明治幻想奇譚 〜陰陽師土御門鷹一郎と生贄にされる哀れな俺、山菱哲佐の物語

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狂骨紅籠 夜な夜な訪れる髑髏の話

閑話:神頼み 1

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 俺の懐具合をそのまま表したようにヒョウヒョウと冷たい風が吹いている。
 ああ、それにしたってこれが最後だ。
 俺の最後の頼みの綱だ。
 ここを踏み外しちまえはあとは禄でもねぇ仕事を受けるしかねぇ。腐れ縁の友人から仕事をもらうしか、ない。けれどもよく考えたら、本当の底の底とはまさにソコである。だから若干だけ、まだ余裕がある、のかもしれない。
 なけなしの運をそこに費やす。無意識に腕に力が入る。
 南無三。
 ちりんと賽銭箱が鳴る。
 ……財布の中身がなくなった。
 ひゅうと寂しい懐に対抗して声を張り上げる。

「どうか神様! 頼むぜ!」
『お主はいつもそうじゃのう』
「誰だッ!」

 どこかから酷くつまらなそうなため息が聞こえた。
 『どこかから』。キョロキョロ見回しても誰もいない。ここは俺が住んでる長屋の近くの常城つねしろ神社の境内で、普段であればそれなりの人出に賑わっている。けれども今は明治15年の正月、ただし松の内正月15日も終わりのほうの深夜丑三つ時午前2時半。冷たい風が吹くばかりで虫の音すら聞こえない。全てが寒さのうちに眠りについている。
 何者かが潜んでいると考えうるのはこの目の前のやしろからだが、その内部は真っ暗で見るからに寒々冷たく、誰かがいるようには思われなかった。というか人間がいれば既に凍えているだろう。
 とするとアレか。アレなのか。今度こそ俺のほうがため息をつく。改めて問う。

「誰だ」
『神様じゃよ』
「どこの神様だ」
『どこってここに決まっとるじゃろ、常城神社の神様じゃ』

 ここは長屋に最も近い神社だ。だからこんな風に祈りに来るのもしばしばだ。そういえばここの主神は何だったかな。神社の主神が何なのかとか、そういえばあの頭のおかしな陰陽師に会うまでは考えもしなかった。けれども今、あいつはいない。だから俺1人でこの事態をなんとかしなければならない。
 あいつだったら、鷹一郎だったらどうするだろう。
 あいつはいつも、その不可思議なものが何かを明らかにしていた。そうでなければ対処のしようがない。
 そうするとまずはこいつは何だ。俺をどうするつもりだ。

『そんなに警戒する必要はないんじゃがな。そもそもわしはお主に何もしておらんじゃろ』
「じゃぁ何で出てきた」
『お主が何とかしろと願掛けをしたからであろ。どうしろと言うのじゃ』
「本当に神様ってんなら神様の証明でもしてみろよ」
『ようやく本論にもどったの』
「本論?」
『お主は願掛けにきたのであろう? だからご利益を授けてやろうというのじゃ』
「断る」

 経験上、無料ただより高いものはない。
 口車に乗って何かの施しを受ければ、ひっぺ返されたときに酷い痛手を追う可能性があることは経験上知っている。だから知らぬ仲で借りなど作らぬほうが良いのだ。……知った仲でも作らぬほうが良いものもあるのだが。
 ひょっとしたら、万一、この声の主が神である可能性もなくはない。だがこんな寂れた神社に神など降りるはずもない。とすれば人でなければ狐狸妖怪の類。

『寂れたとはまったく失敬な。お主は神を何だと思っておるのじゃ。だいたい神に黙って働けとでもいうのかの。たったの5文銭ぽっちで』
「そう言われれば返す言葉もないんだが、俺はともかく積極的に面倒事に関わるつもりはない」
『既に積極的に願かけたのはお主じゃ。わしが応答するだけでちぎりは成り立つよ。じゃあまぁ、そこまで言うなら軽いやつだな。お主はこの神社の帰りに木の枝を拾う、それを適当に交換すれば運が訪れるだろうよ』
「俺は枝なんぞ拾うつもりはないぞ」

 そう叫んでも既に返事はない。何事もなかった如く辺りはもとの闇に戻り、木枯らしがぴゅるりと吹いた。
 けれどもそろそろ夜明け頃だろうな。そう思いつつ提灯を片手に枝など拾わぬぞと足元をにらみつけながら歩いていくと、急に額に強い衝撃を受けて尻もちをつく。見上げるとちょうど俺の身長より少し低い程度の低木の枝が道に突き出ていた。……来る時にこんな枝などあっただろうか。懐に違和感を感じて覗き込むと、ぶつかった衝撃で折れたのか小さな枝が乗っかかり、目印のように折れたところから生木の青々しい香りが漂う。
 畜生。
 これはアレだ。もう完全に何かのシステムに乗せられてしまったのだろう。抵抗しても無駄に終わるだけの予感がする。それならばまぁ、軽い幸せを享受しよう。
 幸せとはこんな警戒心と残念な気持ちで受け取るものではなかったように思うのだが。

 ともあれあの神様とやらの言いぶりはまるでわらしべ長者のようだ。それならこの枝を欲しがる者と何かを交換すれば良い。枝を欲しがる者? 確かわらしべ長者では最初つかんだのは転んだ時の藁一本で、そこに蝿をくくりつけたものを子どもに譲り、みかんを受け取るのだったかな。
 そう思って仕方無しに通りに出るとようように夜が明けかけ、戻って寝るかと思いながら長屋に足を向ける。そうすると途中の田畑に人だかりができていた。
 冬の最中だから稲も草もなく、ぼんやりと遠くまで広がる平地の中に竹が組まれて煙が上がっている。

「よぉ山菱さん、お早いね」
「ああ。こりゃぁどうも。どんと焼きですか」
「そうだね。あんたもやってくかい?」
「んや、門松も書き初めもやってねえや」
「それ若木じゃないのかい?」

 同じ長屋に住んでいる男は俺の手の枝を指差した。
 たしかに枝からは未だ手折ったばかりの爽やかな香りが漂っている。まるで呪いのようだ。
 若木迎わかぎむかえか。新年の小正月こしょうがつにどんと焼きに使う薪を山から切ってきて火にべるのだ。また、ため息をつく。そんなつもりはなかったが、たしかにこれは若木には違いない。燃やして行けと促された広場の篝火かがりびになんとなく抵抗し難いものを感じて若木を差し込み、かわりに串に刺された餅を配られた。

 確かにただの木が餅になったのだから、小さな幸福が訪れたわけだ。さてそれではこれで終わらせてしまおうと餅をかじろうとしたが、やけに熱い。まあどんとの火で直接焼いたわけだからそれは仕方がない。
 けれども食べてしまわねば次の交換先がやってくるかもしれない。

 そして次の幸福はおそらくより『幸福』に近いことだろう。そしてそれは転がる雪玉のように増大する。その結果は確かに素晴らしい幸福なのだろうが、世の中のおおよそのものは対価性を有するのだな、ということを最近よく思うのだ。
 大きすぎる幸福は同様に大きな不幸をもたらして、それで帳尻を合わせる。その不幸は必ずしも『不幸』という姿を持って現れるわけではないけれど、その急落が大きければ大きいほどその『幸福』というものの保持には苦痛を感じるものだろう、と思う。
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