爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい!

松田丹子(まつだにこ)

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第八章 天の川の渡り方(ヒメ/阿久津交互)

07 夜の太陽

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 来週、阿久津さんとまた会おう。
 そう決めた私は、翌土曜日、大変晴れやかな気分で静岡へと向かった。
 ソラちゃんは浜松市の出身で、結婚式も浜松で行われる。結婚式は14時からだ。昼食前に浜松につき、一息入れてから向かうつもりだった。
 浜松の駅に降り立つと、改札の中にピアノを見つけた。
 スケルトンのピアノを、子どもが興味深そうに見ていて、母親らしき人が鍵盤を押していた。
 その度に、焦げ茶色のハンマーが弦を叩き、ぽぉん、ぽぉんと音を立てる。
 私も思わず、その動きをよく見ようと近寄った。
 ぽぉん、ぽぉん。
 子どもも母親の真似をして、鍵盤を指先で押す。
 かと思えば、目をきらきらと輝かせて、乱暴にたたいた。
 ばぁあん。
「こら、乱暴にしないのっ」
 慌てた母親が手を押さえると、子どもはけらけらと笑って駆け出した。
「あ、こらっ」
 子どもは母親の姿を気にしながら、おちょくるように走っていく。駅は人も多い。私は少し心配になってその姿を追う。
「待ちなさい! 前見て、ぶつかる!」
 母親は慌てて子どもを捕まえようするが、前を見ずに走っていた子どもは男性にぶつかった。
「わ」
「おっと」
「あっ」
 慌てて駆け寄った母親が、男性に頭を下げた。
「す、すみません……」
「いえ、大丈夫です。君も大丈夫?」
 男性に聞かれて、子どもが頷いた。
 親子は男性に頭を下げつつ、改札へと向かう。
 それを穏やかな表情で見送る男性は、津田ちゃんだった。
 私はその様子を見てから、目を反らす。
 津田ちゃんは私に気づいていたらしい。何事もなかったかのように、私に近づいてきた。
「ピアノだね」
 いきなり言われて、私は頷く。
 津田ちゃんはスケルトンのピアノの鍵盤を、指先でたたいた。
 ぽぉん、ぽぉんとハンマーが弦をたたく。
「ヒメちゃん、ピアノ習ってなかったっけ」
「うん……」
 習っていたが、ずいぶん前の話だ。高校受験のときにやめてしまった。
「弾かないの?」
 問われて、私はおずおずと鍵盤に近づく。
 キャリーバッグを椅子の横に置き、両手を鍵盤に添えた。
 一音、二音、弾いてみて、久々の感覚がちょっと嬉しくなる。
 エリーゼのために、の最初のフレーズを弾いてみたけど、全然弾けなかった。悔しくなって椅子に浅く腰掛け、ペダルを軽く踏む。
 何小節分か弾いてみたけど、どうしても同じところで手が止まった。すっかり忘れてしまっている。
 私は唇を尖らせた。
「悔しい」
「あはは。うん」
 津田ちゃんは穏やかに微笑んだままだ。
 私も自然と微笑んだ。
「津田ちゃん」
「うん?」
「私、津田ちゃんとは付き合えない」
 津田ちゃんが息を飲んだ。
 私はその顔を見る勇気がなくて、ピアノをぽぉん、ぽぉんと奏でる。
 そういえば、自分の子どもと連弾するのが夢だった。と、思い出した。
 子どもと一緒にピアノの前に座る自分を想像して、口の端を引き上げる。
 その隣にーー阿久津さんがいれば、いいなと思った。
「……そう」
 津田ちゃんは短く言った。私は頷く。
 訪れた沈黙の合間に、私はなおも数音、ピアノを鳴らした。

 私たちは一度駅で別れ、また結婚式場で合流することにした。
 ソラちゃんはとっても綺麗で、ウェディングドレスの後、お色直しでカラードレスに着替えた。
 カラードレスは薄いブルーと白のオーガンジーを組み合わせていて、彼女の名前のとおり、空の色だった。
 ソラちゃんのご両親にも初めてお目にかかって、挨拶して、ソラちゃんにもおめでとうって抱き着いて、ソラちゃんはちょっと涙ぐんでて、すごくすごく、素敵な結婚式だった。
 新木くんが私と津田ちゃんの様子を気にかけていたけど、私は一緒に卓を囲んだソラちゃんの高校時代のお友達と話していたから、ほとんど隣に座った津田ちゃんとは話さなかった。
 津田ちゃんはそんな私を、ちらちら気にしていた。

「いい式だったね」
 式場から駅までの送迎バスに乗りながら、津田ちゃんが言った。
 私は微笑んで頷く。
 津田ちゃんは自然と私の隣に座ったが、新木くんは少し遅れて乗ったから、離れた席になった。
 それを目で確認しながら、静かに息を吐き出す。
 バスは走り始めた。
 車なら、駅までは十分そこそこだ。
 その間も、津田ちゃんが言葉を探しているのを感じていた。
 私はそれを聞きたくなくて、黙って窓の外を見ている。
「そのワンピース、似合ってるね。髪型も」
 言われて、私はちらりと津田ちゃんを見る。
 ワンピースはピンク色にした。自分が好きな色でもあるし、きっとソラちゃんは着ないだろうと思ったからだ。
 髪は式場でセットしてもらったもので、三つ編みにして、冠のように頭をぐるりと囲う形だった。いつも顔の周りに漂っている髪がまとめてあるので楽でもある。
「ありがとう」
 私は答えて、またバスの外を見た。
 浜松は車社会なのだろう。道路は広くて交通量も多い。街並は都会的ですっきりしていた。
 津田ちゃんは私の横顔を見ながら、何も言わずに黙っていた。

 駅に着くと、新木くんが手を振って言った。
「じゃ、ここで。俺、直帰なんだわ」
「え、そうなの?」
 時間はもう七時になるが、確かに関東までなら帰れないこともない。新木くんは神奈川県内だから、新幹線に乗ってしまえば二、三時間で帰れるだろう。
「じゃ、また」
 言いながら、新木くんは津田ちゃんに目配せした。きっと首尾を報告しろというのだろう。私はそれを苦笑しながら見ていた。

 新木くんと別れると、私はホテルに向かって歩き出した。津田ちゃんも続く。
「ホテル、どこなの?」
「ええと……ここ」
 土地勘もない上に、地図を読むのが苦手な私だ。説明もできずスマホを渡すと、津田ちゃんはふぅんと言った。
「一緒に行くよ」
 私が伺うような視線を送ると、苦笑が返ってきた。
「だって、この前みたいなことになったら、大変だから」
 そう言われては断れない。私はスマホを津田ちゃんに預けたまま歩き出した。
「……話しても、いいかな」
 隣を歩きながらぽつりと言われて、私は横目で津田ちゃんを見た。
 否定も肯定もしないまま、連れ立っていく。
「俺と付き合えないのは、分かった。ーーで、あの人と付き合うの?」
 私は足元を見ながら歩いた。やっぱり否定も肯定もしない。
「俺、ヒメちゃんには幸せになってほしい。何て言うか……あの人が、ヒメちゃんを幸せにしてくれるような、イメージがわかない」
 私は立ち止まった。津田ちゃんも一歩前で立ち止まる。
「つりあうとか、つりあわないとかじゃなくて。ヒメちゃん、本当にあの人といると楽しい? 今日、駅で見かけたとき、なんだかーーいつものヒメちゃんじゃなくて、この前もそうだったけど……何となく、元気がないっていうか、うまく言えないけど」
 津田ちゃんは懸命に言葉を探しているようだった。
「ヒメちゃんは、太陽みたいに、ぱっと明るいのがいいと思う。あの人からは、昼の感じがしない」
「それは、夜に会ったからじゃないの」
「それもあるだろうけど、でも、それだけじゃないと思う」
 津田ちゃんは珍しく、食い下がった。
「俺を選んでほしいわけじゃない。あの人とヒメちゃんといい関係になれるような気がしないんだ。あの人が悪い訳じゃなくて、ヒメちゃんに何かが足りないわけでもなくてーー」
「もういい」
 津田ちゃんの言葉を遮る。
「津田ちゃんには分からないよ。阿久津さんの素敵なところも、私のドロドロしたところも」
 口を開いたら、何かスイッチが入ったように溢れ始めた。
「いつもみたいに笑えないのは、阿久津さんのことだけじゃない。津田ちゃんがあんなタイミングであんなこと言うからだよ。私、ソラちゃんの結婚式だって楽しみにできなかった。浜松、初めて来るのに。ソラちゃんのご家族、初めて会うのに。わくわくしながら待ちたかったのに、津田ちゃんに返事すること考えたら気が重くて、今日が来るのがすごく嫌だった。津田ちゃんのこと、ひどいって思った。腹が立った」
 私は言って、顔を上げた。涙で視界が歪んでたけど、津田ちゃんの困惑した顔は見て取れた。
「馬鹿みたいでしょ。子どもみたいでしょ。自分勝手で、わがままで、浅はかで……でもそれが私なの。阿久津さんと私がどうなるかは分かんない。でも私は阿久津さんが好きだし、一方で津田ちゃんと一緒にいる将来は想像できない。津田ちゃんは私にはーー優しすぎる」
 言い切って、うつむいた。涙が頬を伝った。
 今、私は傷つけている。その優しい優しい津田ちゃんを、傷つけている。
 それでも言葉は止まらない。溢れた想いが口をついて出る。
「私は阿久津さんが好きなの。阿久津さんといたいの。津田ちゃんにそれをどうこう、言われたくない。津田ちゃんだけじゃない、誰にも言われたくない。歳の差なんて関係ない。最初は一目惚れだったけど、今は違うもん。不器用なところも、優しいところも知って、それで好きだって思うんだもん。こんなの私だって初めてだけど、もし、今の私が太陽みたいになれるなら、それは阿久津さんがいてくれるときだもん。私はどうせなら、阿久津さんにとっての太陽になりたい」
 一気に言ってから、私はゆっくりと、息を吐き出した。
 顔を上げる。
「……帰る」
「は?」
「阿久津さんのこと考えてたら、会いたくなったから、帰る」
「えっ?」
 私は津田ちゃんの手からスマホを取り上げ、キャリーバッグをがらがら言わせながら駅に向かって引き返し始めた。
「で、でも、ホテルは?」
「キャンセルする。もう決めたの。阿久津さんのいる関東に帰る」
「ひ、ヒメちゃん?」
「じゃあね、津田ちゃん」
 私はまっすぐに津田ちゃんの目を見た。もう涙は乾いている。
「いい人、いるといいね」
 そのときの私の笑顔は、いつも通りだったと思う。
 唖然としている津田ちゃんを置いて、私は新幹線の改札口へ向かった。
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