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.第4章 ふたりの未来

61 お買い物

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 翌朝、お店が開店する十時を目処に駅へと向かった。
 部活が始まるのが一時からだから、買い物の時間はそんなに取れない。冷静に考えればどこかを行き来する時間なんてなかったのだと、足を運びながら話をした。地元駅を選んで正解だった。
 駅前には、ショッピングモールが二カ所、駅直結で繋がっている。入っているテナントはチェーン店になるけれど、こだわらなければどこかしらで揃えられるだろうと高をくくっていた。

「シンプルなのがいい? ちょっとおしゃれな方がいいかな」
「どうかなぁ。お皿だと、使いやすさとかあるけど。コップは飲めればいいからなぁ」

 そう言う悠人くんは、私の半歩後ろをついてくる。
 私の歩調に合わせてくれていることもあるのだけれど、元がおっとりした気質ということもあって、周囲を見ながら歩くと少しゆっくりペースになるみたい。
 それも、近所を散歩するくらいでは感じなかったことだ。ふたりの時間を増やすことで、少しずつ新しい面を知っていけるんだろう。今はそのひとつひとつが楽しみだ。
 涼むためか、ショッピングモールは人が多かった。離れることのないよう、手を握って歩く。
 確かにこれは、生徒に会う可能性も高そうだ。けれど、この人混みの中でお互いを認知できるかというと、結構微妙なところ。
 内心どきどきしながら、目でちらちらと周囲を確認している私を気遣って、悠人くんが人混み側に立ってくれた。
 女性としてはさして小さくない私も、悠人くんの上背だとすっぽり陰に隠れてしまう。
 これなら生徒に見つかることも減りそうだ。胸を撫で下ろして「ありがと」と小さくお礼を言うと、優しい微笑みが返ってきた。
 インテリア系の買い物は久々だ。モール内の店舗は頻繁に入れ替わるから、まずはフロアマップの前に立った。
 どの店から見ようかと、検討をつけていると、ちらちらと悠人くんが私の顔をうかがってくる。

「……どうかした?」
「うん……あの……なんかね」

 鼻の頭を掻いて、橘くんがはにかむ。

「俺のだけじゃなくて……響子ちゃんのも買えるといいなって思ってて」
「私の?」

 首をかしげると、心底嬉しそうな笑みが返ってきた。
 うう、かわいい。
 にやけそうになるのをこらえたときに、彼の意図に気づいた。

「……おそろいってこと?」
「あ、いや、あの……ええと」

 悠人くんは「うん、まあ、言っちゃえばそうなんだけど……」と口ごもった。
 その赤い横顔を見上げて、ふと笑った。

「そっか……おそろいかぁ」

 考えてみれば、今使っている私のコップは、大学に入る頃にこだわりなく選んだものだ。まだ使えるからもったいない――と思わなくはないけれど、プリントもかすれてきている。そろそろ買い換えたって問題ないだろう。
 そう思うと、とたんにうきうきしてきた。ただでさえ、悠人くんのものをうちに置けると思うと嬉しいのに、おそろいだなんて。

「……なんか、あれだね」
「なに?」
「恋人同士みたい」
「……みたい、じゃなくて、そうでしょ?」

 悠人くんが唇をとがらせたけれど、照れ隠しだとは見え透いている。

「そうだけど。なんか、ね」

 にやけるのを笑ってごまかして、「行こう」と手を引いた。悠人くんがうなずいた。

 ***

 いくつかお店を見てから、一緒にマグカップを選んだ。インテリアショップにあったそれは、側面にそれぞれ、パグと柴犬が描いてある。柴犬なんて悠人くんのイメージにぴったりだ。見つけたときにはぴんときて、目を輝かせてその短い髪を見上げてしまった。
 ついでに服も買っておこうと、同じショッピングモールに入っている量販店にも悠人くんを引っ張った。
 パジャマ、Tシャツ、ジョグパンツ。下着の類いも揃えて、大満足だ。
 ほくほく顔で歩く私に、悠人くんは困ったような顔をしている。

「別に……服なんて、必要なら家から持って行くのに」
「いいの。いつでも来てもらえるようにしたいの」

 答えたけれど、実は、もう一つ理由があった。
 悠人くんの服を洗濯してみたいのだ。
 ヤスくんは体型的にも私とそう変わらなかったけれど、悠人くんは見るからに大きい。
 その服を干して、大きさを感じてみたい。
 ……というのも、悠人くんが泊まると、いつも自分で洗濯しちゃうか持って帰っちゃうから、私が干したことがないのだ。
 うち用のであれば「後で洗っておくから!」と言えるだろう。
 けれど、悠人くんは違う意味で納得したらしい。ふふっと笑って私に横目を向けるので、何かと思えば、

「俺がいない間、着てもいいよ」
「き、着ないよ」
「そう?」

 冗談と分かっていながら、ちょっとだけぎくっとしてしまった。
 ……一日くらい、洗濯しないで抱きしめて寝てもいいかもなー、なんて、ちょっと思わなくもなかったりして。
 いや、でも駄目だよね、それは変態くさいよね、いくら彼女だからって。
 ……彼女、って、今でもまだ、なんか照れる。
 というのも、こうして歩いていても、悠人くんが人目を惹くのは間違いないのだ。男女を問わず、ちらちらと振り返る人がいる。
 この高身長だし、柔らかい物腰だし、そりゃ目立つよね。
 その隣にいるのが私だっていうのが、どう見られているのかと思うと気が気ではない。けれど、彼が微笑みかけてくれるのは私なのだから、自虐的になるべきじゃないと自分に言い聞かせている。
 そんなことはきっと、悠人くんは望んでいないから。
 私は隣で、ちゃんと胸を張っていたい。

 目的の買い物を済ませた後、悠人くんが物欲しそうにしていたキッチン用品も買った。
 最低限の道具しかない我が家のキッチンでは、さぞかし物足りなかったのだろう。
 ほんと、ズボラで申し訳ない。そう言うと悠人くんは「そんなことないよ」と笑っていた。
 モールをひととおり回ると、悠人くんの手元は買い物袋でいっぱいになってしまった。食料品以外をこんなに買ったのなんて久しぶりだった。買い物でストレス発散することなんて滅多にないけど、ついつい財布のひもが緩んだ自覚はある。
 でも、それもまた一興。機嫌よく「いっぱい買ったね」と見上げると、悠人くんが苦笑した。

「うん。でも、俺も、お金出すのに」
「いいの。いつもご飯、作ってもらってるお礼」
「そうなの?」
「そうなの」

 少しでも悠人くんに喜んでもらえるなら、それに超したお金の使い方なんてない。
 悠人くんは「ありがと」と微笑んで、それ以上あれこれ言おうとはしなかった。
 好意を素直に好意として受け取ってもらえる。その心地よさに笑い合う。

「じゃあ、そろそろ帰ろうか」

 時計を見ると、そろそろいい時間だった。荷物を置いて、ご飯を食べて、学校に行かなくてはいけない。
 頭の中で段取りをつけながら歩いていたら、ふと悠人くんがいなくなっていることに気づいた。

「……あれ? 悠人くん?」

 見やると、数歩手前で立ち止まっている。

「どうしたの?」

 近づきながら彼の視線の先を追うと、目に飛び込んできたのは色とりどりのきらめきだった。
 面食らって、悠人くんとショーウィンドウを見比べる。
 悠人くんが、少しぎこちない笑顔を浮かべた。

「……ちょっと、見てみない?」
「え?」
「ちょっとだけ」

 戸惑ううちに、手を引かれる。珍しく強引に振る舞うのは、たぶん緊張しているからだろう。
 私だって、緊張していた。押し出されるように両肩に手を置かれて、ショーウィンドウの前に立ちすくむ。

「何かお探しですか?」
「はい。……あの、指輪を」

 店員さんに声をかけられた悠人くんが、覚悟を決めたように答える。
 ――指輪。
 思わず息を飲んで顔を上げ、悠人くんを見上げた。
 開きかけた口は、穏やかな笑顔で制された。

「デザインとか、いろいろあるみたいだから……少し見てみようよ」

 そう言われたら、嫌だとは言えない。うなずくと、店員さんは「指輪選びは初めてですか?」と営業スマイルを向けてきた。

「はい。……あの、どういうのがあるんですか?」
「そうですね……ダイヤのものですと……」

 店員さんがあれこれと説明しながら品物を見せてくれる。
 新しい世界を垣間見れるとなると、悠人くんはすぐに好奇心をくすぐられるらしい。私よりも前のめりで店員さんの話を聞く目にはダイヤの輝きが映り込んでいて、いつもよりも少年めいて見えた。

「――これ、響子ちゃん似合いそう」
「え?」
「つけてみて」

 悠人くんが示したのは、小さなダイヤがぐるりとリングを囲んだデザインだった。「エタニティというんですよ」と店員さんは説明して、「お気軽にどうぞ」ショーウィンドウから出してくれた。

「一粒ダイヤだと、ぐるぐる回っちゃってかっこ悪いですけど、これだと気にしなくていいからいいですよ」
「はあ……」

 確かにズボラな私向きかもしれない、けど――
 手入れしていない手を飾る、透き通るような輝きを見下ろしていたら、大きな手がその手をすくい上げた。
 見上げると、悠人くんの微笑みがある。

「うん、きれい」

 満足げに細められた目に見とれた――そのとき、ふと彼の先に人影を見て、我に返った。
 慌てて悠人くんの身体に隠れると、「どうしたの」と不思議そうに見下ろされる。

「ごめん……生徒、いた……」
「ああ」

 さすがに、この場面を見られたら何を言われるか分からない。
 悠人くんはくつくつ笑って、私を隠すようにさりげなく肩を抱いた。間近になった筋肉質な腕と胸の厚みは、何度も触れているのにまだ慣れない。高鳴る鼓動と生暖かい店員さんの微笑みが恥ずかしくて、小さくなって息を潜めた。

「……まだ、いる?」

 少しした後、小さな声で聞かれて、彼の肩越しに店の外を見た。
 見かけたのは、担当クラスの子どもだったのだけれど、もういないみたいだ。
 ほっとしてそう伝えると、悠人くんは鷹揚にうなずいた。

「そろそろ、行こうか。ご飯、食べそこねたら大変だもんね。指輪選びの続きはまた」

 悠人くんはいつも通り丁寧にお礼を言って、店員さんから名刺を受け取った。私も指輪を返して頭を下げる。
 再び、大きな手に手を引かれて、ショッピングモールを後にした。

「……悠人くん」
「なぁに?」

 買った服や食器を持ったその腕は、重みでブレることもない。その腕に軽く手をかけて見上げると、柔らかな視線が降りてきた。

「あの……さっきのって……」

 どういうつもり、なのかな。

 聞きたかったけど、聞いていいものかためらった。悠人くんは「さっき?」と補足を求めるけれど、私はうつむいて首を振る。

「やっぱり、いい……なんでもない」

 手を繋ごうと差し伸べた手は、彼の手に握られた買い物袋に気づいて引っ込めた。
 悠人くんはすぐに察して、荷物を右手に持ち換え、空いた左手で私の右手を取る。
 いつも通り、これという会話もなく、家へ歩いていく。
 こうして歩いている時間は、いつも暖かくて、くすぐったくて、幸せだ。
 ずっとこうしていたいくらいに。
 目を上げれば、穏やかな微笑みが私を見下ろしていた。
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