虚弱なヤクザの駆け込み寺

菅井群青

文字の大きさ
59 / 106
第二部

組長陥落の時

しおりを挟む
 美英は朝から院の玄関を開けて掃除をしている。緑のデッキブラシでゴシゴシと磨く姿は楽しそうだ。

「美英ちゃん、バケツの水変えとくね」

「あ、先輩ありがとうございます!」

 幸は久し振りに美英に会えて嬉しかった。
 鍼灸学校が一緒だったが人学年違えば交流はほとんど無かった。偶然校外の鍼の勉強会で知り合った。その頃から気が合い親交を深めてきたが、学校卒業後に美英が地元に帰って開業したのでそこからはなかなか会うことができず、手紙のやり取りが多かった。


 キレイになった玄関を乾燥させるためドアを開けっ放しにする。
 しばらくして舎弟の一人が院を覗き変わりないか確認すると廊下の奥へと消えていった。

「監視ですか?」

「ううん、護衛なのよ」

「愛されてますねぇ、いい! ステキ!」

 美英の言葉に以前あった事件のことを幸は言えずそのまま優しく微笑んだ。

「あ、あ! そうそう……ステーキソース買うの忘れてた! 美英ちゃん、ちょっとお留守番しててね」

「え? あ、はい……一時間後に私出かけますからねー!」

 まさか自分の発言からステーキソースの買い忘れにつながったとは美英も思わない。

 今日は鍼の勉強会がある。美英の上京の目的はこの勉強会に参加することだった。
 使った掃除道具を片付けていると組長と光田が現れた。手にはケーキの箱らしきものがある。

「おう、後輩ちゃん……ケーキ食うか?」

 組長が嬉しそうに微笑む。
 院の中に先生の姿が居ないと組長は顔色を変える。美英が先程買い出しに向かったことを伝える。

「光田、後を追え……万が一ってこともある」

「了解です……」

 光田はそのまま院のドアを開け駆け出した。
 その背中を組長は鋭い目で見ていた。

「何か……まずいことでも起こりました?」

「いや、以前俺のせいで先生が危険な目にあった事があってな……」

「危険なんですか!? そんな……」

「いや、今は大丈夫だ。今はヤクザに人気すぎて危ないんだ……先生は女神として崇められているんだ。捕まると厄介だ」

「随分と神々しいですね……」

 心配そうに外を見る組長を見て美英は幸が深く愛されていることを感じた。とても大切に思われている。見ているこちらまで胸がポカポカと温かくなる。

「いつ、恋をしたんですか?先輩に……」

「先生に?あー……ぎっくり腰で立てなくなってすぐ──いや、秘密だ」

美英は残念そうな顔をした。組長はあの日のことを思い出していた──




 治療が終わり鍼が全て抜かれた。
 組長は大きくため息をつく。シャツを羽織り腰を左右に動かすと朝の痛みが消えていた。

『先生、ここで治療してもらって良くなったけどよ、また次の日になれば元に戻っちまうんだ……すぐに治らないのか?』

 幸は困ったように笑った。

『組長さんは縫うほどの大怪我した事がありますか?』

『もちろんある。腕んところにな……』

 腕をめくると十五センチほどの縫合の痕が見える。昔誤ってガラスで切ってしまった。

『そのキズ、神経に近いところにあるんですけど、たまに重かったりちょっと当たっただけでトゲが刺さったように痛みませんか?』

『あぁ……あるかもな』

 幸はうつ伏せになっている組長の背骨を撫でた。その刺激で組長は少しゾクっとした。背中を触れられることに慣れていない。

『それと同じキズがこの腰にあります。ぎっくり腰は筋肉が切れるから軽い肉離れみたいなもんですよ……古傷は弱いんです。何回も傷めていれば尚更です……』

『んじゃ……治んないのか』

『いえ……私がいます』

 先生が即答した。その声に迷いなどないようで力強かった。

『傷める前に治療すれば軽い程度で済みます。傷めたのならすぐ治療すれば早く回復します。そうして自分の体と向き合っていけばいいんです』

……カッコいい。これをあの女先生が言ったのか?

 組長は体を起こすと幸の方を見た。
 幸は組長と目が合うとふわりと笑った。優しい笑みだった。無理やり専属にして院に軟禁させられているとは思えないほどやさしい瞳で組長を見つめる。

『頼りないかも知れませんが、私がここにいますから、頑張ってお仕事してください、ね?』

 ドクン

 突然心臓が痛くなった。
 胸元を見ると何も刺さっていない。なんだ? 心臓発作か?

胸を叩くと先生が心配して俺の背中を撫でる。

『どうしました? 苦しいんですか?』

至近距離に先生が近づくともっと胸が痛くなった。先生の石鹸の香りでめまいがした。

『く……大丈夫だ。何もない──』

慌てて立ち上がりベッドのカーテンを開ける。
雑誌を見ていた町田が俺の方を見るなりその雑誌を床に落とす。

『く、組長……どうされましたか……その顔』

『ああん? なんだ?』

組長は待合に置いてある鏡を覗く。

……な、なんだ……コレ……。


 そこには染められたように顔を赤らめた俺がいた。首まで真っ赤に染まり瞳も揺らいでいる。

 そのまま逃げるように院を出た。
 町田が嬉しそうにその後ろを付いてきていたが、途中で堪えられないのか声を出して笑い出した。

『なんだ……』

『組長……先生に惚れましたね、完全に』

 コレが恋?
 恋などした事がないが、先生を思うと体が熱くなり、もどかしくなり、胸が痛くなる……これが、恋なのか?

 恋

 言葉にすると一気に顔が赤くなる。それを見ていた町田が大きく頷く。町田は優しく、そして楽しそうに微笑んだ。

『組長は先生が好きになっちゃったんですよ、きっと』



 あの日のことを思い出していると院のドアが開いた。

「あ、ごめんなさい! ちょっと買い物したくて……通行人の人に話しかけられちゃって」

「いや、先生。あれヤクザです。また先生が勃起! 前立腺ね!って大きい声で連呼してたから、おばあちゃんフリーズしてましたよ……」

 どうやら光田を送って正解だったようだ。

 組長は立ち上がると慌てて帰ってきた幸を抱きしめた。背中に手を回し髪を撫でる。

「組長……?」

「……おかえり……」

 組長の穏やかな声に幸は思わずにやけてしまう。美英はそんな二人を微笑ましく見守っていた。

「いやーいいな……恋したくなっちゃったな……」

 美英がうっとりとした瞳で呟く。

「美英ちゃん、いい人いないの?」

「いないですよ! あぁ……恋がしたい!」

 羨ましそうな美英を横目に組長が悪そうな笑みを浮かべる。

「いい兆候だな、完璧だな……あとはあいつがぶち込めば……」

「お膳立ての間違いでしょ……頭の中の辞書、性欲に漬け込んでます?」

 幸はため息をつく。組長はクククと笑い耳打ちした。

「先生のことばっか考えてっからだよ……」

幸の顔が真っ赤になるのを見て美英が呟く。

「あー、恋したい……ほんまに」
しおりを挟む
感想 58

あなたにおすすめの小説

ヤクザは喋れない彼女に愛される

九竜ツバサ
恋愛
ヤクザが喋れない女と出会い、胃袋を掴まれ、恋に落ちる。

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

「幼馴染は、安心できる人で――独占する人でした」

だって、これも愛なの。
恋愛
幼い頃の無邪気な一言。 「お兄様みたいな人が好き」――その言葉を信じ続け、彼はずっと優しく隣にいてくれた。 エリナにとってレオンは、安心できる幼馴染。 いつも柔らかく笑い、困ったときには「無理しなくていい」と支えてくれる存在だった。 けれど、他の誰かの影が差し込んだ瞬間、彼の奥に潜む本音が溢れ出す。 「俺は譲らないよ。誰にも渡さない」 優しいだけじゃない。 安心と独占欲――その落差に揺さぶられて、エリナの胸は恋に気づいていく。 安心できる人が、唯一の人になるまで。 甘く切ない幼馴染ラブストーリー。

愛してやまないこの想いを

さとう涼
恋愛
ある日、恋人でない男性から結婚を申し込まれてしまった。 「覚悟して。断られても何度でもプロポーズするよ」 その日から、わたしの毎日は甘くとろけていく。 ライティングデザイン会社勤務の平凡なOLと建設会社勤務のやり手の設計課長のあまあまなストーリーです。

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

再会したスパダリ社長は強引なプロポーズで私を離す気はないようです

星空永遠
恋愛
6年前、ホームレスだった藤堂樹と出会い、一緒に暮らしていた。しかし、ある日突然、藤堂は桜井千夏の前から姿を消した。それから6年ぶりに再会した藤堂は藤堂ブランド化粧品の社長になっていた!?結婚を前提に交際した二人は45階建てのタマワン最上階で再び同棲を始める。千夏が知らない世界を藤堂は教え、藤堂のスパダリ加減に沼っていく千夏。藤堂は千夏が好きすぎる故に溺愛を超える執着愛で毎日のように愛を囁き続けた。 2024年4月21日 公開 2024年4月21日 完結 ☆ベリーズカフェ、魔法のiらんどにて同作品掲載中。

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

処理中です...