爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい!

松田丹子(まつだにこ)

文字の大きさ
109 / 114
第十三章 マイスイートホーム(ヒメ視点)

05 アクシデント

しおりを挟む
 ある夜、光彦さんに電話がかかってきた。
『グーテンターク!』
「うるっせぇ! アキ、酔ってんのか?」
『なーに言ってんですかぁ。そっちが夜でもこっちはまだ午後一時ですよぉ。ランチのビール一杯しか飲んでませんって』
 にぎやかなアルトの声が軽快に笑った。通話は隣にいる私にもはっきり聞こえて、光彦さんは思わずスマホを少し離して持っている。
『いやぁそれにしても、もっと早く連絡くださいよー。予定入ってたらどうしてくれたんですか、一生呪ったところですよー』
「……予定が入ってることを祈りながら送ったんだがな」
 会話から、ああ、これが結婚式に呼ぼうという例の後輩かと思い当たる。
『まったまたー、つれないこと言っちゃってー。私がいないと寂しいくせに。あっ、寂しくて泣いてませんか? 会社でこっそり泣いてたり』
「するわけあるか! もう切るぞ!」
「……光彦さん、私お風呂、入ってくるね」
 こっそり言ったつもりだったけど、向こうにも声が聞こえてしまったらしい。一瞬の沈黙の後、げらげらと笑い声が返って来る。
『み、みつ、光彦さ……』
「おいこらアキ、笑いすぎだ。窒息するぞ」
『ってーかあれですか、もしかして先に同棲しちゃってるんですか? 未成年にすら見える、抱き潰しそうで怖いって言ってた子でしょ』
 光彦さんが渋面になった。私は聞かないふりで風呂場へと向かう。
「アキ、失礼だぞ」
『え? え? もしかして彼女に聞こえてた?』
「……お前なぁ、その音量で話しておいて、何言ってんだ」
 会話はとめどなく流れていく。私との会話よりも軽やかに、光彦さんは憎まれ口をたたき、彼女は笑い、ときどきつられて光彦さんも笑った。
 脱衣所からも、その気配は伝わった。光彦さんは邪険に扱っているようで、その実彼女を信頼しているのがわかる。私よりも、断然長い時間を共に過ごした人。
 思わず左手のプラチナリングを見る。お風呂のときには怖くて外している婚約指輪。キラキラと、まっすぐに光を反射してくる石の輝きは、光彦さんの愛の証ーーのはず。
 ドキドキと動悸は高鳴って、なかなか落ち着かない。泣きそうになっている自分に気づいた。
 嫉妬、だろうか。わからない。わからないけど、その楽しそうな会話の気配を感じていたくなくて、急いで服を脱いだ。
 袖がリングに引っ掛かり、するりと指輪が抜ける。はっとしたときにはすでに遅く、カツンとどこかに落ちる音がした。
 下着だけを身にまとったまま、私は左手の薬指を見る。
 あっけなく私から離れてしまった指輪。
 ーーどこ?
 血の気が引いて寒さすら感じる。服を振ったけど、ない。カツンと音がしたのだから、服にからまっていることはないだろうと思い直す。乱暴に服を放り、まずは排水溝の中を確認する。ない。
 ほっとしたいところだけれど、それもためらわれた。ほとんど可能性はないけれど、指輪は排水溝の荒い網目をぎりぎり通過しそうな大きさだ。自分の指の細さに苛立つ。
 床に四つ這いになって、角から順に落ちていないか探す。平坦な床ならキラリと光ってすぐにわかりそうなものだが、見つからない。
 乱暴に放った服を引き上げて、その下も探す。ない。
 この頃になると泣きそうだった。泣いてしまおうか、とも思った。ドアを隔てた隣の部屋では、まだ彼女と光彦さんの楽しげな会話が続いている。一見喧嘩越しにも聞こえるけれど、それは光彦さんが心を許しているからこそだ。私にだってこんなにリラックスした憎まれ口は叩かない。口にすることはあっても、途中ではっとして、反省したような苦いような顔をするのだ。それなのに、彼女はそれを、平気で受け流し、軽口で返している。
 指輪がスマホのように、着信を受けて鳴ってくれたら。自分はここにいると、主張してくれたら。そしたらすぐにわかるのに。こんなにせまい場所なのに、どこに行っちゃったの。
 焦れば焦るほど、目が潤んで来る。婚約までして、同棲までして、もうすぐに彼の妻になれるというのに、どうして今さら動揺するんだろう。自信がなくなるんだろう。後輩を呼んでいいかと聞かれたときにも、私は何のためらいも疑いもなく、もちろん、と笑顔で返したのに。だって、彼の大切な友達を招くのに、何の遠慮がいるだろうって、そう思ったのに。
 私は床にないらしいと踏むや、立ち上がって周囲を見渡す。洗面台の横には歯ブラシなどが入る棚があり、表は戸がしまっていてつるんとしている。窓枠を見るが、ここにもなさそうだ。
 なら、この戸棚の上?
 光彦さんなら手を伸ばせば上をさらうことができるだろうけれど、背の低い私には背伸びをしても上に届かない。悔しさに歯がみする。踏み台になるものは隣の部屋にしかないけど、光彦さんの楽しそうな話し声はまだ続いている。一通りの憎まれ口が終わったらしい会話は、普通の楽しげな会話に変わっているようだった。
 私はまた込み上げた涙に歯を食いしばって堪え、浴室を覗く。浴室用の椅子を見つけて救われた思いがした。これだ、と思って持って出て、それを踏み台代わりに棚に手を伸ばす。
 手前は届いたけれど、奥までは届かない。
 その高さだと、私は絶対に目が届くまでにはいたらないので、手探りで確認するしかない。背伸びをして、片手を洗面台へつっぱり、手を思い切り伸ばしてーー
 椅子が動いて、悲鳴をあげた。どうにか洗面台を避けて転がったけど、足首を捻って呻く。
 足元に放った服の上に、椅子が少し乗っていたのだと、転んでから気づく。
「どうした!?」
 慌てたような光彦さんの声がして、ドアが開いた。
 ダイニングからの光が、下着姿で転がる私を照らす。
『え、どうかしたんですか? 大丈夫?』
「ああ、ちょっとアキ、悪いけど切る」
『わ、わかりました。すみません。彼女によろしく』
「ああ」
 端的に通話を済ませて、光彦さんは転がったままの私に近づいてきた。
 私は情けなさに膝を抱き寄せる。
「どうしたんだよ、そんな恰好でーーこの椅子は?」
 私は涙目を見られたくなくて、抱えた膝に顔を隠し、首を左右に振った。
 光彦さんは困惑した様子で、スマホを窓枠に置き、ん? と何かを手にした。
「お前、こんなとこに指輪置いてたの? いつもそっちに入れてなかったっけ」
 きらり、と輝くのは、私が必死で探していた婚約指輪で。
 私は泣きながら、その指輪を手にしようとし、足の痛みに顔を引き攣らせた。
「な、何だよ。大丈夫か? どうしたんだ」
 私は痛めた片足に体重を乗せないようにしながら、手を差し出す。光彦さんが指輪をその手に乗せた。涙がぼろぼろあふれて止まらない。どこにあったんだろうと窓枠を見やると、光彦さんは錠前のところを示した。
「ここに引っ掛かってたけど」
 そこは彼の目線の高さだと視界に入るけれど、私の高さでは意識しないところだ。
 はぁ、と安堵の吐息が漏れる。手の甲でぐちゃぐちゃになった顔を拭って、指輪を愛おしいもののように撫でると、そっと薬指にはめなおした。
 左手の薬指に、石が輝く。
 まるでそれが私を勇気付けてくれるように感じて、少し気持ちが落ち着いた。
「……ヒメ?」
 困惑しきりの光彦さんが、私に呼びかける。
 私は目を合わせられないまま、また指輪を外し、そっと布ばりの小物入れに置いた。
「お風呂、入る」
「でも……足、痛いんだろ?」
「うん、大丈夫」
 言って、風呂場用の椅子を持ち上げ、足の位置をそのままに風呂場へと置く。
 ぴょこん、と一歩風呂場へ近づいて、振り向いた。
「入るから、出てって」
「……ヒメ」
「出てって」
 言って、ブラのホックを外す。
 光彦さんは困惑しながら、脱衣所を出て行った。
 自分で言っておきながら、出て行かれたことに腹が立つ。
 知らない、もう。
 知らない。
 光彦さんなんか、知らない。
 唇を尖らせ、頬をふくらませてみる。
 無意味な強がりに、ぼろぼろとまた涙があふれた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

叱られた冷淡御曹司は甘々御曹司へと成長する

花里 美佐
恋愛
冷淡財閥御曹司VS失業中の華道家 結婚に興味のない財閥御曹司は見合いを断り続けてきた。ある日、祖母の師匠である華道家の孫娘を紹介された。面と向かって彼の失礼な態度を指摘した彼女に興味を抱いた彼は、自分の財閥で花を活ける仕事を紹介する。 愛を知った財閥御曹司は彼女のために冷淡さをかなぐり捨て、甘く変貌していく。

ズボラ上司の甘い罠

松田丹子(まつだにこ)
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

溺婚

明日葉
恋愛
 香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。  以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。  イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。 「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。  何がどうしてこうなった?  平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松田丹子(まつだにこ)
恋愛
スパダリな父、優しい長兄、愛想のいい次兄、チャラい従兄に囲まれて、男に抱く理想が高くなってしまった女子高生、橘礼奈。 平凡な自分に見合うフツーな高校生活をエンジョイしようと…思っているはずなのに、幼い頃から抱いていた淡い想いを自覚せざるを得なくなり…… 恋愛、家族愛、友情、部活に進路…… 緩やかでほんのり甘い青春模様。 *関連作品は下記の通りです。単体でお読みいただけるようにしているつもりです(が、ひたすらキャラクターが多いのであまりオススメできません…) ★展開の都合上、礼奈の誕生日は親世代の作品と齟齬があります。一種のパラレルワールドとしてご了承いただければ幸いです。 *関連作品 『神崎くんは残念なイケメン』(香子視点) 『モテ男とデキ女の奥手な恋』(政人視点)  上記二作を読めばキャラクターは押さえられると思います。 (以降、時系列順『物狂ほしや色と情』、『期待ハズレな吉田さん、自由人な前田くん』、『さくやこの』、『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい』、『色ハくれなゐ 情ハ愛』、『初恋旅行に出かけます』)

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

貴方の子を産み育ててますが、ホッといて下さい

鳴宮鶉子
恋愛
貴方の子を産み育ててますが、ホッといて下さい

処理中です...