忘れられたら苦労しない

菅井群青

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2.似た者同士

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 その晩、涼香が風呂に入っている間に着信があったようだ。携帯電話を操作すると今一番声を聞きたくない相手から二件も電話がかかってきたらしい。正直掛け直したくない。

 苦々しくその画面を睨んでいたが諦めたように通話の緑の部分を押す。何回かコール音がして弘子がご機嫌な様子で電話に出た。

『あはは、涼香ちゃん、元気?』

「……さっきまで会ってたでしょ、切るよ」

『ごめんごめん、いや、先に言うと二人とも帰っちゃうと思ってさ……あの後旦那も大輝くんにめちゃ怒られてて、拗ねて、今一人ベランダでひとり酒してる』

 想像して思わず笑ってしまう。弘子の旦那の洋介は見た目が豪快なように見えて実は乙女のような心を持っている。
 薄く微笑んだことをバレないように涼香は口元を押さえる。

「紹介しなくていいって言ってるのに」

「いや……もう二年も恋してないじゃん……そろそろ前に踏み出して欲しくてさ……大輝くんも失恋から立ち直ってないみたいでなんか、二人、似てる気がして……」

 そう言う弘子の声は本当に切なそうだ。
 失恋した時、弘子や洋介がいなければどうなっていたかわからない。その当時まだ恋人同士だった二人には本当に迷惑をかけたと思う。


 二年前に涼香は結婚したいと思っていた男に振られた。

 好きで好きでたまらなかったし、このまま結婚するんだろうなと思っていた。そんなある日、突然別れ話を切り出された。前触れがあったのかと聞かれると……なくも無い。

 デートの時に時折携帯電話を気にする素振りを見せていたぐらいだ。今覚えば私と目が合うと申し訳なさそうに微笑んでいた。疑うことを知らない私はその小さなサインを見抜けなかった。

『ごめん、好きな子ができた──別れてほしい』

 彼からの突然の話に一瞬言葉の意味が分からなかった。

 ほんの少し前までは、テレビで海外のロケがあると「こんなところで挙式もいいね」といい、晩御飯を作って出すと「涼香の炊き込みご飯は最高だな」そういって笑っていた彼がまるで煙のように消えてしまった。

 急激な気持ちの変化なのか、ゆっくりと彼が変わっていったのかは分からない。ただ一つ分かることは、目の前の彼は……私を愛していない、それだけ。

 怖かった。
 もう何年も一緒にいて突然突き放された恐怖。

 手も震える、涙も出る。
 好きな気持ち、別れたくない気持ちを伝える……でも彼の表情は変わらない。悩みのない曇りのない決意を感じた。

 どうしてこんなにも冷酷になれるのか不思議だった。憎い。悔しい、愛しているから──でも、ぐちゃぐちゃした感情の最後にあるのはやはり、愛情しかなかった。

『ごめん、涼香……』

 そう言って彼は部屋を出ていった。半ば同棲していた彼の荷物を残したまま彼だけが急にいなくなってしまった。

 その日の記憶は曖昧だ。
 泣いていたかもしれない、ひたすら彼の物を片付けていたかもしれない、気づけば部屋の真ん中にポツンと一人蹲っていた。

 まるで、たった今生まれたように。

 その晩連絡の取れない私を心配して弘子が家にやってきた。弘子が私よりも苦しげに泣き、体を包んでくれた。あの温もりは、今でも思い出せる。


『おーい、聞いてる?』

 弘子の声で覚醒する。昔の思い出に浸り過ぎた。

『とりあえず、大輝くんもだぶん二、三年彼女いないみたいなのよ。彼も涼香と同じだと思うの。無理なら無理でいいから友達として付き合ってみて? ね?』

 弘子の言葉に涼香は「分かった、友達ね」と言うと弘子は一気に声色が変わった。これ以上心配かけたくないと言った言葉だったが思いの外喜んでもらえたようだ。

『じゃ、また四人で飲みに行こうね!──洋介! 聞いて! 涼香が許してくれるって! 四人でまた飲みに行くってさ!』

『まじか! やったー!』

 電話の向こうから聞こえる夫婦の声を聞き、手を取り合い狂喜乱舞しているのが容易に想像できる。
 
 涼香はもう笑うしかなかった。


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