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第2章
第16話 サキュバス
しおりを挟む俺はゆっくりとした足取りで、その部屋へと入る。
扉はどうやら押し開き式のようなものだった。
「ここは……」
「……にゃお」
いかにもな気配を覚えるが、周囲に人影はない。
その部屋はどのフロアよりも大きく、そしてゆらゆらとランプが照らしている部屋。
匂い立つような官能的で淫らな空気を肌に感じる。
――おそらくここが、ボスモンスターであるサキュバスの待ち構えている部屋なのだろう。
無骨な城砦の外観と同様に、部屋の装飾も少なめだ。
石造りの壁と床は黒みがかった青。
目立つものといえば、部屋の中央に置かれている大きなベッドくらいだ。
寝室……なのか? なんていうか、すっごい意味深すぎるな……。
俺は警戒心を露わにしながら、部屋の中を見渡す。
すると――。
――あ……る~♪ ~~~なら~♪ ……っ~~♪♪
「……ん? な、なんか聞こえる……」
突然、なにかが耳へと届く。
歌だ。女性の唄う歌。
まるでただをこねる子供を優しく寝かしつける母親の子守唄のような柔らかな声。
けれどそれとともに骨の髄まで侵食されそうな魅惑の声。
俺は二つの相反する感想を抱いた。
それくらい不思議な唄声なのだ。
だが同時に気づく。
「……っ! やばいか! ミーコ、耳を塞……って、無理か!!」
「にゃ、にゃおーん」
思わずそう伝えてしまったが、ミーコの耳の配置と腕のリーチでは大分難しいこと思い出す。
不可能ではないか、それをするなら床に伏せなければ厳しい。そして伏せてしまえばモンスターと戦うことは困難だ。
この声がサキュバスのものなのだとすれば、子守唄でも歌って俺たちを眠らせ、不戦勝を狙っているかもしれない。
それに俺の知っているサキュバスという生き物は、寝ている相手の夢に入り込む性質も持っている。……この世界のサキュバスがそういう存在なのかどうかは知らないが。
「姿を現せ! サキュバス」
「みゃっ」
俺は未だ続く唄を聴くまいと、耳を塞ぎながら叫ぶ。
険しい表情で周囲を見渡していると――。
『わたくしなら、ここにいますわ』
「……ーーっ!」
声が聞こえたのは部屋の中央に備わっていたベッドの方からだった。
唄が止まったかと思えば、甘く色気のある耳障りの良い声が聞こえる。
女らしさと気高さが入り混じったその声に、俺は小さく息を飲んだ。
ず、ずっとあそこにいたのか!? ……全然気づかなかったぞ。……気配断ちの訓練でもしてるのか!? いや、スキルという可能性もあるか……。
様子を見るべきだと考え、俺は用心深く声の主へと問いかける。
「サキュバスか! お前もやっぱ、《念話》持ちなんだな」
『あら、やっぱということは1階層のゴブローに教えてもらったのかしら?』
「ご、ゴブロー? ……それってもしかしてゴブリンロードの名前か?」
『うふふ、そうよ。ゴブリンロードだから、略してゴブロー。簡単でしょう?』
サキュバスは心底面白おかしそうに笑った。
……なんか馬鹿にされてるような気がするのは、気のせいか?
苦虫を噛み潰したようにサキュバスのいるらしきベッドを見据える。そこだけ無駄に豪華だった。
寝床に金をかけるたちなのか? ……まあ、分かるけど。睡眠は大事だもんな!!
呑気にそんなことを考える。
すると、ゆったりとした動きのほっそりした足がベッドの端から見える。
そして――姿を現した。
そのサキュバスはいかにも男を誘惑するために生まれてきたような艶っぽい外見をしていた。
白を通り越して青白く透き通った肌、黒々とした腰まで届く艶やかな髪――そして吸い込まれてしまいそうなほど真っ赤に燃えるルビーのような瞳。
すべてのパーツが完璧で、その配置すらも奇跡のように整っている。
そんな傾城の美女とも呼べるモンスターは、艶やかな笑みを貼り付け、俺に向かって口を開いた。
『わたくしの名は、レイアネット=サキュバス・ドルリ=オルマージ。正々堂々と、あなたと戦わせてもらうボスモンスターの名よ。……覚えておきなさい』
「は、はい……」
気高くそのサキュバスは言葉を紡ぐ。
その気迫に押されてしまった俺は、つい頷いてしまった。……美女怖い。
……っと、ちょっと待て! 今、このモンスター、ものすごく気になるようなことを言ったような気が……。
「あ、あなたはモンスターなのに、名前があるんですか!?」
思わず前のめりになりながら、叫ぶようにして尋ねてしまった。
ボスモンスターに名前があるなど、初耳だ。
『あら? 知らなかった? ボスモンスタークラスとなれば、自らの種族名の他に固有名を持つのは当たり前でしょう? ……まあ、ゴブローは名前を持つことを嫌っていて固有の名は持っていないのだけれど』
「そ、そうだったんですね……知らなかった」
『……うふふ。まあ、そんなことはいいですわ! ……早く――――やり合いましょう?』
己の美を自覚しているのか、長く伸ばされた髪を背中へと払いのけるサキュバス――いや、レイアネット。
俺はその艶のある仕草に無意識にこくりと唾を飲んだ。
そして、戦いの火蓋が切られた――。
まず先制してきたのはレイアネットだった。
一瞬のうちに、ふわりと宙に浮いたかと思えば――いきなり服を脱ぎ始めたのだ!
「ーー……っへ? な、なにを!?」
『うふふふふ……』
もともとネグリジェのように薄く、頼りない服装であったが、さらに肌の露出面積が増えていく。
俺はその婀娜あだっぽい姿に魅了されるよりも前に、困惑した。
な、な、なんでいきなり脱ぎ始めるんだ!? こ、これは……なにかの攻撃の一種なのか!? 意味不明すぎる!!
俺はまるで金魚のように口をパクパクと開け、視線を逸らす。
動揺しているかはまるわかりだった。
……いや、本当は敵をしっかりと見据えないといけないってわかってるけど……ちょっとそれは……。
『ねえ、わたくしの方を見てくださらないの?』
「ええと……その」
『こんなに恥ずかしい思いをしているわたくしを、しっかりとその目でご覧になってくださらない? ……そうすれば、とっても――いい気持ちになれるわ』
「そ、それなら……服を着てください……」
何かしらの攻撃だとは分かっている。
まさか俺に対する精神攻撃の一種か何かなのか。
それならばその策は非常に功を奏している。
紳士な俺にとって、乙女の柔肌を無礼にじろじろみることは万死に値するのだ!
けれど、そんなことを考えても結局は解決策はなにも思い浮かばない。
奥歯をぎりりと噛み締め、やけくそになった俺は「こうなったら!」と小さく呟いた。
「――っさっさと倒してしまうに限る!!」
俺は《瞬足》で未だ絶賛脱衣中のレイアネットに向かった。
そして持っていた槍で攻撃しようと大きく振りかぶる。――だが。
『うふふ、そんな攻撃当たるはずもないでしょう?』
もともと、地面に足をつけていなかったサキュバスはふわりと軽く宙に舞う。
そして俺の攻撃をするりと避けてしまった。
「……っ! く、くそっ」
悔しそうに、そしてやはり挙動不審にそちらへと目を向けない俺はポツリと零す。
するとどこからか、相棒の声が聞こえた。
「にゃおーん!」
「……!! ……はっ。お、俺は」
ミーコの鳴き声を聞き、自分が冷静さを失っていたことに気づく。
いつも通りにミーコのスキルをかけてから戦闘に移ればいいものの、先ほどの俺は尋常じゃないほど冷静さを欠いていた。……すべて目の前の痴女のせいだ! 責任転嫁だなんて言わないでくれ。
俺は冷静さを取り戻そうと、大きく深呼吸をする。
「――悪い、ミーコ。少しだけ落ち着いてきた。いつも通り、やらなきゃな」
「にゃお」
「おっし! ……んじゃあ、ミーコ! スキルを頼む!」
俺がそう呟いた瞬間、ミーコは《魅了》をかける。
知性のあるレイアネットには効かないため、自分で《幻惑》を使用しないと判断したのだろう。
そのスキルにかかったサキュバスは、動きを鈍くさせた。
先ほどまでも蠱惑的に、俺に見せつけるかのように脱衣をしていたのだが、いまはその動きが止まった。
どうやらレベル差はゴブリンロードよりも開いていないらしく、完璧に固まるとは行かずともかなり動きを制限させている。
『や、やるわね……ですけれど、私だってまだまだ負けるわけにわ生きませんわ』
念話で伝えてきたサキュバスは、体を高く宙に浮かせる。
――俺たちが届かないほど高く、そして遠く。
「あそこでスキルが解けるのを待つつもりか……」
「みゃ」
「だけどな……甘いな、それは! だってな……俺には――」
俺は持っていた槍を投げ捨てると、カランと石の地面とぶつかり、部屋に音が響いた。
右手の拳に力を入れ、口元を少しだけ綻ばせる。
それは僅かなる高揚から来たものだった。
そして俺は――。
「いけっ――――《風拳》!」
新たなスキル。
つい先ほど会得したばかりのスキル――《風拳》が炸裂した。
それによって、風を纏った拳が飛ぶ。……いや、その表現は正しくないかもしれない。
――拳に影響を受けた風が、自らの意思でその形態を攻撃手段へと変えたのだ!
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