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.第2章 猫かぶり紳士の苦悩

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 ともかくも、まずは話をしなくては。
 そう焦る嵐志の気持ちを嘲笑うように、また新しい仕事が舞い込んできた。

「こないだのトラブル対応のおかげで、信頼が増して追加の発注取れたよー。みんなお疲れ~」

 そうニコニコ顔で労った社長は、そのままのノリで嵐志に声をかける。

「あとね、もう一つ。新しい取引先開拓できそうなんだー、神南くん、こういうの得意でしょー。がんばってね!」

 ただただ人の良さそうな笑顔の社長に殺意すら湧いた。
 仕事増やすんじゃねぇよこのタヌキオヤジ刺すぞ。
 当人が営業出身だからか、社長は社内にいるときやたらと営業のフロアをうろついている。刺すチャンスならいつでもある。
 部下が脳内でそんなことを思っていると知ってか知らずか、社長は呑気に資料を渡してくる。

「みんなもよく知る自動車の販売店だよー。関東エリアの管轄でー、一括契約してくれるかもしれなくてー。使うのは各販売店だからー、各店長の話を聞いて欲しいんだってー」

 間伸びした語尾がイライラする。人の気も知らないで。
 黙っている嵐志に気づいて社長が笑った。

「あれー、もしかして、神南くんご機嫌ナナメ? 困ったなぁー、なんでかなぁー、最近忙しかったからかなぁー?」

 忙しいとはいえ、仕事だから仕方ない。仕方ない、ものの、営業としては当然、ただ足を運んでどうぞよろしくと頭を下げればいい話ではないのだ。
 事前に商品の情報を頭に入れ、販売だけでなくメンテナンスやレンタルを抱き合わせにした契約も頭に入れて提案していく必要がある。
 営業など歩いて回ってナンボ、という面もあるがそれだけでは仕事は取れない。話聞いてくれるって~とゆるい社長の声かけから始まり、それなりの契約に発展させるには、相応のプレゼン能力が必要なわけで、それには当然、資料作成も不可欠だ。
 相手も自分も、時間は有限。そんな中で最大限クオリティの高いプレゼンをする――そのための道具は自分で作るのが一番確実だ。
 社長から渡された名刺の相手に連絡を取ると、ひとまず五日後から主要店舗を数店回ってほしいという依頼がきた。
 といっても各店舗には距離がある。同日に二軒回るのは骨が折れそうだった。ほとんど関東くまなく行脚することになりそうだ。その上、場合によっては他の店舗も回ってほしいと言われている。
 軽くスケジュールを立てても、一ヶ月はかかる試算になった。
 元々の仕事のうち、割り振れそうなものは部下に割り振り、残りは自分でこなす。
 出張の合間や移動時間にプレゼンに備えた資料づくり。家には着替えの類を取りに戻るか仮眠を取る程度。寝食すら会社と移動の電車内で済ませた。
 五日後までに資料を作り終え、社内で確認を取らなくてはならない。栄養ドリンクの類が毎日デスクに転がっていて、部下がなんともいえない顔で空き瓶を捨ててくれる。
 社内では、頭の動きが鈍って効率が悪くなってきたら仮眠。仮眠から戻るとパソコンへ向かう。ひたすらその繰り返しだ。
 怒涛の勢いでキーボードをたたき、部下に指示して基礎資料をそろえさせる。睡眠不足も四日続けば顔つきに出てきたのか、黙々と働く嵐志に、さすがの光治ら部下も若干引き気味だった。
 けれどそれを気遣う余裕は嵐志にない。
 それも仕方ない。仕方ないはずだ。そうじゃないか。
 せっかくできた彼女に妙な勘違いをさせたまま放置し、そのまま出張続きとなれば、本気で破局の危機だ。
 憎しみを込めてキーボードを叩きながら嵐志は思う。
 これならいっそ、存分に彼女を愛でてドン引きされてフラれた方がよっぽどいい。一度でいいからあのふわふわでもちもちの身体を思う存分堪能したかった。心ゆくまま彼女を愛でたかった。マジであのクソたぬき社長死ね!

「……課長、だいじょぶっすか……?」
「なんのことだ?」

 憎しみを込めて打ったエンターキーは打音に感情が宿ったものか、デスク横に立った光治が涙目になっている。ふと見れば他の社員も気遣わしげで、ああ俺今鬼みたいな形相してるんだろうな、と自覚した。
 一度目を離して集中力が切れたからか、疲れで画面がチラついて見える。
 ――とりあえず、資料の作成はあらかた終わった。
 腕時計を見やる。あまり頭が動いていない。

「……最終確認の打ち合わせ、何時からだっけ」
「二時です」
「じゃあ三十分は休めるか……」

 ふぅー、と細く長く息を吐いて、嵐志は軽く伸びをした。

「悪いけど、少し休ませてもらう。青柳くんと、他に二、三人、出力した資料に誤字ないか見ておいてくれるか。小会議室にいるから、何かあったらすぐ呼んで」
「は、はい。了解です」
「ご、ごゆっくり」

 腫れ物に触るように言われて苦笑した。手を振り返して、重い身体を引きずるように会議室へ向かう。
 窓際に椅子二つ引き出すと、向かい合わせにした。
 片方に座ると、もう片方の椅子上に脚を投げ出して腕を組む。
 念のため、三十分後にスマホのアラームをセットしてジャケットの内ポケットに入れた。
 腕組みして、息をつく。
 数度呼吸をしただけで、すぐに睡魔へ引き込まれた。
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