財閥の犬と遊びましょう

菅井群青

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96.ラッキー……か?

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 魔女は終始ご機嫌な様子だ。長い黒髪のウェーブを指に巻き付け高級ジュエリー店のガラスケースを見つめる。どうやら二つある指輪のどちらを買おうか悩んでいるようだ。その後ろで白やピンクや黒の大きな紙袋を持たされて雫は案山子のように突っ立ったままだ。思考を止めなければやっていられない。

 あれから魔女に連れられて百貨店に連れてこられた。ブティックや宝石店、靴屋を巡っているが……この百貨店は選ばれしものしか利用しないのだろう。通路こそ人通りはあるが魔女が入る店には人が少ない。ホテルのコンシェルジュのような服装をした綺麗どころの女性たちが魔女の接客にあたる。魔女が身につけているものを見て、我先にと飛んでくるのを見ると、やはり魔女は本物の金持ちらしい。
 買い物が始まってもう二時間以上経過しているが……一体自分は何をしているのだろうと思い始めた。

 突然魔女が振り返り雫に声をかけた。

「ねぇ、ウサギちゃんどっちがいい? 右? 左?」

「左ですかね……ん? ウサギちゃんって私ですか?」

 魔女はいつのまにか呼び名を決めていたようだ。ようやく雫はここで互いの名前も知らないことに気がついた。雫も勝手に魔女呼ばわりしているのでお互い様なのだが……。

「そ。どうせ二度と会わないんだから名前聞いても仕方がないでしょ? あ、すみません、これ頂くわ」

 魔女がガラスケースを指差した。雫は取り出された指輪の値札を見て顔色を変えた……数字のゼロが多すぎて値段を認識できない。魔女は笑顔で真っ黒なカードを渡した。雫はこの女性は一体何者なのかと気になり始めた。

 魔女は購買意欲を満たせたようで最上階の懐石フレンチに雫を連れて行った。魔女が店の前に現れると奥からばっちりスーツの男が現れた。胸元のシルバーのプレートにはアルファベットで役職と名前が書かれていた。マネージャーということは……お偉い方のはずだが魔女の登場に顔色を変えた。魔女は手を上げると「今日はよしてちょうだい。可愛いお友達と一緒なんだから」と言った。

 予約をしているわけでもなく魔女は我が物顔で店の中へと入っていく。そして都会のビルを見渡せる窓際の席に座るとハットを取り雫に座るように促した。雫は大量の紙袋を店員に預けると頭を下げて恐る恐る席についた。どう見ても一生に一度、いや、二度と来ることのない店構えだ。周りの客はドレスコードがあるかのように正式な服装でランチを楽しんでいる。

「ここは会員制なの。私、ここのオーナーなのよ」

「へ? オーナー!? 魔女さんのお店ですか?」

「あなた、私の事魔女って呼んでたの? ふふ、面白い子ね。今日のお礼よ、美味しいものを奢ってあげる。食べられないものは無いわね?」

 雫が頷くと魔女はあっという間にメニューから何品か注文する。雫はカッコいい魔女の姿に惚れ惚れしていた。女に惚れるとはこういう感じなのだろう。自信に溢れていて、そして美しかった。

 食事はとにかく美味しかった。見たことも聞いたこともない食材が融合し口の中で極上のハーモニーを奏でていた。雫はほくほく顔で皿を平らげていく。美味しいご飯は人間を幸せにしてくれる事を改めて感じていた。そんな雫の表情を見て魔女は嬉しそうに微笑んでいた。

「あなた、どうして家を出たの? 仕事は? 家族はいないの?」

 雫は今日まで住み込みで仕事をしていた事を話したが、東郷家のことは話さなかった。家族はいるけれど疎遠であることと、清掃の仕事を探している事を正直に話した。今日始めて会ったばかりだが、雫は魔女が悪い人間だとは思えなかった。見た目こそ悪女だが……雫の身の上話を聞くその瞳は優しかった。ついつい好きだった人に婚約者が出来たこと、幸せを祈りつつ家を出たことを伝えた。話終わると魔女は足を組み直しテーブルを指で叩いた。魔女はどうやら怒っているようだった。

「なんてことなの……この世の中にそんな甲斐性無しの男がいるなんて……忘れなさい。私がいい人紹介するから」

「あ、はは、ありがとうございます……。でも、良い人なんで……」

 雫の言葉に魔女は「人が良すぎるのは不合格ね……嫌いじゃないけど」と言った。魔女は携帯電話を取り出すと誰かに連絡を取った。数分後店に一人の男が現れた。ダブルのスーツを着た男はホテルマンのようだった。魔女の姿を見るなり慌てて頭を下げた。魔女は挨拶を制止してにっこりと微笑んだ。

「挨拶は良いから……ところでこの子なんだけど、雇って欲しいの」

「「え?」」

 雫とその男の声が重なった。魔女はケラケラと笑っていた。雫の表情を見て満足そうだった。

「清掃の仕事をしていたそうだから即戦力になるわよ。真面目な性格だし……住み込みで働かせて」

「住み込み……で、ございますか……分かりました、では早速明日からお願いできますか? 履歴書等の提出はその時でお願いいたします」

「え? え……あ、はい! ありがとうございます」

 雫の顔がみるみる綻び破顔した。魔女は名刺に何かを書き込むと男に手渡した。「これでお願いね、頼んだわ」と言うと男はそれを一瞥すると無言で胸ポケットへと入れた。魔女は赤ワインを一口飲むと立ち上がった。

「じゃ、私はそろそろ行くわ。ウサギちゃん、お疲れ様……元気で頑張るのよ」

 魔女は店員からコートを受け取ると颯爽と店を出て行った。ピンヒールの音が部屋に響いて格好良かった。あっという間の出来事だった。自分にとって最悪の日になるはずだったのにあっという間に住まいと仕事を見つける事ができた。頬をつねると痛かった。信じられない一日だった……。魔女が手配していたようで店員がダッフルコートと車に置いてきたはずのスーツケースを持っていた。魔女は最後の最後まで魔女だった。

「では、参りましょうか……お名前は?」

「春日雫です。よろしくお願い致します!」

 雫はスーツケースを引いて歩き出したが、さっきよりずっと軽く感じた。

 
 

 



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