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三章
二
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夢一の改まった口調にましろは足を止め、利発そうな目で見つめ返してきた。
「あの娘……すずめか。何者なんだろうなあ」
ましろは静かに微笑んで首をかしげた。
「おめえも気づいただろ? あの三河屋の扇子は、扱われ方が酷かったせいで霊験のほとんどは消えていたが、れっきとした霊扇だ。あいつはそんな代物を一発で引き当てた……──偶然だと思うか?」
「いいえ、と、ましろは断言しますです。だって、あの女中募集さんの貼り紙を見ることができた方ですから」
「だよなあ。あれは霊墨”隠れ蓑”でしたためた字。そんじょそこらの奴には見えやしねえ。なのにあいつには見えた」
「ご自分の霊験にすずめさんは気づいていないのです」
「らしいな」
「でも……」
ましろは言い淀み、口元を引き締め深刻な表情を浮かべた。意志のこもった瞳で夢一を見つめてくる。その決然とした様子に夢一は思わず身構えた。
「で、でも、なんだ?」
恐る恐る訊く。
「でも……」
「うん」
「――かわいい娘さんなのです」
「知るか、ぼけ!」
怒鳴られてもましろは少しも意に介さず、ふふふっと楽しそうに笑った。
「すずめさんとは長いお付き合いになりそうですね。ましろは家族が増えるみたいでとてもうれしいのです」
そう言い残すと部屋を出て行った。
「……けっ、俺はああいう乳臭い餓鬼は嫌いなんだよ」
ひとり呟いて湯飲みを傍らに置くと、夢一は再びごろんと横になった。
「旦那様」
部屋をあとにしたはずのましろが障子戸から顔を覗かせる。
「な、なんだよ。いいじゃねえか、あのすずめって娘が来るまで寝ててもよ」
ましろはしかし首を横に振り「お客様です」と、玄関のほうをちらりと窺いながら告げた。
「客? 店の客か?」
「いえ」
「じゃあ、誰だよ?」と、問い返した夢一の耳に、馬鹿でかい胴間声が聞こえてきた。
「おい夢! 夢坊! いるか!? いてもいなくても返事をしろ!!」
とたん、夢一の顔はみるみる青ざめる。慌てて立ち上がり「隠れねえと、隠れねえと」と、うわ言のように呟きながら、部屋の押入れの引き戸に手を掛けた。
「ましろ、俺はいないってことに――」
しかしその夢一の声に答えたのは、太鼓のような野太い声だった。
「誰がいねえって? 夢坊?」
押入れに足を半分突っ込みかけて、夢一はぎくりと体を硬直させた。それから壊れたからくり人形のように振り返る。
「こ、これはこれは叔父上殿」
ましろの背後には恰幅のよい中年男が、鬼瓦のような顔で仁王立ちしていた。その両の目は眼光鋭く、引きつった笑みを浮かべる夢一を見据えている。
「久しぶりじゃねえか、夢坊。達者で暮らしていたか?」
男はいかつい顎をさすりながらにやりと笑う。
こ、こええな、その顔。
夢一は内心怖気づきながら、それをなんとか押し殺して男に精一杯微笑んだ。
「しかし叔父上がここにおいでになるなんて珍しい。今日はまたどういった用件で?」
べつにねえよ、おめえの顔を見れたらそれでいい、じゃあな、あばよ……──などという優しい展開を夢想した夢一であったが、そんな淡い希望はあっさりと打ち砕かれる。
「馬鹿野郎。のっぴきならねえ用があるから来たに決まってんだろ! つまんねえこと訊くんじゃねえ!」
「いや、あの、叔父上、申し訳ないのですが、今日は店のほうは休みで、へへへ」
「おお、そうかそうか、休みかい、へへへ」
「へへへ」
「へへへ……――て、ど阿呆! 天地がひっくり返ったって、俺が扇子なんて軟弱なもん、買いに来るわけねえだろ!」
扇子のどこが軟弱なんでい! ──と言い返せるはずもなく、夢一は男の怒鳴り声に身を縮ませ、しゅんとうなだれた。
いや、まあ、本当はそんなこと百も承知してるけどよ。
夢一は気づかれないよう小さくため息をつく。
叔父上が訪ねてくるのは厄介事を抱えてるとき。にっちもさっちもいかなくなったとき。で、そんなとき、叔父上は決まって俺にこう言うんだ。
「いいか夢坊。俺は扇屋の貧乏主人に用があって来たわけじゃねえ。江戸随一の扇使い――扇士、衣音夢一に会いに来た」
ほれみろ、予想通りだ。はあ~あ……。
「あの娘……すずめか。何者なんだろうなあ」
ましろは静かに微笑んで首をかしげた。
「おめえも気づいただろ? あの三河屋の扇子は、扱われ方が酷かったせいで霊験のほとんどは消えていたが、れっきとした霊扇だ。あいつはそんな代物を一発で引き当てた……──偶然だと思うか?」
「いいえ、と、ましろは断言しますです。だって、あの女中募集さんの貼り紙を見ることができた方ですから」
「だよなあ。あれは霊墨”隠れ蓑”でしたためた字。そんじょそこらの奴には見えやしねえ。なのにあいつには見えた」
「ご自分の霊験にすずめさんは気づいていないのです」
「らしいな」
「でも……」
ましろは言い淀み、口元を引き締め深刻な表情を浮かべた。意志のこもった瞳で夢一を見つめてくる。その決然とした様子に夢一は思わず身構えた。
「で、でも、なんだ?」
恐る恐る訊く。
「でも……」
「うん」
「――かわいい娘さんなのです」
「知るか、ぼけ!」
怒鳴られてもましろは少しも意に介さず、ふふふっと楽しそうに笑った。
「すずめさんとは長いお付き合いになりそうですね。ましろは家族が増えるみたいでとてもうれしいのです」
そう言い残すと部屋を出て行った。
「……けっ、俺はああいう乳臭い餓鬼は嫌いなんだよ」
ひとり呟いて湯飲みを傍らに置くと、夢一は再びごろんと横になった。
「旦那様」
部屋をあとにしたはずのましろが障子戸から顔を覗かせる。
「な、なんだよ。いいじゃねえか、あのすずめって娘が来るまで寝ててもよ」
ましろはしかし首を横に振り「お客様です」と、玄関のほうをちらりと窺いながら告げた。
「客? 店の客か?」
「いえ」
「じゃあ、誰だよ?」と、問い返した夢一の耳に、馬鹿でかい胴間声が聞こえてきた。
「おい夢! 夢坊! いるか!? いてもいなくても返事をしろ!!」
とたん、夢一の顔はみるみる青ざめる。慌てて立ち上がり「隠れねえと、隠れねえと」と、うわ言のように呟きながら、部屋の押入れの引き戸に手を掛けた。
「ましろ、俺はいないってことに――」
しかしその夢一の声に答えたのは、太鼓のような野太い声だった。
「誰がいねえって? 夢坊?」
押入れに足を半分突っ込みかけて、夢一はぎくりと体を硬直させた。それから壊れたからくり人形のように振り返る。
「こ、これはこれは叔父上殿」
ましろの背後には恰幅のよい中年男が、鬼瓦のような顔で仁王立ちしていた。その両の目は眼光鋭く、引きつった笑みを浮かべる夢一を見据えている。
「久しぶりじゃねえか、夢坊。達者で暮らしていたか?」
男はいかつい顎をさすりながらにやりと笑う。
こ、こええな、その顔。
夢一は内心怖気づきながら、それをなんとか押し殺して男に精一杯微笑んだ。
「しかし叔父上がここにおいでになるなんて珍しい。今日はまたどういった用件で?」
べつにねえよ、おめえの顔を見れたらそれでいい、じゃあな、あばよ……──などという優しい展開を夢想した夢一であったが、そんな淡い希望はあっさりと打ち砕かれる。
「馬鹿野郎。のっぴきならねえ用があるから来たに決まってんだろ! つまんねえこと訊くんじゃねえ!」
「いや、あの、叔父上、申し訳ないのですが、今日は店のほうは休みで、へへへ」
「おお、そうかそうか、休みかい、へへへ」
「へへへ」
「へへへ……――て、ど阿呆! 天地がひっくり返ったって、俺が扇子なんて軟弱なもん、買いに来るわけねえだろ!」
扇子のどこが軟弱なんでい! ──と言い返せるはずもなく、夢一は男の怒鳴り声に身を縮ませ、しゅんとうなだれた。
いや、まあ、本当はそんなこと百も承知してるけどよ。
夢一は気づかれないよう小さくため息をつく。
叔父上が訪ねてくるのは厄介事を抱えてるとき。にっちもさっちもいかなくなったとき。で、そんなとき、叔父上は決まって俺にこう言うんだ。
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