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Hoc nocte(今日の夜)
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さっきの社員に店の場所を聞いて就業後に魔女のいるところに向かった。西街道のほうは繁華街から外れていて少しさみしい。このだんだんと人通りがなくなる様子は魔女の森に迷い込んでいっているようだ。けれども暫く行くと地図アプリに示された場所にオレンジ色の光を窓から溢れさせる古い店があった。どうやら魔女と言ってもおどろおどろしい悪い魔女ではなくて、オズの魔法使いにいるようないい魔女のようだ。不思議の香りの漂う暖かな雰囲気の店。
重そうな木のドアを押すとカラリとカウベルが鳴り、ショーケースに色とりどりの菓子が並んでいた。それでこれからどうしたらいいのかな。
昨日の会話ではチョコチップがいまいちでうまいケーキ屋があるとしか記憶がない。いや、俺が覚えていないのか。もう一度店内を眺め回してみてもピンとくるものはなかった。
昨日のことは覚えているかな。
わかりにくい謎を出すあの女の『昨日』とはおそらくBar Heri nocteでのことなのだろう。けれどもこれ以上何も浮かばない。もう、思い出せないのか。謎がそこにあるなら探し出してやると思っていたが、ヒントを失ってしまってはもうどうしようもない。
苦笑がこぼれる。せっかくここまでたどり着いたのに。仕方がない。一夜の妙な思い出だ。これはこれで面白かった。もともと謎が気になって追いかけていただけで、あの女と会ってどうこうという気もなかったし。
少し残念な心持ちとともにケーキを見渡す。記念に何か買って帰ろう。あの女が好きな店だ。あの女の謎に負けた記念に。店の中で一番謎めいて見えたくるくるとテンパリングされたチョコが乗ったザッハトルテを1つ小さな箱に詰めてもらい、レジで支払いを済ませようと財布を開くとレジ脇に置かれた薄緑色のフライヤーが目に入った。
「これは?」
「ああ、それはこの店がスイーツを下ろしているレストランのショップカードですよ」
見つけた。思わず唇の端がゆるむ。
その店の名前は『リストランテ miracolo』。イタリア語で奇跡。
ザッハトルテを1つ追加する。
リストランテmiracoloは西街道の少し先の目立たない場所にあった。目立たなさすぎだろ。本当に見つけさせる気はないらしいな。だが俺は見つけたぞ。
そして俺はその頃には思い出していた。昨日の約束を。
『明日晩ご飯を食べましょう』
『昨日の夜』に俺の体で始まった謎は『19番』と『魔女の家』を通過してようやく『奇跡』に至ったよ。それなら記念に飯を食おうじゃないか。
少し得意気な気分でカラリと奇跡の扉を開けると、卵色の柔らかくて明るい照明が溢れた。
幸いにも夕食はまだだ。席に座ってメニューを眺める。眺めながらふと思う。左右を見回しても昨日のあの女はいない。それに奇跡の場所がここだとしても、いったい俺はどうやってあの女に会えばいいんだろう。
そもそもあの女も夜営業中ずっとこの店で待っているわけにはいかないだろう。営業時間は17時から23時と書いてある、そう思い至ってため息がでる。やはりからかわれていたのか。落胆。少し心がちくちくした。
でもまあ、楽しかった。これはこれでいい。せめて飯を食って帰ろう。ケーキが1つ無駄になったけれども。
パスタ。肉や魚よりも軽くパスタがいいな。そう思ってメニューをめくる。
イタリアンは俺も好きだ。家でもたまに作る。メニューには定番から始まり店にしかないような珍しい料理もいくつかあった。そうして末尾に小さく書かれている文字に気がついた。
-パスタはお好みのものをお選び下さい。
スパゲッティ、スパゲッティーニ、タリアテッレ、リングイネ、ペンネ、コンキリエ、ファルファッレ等、お申し付け下さい。
「あの、ルオーテはありますか?」
「ございますよ。どちらのメニューに致しましょうか」
「では本日のオススメを」
しばらく待つ。
なんだか妙にソワソワする。
最初にアンティパストとサラダが運ばれる。
ホッキ貝のグリルとトマトと舞茸のマリネ。グリルの香ばしさとマリネの優しい酸味が鼻に満ちる。口に含むとひやりとした貝に閉じ込められた濃厚な旨味があふれ、添えられたマリネの酸味が心地良く口中を洗い流す。美味いな、ここ。それから白いモッツァレラと赤いトマトをカットして交互に並べてオリーブオイルをかけたカプレーゼ。これもチーズとトマトの不思議な歯ごたえが混じり合って美味いし色味がいい。なんとなく昨日の夜を思い出していると足音が聞こえた。メインのパスタのサーブだろう。
「お客様、お待たせ致しました。運命のポモドーロです」
皿の上には車輪型のたくさんの小麦色のパスタにたっぷりと甘いトマトソースがかかり、散らされた緑のバジルが鮮烈な香りを放っていた。その皿をコックコートを羽織った昨日の女がにこやかに微笑んで捧げ持っていた。
「約束、覚えていてくれたんですね」
「ああ、確か、『明日晩ご飯を食べましょう』だったかな。そういえば『一緒に』とは言われなかった」
「そうそう」
「わかりにくすぎる」
「でも、見つけてくれた」
「デザートを買ってきたから後で食べないか」
「よろこんで」
Fin.
-おまけMAP
自分が書いてる話で現代物はだいたいこの神津市を舞台にしています。
重そうな木のドアを押すとカラリとカウベルが鳴り、ショーケースに色とりどりの菓子が並んでいた。それでこれからどうしたらいいのかな。
昨日の会話ではチョコチップがいまいちでうまいケーキ屋があるとしか記憶がない。いや、俺が覚えていないのか。もう一度店内を眺め回してみてもピンとくるものはなかった。
昨日のことは覚えているかな。
わかりにくい謎を出すあの女の『昨日』とはおそらくBar Heri nocteでのことなのだろう。けれどもこれ以上何も浮かばない。もう、思い出せないのか。謎がそこにあるなら探し出してやると思っていたが、ヒントを失ってしまってはもうどうしようもない。
苦笑がこぼれる。せっかくここまでたどり着いたのに。仕方がない。一夜の妙な思い出だ。これはこれで面白かった。もともと謎が気になって追いかけていただけで、あの女と会ってどうこうという気もなかったし。
少し残念な心持ちとともにケーキを見渡す。記念に何か買って帰ろう。あの女が好きな店だ。あの女の謎に負けた記念に。店の中で一番謎めいて見えたくるくるとテンパリングされたチョコが乗ったザッハトルテを1つ小さな箱に詰めてもらい、レジで支払いを済ませようと財布を開くとレジ脇に置かれた薄緑色のフライヤーが目に入った。
「これは?」
「ああ、それはこの店がスイーツを下ろしているレストランのショップカードですよ」
見つけた。思わず唇の端がゆるむ。
その店の名前は『リストランテ miracolo』。イタリア語で奇跡。
ザッハトルテを1つ追加する。
リストランテmiracoloは西街道の少し先の目立たない場所にあった。目立たなさすぎだろ。本当に見つけさせる気はないらしいな。だが俺は見つけたぞ。
そして俺はその頃には思い出していた。昨日の約束を。
『明日晩ご飯を食べましょう』
『昨日の夜』に俺の体で始まった謎は『19番』と『魔女の家』を通過してようやく『奇跡』に至ったよ。それなら記念に飯を食おうじゃないか。
少し得意気な気分でカラリと奇跡の扉を開けると、卵色の柔らかくて明るい照明が溢れた。
幸いにも夕食はまだだ。席に座ってメニューを眺める。眺めながらふと思う。左右を見回しても昨日のあの女はいない。それに奇跡の場所がここだとしても、いったい俺はどうやってあの女に会えばいいんだろう。
そもそもあの女も夜営業中ずっとこの店で待っているわけにはいかないだろう。営業時間は17時から23時と書いてある、そう思い至ってため息がでる。やはりからかわれていたのか。落胆。少し心がちくちくした。
でもまあ、楽しかった。これはこれでいい。せめて飯を食って帰ろう。ケーキが1つ無駄になったけれども。
パスタ。肉や魚よりも軽くパスタがいいな。そう思ってメニューをめくる。
イタリアンは俺も好きだ。家でもたまに作る。メニューには定番から始まり店にしかないような珍しい料理もいくつかあった。そうして末尾に小さく書かれている文字に気がついた。
-パスタはお好みのものをお選び下さい。
スパゲッティ、スパゲッティーニ、タリアテッレ、リングイネ、ペンネ、コンキリエ、ファルファッレ等、お申し付け下さい。
「あの、ルオーテはありますか?」
「ございますよ。どちらのメニューに致しましょうか」
「では本日のオススメを」
しばらく待つ。
なんだか妙にソワソワする。
最初にアンティパストとサラダが運ばれる。
ホッキ貝のグリルとトマトと舞茸のマリネ。グリルの香ばしさとマリネの優しい酸味が鼻に満ちる。口に含むとひやりとした貝に閉じ込められた濃厚な旨味があふれ、添えられたマリネの酸味が心地良く口中を洗い流す。美味いな、ここ。それから白いモッツァレラと赤いトマトをカットして交互に並べてオリーブオイルをかけたカプレーゼ。これもチーズとトマトの不思議な歯ごたえが混じり合って美味いし色味がいい。なんとなく昨日の夜を思い出していると足音が聞こえた。メインのパスタのサーブだろう。
「お客様、お待たせ致しました。運命のポモドーロです」
皿の上には車輪型のたくさんの小麦色のパスタにたっぷりと甘いトマトソースがかかり、散らされた緑のバジルが鮮烈な香りを放っていた。その皿をコックコートを羽織った昨日の女がにこやかに微笑んで捧げ持っていた。
「約束、覚えていてくれたんですね」
「ああ、確か、『明日晩ご飯を食べましょう』だったかな。そういえば『一緒に』とは言われなかった」
「そうそう」
「わかりにくすぎる」
「でも、見つけてくれた」
「デザートを買ってきたから後で食べないか」
「よろこんで」
Fin.
-おまけMAP
自分が書いてる話で現代物はだいたいこの神津市を舞台にしています。
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