爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい!

松田丹子(まつだにこ)

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第五章 押せ押せ織姫と腰の引けた彦星(ヒメ視点)

03 優しく切ないモーニング

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「阿久津さん。せめて、モーニングして行きましょうよぅ」
 駅前のカフェからの香りにぐぅとお腹が鳴って、私は阿久津さんの袖を引いた。
 阿久津さんはちらりと横目で私を見て、少し目をさ迷わせる。
「お、おごりますから。お腹空いちゃいました」
 私が困った顔でお腹を押さえると、阿久津さんは笑った。
「夜、あんまり食ってなかったもんな」
 言って、カフェに入って行く。
 その半歩後ろを追いかけながら、私は不思議な気持ちになった。
 ああ、なんか。
 すっかり、普通に接してくれている。
 警戒していた頃が嘘みたいなやりとりに、ほっとした。
 私はパイとカフェオレ、阿久津さんはパンとコーヒーのセットを頼み、席に座った。
 ワイシャツの腕をまくった阿久津さんは、衿元のボタンを二つ外している。9月はまだクールビズなのだろうか。ネクタイもジャケットもないが、そこまで崩している姿を初めて見るのでドキドキする。
「早く着替えたくねぇの? 俺、自分が汗くさい」
「えっ。あっ。そうかも」
 私は自分の服の臭いを嗅いでみて、眉を寄せた。
「わ、私臭いですか?」
「知らねぇよ。テーブル越しに香って来たら相当だろ」
 阿久津さんはまたしても呆れている。
 私はそれもそうだと思いつつ、一応、
「阿久津さんの臭いも分かりませんよ」
「だからそんな臭かったら公害だろ」
 心底嫌そうに言ったとき、お店の人がモーニングセットを運んで来てくれた。
 ほわりと漂う食べ物の香りに、ほにゃんと表情が和らぐ。阿久津さんは私の顔を見ながら、黙ってコーヒーを口にした。
 はぁ。阿久津さんってば、ブラックコーヒーが似合う。似合いすぎる。素敵。
 その苦くて黒い飲み物の美味しさは、私はまだ分からない。でもいつか一緒に楽しみたいな、と自分の手元のカフェオレを引き寄せる。
「お前、怒ることとか、ないの?」
「え?」
 私はパイに伸ばしかけた手を止めて、阿久津さんを見上げた。
 阿久津さんはコーヒーを手にしたまま、静かに私を見ている。
「いっつもご機嫌に見えるからさ。怒ったりしねぇのかなと思って」
「しない訳じゃないですけど……」
 私は首を傾げた。
 怒ったこと、がない訳じゃない。けど、何で怒ったか、よく覚えていない。
「あんまり持続しないたちで」
「怒りが?」
「はい。怒りっていうか……悲しいのも、かも」
 言ってから、ふと言葉を止めて阿久津さんを見やった。
「阿久津さんは、結構、長引くたちなんですか?」
「怒りが? 悲しみが?」
「……どっちも」
 阿久津さんは口の端を引き上げた。自嘲気味な笑みで、ふ、と息を吐く。
「そうかもな」
 呟いて、またカップに口をつける。
 二人の間に沈黙がおりた。
 私も阿久津さんも、黙って、飲み物と食べ物を口にする。あんまり食べるのが早くない私が半分も食べない内に、阿久津さんは食事を終えていた。
 それでも、コーヒーを片手にじっと待ってくれている。
 不思議な人だなぁ。
 優しい人だなぁ。
 阿久津さんは、口先ではいろいろ言いながら、結局黙って待っていてくれる。
 知れば知るほど、彼の側にいたくなる。
 もっと、知りたくなる。
 不意に、喉がつまった感じがした。
 パイをうまく飲み込めなくて、ごほごほむせる。阿久津さんが少し眉を寄せて、大丈夫か、と聞いてくる。私はこくこくと頷いて、カフェオレで流し込んだ。
「長引かないなら、いいな」
 阿久津さんは独り言みたいに言った。
 その言葉が私の話だと気づき、目を上げる。
 阿久津さんは手元のカップに視線を落としていた。
「何もなければ、俺のこともすぐ忘れそうだし」
 私は動きを止めて、じいっと、阿久津さんの顔を見つめる。
 阿久津さんはそれに気づいているだろうに、全然私の方を見ようともしない。
「あのぅ、阿久津さん」
 阿久津さんが何も言わないので、私は少し唇を尖らせて切り出した。
「それ、さっきの、待てるか、云々の話と繋がってますか?」
 阿久津さんはようやく、意地の悪い顔で私の方へ目を向けた。
「繋がってないと思うか?」
「思いません」
「だよな。そこまで馬鹿じゃなくてよかった」
 阿久津さんが笑って、私は頬を膨らませる。
「忘れません」
 言って、最後の一口になったパイを、口の中に押し込んだ。ちょっと大きめだったから、ほっぺたが膨らんで、もぐもぐする。
 その顔を見て阿久津さんが噴き出した。
「リスか」
 私はまた唇を尖らせる。阿久津さんは楽しげに笑っている。
「まあ、小動物系だよな。犬猫っていうよりも」
 私はようやく、もぐもぐごっくんを終えた。
「私が何に似てるかなんてどうでもいいんですっ。さっきの話、ごまかさないでください。忘れるわけ、ないじゃないですか。私、初めて自分から、す……好きになったんですから」
 さすがに恥ずかしくて、語尾がだんだん小さくなる。と同時に、顔もするすると下方に向く。
 阿久津さんは小さく嘆息すると、腕組みをして椅子の背に上体を預けた。
「好き、ねぇ」
 私は目を上げる。阿久津さんは笑って、自分の口の端を親指で触れる。
「口のとこ、ソースついてるぞ」
 途端に私の顔が赤くなる。机の上の紙ナプキンを手にして口を押さえた。阿久津さんはまた軽やかに笑う。
「さて、帰るか」
「えっ」
 腰を浮かした阿久津さんを見て慌てる。しばらく阿久津さんが手にしていたコップには、何も入っていなかった。
 いつの間に飲み終わっていたんだろう。
「あ、阿久津さんってば。さっきの話」
 とっさにシャツの裾を掴んだ私を、阿久津さんは小馬鹿にしたような目で見下ろしてきた。
「さっきの話って?」
「え、あ、あの」
「これからの話ってこと?」
「ええと、まあ、そ、そうです」
 阿久津さんは耳の後ろを掻いた。何か言おうとして、やめる。
「あの……」
「やめといた方がいいと思うけどなぁ」
 阿久津さんは嘆息した。
「待つも、進むも。俺にも出口が分からないんだ、お前がそれをどうこうできる話じゃないだろ」
「出口……」
 人を想うこと。
 それを、やめること。
「お前、いくつだっけ」
「に、二十五です」
「そのくらいだと、一日一日、一ヶ月一ヶ月、大切にした方がいいんじゃないの。俺みたいなのに関わって過ごすよりも」
「ま、また、そういうことを」
「人生の先輩としての助言だよ」
 力みも何もなく返されて、私は黙った。
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