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第一章 鷺沼崇の場合
二 ◯鷺沼 崇【 1月7日 午前8時00分 】
しおりを挟むその建物は、西街から徒歩数十分という好立地に存在している。二階建ての木造建築、部屋数は八室、それだけ聞けばどこにでもあるような、何の変哲もないアパートである。
しかし周囲と比較して、その建物は激しく劣化していた。一体築何十年だろうか。その二階に続く錆び付いた外階段は、一段足を踏み込む度に軋み、悲鳴を上げる。また、アパート入口の郵便受けは蓋が壊れて中身が全て見えているものも数個あり、何か郵便物を入れようものなら、それはそのまま地面に落ちてしまうだろう。
そのようなボロアポートの二階奥の角部屋。ここが、俺の根城であった。
部屋の間取りは五畳二間、少々狭く感じるところではあるが、驚くべき点が家賃であった。月に三万円、西街近辺の賃貸物件にしては、破格の安さである。
自分としては、いかに安い物件かどうかを重要視して、物件を探していたものだ。その二間に加え、押入れが一つにキッチンと風呂、トイレが付いていると聞けば、もうそれは想定していた暮らしよりも随分と良い環境と言える。そう考えれば、建物に対する周囲からの奇異な眼差しなどどうでも良かったのだ。
さて、年が明けてから一週間が経ち、街は年明け直後の喧騒から解き放たれ、比較的大人しくなった頃である。
この日の朝、俺は家でベッドの上に寝っ転がっていた。最近は日雇いや派遣のアルバイトを毎日入れていたため、久しぶりに何もない日だった。あの、仕事に行く時の陰鬱な気分を感じることもない。
…しかし、俺の心は休まることがなかった。
「これからどうすりゃいいんだ」
腕を天井に向けて真っ直ぐに伸ばし、独り言を呟く。
このところ不眠症気味で、夜中に目を閉じても一向に眠気はやってこない。そのような状態のまま日雇いの仕事に向かうため、日中に意識が飛ぶような、急激な眠気に襲われることがある。故に雇われ先の社員共にはどやされてばかりいた。
そのせいもあってか、ストレスが溜まっていた。ここまで酷いのはいつぶりだろうか。どれもこれも、年末のあの出来事のせいだ。部屋の脇の押入れに目を向ける。あの中には、小林を刺した時の衣服やナイフ等の一式が押し込められていた。
あの日…小林を殺した十二月三十日の次の日。朝方の、特に人々が寝静まった頃を見計らい、また路地裏に戻った。誰かに袋の中身を見られてしまっていないか内心冷や冷やしていたが、数時間前と変わらずその場所に置いてあったそれを見て、安堵した。
レンタカーに死体入りの袋を入れ込み、繁華街から遠く離れた山奥へ向かった。人気のない場所に来たところで夢中になって穴を掘り、黒いごみ袋のまま穴に投げ入れた上から土をかけて蓋をする。
そして現在に至る。新年にもなり、既に一週間以上が経過した。毎日のニュースや新聞は欠かさずチェックしているが、関連する記事は何も取り上げられてはいない。したがって、あの死体は今もまだ見つかっていないということなのだろう。
その事にほっとしつつも、完全に油断はできていなかった。もしも、何かの拍子であれを誰かが掘り起こしてしまったら。警察は、大まかではあるが死体の死亡した日時を把握できると聞く。刑事ドラマでも良くネタにされる、検死というものだ。そうなれば、正確な時間とまではいかないまでも、年末頃に殺害されたものかどうか…その程度までは特定できるはずである。
次に警察は聞き込みを始める。すると十二月三十日の夜、居酒屋で被害者が男と揉めていたという証言が手に入る。これは、あの時あの店にいた全員が目撃している。その男と店を出て行ったきり、帰ってこなかった。そう聞けば、警察は真っ先に一緒に出て行ったその男を疑うだろう。
それが俺だということも、すぐに嗅ぎつけるはず。なんたって、あの店は俺の行きつけの店であり、顔は既に知られているからだ。
「く、くそ」
冷や汗が頬を伝う。一体、俺はいつまで怯え続けなければならないのだろうか。今後、安心できる時があるのだろうか。
自業自得であり、弁解すらしようがない状況だが、どうしても俺は、自分の現状をまるまる全て納得することができなかった。というより、納得したくなかったのだ。苛立ちを感じつつ、窓を開けようと立ち上がる。
ガラス窓を横にスライドすると同時に、窓枠のアルミサッシが鋭く高い音を立てた。耳障りなこの音を聞けば誰もが耳を塞ぎたくなるが、既に何年も聞いており慣れている音のため、対して気にもならない。
外は大変気持ちの良い晴れ模様だ。雲一つない晴天。肌寒い気候ではあるが、厚着すれば寒いと感じることはない。真冬にしては良い天気である。
窓に背を向け、煙草に火をつけた。…やはり、煙を吸っている時が一番落ち着く。
吸った煙を思い切り吐き出した時、ふと部屋の中にある棚の上に目が止まった。そこには少し埃の被った写真立てが置いてある。そのフレームには、俺と一人の女が満面の笑みで写っている写真が入れられていた。
彼女は新出ちづる。一年前まで、交際していた女だ。
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