明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子

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.第9章 穏やかな日々

220 二十歳の誕生日(7)

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 その後、父と母からは私が欲しがっていた鞄を、悠人兄からはクッションにもなるかわいいぬいぐるみを、健人兄からは名刺入れをもらった。

「これから就活で必要になるかもしれないからさ。これなら、仕事でも使えるだろうと思って」

 と言われた名刺入れは、ロンドンで買ってきたものらしい。シンプルな紺色の革に、黄色いラインがしゃれている。

「ずいぶん早く誕生日プレゼント用意したんだな」

 お土産は別にもらっていたから、私もびっくりだ。健人兄は「まあ、自分も就活だったからね」と苦笑した。

「インターンとか、そろそろするんでしょ。そしたら、名刺あった方がいいし」
「うう、あんまり考えたくないけど……ありがとう」
「参考になるような話できなくて悪いな。俺も悠人兄も、普通の就活全然してないから」

 互いに顔を合わせて兄たちが頷き合う。確かに職種は違うけれど二人とも公務員だし、考えてみれば朝子ちゃんも公務員だから、身内に就活の話を聞くのは難しそうだ。

「やっぱ三年から動かなくちゃだよね……」
「うーん、まあ前向きに考えてみたら? いろんなところに飛び込んでみるいい機会にはなるからさ」

 健人兄の話に相槌を打っていたら、父が笑った。

「ま、あんまり重く考えすぎるなよ。どうせ人生、何があるか分からないんだから」

 私は頷きながら、ふと、転職を決めた栄太兄のことを思った。

「――さて、そろそろお開きにするか。風呂は誰から?」
「私、少し休憩してからにする」
「私もぉ」
「俺も」
「全員飲み食いしすぎだろ。じゃあ俺、一番風呂いただくぞ」
「どうぞぉ」

 父が立ち上がると、母が「片付けするぅ」とのろのろ動き出す。おぼつかないその手つきを見て、父がやんわりとその手を押さえた。

「彩乃、いいからちょっと休んでろ。風呂から上がったら俺がやるから」
「でも、準備してもらったし」
「相当回ってるぞ。少し休め」

 お酒で赤らんだ頬の母が、とろんとした目で父を見上げる。――かと思えば、ぎゅうと抱き着いた。

「うぁーん政人好きぃい」
「こ、こら、彩乃、落ち着けっ」
「はぁーいい男ぉー」
「あー、いいよ、父さん。俺たち片付けるから、部屋連れてってあげて」
「わ、悪いな。――彩乃、ほら行くぞ」
「うんー」

 父に促されて、母がのろのろと歩いて行く。私と兄二人はそれを見送って、顔を見合わせた。
 知らない内に止めていた息を、ゆっくり吐き出す。

「……相変わらず、仲がいいね、うちの両親」
「久々に泥酔してたね。明日の仕事、大丈夫なのかな、母さん」
「よっぽど嬉しかったんじゃない、みんなで酒が飲めてさ」

 私の呟きに、兄が口々にそう言って、また顔を見合わせると、誰からともなく笑った。

「あー、なんか逆にちょっと醒めちゃった」
「片付けはいいよ。今日の主役はお前だからな」
「ありがと。じゃあ、部屋で横になってこよー」

 うーん、と伸びをしたとき、健人兄がふと何かに気づいてスマホを見やる。そしてにやりと笑った。

「電話でもしてやれよ。待ってるぞ」
「え?」

 健人兄は何も言わずに画面を私に突き出す。そこには、さっき兄妹三人で写った写真が小さく表示されていて、下に返信があった。

【楽しそうで何よりやわ】

 その言葉が、優しい声音で耳の中で再生される。じわり、と心が温まった。
 確かに、栄太兄の言った通り――泥酔した母も、母を支えながら苦笑していた父も、兄二人も、私との初めての晩酌を喜んでくれた。
 二十歳の誕生日は、家族で。
 そう言ってくれた栄太兄は、今は一人で過ごしているんだろうか。

「はは。すっかり恋する乙女な顔しちゃって」

 健人兄に肘でつつかれて、私は思わずうろたえる。知らない内に緩んでいた頬を両手で押さえると、「じゃ、じゃあ、私部屋に行くから」とわたわたしながらリビングを出た。
 栄太兄の声が聴きたい。ありがとう、って言いたい。よかったな、って、あの声で言われたい。
 階段をぱたぱたと登りながら、私は自分の口元がどうしようもなくにやけているのを、止められずに笑った。
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