氷の王と自由な小鳥

野良猫のらん

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第三話 塔の外に行ってやる

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 シリルはそれから数日間、木屑に埋もれながら仕事に励んだ。ひたすらに働いた。一日一つのパンだけで、常に空腹を覚えながらも努力した。
 
 そんなある日。シリルはその時、彫刻を彫っている最中だった。
 
「痛っ」
 
 彫刻刀が滑り、指先を切ってしまった。作品に血の染みを作らないように素早く指先を口に含み、血を吸った。
 包帯を出さねばと考えていたら、工房の戸を叩く音が聞こえた。
 
「はーい」
 
 腰を起こし、一体誰だろうと呑気に戸を開けた。
 
 そこには、真っ黒の衣服に身を包んだ中年女性が立っていた。女性の表情は重く暗い。
 シリルは、親方が死んだ日のことを想起した。あの日もそうだった。突然、親方が帰ってこなくなった。
 
「エミールのおばさん……?」
 
 見覚えのある中年女性は、エミールの母親だった。
 
「突然ごめんね。シリルくんは仲良くしてくれていたから、知らせておこうと思ってね。……エミールが、死んでしまったそうなんだ」
 
「え……?」
 
 耳を疑った。
 ――死んだ? 誰が? エミールが? つい数日前、あんなに元気にしていたのに?
 目を開けているのに、目の前が暗闇に包み込まれていくようだった。
 
「あたしらだって、何が起こったかよくわからないんだよ。あたしらはもう正式にはエミールの家族じゃないことになっているから、葬式にも出させてもらえなくってね。今日、お役人がやってきて一方的にあの子の死を告げていったんだ」
 
 エミールの母親が口にする言葉が信じられなかった。シリルは呆然と立ち尽くす。
 
「なんでも、上層で同年代の子に殺されたらしくって」
 
 殺された、という言葉が強く耳に残る。
 親方と同じだ。エミールも、理不尽の犠牲になってしまった。
 じくじくと、忘れていた指先の傷が痛み始める。
 
「上層の人は、どうしてこんな非道なことができるんだろう……」
 
 母親の涙が、ぽたりと落ちた。
 
「あの子は時々漏らしていたことがあったよ。楽士検査に合格して上層に行けても、本当の意味で上層の人間と同等の扱いをしてもらえるわけじゃないって。上層の人間は物心つく前から楽器に触れていて、いくら練習しても追いつけない。『下層出』と呼ばれて馬鹿にされるって。あの子は気が強いからね、馬鹿にされて言い返したのかもしれない。それで喧嘩にでもなって……うう」
 
 上層で馬鹿にされていたなんて、知らなかった。エミールはそんな様子をおくびにも出さなかった。言われてみれば、寒い下層に足繁く通っていたのは上層での居心地が悪かったからではないのか。
 楽士を目指しているのかと尋ねた時、話題を逸らされたことを思い出す。きっと、楽士を目指せるような扱いを受けていなかったのだろう。
 
「犯人は……?」
 
「あの子だって一応は上層の人間なんだ。上層民を殺せば、同じ上層民でもただでは済まされない。犯人は捕まったって聞いたよ。でも、それがなんだっていうんだ。犯人が捕まったからって、あの子が帰ってくるわけじゃない」
 
「……そうですね」
 
「じゃあ、そろそろ行くよ。葬儀に出れなくても、あたしらなりにあの子を弔おうと思うんだ」
 
「はい」
 
 エミールの母親が去り、シリルは工房のドアをぱたりと閉じた。
 立っていられず、扉を背にずるずると崩れ落ちた。
 
「エミール……」
 
 胸に穴が空いたようだった。
 
 犯人が捕まっていないのだとしたら、上層に殴り込んで刺し違えてでも復讐しただろう。だが既に捕まっているという。シリルにできることは何もない。
 
 親方が殺されたときも、自暴自棄になって犯人をなんとかしようとした。それを止めてくれたのはエミールだった。その彼ももういない。
 
 こんな理不尽が起こる世界で、一体何に希望を持てというのか。
 
「くそったれな世界だ……」
 
 呟いたその時、何かがぱたりと倒れる音がした。小さな音だったが、シリルしかいない静かな工房にはよく響いた。
 シリルは腰を上げ、何が倒れたのか確認する。
 
「あ……」
 
 作業机の上の、絵本が倒れていた。
 
 エミールが訪れた時、話題にしたのを思い出す。
 シリルは呆然と絵本の頁をめくる。少女の家、大きな森、広い空……暖かな世界が描かれている。こんな世界ならば、理不尽など何も起きないように見えた。
 
 同時に、王の居室には窓があるとエミールが話してくれたのを思い出した。
 
「そうだ、外に行こう」
 
 自然とその考えに行きついた。


 シリルはなけなしの財産をはたいて、たくさんの布を買った。日々のパンを買うための金まで使い込んで。
 購入した布を、工房で縫い合わせて一枚の大きな布にした。
 
 シリルの計画はこうだ。
 
 最上階の王の部屋まで忍び込み、窓から塔の外に出て、布を広げて地上まで滑空する。
 
 小さい頃に、絵本の小鳥を真似して布を広げて高いところから飛び降りたことがあった。その時は怪我をしてしまったが、わずかに身体がふわりと浮くような感覚があった。
 今思うに、あれは布の大きさが足りなかったのだ。これだけ大きな布ならば大丈夫なはずだ。縫い合わせた布の大きさに、シリルは満足げに頷いた。
 
 布を縫い合わせた翌日、バックパックに丁寧に畳んだ布を詰め込んだ。それから、一本のナイフを腰に提げた。
 
 今日、塔の外に出る。先延ばしにする必要性などない。塔の外のどこかには、きっと童話に描かれていたような場所がある。生物が一切生きていけない世界だなんて、信じない。
 
 バックパックを背負うと、シリルは上層へと向かった。
 
 長い螺旋階段を上る、上る。
 一段ごとに、空気が暖かくなっていく。それだけ最上階の王の居室に近づいているということだ。
 
 王の力が回復すれば下層まで暖かくなると聞いた日には、それを希望としたものだ。温かくなってくれさえすれば、随分と生きやすくなるだろう。ついでにエミールが楽士とやらとして見出されてくれれば、幼馴染として鼻高々だ、なんて。
 
 もうそんな風には信じられない。
 
 きっと楽士とやらが見つかることはない。下層はずっと寒いままで、自分は追いつめられるように段々と飢え細り、いつの日か死に至る。
 
 そうなるくらいなら、塔の外を確かめてやる。それがシリルの決意だった。
 
 中層を通り過ぎ、上層に辿り着いた。
 
 上層は上着を脱ぎたくなるくらいに暖かい。だがここで上着を脱いではいけない。自分は塔の外に出るのだから。
 上層は清潔感があり、道行く人々は手の込んだ服装を着ている。あれらは皆、下層の裁縫職人や染色職人の手によるものだ。食料や音楽に関係のない仕事をする人間はすべて下層に押し込められる。おかしな話だ、上層の人間はその恩恵を享受している癖に。
 
 塔の中の世界への恨みを募らせながら、シリルはさらに上へ上がる螺旋階段を上っていく。シリルを変な目で見る者はいない。上層にだって、下働きとして下層の人間はいるからだ。
 
 長い長い螺旋階段を上がる。流石に疲れてきた。螺旋階段は壁や床と同じく、白い石材でできている。ずっと白い階段を見ていると、目がチカチカとしてきた。
 段を上がって上がって、ついにシリルは最上階に辿り着いた。
 
 最上階にあるのは、王の宮殿だ。重厚な扉の前で、二人の兵士が槍を手に仁王立ちしている。
 最上階まで来るのは初めてだ。普通は用もないのに来たら、追い払われる。
 
「そこの者、何用ですか」
 
 門番の兵士が丁寧ながらも険しい口調で、シリルに話しかけてきた。
 
 そこで初めて、どうやって中に入るか考えていなかったことに気がついた。塔の外に飛び出すことしか考えていなかった。
 頭を素早く回転させ、なんとか言い訳を考える。
 
「あの、新しく下働きとしてここで働かせてもらうことになった者です。どこから入ればいいのか、わからないのですが……」
 
 駄目だ、こんな言い訳すぐに嘘だと見破られるに決まっている。
 自信のなさから、いかにも弱々しい口調になった。
 
「新しい下働きの者? そのような連絡は受けていませんが……」
 
 門番の片方が、訝しげな顔をする。
 ああ、やっぱり。嘘はあっさりバレてしまった。ここで門番に捕まって、もう塔の外には出れないのだ……。
 
 シリルが絶望した、その時。
 
「……ああ、その連絡なら受けています。中へご案内しましょう」
 
 門番の片方がやや茫洋とした表情で言った。
 
「へ?」
 
 嘘を吐いた当人であるシリルの方が驚いてしまった。
 
「そういえば、そうでしたかね……」
 
 もう片方の門番も、ぼうっとした表情になって同意した。一体、何が起きているのだろう。
 
「中の待合室にご案内します……こちらです、ついてきてください」
 
 どうやらたまたま新しい下働きが入る日だったらしい。なんという偶然もあったものだ。
 門番に案内され、シリルはまんまと王宮に侵入することに成功した。
 
「では、こちらでお待ちください……。今、担当者を呼んで参りますので」
 
「はい」
 
 大人しく頷くが、門番の姿が見えなくなるなり、シリルは待合室を出た。
 
 このままここにいれば、新しく入ってきた下働きではないことがバレて追い出されるだけだ。
 シリルは王の居室を目指して、王宮内を徘徊し始めた。
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