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気が付くと、見慣れない白い天井が目に入った。綺羅びやかな装飾が施され、見るものを圧倒する。そこに竜の紋章を見つけた。
それでここが王ネムスの城だと気づく。それまでの経緯も思い出した。
城に──運ばれたのか。
光の渦からどうやってここまで来たのか。
ふと、自分の手を握る確かな温もりに気づいた。横に顔を向ければ、
「スウェル…?」
「タイド…」
赤茶の髪、深い緑の瞳。タイドが必死な表情でこちらを覗き込んでいた。
私の──タイド。
「スウェル…! 良かった」
そう言って、横になったままのスウェルの首筋に抱きついてくる。
ふわりとタイドの香りがした。甘い懐かしさを感じる香り。幼い頃からずっと変わらない。腕をその背に回すと。
「すまない…。すっかり待たせた…」
口許を赤茶の髪がくすぐった。
一体、どれ程眠っていたのか。部屋にはタイド以外いなかった。まだ、誰もスウェルが目覚めたことを知らない。
タイドを抱きしめたまま、スウェルは言葉を続ける。
「何がどうなったのか、分からないんだが…。とにかく、誰の邪魔も入らないうちに伝えておこう」
「スウェル?」
タイドが僅かに顔を起こし見つめてくる。今度こそ、伝えねばならない。
「俺は──」
と、言いかけた唇を、タイドが指先でそっと押さえてきた。
タイド?
首を傾げれば。
「…俺は、エルフの里を勝手にでて、掟を破って人と関わった。もう、戻れない…。それに──俺は…もうスウェルといられないんだ」
「なんでだ? エルフの里にいれないことなど、苦でもない。どこか人里離れた場所でもみつけてそこで二人暮らせば──」
「違うんだ…! 俺だって、そうしたい…。そうしたいけど──」
俯くタイドの頬に触れ、そっと顔を起こす。
「何を隠している?」
タイドはその言葉に、くっと顔を上げると。
「俺は…この国の王様の子どもだって…。だから、この国から出ることが出来ない…。王家の一員として、民を守る義務があるって…」
「は?! なんだ、それは──」
「本当の事です」
そう言って、姿を現したのはニテンスだ。手に水差しを持っている。それを近くのテーブルに置くと。
「この国の王、ネムスは、十八年前、とある村に遠征で暫く滞在したそうです。そこで身の回りの世話をしてくれた娘と懇意になり、娘は懐妊した。王は村を離れる時、自身の短剣を娘に渡し後日城を訪ねるように言ったそうです」
「短剣…」
思い当たるのは、タイドに渡したあの剣だ。
やはり、あの紋章は──。
ニテンスは先を続けた。
「娘はしかし、城には出向かなかった。無事息子を生みはしたが、独り身では生活に苦労し、息子の為に仕方なく城を訪れた。しかし、王は不在だったそうです。それを偶然知った第一王妃の恨みをかい、暗殺された」
「暗殺? それじゃあ、タイドの母親は──」
「その時の赤子は──娘の最後の逃亡先の村の近くの、森の奥にある大樹に置かれた…。その赤子の行方は…スウェル様の知っての通りです」
「…その話しは?」
「ベルノ王子から聞きました。ベルノ王子は、第一王妃の元侍女から…。スウェル様もお気づきだったはず。例の剣の出先を…」
「それは…」
あの短剣に刻まれていたのは、セルサスの紋章だと分かっていた。シリオにも以前に指摘されていたのだ。それに、タイドが若かりし頃の王ネムスに似ていると言うことも。
だが、それに気づいてはいても、無視し続けてきた。それらは偶然で、王家とは何ら繋がりがないものだと。
そう、自身に思い込ませて来た。
「王ネムス様はタイドを正式に息子として迎えいれると。そして、グリューエン様もそれをお認めになりました。グリューエン様としても、何らかの処罰を与えるより、望まれて人の世に戻るなら、それでよしとすると…」
「…なんだ? それは…。俺の、タイドの気持ちはどうなる? こんな勝手な──」
スウェルはタイドを抱きよせる。ニテンスは小さくため息をつくと。
「あなたの意識は半月、戻りませんでした。それだけあれば話は進みます。それに、早く目覚めていたとしても、スウェル様の意見は通らなかったでしょう。掟を破ったことは咎めねばなりませんし、王グリューエン様の決定は絶対です。…なにより、人としてのタイドの将来を考えれば、ネムス様の申し出はありがたいことでしょう」
「何を──今更…」
「これは、タイドも了承済みです」
その言葉に腕の中のタイドを見下ろす。
「本当か? それは──本心か?」
タイドは唇を噛みしめ、身体を震わす。
本心のはずがない。だったら、こんな顔は見せないはず。
タイドは声を絞り出すと。
「…俺は、スウェルといられればそれで良かった。本当に、望むのはそれだけだったんだ…。けど…」
「けど、なんだ?」
その顔を覗き込めば、タイドは顔を上げしっかりとスウェルを見つめてくる。
「俺は──…」
見る見るうちに、その目の端に涙が浮かび、頬を滑り落ちていく。
その表情は、スウェルを好きで仕方ないと物語っている。
なのに──。
「俺は、この国で、王子として生きる…。そう、決めたんだ。それが俺の役目なんだ…」
「タイド! お前はそれでいいのか? お前自身の人生なんだぞ? 人の事なんて、かまうことはない。本当にしたいことをすればいいんだ!」
タイドは泣いたまま、肩に置かれたスウェルの手に自分の手を重ねると。
「スウェル。俺の──記憶を封じて。それがスウェルならできるって、ニテンスから聞いた…。俺、このままじゃ、壊れる…」
ちらとスウェルはニテンスに鋭い視線を向けたが。ニテンスは静かに部屋を辞していった。
スウェルはタイドの頬に両手を添えるとしっかりと視線を合わせ。
「お前…。そこまでして、どうして自分を封じる? 俺はお前が好きだ。生涯ともにしたいと思っている。これはお前も同じ気持ちだ。そうだろ?」
「っ! …そうだよ…。俺だって──ずっと、前からスウェルが好きだった。大好きで。誰にも渡したくなんてなかった…! 俺だけのスウェルでいて欲しかった…」
「なら…! 他人の言うことなんで、聞く必要はない。このまま二人でどこへでも──」
しかし、タイドは強い眼差しをスウェルに向けると。
「それじゃ、ダメなんだ…! 俺は──スウェルが大切なんだ…。幸せになって欲しい。俺といたら、スウェルは不幸になる…。俺は人だから。…一緒には生きられない…」
「そんな…、方法ならある! お前さえ良ければ──」
「ダメなんだ! 頼む! スウェル、すぐに俺の記憶を封じて。スウェルとの記憶を…。封じてくれないなら、俺は自分で命を絶つ」
「タイド…」
「何も聞かないで…。頼むから…」
「……」
スウェルは黙って泣き続けるタイドを見つめる。
愛しい、タイド。
どうしてそんな悲しい言葉を口にするのか。どうして、一緒に生きようと、何処かへ連れ去ってくれと言わないのか。
一言、そう言えば俺は──。
「タイド。お前の決心は──変わらないのか?」
「ん…」
こくりと頷いた。
「わかった。言う事を聞こう。だが──タイド。お前も私の望みを聞いてくれ。でなければ、記憶を封じない」
涙にぬれた瞳でこちらを見つめてくる。
スウェルはその頬に手を添わせ、唇に触れるだけのキスをした。
タイドの目が驚きに見開かれる。
「一時、私に時間を──タイドを好きにする時間をくれ。そうしたら、言う事を聞こう」
「スウェル──」
その腕を取り引き寄せる。もう一度、今度は長いキスをして、瞳を覗き込み。
「私が生涯の伴侶とするのは、タイド。君だけだ。君がたとえ私を忘れても──私は、永遠に君だけを愛する…。応じてくれるか?」
「──! …勿論…」
目の端、ぷくりと盛り上がった涙の雫をキスで受け止める。
指を絡め、そうして深い緑に溺れていった。
✢✢✢
タイドにそっと触れていく。
一つも忘れないよう、自身の記憶に刻むように。
「っ……! ス、ウェル…っ」
無意識に逃れようとするタイドの手首を掴み、シーツの上に縫い止め動きを封じる。
幾度目かの行為に限界を訴えていたのだが、スウェルは手を緩めなかった。
そうして、一度額にキスを落とすと、
「タイド、目を開けてくれ…。見ていたいんだ」
そのひとつひとつを。
些細な表情の変化も、敏感に反応を示す身体も。漏れる吐息も。
何もかも、記憶に刻むため。
「……っ!」
言われて、半ば意識を飛ばしていたタイドは、泣きながらこちらを見上げて来る。
「良かった…。そのまま、開けていてほしい…。忘れたくないんだ」
深い緑の瞳。
覗くと、森の奥深くに引き込まれる様だった。
「っ、ぁ…!」
ゆっくり動き出すと、合わせてタイドの視線も揺らぐ。だが、健気に目を開けて、何とかこちらを見つめていようと、努力しているのが伺えた。
「タイド…。好きだ。ずっと──君だけだ」
額に額を擦り付ける様にしてそう口にすると、キスをする。ちゃんとした大人のキスだ。
息を上手く継げないタイドは、唇を離すと呼吸を乱す。
かわいい──。かわいくて、愛おしい。
「君を──閉じ込める。誰にも渡さない。今、この時の君は──私だけのもの…」
グッと一際強く突き上げると、タイドが一瞬、息を止めた。
「っ──!」
「どうか。忘れないでくれ。…記憶を封じても。どうか、覚えていて欲しい。君を愛したものがいた事を…!」
「っ、は……!」
タイド。どうか──。
すると、熱に浮かされた瞳でスウェルを見返したタイドは。
「俺が…っ、心を預けたのは、スウェルだけ…。俺の、心はスウェルの中に、ある。例え、記憶を封じられても──」
タイドはひたりと右手をスウェルの白い胸に当てた。
「──この中に、ある…。忘れない、で」
タイド……。
スウェルはたまらず、ぎゅっとタイドを抱きしめると、
「やはり、このまま二人でどこかへ行こう。誰にも邪魔させない。追手など、幾らでもこの力で追い払ってやる。だから──」
タイドも同じ様にスウェルの背に腕を回し抱きつくと。
「うん…。ありがとう、スウェル…」
「……!」
泣きながら答えた。
感謝の言葉。
嬉しい。けれど、行かれない──。
言外にそう伝えて来る。
タイドは顔を起こしスウェルを見つめると。
「このまま、お願い…。スウェルと生きるんだって、思ったまま─…」
「──いや。思ったままじゃない。次、目覚めた時は──二人だけの世界にいる。きっとだ」
「…うん!」
その言葉が偽りだと、互いに分かっている。けれど、それを口にはしなかった。
見下ろしたタイドの頬に涙がポタリと落ちる。タイドは、くすと笑み。
「泣かないで。だって、目覚めても、一緒にいるんでしょ?」
細い指が涙の跡を辿る。人前で泣いたのはこれが初めてだった。
「…そうだ。ずっと、一緒だ─…」
私の、タイド。
これからも、君だけを愛す──。
✢✢✢
スウェルはベッドの上で意識を失ったタイドを見下ろす。
次目覚めれば、全て忘れているだろう。
どんなに思いだそうとしても、どちらかが命を落とさない限り、このまじないは解けない。
次、この緑の瞳を間近で覗き込むことはないのだろう──。
閉じられた瞼に指の背で触れたあと、その指を握り締める。
タイド…。
僅かな時とは言え、その間はとても幸せだった。
タイドは自分だけのもので、タイドにとってもスウェルは彼だけのもので。
誰にも奪えない二人だけの時間だった。
君の命が尽きるまで、俺はずっと傍に──。
たとえタイドが他の誰かと恋に落ち、結ばれても。その誰かを愛する君ごと、愛そう。
私の全て──。
私の、愛しいタイド。
最後にもう一度、唇にキスを落とし、タイドを残したまま部屋を後にした。
✢✢✢
部屋の外に出れば、ニテンスが壁際にたたずんでいた。まるで誰も中に入らぬよう、番でもしていたかのようだ。
いや、多分、そうしていたのだろう。
「…満足か?」
その言葉にニテンスは表情を変えず。
「王の決定には逆らえません」
「はっ。今更、父の味方か? ──いや。ニテンス、お前は父からの推薦で私の元に来たのだったな…。元より、主は父上か…。まあいい」
ニテンスは何か言いたそうにしたが、口にはしなかった。
スウェルも聞く気はなかった。今更何を聞いたところで、この状況が変わるわけもない。
「タイドの記憶は封じた。…だが俺に関する記憶だけだ。エルフの里にいたのはお前や、シリル達とだ。齟齬はないだろう。王ネムスも、ベルノ王子も、このことを知る人間はきっと黙っているはずだ。俺の存在は他の者も──そう、記憶には残らないだろう。例え相手が俺の名を口にしたところで、タイドに記憶は戻らない…。お前は記憶に残れて良かったな?」
投げやりにそう口にして力なく笑うと、その場を後にした。
タイドはスウェルに関する記憶だけ失くし、王家のものとして迎え入れられた。
いや。もとよりそんな記憶は無かったことになっているのだ。当人にその自覚はない。
ただ、エルフの里で育ち、王家に迎え入れられた。それだけのストーリーだ。
タイドは妾腹の出ではあっても、たった二人だけの息子だ。王は分け隔てなく息子二人を慈しんだ。
そうして月日は流れた。
それでここが王ネムスの城だと気づく。それまでの経緯も思い出した。
城に──運ばれたのか。
光の渦からどうやってここまで来たのか。
ふと、自分の手を握る確かな温もりに気づいた。横に顔を向ければ、
「スウェル…?」
「タイド…」
赤茶の髪、深い緑の瞳。タイドが必死な表情でこちらを覗き込んでいた。
私の──タイド。
「スウェル…! 良かった」
そう言って、横になったままのスウェルの首筋に抱きついてくる。
ふわりとタイドの香りがした。甘い懐かしさを感じる香り。幼い頃からずっと変わらない。腕をその背に回すと。
「すまない…。すっかり待たせた…」
口許を赤茶の髪がくすぐった。
一体、どれ程眠っていたのか。部屋にはタイド以外いなかった。まだ、誰もスウェルが目覚めたことを知らない。
タイドを抱きしめたまま、スウェルは言葉を続ける。
「何がどうなったのか、分からないんだが…。とにかく、誰の邪魔も入らないうちに伝えておこう」
「スウェル?」
タイドが僅かに顔を起こし見つめてくる。今度こそ、伝えねばならない。
「俺は──」
と、言いかけた唇を、タイドが指先でそっと押さえてきた。
タイド?
首を傾げれば。
「…俺は、エルフの里を勝手にでて、掟を破って人と関わった。もう、戻れない…。それに──俺は…もうスウェルといられないんだ」
「なんでだ? エルフの里にいれないことなど、苦でもない。どこか人里離れた場所でもみつけてそこで二人暮らせば──」
「違うんだ…! 俺だって、そうしたい…。そうしたいけど──」
俯くタイドの頬に触れ、そっと顔を起こす。
「何を隠している?」
タイドはその言葉に、くっと顔を上げると。
「俺は…この国の王様の子どもだって…。だから、この国から出ることが出来ない…。王家の一員として、民を守る義務があるって…」
「は?! なんだ、それは──」
「本当の事です」
そう言って、姿を現したのはニテンスだ。手に水差しを持っている。それを近くのテーブルに置くと。
「この国の王、ネムスは、十八年前、とある村に遠征で暫く滞在したそうです。そこで身の回りの世話をしてくれた娘と懇意になり、娘は懐妊した。王は村を離れる時、自身の短剣を娘に渡し後日城を訪ねるように言ったそうです」
「短剣…」
思い当たるのは、タイドに渡したあの剣だ。
やはり、あの紋章は──。
ニテンスは先を続けた。
「娘はしかし、城には出向かなかった。無事息子を生みはしたが、独り身では生活に苦労し、息子の為に仕方なく城を訪れた。しかし、王は不在だったそうです。それを偶然知った第一王妃の恨みをかい、暗殺された」
「暗殺? それじゃあ、タイドの母親は──」
「その時の赤子は──娘の最後の逃亡先の村の近くの、森の奥にある大樹に置かれた…。その赤子の行方は…スウェル様の知っての通りです」
「…その話しは?」
「ベルノ王子から聞きました。ベルノ王子は、第一王妃の元侍女から…。スウェル様もお気づきだったはず。例の剣の出先を…」
「それは…」
あの短剣に刻まれていたのは、セルサスの紋章だと分かっていた。シリオにも以前に指摘されていたのだ。それに、タイドが若かりし頃の王ネムスに似ていると言うことも。
だが、それに気づいてはいても、無視し続けてきた。それらは偶然で、王家とは何ら繋がりがないものだと。
そう、自身に思い込ませて来た。
「王ネムス様はタイドを正式に息子として迎えいれると。そして、グリューエン様もそれをお認めになりました。グリューエン様としても、何らかの処罰を与えるより、望まれて人の世に戻るなら、それでよしとすると…」
「…なんだ? それは…。俺の、タイドの気持ちはどうなる? こんな勝手な──」
スウェルはタイドを抱きよせる。ニテンスは小さくため息をつくと。
「あなたの意識は半月、戻りませんでした。それだけあれば話は進みます。それに、早く目覚めていたとしても、スウェル様の意見は通らなかったでしょう。掟を破ったことは咎めねばなりませんし、王グリューエン様の決定は絶対です。…なにより、人としてのタイドの将来を考えれば、ネムス様の申し出はありがたいことでしょう」
「何を──今更…」
「これは、タイドも了承済みです」
その言葉に腕の中のタイドを見下ろす。
「本当か? それは──本心か?」
タイドは唇を噛みしめ、身体を震わす。
本心のはずがない。だったら、こんな顔は見せないはず。
タイドは声を絞り出すと。
「…俺は、スウェルといられればそれで良かった。本当に、望むのはそれだけだったんだ…。けど…」
「けど、なんだ?」
その顔を覗き込めば、タイドは顔を上げしっかりとスウェルを見つめてくる。
「俺は──…」
見る見るうちに、その目の端に涙が浮かび、頬を滑り落ちていく。
その表情は、スウェルを好きで仕方ないと物語っている。
なのに──。
「俺は、この国で、王子として生きる…。そう、決めたんだ。それが俺の役目なんだ…」
「タイド! お前はそれでいいのか? お前自身の人生なんだぞ? 人の事なんて、かまうことはない。本当にしたいことをすればいいんだ!」
タイドは泣いたまま、肩に置かれたスウェルの手に自分の手を重ねると。
「スウェル。俺の──記憶を封じて。それがスウェルならできるって、ニテンスから聞いた…。俺、このままじゃ、壊れる…」
ちらとスウェルはニテンスに鋭い視線を向けたが。ニテンスは静かに部屋を辞していった。
スウェルはタイドの頬に両手を添えるとしっかりと視線を合わせ。
「お前…。そこまでして、どうして自分を封じる? 俺はお前が好きだ。生涯ともにしたいと思っている。これはお前も同じ気持ちだ。そうだろ?」
「っ! …そうだよ…。俺だって──ずっと、前からスウェルが好きだった。大好きで。誰にも渡したくなんてなかった…! 俺だけのスウェルでいて欲しかった…」
「なら…! 他人の言うことなんで、聞く必要はない。このまま二人でどこへでも──」
しかし、タイドは強い眼差しをスウェルに向けると。
「それじゃ、ダメなんだ…! 俺は──スウェルが大切なんだ…。幸せになって欲しい。俺といたら、スウェルは不幸になる…。俺は人だから。…一緒には生きられない…」
「そんな…、方法ならある! お前さえ良ければ──」
「ダメなんだ! 頼む! スウェル、すぐに俺の記憶を封じて。スウェルとの記憶を…。封じてくれないなら、俺は自分で命を絶つ」
「タイド…」
「何も聞かないで…。頼むから…」
「……」
スウェルは黙って泣き続けるタイドを見つめる。
愛しい、タイド。
どうしてそんな悲しい言葉を口にするのか。どうして、一緒に生きようと、何処かへ連れ去ってくれと言わないのか。
一言、そう言えば俺は──。
「タイド。お前の決心は──変わらないのか?」
「ん…」
こくりと頷いた。
「わかった。言う事を聞こう。だが──タイド。お前も私の望みを聞いてくれ。でなければ、記憶を封じない」
涙にぬれた瞳でこちらを見つめてくる。
スウェルはその頬に手を添わせ、唇に触れるだけのキスをした。
タイドの目が驚きに見開かれる。
「一時、私に時間を──タイドを好きにする時間をくれ。そうしたら、言う事を聞こう」
「スウェル──」
その腕を取り引き寄せる。もう一度、今度は長いキスをして、瞳を覗き込み。
「私が生涯の伴侶とするのは、タイド。君だけだ。君がたとえ私を忘れても──私は、永遠に君だけを愛する…。応じてくれるか?」
「──! …勿論…」
目の端、ぷくりと盛り上がった涙の雫をキスで受け止める。
指を絡め、そうして深い緑に溺れていった。
✢✢✢
タイドにそっと触れていく。
一つも忘れないよう、自身の記憶に刻むように。
「っ……! ス、ウェル…っ」
無意識に逃れようとするタイドの手首を掴み、シーツの上に縫い止め動きを封じる。
幾度目かの行為に限界を訴えていたのだが、スウェルは手を緩めなかった。
そうして、一度額にキスを落とすと、
「タイド、目を開けてくれ…。見ていたいんだ」
そのひとつひとつを。
些細な表情の変化も、敏感に反応を示す身体も。漏れる吐息も。
何もかも、記憶に刻むため。
「……っ!」
言われて、半ば意識を飛ばしていたタイドは、泣きながらこちらを見上げて来る。
「良かった…。そのまま、開けていてほしい…。忘れたくないんだ」
深い緑の瞳。
覗くと、森の奥深くに引き込まれる様だった。
「っ、ぁ…!」
ゆっくり動き出すと、合わせてタイドの視線も揺らぐ。だが、健気に目を開けて、何とかこちらを見つめていようと、努力しているのが伺えた。
「タイド…。好きだ。ずっと──君だけだ」
額に額を擦り付ける様にしてそう口にすると、キスをする。ちゃんとした大人のキスだ。
息を上手く継げないタイドは、唇を離すと呼吸を乱す。
かわいい──。かわいくて、愛おしい。
「君を──閉じ込める。誰にも渡さない。今、この時の君は──私だけのもの…」
グッと一際強く突き上げると、タイドが一瞬、息を止めた。
「っ──!」
「どうか。忘れないでくれ。…記憶を封じても。どうか、覚えていて欲しい。君を愛したものがいた事を…!」
「っ、は……!」
タイド。どうか──。
すると、熱に浮かされた瞳でスウェルを見返したタイドは。
「俺が…っ、心を預けたのは、スウェルだけ…。俺の、心はスウェルの中に、ある。例え、記憶を封じられても──」
タイドはひたりと右手をスウェルの白い胸に当てた。
「──この中に、ある…。忘れない、で」
タイド……。
スウェルはたまらず、ぎゅっとタイドを抱きしめると、
「やはり、このまま二人でどこかへ行こう。誰にも邪魔させない。追手など、幾らでもこの力で追い払ってやる。だから──」
タイドも同じ様にスウェルの背に腕を回し抱きつくと。
「うん…。ありがとう、スウェル…」
「……!」
泣きながら答えた。
感謝の言葉。
嬉しい。けれど、行かれない──。
言外にそう伝えて来る。
タイドは顔を起こしスウェルを見つめると。
「このまま、お願い…。スウェルと生きるんだって、思ったまま─…」
「──いや。思ったままじゃない。次、目覚めた時は──二人だけの世界にいる。きっとだ」
「…うん!」
その言葉が偽りだと、互いに分かっている。けれど、それを口にはしなかった。
見下ろしたタイドの頬に涙がポタリと落ちる。タイドは、くすと笑み。
「泣かないで。だって、目覚めても、一緒にいるんでしょ?」
細い指が涙の跡を辿る。人前で泣いたのはこれが初めてだった。
「…そうだ。ずっと、一緒だ─…」
私の、タイド。
これからも、君だけを愛す──。
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スウェルはベッドの上で意識を失ったタイドを見下ろす。
次目覚めれば、全て忘れているだろう。
どんなに思いだそうとしても、どちらかが命を落とさない限り、このまじないは解けない。
次、この緑の瞳を間近で覗き込むことはないのだろう──。
閉じられた瞼に指の背で触れたあと、その指を握り締める。
タイド…。
僅かな時とは言え、その間はとても幸せだった。
タイドは自分だけのもので、タイドにとってもスウェルは彼だけのもので。
誰にも奪えない二人だけの時間だった。
君の命が尽きるまで、俺はずっと傍に──。
たとえタイドが他の誰かと恋に落ち、結ばれても。その誰かを愛する君ごと、愛そう。
私の全て──。
私の、愛しいタイド。
最後にもう一度、唇にキスを落とし、タイドを残したまま部屋を後にした。
✢✢✢
部屋の外に出れば、ニテンスが壁際にたたずんでいた。まるで誰も中に入らぬよう、番でもしていたかのようだ。
いや、多分、そうしていたのだろう。
「…満足か?」
その言葉にニテンスは表情を変えず。
「王の決定には逆らえません」
「はっ。今更、父の味方か? ──いや。ニテンス、お前は父からの推薦で私の元に来たのだったな…。元より、主は父上か…。まあいい」
ニテンスは何か言いたそうにしたが、口にはしなかった。
スウェルも聞く気はなかった。今更何を聞いたところで、この状況が変わるわけもない。
「タイドの記憶は封じた。…だが俺に関する記憶だけだ。エルフの里にいたのはお前や、シリル達とだ。齟齬はないだろう。王ネムスも、ベルノ王子も、このことを知る人間はきっと黙っているはずだ。俺の存在は他の者も──そう、記憶には残らないだろう。例え相手が俺の名を口にしたところで、タイドに記憶は戻らない…。お前は記憶に残れて良かったな?」
投げやりにそう口にして力なく笑うと、その場を後にした。
タイドはスウェルに関する記憶だけ失くし、王家のものとして迎え入れられた。
いや。もとよりそんな記憶は無かったことになっているのだ。当人にその自覚はない。
ただ、エルフの里で育ち、王家に迎え入れられた。それだけのストーリーだ。
タイドは妾腹の出ではあっても、たった二人だけの息子だ。王は分け隔てなく息子二人を慈しんだ。
そうして月日は流れた。
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名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
聖者の愛はお前だけのもの
いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。
<あらすじ>
ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。
ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。
意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。
全年齢対象。
世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました
芦田オグリ
BL
「ずっと、ずっと好きだった」
魔王討伐の祝宴の夜。
英雄の一人である《盗賊》ヒューは、一人静かに酒を飲んでいた。そこに現れた《勇者》アレックスに秘めた想いを告げられ、抱き締められてしまう。
酔いと熱に流され、彼と一夜を共にしてしまうが、盗賊の自分は勇者に相応しくないと、ヒューはその腕からそっと抜け出し、逃亡を決意した。
その体は魔族の地で浴び続けた《魔瘴》により、静かに蝕まれていた。
一方アレックスは、世界を救った栄誉を捨て、たった一人の大切な人を追い始める。
これは十年の想いを秘めた勇者パーティーの《勇者》と、病を抱えた《盗賊》の、世界を救ったあとの話。
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