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第1章
(5)昴の青い炎
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彰子は独りごとのように、しかし心に浮かんだ言葉をそのまま口から放すように言った。
「ひとつひとつは小さい星だけど、真冬の空の中で、青白くてまじりけのない透明な炎を燃やしつづけているように見えて、きれいだと思う。羽子板星って名付けた時代よりももっと昔の人は、玉の首飾りにも例えたというのも、ほんとに分かる気がする」
彰子は話しながら、牧雄の膝の上にそっと手を差し伸べてきた。
「そして・・・これも本で読んだんだけど、昔は昴の位置で穀物の種を蒔く時期を決めたんだって。昴が宵の空高く上がるように見える頃に種を蒔くと、秋にはたくさん収穫ができるっていうふうに」
「・・・」
「昴は、春が近い事を教えてくれる星・・・」
(春が近い事を教えてくれる星)
牧雄は、彼女の言葉を心のうちで反芻した。
なにかしら、温かい響きを持つ言葉のように思えた。
日が暮れてから寒さがしんしんと深まる宵の頃だったが、心はほのかに温かくなった。
そして、彰子がますます愛しく思えてきた。
牧雄は、彰子の片手の上に、自分の手を重ねた。
ふたりとも手袋をしているので、肌と肌は触れ合わなかった。
彼は、自分の手袋を外し、彰子の手袋もそっと外した。
彼女が息を詰めるのが分かったが、しかし厚手の手袋は音もなくするりと外された。
牧雄は改めて彰子の手を包むように掌を彼女の手に載せた。
すると、思っていた以上に彰子の手は温かかった。
牧雄の心の奥で小さな炎が燃えだした。
それは、彼が心の中で絶やさず守ってきた小さな火種、彰子に対する密やかな想いが、まさに大きな炎となって燃え広がろうとするところだった。
そしてその炎は急速に大きく、激しくなってゆき、全身を巡る血潮は熱くたぎりはじめた。
しかしその炎は昴の炎のように青白く透明で何の混じりけもなく、あくまで純粋だった。
再度、牧雄は心を決めた。
彼は彰子の体温を確かめようとするかのように、彼女の手を両手で包み込むようにして、引き寄せた。
「どうしたの」
彰子が牧雄の方に顔を向けるのがわかった。
彼は何かを言おうとした。
しかし、心の奥底にある彰子への想いはさらに熱くなり、膨張し、そして外に向かって激しい勢いで飛び出そうとしていた。
心臓も激しく拍動し、胸は重く締めつけられた。
それでも彼は、かすれた声を絞り出すように言った。
「アキコ・・・僕はアキコのことが大好きなんだ・・・!」
しかし、それきり彰子の掌を握りしめたまま、何も言えなくなってしまった。
彰子も、何も言わなかった。
ただ黙って、牧雄の方に崩れ落ちるように身を寄せてきた。
牧雄は、彰子の手を擦るように撫で、柔らかく滑らかな手の甲に激しく口づけをし、そして彼の頬に当てた。
冷たい空気に触れていても、やはり彼女の手は温かかった。
牧雄は、彰子の肩を静かに抱き寄せた。
彼女の甘い香りは、ますます濃密に彼の心を高ぶらせた。
身体と身体を押し当てて、さらに牧雄は彰子に頬ずりをした。
彼の魂は遠い夜空の向こうで燃える昴の炎よりも明るく燃え、そして熱いものを内にはらみ、そして彼女の魂に真っ直ぐにぶつかっていこうとしていた。
魂と魂、あるいは心と心を融け合わせたい、そのような気持ちが彼の理性を押し隠してしまっていた。
頬と頬を寄せ、唇と唇を合わせた。
彰子への積もり積もった想いという焚物に心の内なる青い炎はどんどん燃え移り、彼女を強く抱きすくめたまま、ただただやみくもに、ぎこちない愛撫をした。
牧雄の掌は彰子のコートの中に入り、胸のふくらみを包み込んだ。
もう止まらなくなった彼はもう片方の手でコートのボタンを外し、ブラウスのボタンもひとつひとつ、外していった。
無我夢中だった。
彼の内なる炎はそれまでの想いをすべて焼き尽くすかのように燃えあがった。
・・・そして、不意に小さくなっていった。
憑き物が落ちたようにふと気が付くと、牧雄は彰子の胸の柔らかいふくらみと、その素肌の滑らかさと、熱い体温を掌に直に感じていた。
はだけた胸もとに、ブラウスや下着の白さが星明りにぼうっと浮かんでいた。
彰子は、泣いていた。
低く、しゃくりあげるように泣いていた。
牧雄は、彼がその直前まで行なっていた事の重大さに気が付いた。
それとともに心臓が一瞬止まったのではないかと思った。
頭の血が逆流しながら退いてゆき、全身が凍りつく感じがした。
牧雄は静かに彰子のそばから離れた。
彰子が泣きながら腰掛けているのと同じヒューム管に、身体を斜めに向けて彼女に半分背を向けるように腰掛けた。
深いため息をつき、肩を落としながら、心がひどく痛むのに気が付いた。
心臓の鼓動に合わせてその傷が疼くのを感じながら、さっきまで彰子の乳房と体温を包んでいた手を握り締めた。
あくまで静かに、低く絞り出すような彰子の泣き声を、彼に対する激しい抗議と受け止めながら、自責と後悔の念に捕らわれるのみだった。
牧雄は空を仰いだ。
しかし、もう星たちは冷たかった。
灼熱の炎に見えた昴の青い輝きも、もはや無機質で冷たい光だった。
彰子の泣き声は次第に落ち付いてきた。
一方で牧雄は、取り返しのつかない事をしたという思いから抜け出せなかった。
小さい頃の羽子板遊びがなぜか思い出された。
無心に羽根を突いていた、幼い彰子の無邪気な笑顔が遠い世界の事のように思われた。
「ひとつひとつは小さい星だけど、真冬の空の中で、青白くてまじりけのない透明な炎を燃やしつづけているように見えて、きれいだと思う。羽子板星って名付けた時代よりももっと昔の人は、玉の首飾りにも例えたというのも、ほんとに分かる気がする」
彰子は話しながら、牧雄の膝の上にそっと手を差し伸べてきた。
「そして・・・これも本で読んだんだけど、昔は昴の位置で穀物の種を蒔く時期を決めたんだって。昴が宵の空高く上がるように見える頃に種を蒔くと、秋にはたくさん収穫ができるっていうふうに」
「・・・」
「昴は、春が近い事を教えてくれる星・・・」
(春が近い事を教えてくれる星)
牧雄は、彼女の言葉を心のうちで反芻した。
なにかしら、温かい響きを持つ言葉のように思えた。
日が暮れてから寒さがしんしんと深まる宵の頃だったが、心はほのかに温かくなった。
そして、彰子がますます愛しく思えてきた。
牧雄は、彰子の片手の上に、自分の手を重ねた。
ふたりとも手袋をしているので、肌と肌は触れ合わなかった。
彼は、自分の手袋を外し、彰子の手袋もそっと外した。
彼女が息を詰めるのが分かったが、しかし厚手の手袋は音もなくするりと外された。
牧雄は改めて彰子の手を包むように掌を彼女の手に載せた。
すると、思っていた以上に彰子の手は温かかった。
牧雄の心の奥で小さな炎が燃えだした。
それは、彼が心の中で絶やさず守ってきた小さな火種、彰子に対する密やかな想いが、まさに大きな炎となって燃え広がろうとするところだった。
そしてその炎は急速に大きく、激しくなってゆき、全身を巡る血潮は熱くたぎりはじめた。
しかしその炎は昴の炎のように青白く透明で何の混じりけもなく、あくまで純粋だった。
再度、牧雄は心を決めた。
彼は彰子の体温を確かめようとするかのように、彼女の手を両手で包み込むようにして、引き寄せた。
「どうしたの」
彰子が牧雄の方に顔を向けるのがわかった。
彼は何かを言おうとした。
しかし、心の奥底にある彰子への想いはさらに熱くなり、膨張し、そして外に向かって激しい勢いで飛び出そうとしていた。
心臓も激しく拍動し、胸は重く締めつけられた。
それでも彼は、かすれた声を絞り出すように言った。
「アキコ・・・僕はアキコのことが大好きなんだ・・・!」
しかし、それきり彰子の掌を握りしめたまま、何も言えなくなってしまった。
彰子も、何も言わなかった。
ただ黙って、牧雄の方に崩れ落ちるように身を寄せてきた。
牧雄は、彰子の手を擦るように撫で、柔らかく滑らかな手の甲に激しく口づけをし、そして彼の頬に当てた。
冷たい空気に触れていても、やはり彼女の手は温かかった。
牧雄は、彰子の肩を静かに抱き寄せた。
彼女の甘い香りは、ますます濃密に彼の心を高ぶらせた。
身体と身体を押し当てて、さらに牧雄は彰子に頬ずりをした。
彼の魂は遠い夜空の向こうで燃える昴の炎よりも明るく燃え、そして熱いものを内にはらみ、そして彼女の魂に真っ直ぐにぶつかっていこうとしていた。
魂と魂、あるいは心と心を融け合わせたい、そのような気持ちが彼の理性を押し隠してしまっていた。
頬と頬を寄せ、唇と唇を合わせた。
彰子への積もり積もった想いという焚物に心の内なる青い炎はどんどん燃え移り、彼女を強く抱きすくめたまま、ただただやみくもに、ぎこちない愛撫をした。
牧雄の掌は彰子のコートの中に入り、胸のふくらみを包み込んだ。
もう止まらなくなった彼はもう片方の手でコートのボタンを外し、ブラウスのボタンもひとつひとつ、外していった。
無我夢中だった。
彼の内なる炎はそれまでの想いをすべて焼き尽くすかのように燃えあがった。
・・・そして、不意に小さくなっていった。
憑き物が落ちたようにふと気が付くと、牧雄は彰子の胸の柔らかいふくらみと、その素肌の滑らかさと、熱い体温を掌に直に感じていた。
はだけた胸もとに、ブラウスや下着の白さが星明りにぼうっと浮かんでいた。
彰子は、泣いていた。
低く、しゃくりあげるように泣いていた。
牧雄は、彼がその直前まで行なっていた事の重大さに気が付いた。
それとともに心臓が一瞬止まったのではないかと思った。
頭の血が逆流しながら退いてゆき、全身が凍りつく感じがした。
牧雄は静かに彰子のそばから離れた。
彰子が泣きながら腰掛けているのと同じヒューム管に、身体を斜めに向けて彼女に半分背を向けるように腰掛けた。
深いため息をつき、肩を落としながら、心がひどく痛むのに気が付いた。
心臓の鼓動に合わせてその傷が疼くのを感じながら、さっきまで彰子の乳房と体温を包んでいた手を握り締めた。
あくまで静かに、低く絞り出すような彰子の泣き声を、彼に対する激しい抗議と受け止めながら、自責と後悔の念に捕らわれるのみだった。
牧雄は空を仰いだ。
しかし、もう星たちは冷たかった。
灼熱の炎に見えた昴の青い輝きも、もはや無機質で冷たい光だった。
彰子の泣き声は次第に落ち付いてきた。
一方で牧雄は、取り返しのつかない事をしたという思いから抜け出せなかった。
小さい頃の羽子板遊びがなぜか思い出された。
無心に羽根を突いていた、幼い彰子の無邪気な笑顔が遠い世界の事のように思われた。
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