合わせてゆっくり進んでくれる阿久津さんを、ぽてぽてと追いかける。私は少し早歩きで、阿久津さんは少しゆっくり歩く。そういうペースで合う歩調が嬉しくて、照れ臭くて、なんだかスキップしたくなる。
浮き立つ気持ちに任せて黙ってついて行っていたら、向かう先に駅が見えてはっとした。
「あ、阿久津さん」
「あ?」
面倒くさそうに、阿久津さんが私を見下ろす。その視線が嬉しくて、思わずデレそうになる顔を引き締め、私は両拳を小さく握りしめた。
歩みを緩める様子のない阿久津さんについて行きながら、私は口を開く。
「き、今日は、お休みですよ!」
「あ、そ」
つ、つれないー! しかしそこがまた良い!
「私も、お休みなんです!」
「だから?」
その目! 睨みつけてるつもりかもしれないけれど、多少時間を共にした私には分かります。完全に拒否している目ではないことが!
行くのよヒメ! 女を見せるのよ!
私の中で澤田ヒメ応援団がボンボンを振る。
「お出かけ、しましょう!」
阿久津さんは立ち止まった。私も慌てて、急ブレーキ。
黙って私を見つめる三白眼。私は真ん丸い目をさらに丸くして、じぃっと見つめ返す。負けるわけにはいかないの!
「クールダウンした方がいいだろ」
阿久津さんは静かに言った。
「お互い。その方がいい」
ふいと、顔を反らし、また歩き出す。
「……どういう、意味ですか?」
「そのまんまの意味だよ」
嘆息混じりに、阿久津さんはまた横目で私を見やった。
「お前、ほとんど眠ってなくてナチュラルハイだろ。家帰って寝ろ。夏の終わりに体調崩すなよ」
「わ、私、身体は丈夫なんです!」
向きになって言うと、阿久津さんは苦笑した。
何か言うかと思ったら、何も言わずに歩いていく。
「あの、阿久津さん」
耐え兼ねて声をかけると、
「待てるか?」
静かに声が返って来た。
低い声音の言葉の意味を解釈できず、私は目をまたたかせる。
阿久津さんは少し間を置いて、また口を開いた。
「突き進んでいる間は、人間、熱心でいられるもんだ」
阿久津さんが、心持ち、歩く速度を上げた。無意識かもしれない。私はどうにか、ついていく。
「立ち止まったとき、空白になったとき、その熱心さを保っていられるか……」
「で、でも!」
私は追いすがりながら、口を挟んだ。
「鉄は熱いうちに打て、って言うじゃないですか!」
阿久津さんはそこでようやく、自分の歩みが速くなっていたことに気づいたらしい。あ、という顔をしてペースを緩めた。
「まあ、それは若い奴の台詞だな」
阿久津さんは笑った。苦笑ではなかったけれど、それはどこか切ない笑顔だった。
私は言い返そうとして、言葉が見つからず黙った。
「……阿久津さんは、空白になったとき、誰を思い出すんですか?」
聞きながら、聞きたくない、と思った。
さらりとした黒いボブショート。年相応でありながら若々しく光る瞳。爽やかで愛嬌のある笑顔。
アヤノさん、ですか?
決定的な問いは、口にできず飲み込んだ。
阿久津さんは前を向いたまま笑っている。
「どうだろうなぁ」
癖、みたいなものだ。
私が阿久津さんを思い出すのは。この二ヶ月で、癖みたいになってしまった。
阿久津さんが、いつから惹かれたか分からないけれど、もしかしたらそれも、癖みたいなものかもしれない。
楽しいとき、辛いとき、綺麗なものを見たとき、美味しいものを食べたとき、想う人。
でもその癖は、私よりも長く続けられて、習慣みたいになっているだろう。習慣は彼の一部になってしまって、彼自身からすぐに切り離せないだろう。
「待てますよ」
私は俯いて言った。本当はちゃんと、彼の目を見て言いたかったのに、そうできない自分が悔しかった。
「阿久津さんが、ふっ切れるまで、待ちます」
顔を上げられない代わりに、声を大きくした。阿久津さんは軽く声を出して笑った。私の方を見ずにいるのは、気遣いかもしれない。
「どうだろうな」
さっきと同じ言葉を、阿久津さんは口にした。
期待していない口ぶりに文句を言おうとしたけど、その横顔を見て、やめた。
待てますよ。
待ちます。
きっと。
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