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第七章 海への道
7-22 急展開
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「……増えてる」
朝の支度を手伝うため、部屋を訪れたサキが、桶を持ったままそう呟いた。新顔の和風ゴスロリ少女の姿は見えないけれど、新たに加わった黒い亀の姿はしっかりと見えている。
「おはよう、サキ。そっちは準備終わった? あ、桶はそこにお願い。すぐに着替えるから待っててね」
サキは本来なら戦闘奴隷なので、一般奴隷のような身の回りの世話までする必要はないが、彼女は望んでその立場を続けている。もっとも父や兄などは、追放したベンの代わりを付けたらどうかと言うが、むしろベンが役に立った記憶のないセインからしてみれば嬉しくない気遣いである。
今はハンターという自由気ままな生活だし、自分の屋敷の管理をしてくれているゲイルもいるので、十分に間に合っているのだ。
「その子は、例の卵だよ」
ぬるま湯に調節された桶の水で顔を洗い、差し出された手ぬぐいで顔を拭いたセインは、窓際で日向ぼっこをする黒い甲羅を見つめているサキにそう言った。
「……かわ、いい」
ゆっくりと近づいて、間近から覗き込むサキ。
コウキやハクの時より、食いつきがいい気がするけれど気のせいだろうか。そんなことを考えていると「名前は」と聞いてきたので、昨日一晩、ほぼ徹夜で考えた名前を披露した。
「ノルト。遠い北方の列島のうちの一つ、亀の形をした島の名前だそうだよ」
国交こそないが、中心地の本島はかなり栄えており、独自の文化を育んでいるという。前世の日本を思わせるその島国の物語を、先日のカナート所蔵の書物から見つけた時は、ちょっと懐かしさを覚えたものだ。独自の文化を持ち、国を閉じているせいでどの大陸とも国交がないのが残念でならない。
――一度、行ってみたいものだ。
「ノルト……サンタナ列島の」
「ん? ……あれ、サキ知ってるの? そう、そのサン」
セインがそう言いかけた時だ。
ドーン! と、何かが激しくぶつかるような音と、続いてコンクリートが剥がれるようなバリバリという音が、町全体に響き渡った。
「えっ、うわ!?」
床が揺れ、思わず桶の水が零れないように縁を押さえたセインは、音が収まるのを待って皆の安全を確かめた。
「みんな大丈夫? ……とりあえず、宿が崩れることはなさそう、かな。落ち着いたら外へ出てみよう」
朝早かったこともあり、宿泊客のほとんどはまだ自室にいたため、我先に階段を降りようとしたのか、言い争いのような声がして、そのうち人が転がり落ちるような音が続いた。
そんな混乱に巻き込まれないよう、あえてセインは慌てて外へ出ようとはせず、部屋の窓から外を覗き込んだ。大通りは、あっという間に人で埋め尽くされた。右往左往しながら、何があったのかと戦々恐々と話している。
「セインさん、ご無事ですか?」
そんな時、部屋をノックして女将さんがやって来た。どうやら、宿の客は残らず逃げ出したようである。その中にセインの姿がなかったので心配してきてくれたようである。
「大丈夫です。宿に被害はないようなので、部屋で様子を見ていました」
「まあ、年に似合わず落ち着いてるわね」
ふふ、と笑った女将さんは「サキちゃんも無事ね」と、二人の安否を確認すると下へ降りて行った。おそらく息子が使っている部屋へと向かったのだろう。
「女将さんも、この音の正体はわからないみただね」
「……微かだけど、聞こえる。埠頭の方、漁港あたりから、たくさんの人の声……パニック、してる人の声」
耳を澄ますように目を瞑ったサキが、騒音に紛れそうになる悲鳴のような声を聞き取った。
「何かに襲われてるってこと?」
この辺りの海は安全で、妖獣やモンスターの話はあまり聞かない。沖へ行けば、それなりに危険地域はあるが、奇しくもこけら族や人魚の生息地域が近いことで、小物のモンスターがあまり近寄らないのである。縄張り意識が強い人魚は、常に周りに威嚇しているので、交易船なども、彼らが住まう人魚岩付近を航行しないようにしているほどだ。
『セイン様、行かれるのですか?』
ゆらが心配そうに尋ねる。その横でツクが「聞くまでもなかろうに」と諦めたように言った。どのみち、こけら族のこともあるし、万が一にも彼らになにかあれば、ここまでやってきたことがすべて水の泡である。
『ククッ! 案外、人魚とこけら族が戦争でもおっぱじめたか』
拳で口を押えて笑ったテンが、適当なことを言ってツクに拳骨を食らっている。
正直なところ、全くの笑い事ではない。
もともと双方の仲は最悪だし、いつ争いごとが起こっても不思議はない。それとも、人魚族は大きな船でも襲うことがあるって言ってたし、下手をすると港町の防衛船団と衝突している可能性さえある。
近年はそれほど騒動を起こさなくなったと聞いているが……。
「人魚の仕業とは限らないけど、相手は人妖だ。どんなきっかけで暴走するかわからないし、警戒は怠らないで行こう」
自らも人妖だということをすっかり棚の上に置いて、セインは皆に注意を促した。前世の記憶のせいか、セインはちょいちょい自分のことを人間だと思っている節がある。
自覚のないそもそもの原因は、本性に化身したことがないことにあるのかもしれない。とはいえ、兄のカナートが指摘したように、幼体の印である灰色の髪は、すでに明らかな変化の兆しを見せている。それは銀色よりもっと白い、白銀色であり、黒や灰色のティッキングが入っているせいで、一見すると灰色のように見えた。
そのせいで周りも、自分でさえも、その変化を長らく見過ごしてきた。
もっともセインなどは、このままでも全く不都合がないと、実のところ、この現状に一つの不満もないのであった。
朝の支度を手伝うため、部屋を訪れたサキが、桶を持ったままそう呟いた。新顔の和風ゴスロリ少女の姿は見えないけれど、新たに加わった黒い亀の姿はしっかりと見えている。
「おはよう、サキ。そっちは準備終わった? あ、桶はそこにお願い。すぐに着替えるから待っててね」
サキは本来なら戦闘奴隷なので、一般奴隷のような身の回りの世話までする必要はないが、彼女は望んでその立場を続けている。もっとも父や兄などは、追放したベンの代わりを付けたらどうかと言うが、むしろベンが役に立った記憶のないセインからしてみれば嬉しくない気遣いである。
今はハンターという自由気ままな生活だし、自分の屋敷の管理をしてくれているゲイルもいるので、十分に間に合っているのだ。
「その子は、例の卵だよ」
ぬるま湯に調節された桶の水で顔を洗い、差し出された手ぬぐいで顔を拭いたセインは、窓際で日向ぼっこをする黒い甲羅を見つめているサキにそう言った。
「……かわ、いい」
ゆっくりと近づいて、間近から覗き込むサキ。
コウキやハクの時より、食いつきがいい気がするけれど気のせいだろうか。そんなことを考えていると「名前は」と聞いてきたので、昨日一晩、ほぼ徹夜で考えた名前を披露した。
「ノルト。遠い北方の列島のうちの一つ、亀の形をした島の名前だそうだよ」
国交こそないが、中心地の本島はかなり栄えており、独自の文化を育んでいるという。前世の日本を思わせるその島国の物語を、先日のカナート所蔵の書物から見つけた時は、ちょっと懐かしさを覚えたものだ。独自の文化を持ち、国を閉じているせいでどの大陸とも国交がないのが残念でならない。
――一度、行ってみたいものだ。
「ノルト……サンタナ列島の」
「ん? ……あれ、サキ知ってるの? そう、そのサン」
セインがそう言いかけた時だ。
ドーン! と、何かが激しくぶつかるような音と、続いてコンクリートが剥がれるようなバリバリという音が、町全体に響き渡った。
「えっ、うわ!?」
床が揺れ、思わず桶の水が零れないように縁を押さえたセインは、音が収まるのを待って皆の安全を確かめた。
「みんな大丈夫? ……とりあえず、宿が崩れることはなさそう、かな。落ち着いたら外へ出てみよう」
朝早かったこともあり、宿泊客のほとんどはまだ自室にいたため、我先に階段を降りようとしたのか、言い争いのような声がして、そのうち人が転がり落ちるような音が続いた。
そんな混乱に巻き込まれないよう、あえてセインは慌てて外へ出ようとはせず、部屋の窓から外を覗き込んだ。大通りは、あっという間に人で埋め尽くされた。右往左往しながら、何があったのかと戦々恐々と話している。
「セインさん、ご無事ですか?」
そんな時、部屋をノックして女将さんがやって来た。どうやら、宿の客は残らず逃げ出したようである。その中にセインの姿がなかったので心配してきてくれたようである。
「大丈夫です。宿に被害はないようなので、部屋で様子を見ていました」
「まあ、年に似合わず落ち着いてるわね」
ふふ、と笑った女将さんは「サキちゃんも無事ね」と、二人の安否を確認すると下へ降りて行った。おそらく息子が使っている部屋へと向かったのだろう。
「女将さんも、この音の正体はわからないみただね」
「……微かだけど、聞こえる。埠頭の方、漁港あたりから、たくさんの人の声……パニック、してる人の声」
耳を澄ますように目を瞑ったサキが、騒音に紛れそうになる悲鳴のような声を聞き取った。
「何かに襲われてるってこと?」
この辺りの海は安全で、妖獣やモンスターの話はあまり聞かない。沖へ行けば、それなりに危険地域はあるが、奇しくもこけら族や人魚の生息地域が近いことで、小物のモンスターがあまり近寄らないのである。縄張り意識が強い人魚は、常に周りに威嚇しているので、交易船なども、彼らが住まう人魚岩付近を航行しないようにしているほどだ。
『セイン様、行かれるのですか?』
ゆらが心配そうに尋ねる。その横でツクが「聞くまでもなかろうに」と諦めたように言った。どのみち、こけら族のこともあるし、万が一にも彼らになにかあれば、ここまでやってきたことがすべて水の泡である。
『ククッ! 案外、人魚とこけら族が戦争でもおっぱじめたか』
拳で口を押えて笑ったテンが、適当なことを言ってツクに拳骨を食らっている。
正直なところ、全くの笑い事ではない。
もともと双方の仲は最悪だし、いつ争いごとが起こっても不思議はない。それとも、人魚族は大きな船でも襲うことがあるって言ってたし、下手をすると港町の防衛船団と衝突している可能性さえある。
近年はそれほど騒動を起こさなくなったと聞いているが……。
「人魚の仕業とは限らないけど、相手は人妖だ。どんなきっかけで暴走するかわからないし、警戒は怠らないで行こう」
自らも人妖だということをすっかり棚の上に置いて、セインは皆に注意を促した。前世の記憶のせいか、セインはちょいちょい自分のことを人間だと思っている節がある。
自覚のないそもそもの原因は、本性に化身したことがないことにあるのかもしれない。とはいえ、兄のカナートが指摘したように、幼体の印である灰色の髪は、すでに明らかな変化の兆しを見せている。それは銀色よりもっと白い、白銀色であり、黒や灰色のティッキングが入っているせいで、一見すると灰色のように見えた。
そのせいで周りも、自分でさえも、その変化を長らく見過ごしてきた。
もっともセインなどは、このままでも全く不都合がないと、実のところ、この現状に一つの不満もないのであった。
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