猫かぶり紳士の癒し方~子リス系OLは疲れた彼に愛でられる~

松丹子

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.第4章 可愛い彼女の愛し方

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 夕暮れを進む電車の中、嵐志は車窓から外を眺めている。
 ガタタン、ガタタン――ドアに寄りかった男の物憂げな横顔は、車内の女性の視線を集めているのだが、当人はうっすら気づきながらも完全に無視していた。
 ――ああ、なんで。
 嵐志は菜摘の家を出てからすでに数度目になる嘆きを心中で唱える。
 ――どうして、よりによってあのタイミングなんだ!?
 ぐぐっ、と奥歯を噛み締め目を閉じる。
 まぶたの裏に浮かぶのは、愛しい彼女の潤んだ瞳と健気な微笑み――握った手のひらには、残った柔らかな肌の温もりを思い出す。
 あともう少しで――あの、ふわふわもちもちの身体に没入できたってのに!
 嵐志は額を押さえてため息をつく。やっぱり車内の女性客がチラチラ見て来るが、嵐志にとってはうっとうしいだけだ。
 自分にしては前戯もほどほどに本番に入ろうとしたところだというのに。せめてあと五分。いや十分。いや三十分……
 もう一度深く息を吐き出し、手を肘に添える。堅いスーツの感触が、逆に菜摘が身につけていたひつじの部屋着のふわもこ感を思い出させる。
 ――至高。
 あのふわもこを見たとき、嵐志の頭に浮かんだのはその言葉だった。
 肌はもちもち、髪はふわふわな菜摘が、あのふわっもこっを身につけている――しかもそれを目の当たりにし、触れることまでできたのだ。
 ――これはもう、神に感謝するしかない。
 愛しの彼女が、自分の前でだけ身につける服。男に要望を聞いたとして、いやらしさという点だけで言うなら、身につける意味もないような卑猥な下着が数あるのは知っている。
 ――が、嵐志にとってはあのふわもここそ、絶対の正義だ。
 そう――可能なら、自分は服を脱ぎ去って、ふわもこの菜摘を裸の胸に抱きしめて一晩を明かしたいと思ったほどに。
 けれど、服を脱がせずに菜摘のもち肌を愛でることはできない。肌に触れようと思うのなら、ふわもこは脱がさなくてはならなくなるのだ。
 菜摘のつるつるもちもちな肌を選ぶか。
 ひつじルックのもこもこふわふわを選ぶか。
 菜摘の身体を愛でながらも、嵐志はそんな贅沢な葛藤をしていたのである――
 ――ああ。
 嵐志は目を開いて車窓の外を見た。暗闇に引き寄せられていく空を遠い目で眺める。
 本当に――どうしてこのタイミングなんだ!
 こうしてまた、嘆きは冒頭に戻る。
 涙を飲んで電車に揺られるしがないサラリーマンは、ただただ心で泣いていた。

 ***

 部下の呼び出しはその日の報告と資料確認だった。
 クライアントから、契約の変更の依頼について話があったのだが、早急に回答を用意しなければならず確認を求められたのだ。
 嵐志も、いつもなら出張後一度帰社して部下の資料作成につき合う。今日も翠の連絡が入るまではそのつもりでいたのだが、翠の挑発に煽られて、今日一日くらいいいだろうと、直帰の連絡を入れて菜摘と合流したのだ。
 しかし、嵐志が戻って繰るのをアテにして取引先に返事をしてきた部下がいたのだから仕方ない。
 一通りの書類整理と確認を終えると、嵐志はうなずいた。

「――うん。これでいいんじゃないか」
「ありがとうございます」

 部下はほっと肩の力を抜き、次いで申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「でも……お呼びだてしてすみませんでした。なんか、ご予定がおありだったんですよね?」
「あー……まあ……」

 あいまいに答えつつ思い出すのは、自分を送り出してくれた菜摘の笑顔だ。
 情事の名残の赤らんだ肌。乱れた髪に天使のような微笑み――
 胸がうずいて切なさと喜びがこみ上げる。
 が、しかし、会社でにやつくわけにもいかない。
 こほんと咳払いをして、いつも通り余裕のある表情を作り直した。

「大丈夫だ。仕事だってことは向こうも分かってくれたから」

 そう言って、さらりと話を終わりにするつもりだったのに、部下は妙な顔で動きを止めた。

「向こうって――か、課長、もしかして恋人できたんですか?」

 瞬時に部屋が静まりかえる。
 他の部下も聞き耳を立てているのが分かる――淡々と仕事している光治を除いて。

「え? ああ、まあ……な」

 一瞬戸惑ったが、嵐志とて普通の成人男性だ。
 恋人の有無について、あえて隠すようなことでもないかとうなずいた。
 が、そのとたん、部下たちは「ええっ!?」と一様にどよめいた。

「い、いつの間に!?」
「仕事、仕事、で暇もないはずなのに!」

 ざわめきはじめた部下たちの中にあっても、光治だけは淡々とキーボードを打っている。
 そこに気づいたひとりが「ちょっと待って」と眉を寄せて手を伸ばした。

「青柳くん、知ってたって顔してない?」
「えっ!?」

 先輩社員に肩を掴まれ振り向いた光治に、部下たちの視線は集中している。
 思わぬ飛び火に、光治が慌てた。

「えっ!? いや、俺は――その――知ってたっていうか――隠してたつもりはなくてーーそもそも、課長から聞いたわけではなく――」
「じゃあ誰から――」

 言いかけた部下が、はっと止まった。
 かと思えば、互いに顔を見合わせて息を飲む。

「も……もしかして……課長の恋人って、秘書課の百合岡さん!?」
「噂は本当だったのか!」

 どことなく漂った納得の空気に、

「違う!」
「違いますっ!!」

 否定したのは嵐志と光治、ほぼ同時だった。
 ――が、何を思ったか、光治が先走る。

「課長の彼女はみど――社長秘書じゃなくて、原田菜摘ですっ!」
「ちょっ――!?」

 ――お前一体何を言うんだ!
 慌てた嵐志だが、時すでに遅し。

「――えぇええええ!!??」

 一瞬の間の後、部屋を揺らすような大音声が響いた。
 あまりの騒がしさに、嵐志は思わず耳を押さえる。光治も光治で驚きの表情を浮かべていた。

「な、なんだって!? 俺のアイドル・原田さんが!?」
「課長ぉぉぉぉ! 興味ないって言ってたじゃないですか!」
「嘘つき! どこからどう、そういう流れになったんすかー!!」

 ほとんど泣きつくように袖を掴まれ、嵐志は慌てて振り払う。

「う、うるさい。今は仕事だろう、仕事!」

 話を引き戻そうとしたが、そう上手くはいかない。
 部下のひとりが、喉元に噛みつきそうな勢いで嵐志に迫り、血走った目で見上げてきた。

「課長っ、もしかして――もう食っちゃったんですか? あのぽやんとしたかわいい原田さんを、食っちゃったんですか!?」

 ぽやんとしてかわいい、は同意する。「軽く」は食ったが嵐志にしては味見程度で、まだ「ちゃんと」食ってはいない。
 今日も彼らのおかげで食いっぱぐれたところだ――と心の中で答えたが、そんなことを素直に言うわけにもいかない。
 思い巡らす一瞬に切り込むように、次々に部下が嘆き始めた。

「なんすか、なんすか。課長ってば、あの、ちまっとしてるのにおっぱい大きい原田さんと、アンナコトやコンナコトしてるんですか!?」
「そうだそうだ! 童顔なのに身体がエロいあの原田さんと、ソンナコトまでしてるんですね!? ずるい! ずるすぎる!!」
「俺たちの夢を! 希望を! 返してください!!」
「お前ら黙れ! ――つーか人の情事を勝手に想像すんな!!」

 ついでに人の彼女をエロい目で見るなと言いたいところだが、今までそうとは知らなかったのだからその辺りは仕方ない。
 菜摘が可愛いのは確かだし――と彼氏バカなことを思うその横を、ソロソロとつま先歩きで出て行こうとする影ひとつ。

「……俺、今日はそろそろ帰りますね……」
「おいこら、ふざけんな青柳!!」

 出て行かせまいと足を踏み出した嵐志を羽交い締めにしたのは、後ろから来た部下たちだった。

「ちょっ、な、なにすん――」
「課長! 逃げないでください、ちゃんと話聞かせてもらいますよ!」
「よし! 今日の仕事は切り上げて飲みに行くぞ!」
「そうだ尋問の時間だ!!」
「お前ら仕事はどうしたぁあああっ!!」

 こうして酒場へ連行されつつ、叫んだ嵐志の視界の隅で、「すんません」と会釈する光治がいたとかいなかったとか。
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