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第七章 織り姫危機一髪。(ヒメ/阿久津交互)
11 自暴自棄
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阿久津さんの電話に出た女に通話を切られた後、私は茫然自失の状態で、ふらふらと夜の街をさ迷い歩く。
もしかしたら周辺を歩いていれば阿久津さんが見つかるかもしれない。そんな馬鹿げた期待に、うつろに目をさ迷わせた。
昼には無機質なオフィス街なのに、夜になると居酒屋やレストランからオレンジ色の明かりが道に漏れている。店からは賑やかな喧騒が聞こえた。休日前の開放感に浸る大人たちが楽しく飲み食いしているのだろう。
道行く人ごみは先ほどよりもマシになったが、気をつけなければぶつかりそうなのは相変わらずだ。ふらふらと歩き、ぶつかりそうになっては迷惑そうな視線を向けられる。
私はどこに向かってるんだろう。どこに行けばいいんだろう。
思いながらふらふらと、人通りの少ない方へと歩いて行く。
気付けばホテルが連なる通りに出ていた。
もしかしたら、阿久津さんが入る前に、阻止できるかもしれない。
思うけれど、でも、相手が阿久津さんの望む人だったら?
私とは違う、長年のつき合いのある人。きっと、私よりももっと、阿久津さんのことを知っている。阿久津さんも、彼女のことを知っているのだろう。
私を目の前にしながらホテルに女性と入っていく姿を見るのが、一番辛い気がした。引き止めて、鼻で笑われたら。目の前で濃厚なキスでもされたら。
そしたら、私はきっともう立ち直れない。
迷いは足の運びに出て、後ろから人にぶつかられ、舌打ちされた。ゆるゆると壁際に寄り、うつむく。
泣きそうだ。
ようやく止まった涙がまたこみ上げる。
泣いてすっきりするならいいけど、こればっかりはそうも行かなそうだった。
怒りも悲しみも持続しない。
阿久津さんにそう言ったのを思い出す。
でも本当だろうか。今までたまたま、本気になったものがなかっただけなのかもしれない。
本気で手に入れたいと思ったもの。失いたくないと思ったもの。傷つけられたくないと、思ったもの。
「お姉ちゃん、どうしたの? 気分悪い?」
目つきの悪い男が二人、私に近づいてきた。
スーツを着ていないところを見ると、学生だろうか。
「彼氏にフラれでもした? 悲しそうな顔してるね」
私は目を上げ、二人を順に見た。一見して阿久津さんより細い。背は少し低いくらいか。でも何より、態度が軽い。
「……そんなとこ」
答えながら、私はぼんやり思い出していた。
阿久津さんが私に投げつけた言葉を。
俺は困ってる人を進んで助けるようなお人よしでもなければ、女を庇って身を投げ打つようなヒーローでもないぜ。二股三股かけたこともあるし、一晩だけの関係で処女奪ったこともあるーー
いっそ、その女になりたかった。
それを口にしているときの阿久津さんの表情は、自己嫌悪に満ちていた。
きっと忘れていないのだろう。今まで抱いたどの女も。今まで傷つけたどの女も。だって、一番傷ついていたのは、きっと彼自身だから。
「じゃあ、俺たちと気分転換しようよ。彼のことなんて忘れてさ」
男は私の肩を抱いた。不思議と、嫌悪感はない。
「ほんと? 忘れさせてくれる?」
微笑んで言うと、男は楽しげに声を上げた。
「いいねぇ。そう来なくっちゃ」
私は男二人に挟まれて歩きながら、自分を嫌悪する。
食事を済ませたか聞かれて、食べたと嘘をついた。とても食べられそうになかったし、男たちと必要以上に仲良くなる気はなかった。
一夜だけの関係を楽しめるような女になれば、阿久津さんに近づけるかな。
思いながら、男たちについていく。
不意に母の顔が浮かんだ。
大切に育ててもらった身体を、私は今、投げやろうとしている。
馬鹿みたいで笑えてきた。
「ここでいい?」
男たちは安っぽいホテルを示した。私はそのどぎついネオンライトの電光看板に目を向け、男たちの顔を順に見た。
ぎらつくネオンライトの明かりは、男たちの顔を青く、赤く、黄色く照らし出す。軽薄な笑顔は気違いじみて見えた。とたんに、嫌悪感と恐怖心が身体を包む。
「あれ? どうしたの?」
急に立ちすくんだ私を、男たちが怪訝そうに見ていた。
駄目だ。やっぱり駄目だ。逃げよう。逃げないと。
どうやって?
頭の中では警報が鳴り響くばかりで、逃れる方法は浮かばない。自分の馬鹿さ加減に腹が立った。
いつだってそうだ。いつだって澤田ヒメは、自己都合でわがままで、そのくせ自分のしでかしたことへの尻拭いもできない。子どもなのは見た目だけじゃない、中身だってそうだ。いつまでも自分の足で立つことができない、私はいつだって、無知で無力な子どもだ。
そんな自分が、嫌になる。
「お姉ちゃん、泣かない泣かない。優しく慰めてあげるから」
男が肩に触れた。そのべたつく温もりに悪寒が走る。
「さわ、らないで」
声はみっともなく震えてかすれ、小さくてきっと男に届かなかっただろうけど、身じろぎで拒否していることは伝わったらしい。男たちは目配せをして、舌打ちをした。
「なんだよ、ここまで来て怖じけづいたの? ガキみたいな見た目だと思ったけど、中身もガキなのな」
「まあそう言うなよ。ね、お姉ちゃん。あんまり深く考えないでさ、ちょっと楽しんでみようよ。後悔させないって。気持ち良くなれば、彼氏だって他の男だって同じだろ?」
それを同じと言えるこの男たちに触れて欲しくない。伸ばされた手を振り払い。かぶりを振る。身体は震えに震えて、膝も顎もがくがくして、頭の中も真っ白だったけど、男たちへの嫌悪感だけが身体を動かしていた。
「やだ。私は」
「めんどくせぇなぁ」
男は一歩私に近づき、道行く人の死角で、溝落ちに拳を叩き込んだ。私は一瞬息を止め、ゴホゴホとむせる。
「ね、言うこと聞いておいた方がいいと思うなぁ。俺、あんまり気が長い方じゃないから。大丈夫、長いの嫌なら、サクッと終わらせるよ。身体だけ貸してくれればいいからさ」
据わった目のまま笑った男が、私の顔を覗き込んで来る。私はそれをにらみ返すこともできず、懇願するような目になったことを自覚しながら、他にどうともできなかった。
男が歪んだ笑顔を浮かべる。
「いいねぇ、その顔。そそるわ」
言いながら、脇に手を差し込むふりをして、胸に触れた。
ぞわ、と悪寒が身体中を走る。
「ひ、ヒメちゃん!」
聞き覚えのある声に、私は硬直した身体をぴくりと震わせた。
顔だけ振り向くと、そこには津田ちゃんがいた。
「なんだ、お前」
「もしかして例の彼氏ィ?」
男たちは津田ちゃんを睨みつける。津田ちゃんは私から見ても怯えていた。そりゃそうだよ、津田ちゃんは優しいんだもの。喧嘩だって中傷だって嫌がる男の子なんだもの。
巻き込んじゃいけない。怪我でもさせたら。
思った私は、とっさに私は頭を振る。
「ち、違う。彼氏じゃない。関係ない!」
「関係ないそうだぞ」
「そ、そんな。ヒメちゃん」
「るせぇなぁ、さっさと行けよ。それとも何、一緒に混ざってく?」
男は下品な動作でホテルを指差した。もう一人の男が笑う。けらけらとあがる笑い声が不愉快なのに怖くて震えが止まらず、そんな自分に嫌気がさして絶望した、そのときだった。
「お前、こんなとこで何やってんの?」
低いーー唸るような、牽制するような声が、私の耳に届いた。
私は握りしめていた鞄を落とし、声の方を見やる。
そこには、片腕を女に預けたまま、あきれた顔で立つ阿久津さんがいた。
もしかしたら周辺を歩いていれば阿久津さんが見つかるかもしれない。そんな馬鹿げた期待に、うつろに目をさ迷わせた。
昼には無機質なオフィス街なのに、夜になると居酒屋やレストランからオレンジ色の明かりが道に漏れている。店からは賑やかな喧騒が聞こえた。休日前の開放感に浸る大人たちが楽しく飲み食いしているのだろう。
道行く人ごみは先ほどよりもマシになったが、気をつけなければぶつかりそうなのは相変わらずだ。ふらふらと歩き、ぶつかりそうになっては迷惑そうな視線を向けられる。
私はどこに向かってるんだろう。どこに行けばいいんだろう。
思いながらふらふらと、人通りの少ない方へと歩いて行く。
気付けばホテルが連なる通りに出ていた。
もしかしたら、阿久津さんが入る前に、阻止できるかもしれない。
思うけれど、でも、相手が阿久津さんの望む人だったら?
私とは違う、長年のつき合いのある人。きっと、私よりももっと、阿久津さんのことを知っている。阿久津さんも、彼女のことを知っているのだろう。
私を目の前にしながらホテルに女性と入っていく姿を見るのが、一番辛い気がした。引き止めて、鼻で笑われたら。目の前で濃厚なキスでもされたら。
そしたら、私はきっともう立ち直れない。
迷いは足の運びに出て、後ろから人にぶつかられ、舌打ちされた。ゆるゆると壁際に寄り、うつむく。
泣きそうだ。
ようやく止まった涙がまたこみ上げる。
泣いてすっきりするならいいけど、こればっかりはそうも行かなそうだった。
怒りも悲しみも持続しない。
阿久津さんにそう言ったのを思い出す。
でも本当だろうか。今までたまたま、本気になったものがなかっただけなのかもしれない。
本気で手に入れたいと思ったもの。失いたくないと思ったもの。傷つけられたくないと、思ったもの。
「お姉ちゃん、どうしたの? 気分悪い?」
目つきの悪い男が二人、私に近づいてきた。
スーツを着ていないところを見ると、学生だろうか。
「彼氏にフラれでもした? 悲しそうな顔してるね」
私は目を上げ、二人を順に見た。一見して阿久津さんより細い。背は少し低いくらいか。でも何より、態度が軽い。
「……そんなとこ」
答えながら、私はぼんやり思い出していた。
阿久津さんが私に投げつけた言葉を。
俺は困ってる人を進んで助けるようなお人よしでもなければ、女を庇って身を投げ打つようなヒーローでもないぜ。二股三股かけたこともあるし、一晩だけの関係で処女奪ったこともあるーー
いっそ、その女になりたかった。
それを口にしているときの阿久津さんの表情は、自己嫌悪に満ちていた。
きっと忘れていないのだろう。今まで抱いたどの女も。今まで傷つけたどの女も。だって、一番傷ついていたのは、きっと彼自身だから。
「じゃあ、俺たちと気分転換しようよ。彼のことなんて忘れてさ」
男は私の肩を抱いた。不思議と、嫌悪感はない。
「ほんと? 忘れさせてくれる?」
微笑んで言うと、男は楽しげに声を上げた。
「いいねぇ。そう来なくっちゃ」
私は男二人に挟まれて歩きながら、自分を嫌悪する。
食事を済ませたか聞かれて、食べたと嘘をついた。とても食べられそうになかったし、男たちと必要以上に仲良くなる気はなかった。
一夜だけの関係を楽しめるような女になれば、阿久津さんに近づけるかな。
思いながら、男たちについていく。
不意に母の顔が浮かんだ。
大切に育ててもらった身体を、私は今、投げやろうとしている。
馬鹿みたいで笑えてきた。
「ここでいい?」
男たちは安っぽいホテルを示した。私はそのどぎついネオンライトの電光看板に目を向け、男たちの顔を順に見た。
ぎらつくネオンライトの明かりは、男たちの顔を青く、赤く、黄色く照らし出す。軽薄な笑顔は気違いじみて見えた。とたんに、嫌悪感と恐怖心が身体を包む。
「あれ? どうしたの?」
急に立ちすくんだ私を、男たちが怪訝そうに見ていた。
駄目だ。やっぱり駄目だ。逃げよう。逃げないと。
どうやって?
頭の中では警報が鳴り響くばかりで、逃れる方法は浮かばない。自分の馬鹿さ加減に腹が立った。
いつだってそうだ。いつだって澤田ヒメは、自己都合でわがままで、そのくせ自分のしでかしたことへの尻拭いもできない。子どもなのは見た目だけじゃない、中身だってそうだ。いつまでも自分の足で立つことができない、私はいつだって、無知で無力な子どもだ。
そんな自分が、嫌になる。
「お姉ちゃん、泣かない泣かない。優しく慰めてあげるから」
男が肩に触れた。そのべたつく温もりに悪寒が走る。
「さわ、らないで」
声はみっともなく震えてかすれ、小さくてきっと男に届かなかっただろうけど、身じろぎで拒否していることは伝わったらしい。男たちは目配せをして、舌打ちをした。
「なんだよ、ここまで来て怖じけづいたの? ガキみたいな見た目だと思ったけど、中身もガキなのな」
「まあそう言うなよ。ね、お姉ちゃん。あんまり深く考えないでさ、ちょっと楽しんでみようよ。後悔させないって。気持ち良くなれば、彼氏だって他の男だって同じだろ?」
それを同じと言えるこの男たちに触れて欲しくない。伸ばされた手を振り払い。かぶりを振る。身体は震えに震えて、膝も顎もがくがくして、頭の中も真っ白だったけど、男たちへの嫌悪感だけが身体を動かしていた。
「やだ。私は」
「めんどくせぇなぁ」
男は一歩私に近づき、道行く人の死角で、溝落ちに拳を叩き込んだ。私は一瞬息を止め、ゴホゴホとむせる。
「ね、言うこと聞いておいた方がいいと思うなぁ。俺、あんまり気が長い方じゃないから。大丈夫、長いの嫌なら、サクッと終わらせるよ。身体だけ貸してくれればいいからさ」
据わった目のまま笑った男が、私の顔を覗き込んで来る。私はそれをにらみ返すこともできず、懇願するような目になったことを自覚しながら、他にどうともできなかった。
男が歪んだ笑顔を浮かべる。
「いいねぇ、その顔。そそるわ」
言いながら、脇に手を差し込むふりをして、胸に触れた。
ぞわ、と悪寒が身体中を走る。
「ひ、ヒメちゃん!」
聞き覚えのある声に、私は硬直した身体をぴくりと震わせた。
顔だけ振り向くと、そこには津田ちゃんがいた。
「なんだ、お前」
「もしかして例の彼氏ィ?」
男たちは津田ちゃんを睨みつける。津田ちゃんは私から見ても怯えていた。そりゃそうだよ、津田ちゃんは優しいんだもの。喧嘩だって中傷だって嫌がる男の子なんだもの。
巻き込んじゃいけない。怪我でもさせたら。
思った私は、とっさに私は頭を振る。
「ち、違う。彼氏じゃない。関係ない!」
「関係ないそうだぞ」
「そ、そんな。ヒメちゃん」
「るせぇなぁ、さっさと行けよ。それとも何、一緒に混ざってく?」
男は下品な動作でホテルを指差した。もう一人の男が笑う。けらけらとあがる笑い声が不愉快なのに怖くて震えが止まらず、そんな自分に嫌気がさして絶望した、そのときだった。
「お前、こんなとこで何やってんの?」
低いーー唸るような、牽制するような声が、私の耳に届いた。
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