どうか溺れる恋をして

ユナタカ

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中編

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いつもと変わりない1日になるはずだった。





朝早く目覚めたカロルは、手早く支度をしてから家を出た。
太陽がゆっくりと巡ってくる兆しを背に薄暗く、まだ静かな町中を歩く。
空を見上げて、視線を彷徨わせるカロルは目当てのものをすぐに見つけた。
今はまだ光をうつして輝く月。


「おし、やるか。」



三日月にヒラリと手を振って、カロルはパン屋の扉を開けた。





-------



卒業後、カロルが就職先に決めたのは町にあるパン屋のひとつだった。

小さな頃からパンが好きでよく食べていたカロルだったが、パン屋が朝が早くから仕込みがあると知って一度は選択から外していた。
だからといって、好きなのは変わらないわけでよく色々な店に行っては食べ、またそんなカロルをみて、差し入れをしてくれる人も少なくなかった。

そんなカロルが変わったきっかけは、ジオが出て行ったあの出来事が発端だった。
家に引きこもり過ごした鬱鬱とした半年の日々に、姿も見せず、通信機にも音沙汰のないカロルに数少ない友人が差し入れたのはやっぱりパンだった。

カタン。と扉に触れる音が聞こえるたび、その扉が開くのを待っていたカロルは過ぎ去る足音に落胆した。
ここへきてくれたその人を引き留めたい気持ちとジオでないと知ることの不安がせめぎ合って、結局はいつも足音が去るまでの間、耳をそばだてて扉の前で待ってしまった。
そうして静かになった頃、ようやく開かれた扉の先でカロルが見つけたのはパン屋の袋だったというわけだ。
泣いてうずくまって過ごした半年間だが、パンを食べたその時だけは確かにカロルの心が癒されたのだ。
そのことは彼の心にも強く残り、パンに対する気持ちを深めることにも繋がった。

さらにカロルの進路を示すかのように、ジオがいなくなってからは早起きができるようになった。
楽しみにしていた旅行の日にすら寝坊したカロルが今では時計なしで起きられるようにやった。




この先、もうジオには会えないのだと理解したカロルがその道を進むには状況が整いすぎていた。






-------






そうして就職してから5年と少しが過ぎたが、気のいい夫婦と穏やかで厳しい先輩に囲まれてうまくいっていた。
カフェが併設されたパン屋はオシャレ人気が出てきていたし、近ごろ話題の地元情報誌にも掲載されることが決まって奥さんもとても喜んでいた。



なのに。





「カロル•ヴィーさんですね。今後、しばらくの間あなたの警護に就くことになりました。第三騎士団所属ジオ•グラジオです。こちらはエヴァン•ブラック。それから…」

「アイル•マルティナです。よろしくお願いします!」

「…はい。」
(なんでこんなことになったんだ…。)


パン屋に馬車が突っ込んできたのはお昼を過ぎてすぐだった。
カフェもパン屋も昼時のピークが終わって、店長たちがようやくお昼の休憩に入って。
次のピークになるだろう時間まで、カロルが店番をするはずだったそんな時。

大きな音と揺れに、カロルは何が起きたのか全くわからないままにその場に崩れ落ちた。
呆然としているカロルの元に巡回中だった騎士団が到着し、その場の混乱をおさめてくれた。

カロルは騎士団所属となったジオと対面し、事情聴取を終え、騎士団の面々も一度は引き上げていったはずだ。
それがまさか戻ってきて、自分の警護をするとは一体なんなんだと混乱が頭を埋める。


「今回の事故ですが先ほどもご説明した通り、故意に起こされたものである可能性があります。それについて調査を終えるまで、おおよそ7日から10日程の間になるかと思われますが、我々3人が交互に警護させてもらう形になると思います。」


「…あ、ありがとうゴザイマス。あのトマスさんたちは…」

「ご心配なく。ご夫婦にはもちろん警護をつけますし、事故当時カフェにいた従業員にもそれぞれ割り当てられています。日程によっては我々のうち誰かがそちらに回る時もあるかもしれませんがその時は都度、カロルさんにも人員をあてるようにしますので。」

「…はい。」

事故ではなく事件の可能性があるとか、誰が狙われているのか動機も定かではないとか不安を煽る要素はいくつもあるのに、カロルの脳内を占めるのはただ一つのことだ。

(ジオ。)

騎士団に入って、たくさんの訓練をしたのだろう。
筋肉がつき、体つきが厚くなったのが軽装の上からでもみてとれた。
幼さを残していた顔つきも、凛々しく精悍な顔立ちの青年へと変わった。

(…みんなが憧れるような、かっこいい騎士になったんだな。)


ひとり物思いに耽るカロルへと、明るい声でアイルが問いかける。

「誰か、連絡を入れておきたい人はいますか?騎士団の方からも今回の件と警護期間ついて簡単に事情を説明するほうが安心されるかと思いますが。」

「いや、いないので。大丈夫です。」

「…え!こんなに美人なのに!はお付き合いされてる人はいないんですか?」

「え…あぁ、はい。ソウデスネ。」
(今どころか、もうずっといない。)

そんなことを言ってもどうしようもないとカロルは小さく息をついてからジオへと視線を向けた。
絡み合う視線にかつてのような熱はない。
当たり前のそれにツキンと痛む胸を抑え、視線を下げた。



「理想が高いとか!?俺とかどうです?有望株だと思うんですけど!」

ずいとその身を乗り出すアイルにカロルが咄嗟に後ろへと半歩下がる。
よろけそうになったカロルの背が何かにあたる。

「アイル、それは業務外です。警護対象者を驚かせてどうするんですか。」

少し上から聞こえた声に導かれるように顔をあげたカロルは思いの外そばあったジオの顔に見惚れた。

(さっきまで前にいたのに…。)

よろけそうになったから守ってくれたのかと、じわじわと胸に滲む嬉しさがカロルの口角をゆるくおしあげた。

「あり、がとう。」

ニヤついてしまわないように、熱が集まる頬を見られないようにと俯きがちにお礼を口にする。

「いえ。怪我がなく、良かったです。」

淡々とそれだけを告げるとジオは元の位置に戻っていった。
少しの間だけ触れていた背中が、熱を失ってすっと冷えていく。




「それでは今日から、よろしくお願いします。」

エヴァンとアイル、そしてジオが綺麗に略式の礼をするのをカロルはぼんやりと見つめていた。







-------




2日、長いと3日ごとにジオはカロルの元へ来てくれた。

「本日は何をされますか。」という言葉から始まり、「それでは、また。」という言葉で終わる。
そんな日を2回繰り返した。
いつ終わってしまうかわからない警護期間が、少しでも長く続けばいいとカロルは思っていた。

3回目にジオが担当としてつくことになったのは、ある日の午後だった。
エヴァンが急遽、対応しなくてはならない事案があるとのことで補修作業中のパン屋へとジオが交代にやってきた。
パン屋は半壊していたがカフェは無事だったため、そちらで短期間だけウェイターをしていたカロルが1番先にジオをその視界に入れた。

(ジオだ…。)

誰かと並んで歩く姿に、それが通り向こうからでもジオだとわかって目が離せなくなったカロルは息を飲んだ。

(…笑った。それに、頭、さわって…)


あまりに凝視していたせいか、ポロリと目から水が落ちた。
カロルは慌てて後ろを向くと目を瞬きながら、ハンカチを押し当てた。

振り返ると、こちらへと2人が歩いてきていた。
よく見ると可愛らしい女の子で、ジオの腕へとその腕を絡めている。
それを解くでもなく、嫌がるそぶりもなくジオは受け入れていた。

(いいな。)

かつては自分に許されていたことが、羨ましくて仕方なくて。
なんだかひどく自分が小さな人間のように思えて、カロルはキッチンへと足早に戻っていった。


エヴァンと交代したのだと、今からは自分が担当しますと言ったジオの隣にはもう彼女はいなかった。







***


こうして再会できたことが、繋がりができたことが奇跡のような出来事だから。
どうしたって辛いことも、突きつけられる気持ちすら、どうにか押し込めてなかったことのようにして。
それが苦しくても、側にいられるうちはそうしたいと思う。
そんな自分の気持ちすら、きっとジオがかつて思ってくれていたことなのかなと思えば、過去の君を知れたのかなと思って嬉しくなってしまうんだから。

(ほんと…どうしようもない。)

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