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第五章 本多瑞季の場合
二 ◯本多 瑞季【 過去 】
しおりを挟む五年前。当時、私は犯罪組織であるISMYの実行犯として、大和と共に美人局による恐喝詐欺を行っていた。
その組織に入った理由は特に無かった。高校卒業と同時に両親が不幸な事故で死に、それからは、生きるために生きてきた。色々な男とも寝たし、日常普通に過ごしていれば関わらないような、裏の世界の人種とも関わることもあった。
確か、大和と会ったのは今からいえばそれより少し前か。その時、ホテルヘルス型の風俗店で働いていた私は、指名された彼から「組織に入らないか」と、簡単に言えば勧誘された。
「あ、ISMYって。最近話題の」
名前を聞いた途端、緊張で体が固まったことを覚えている。私は物覚えは悪い方だが、そのアルファベット四文字は連日テレビのニュースで放送されているため、嫌でも記憶に残っていた。
「ああ。もうすごいぜ、本当に。一月もあれば百万は手に入る。しかもそれが、楽々とな」
「で、でも。詐欺…なんだよね?」
犯罪でいけないことなんだよね…とは、とてもじゃないが言えなかった。
「世間一般的にはな。でも俺たちのやることっていうのは、金を持て余す人間から、少しばかり分けてもらうだけだ。この世の中にゃあ、金は持っているのに、それを使いもせずとっておく連中ばかりいる。景気っていうのは金の巡りが良くならないと良くならねえんだ。だから、俺たちがやっていることっていうのは、巡り巡ってこの社会に貢献していることなんだよ」
「ほ、本当に?」
「ああ。だから俺と…俺たちと一緒に、社会のためにやってやろうぜ」
そう言って、手を差し出す。私は震えつつも、その手をとった。とってしまった。
今改めて考えると実に信憑性のない、でたらめで自分本位な主張だろうか。しかし私はそれに同意してしまった。己の正義というものが、大金が手に入るという欲求に軽々と打ち破られてしまった瞬間である。
それから数件程、彼と行動を共にした。私から言い寄り、誘われた男とある程度懇意になった段階で、大和が殴り込む。美人局としては随分とオーソドックスな戦法ではあるが、これが意外と上手くいった。
「お前は歳の割に幼く見えるし、大人しい雰囲気を醸し出しているからな。今まで女と話したことすらなさそうな、地味な奴やおっさんを狙え。そういう奴らは、お前みたいなのが好物なんだ」
その言葉のとおり。誰もがというわけではないが、大体そういった男に声をかけると、野球で言えば打率三割、首位打者級であった。一人頭、数十から百万円の収穫。そのうち組織と大和に半分以上取られるが、それでも大和の言ったとおり、大分儲けの良い「仕事」だった。
しかし、不思議なことに金欲が満たされても、心は全く満たされなかった。あの、大和から恫喝された時の小男の酷く怯えた瞳。そして、私に向けられる怒りと悲しみが入り混じった視線。毎回その視線は矢となり、私の体に、心に突き刺さる。
「犯罪者め」。その目はそう言っていた。
自分の中に少なくも存在する正義感、それに反する行為。そんな行為で金を得て、どうして心が満たされるというのか。頭が痛い。気持ちが悪い。何故、彼の手を取ってしまったのだろう。今更後悔しても遅いが、後悔せずにはいられなかった。
もう辞めよう。そう、彼に伝えよう。私は決心した。粗っぽい性格の彼のことだ、おそらく一筋縄ではいかないだろうが、正直限界だった。そう心に決め、大和を喫茶店に呼び出したのは、彼の話に乗ってから半年後のことだった。
「は?辞めたい?」
大和のこめかみの部分に血管が浮き出る。そんな彼の様相に震えながらも、私は自分の主張をはっきりと伝える。
「何でだよ、一体。ここまで一緒にやってきたっていうのに」
「ごめん…」
急に大和が、目の前のテーブルを強く叩いた。店内に響く大きな音に、その場にいた誰もが私たちの方を向く。
「だから、謝るんじゃ無くて。理由を話せ、理由を!」
そう詰問され、私の全身から嫌な汗が滲み出てきた。落ち着け、怖くても今ここで言うしかない。そうしないと今後タイミングを失うし、戻ることなんて絶対にできなくなる。
「や、やっぱりいけないよ、こんなこと。だって、犯罪だよ?このまま続けたら本当に、本当にまずいよ」
「…」
「私、大和のことも組織のことも、知ったことは何も話さない。だから」
それは突然のことだった。突然席を立ったかと思うと、大和は私の胸ぐらを掴み、もう片方の手の拳で、私の頬を殴打したのだ。
周囲で叫び声が上がったのと、殴られた衝撃で飛ばされ、床に頭をぶつけたのはほぼ同時だった。
「今更!辞めさせるわけねえだろう!」
大和は、痛みで動けない私の髪を掴み、無理やり立たせる。
「う…」
「それに、どこか勘違いをしているみたいだから改めて言ってやる。お前はもう、俺と同じ穴の貉なんだ。辞めたいって言ったってそうはいかねえ。塀の向こうで臭い飯を食いたくなけりゃあ、俺と、組織と一緒に、死ぬまでやっていくしかねえんだよ」
耳元で囁かれたその言葉を聞いて、ようやく理解した。自分が既に、戻ることができない域に達していたことに。
それからの半年間は、まさに地獄そのものであった。私の、犯罪者として扱われたくないという弱味を握ったのをいいことに、彼は今まで以上に、私に対しぞんざいな扱いをするようになった。
思えば、彼が私のことを組織の者以外の第三者に漏らすことなどあり得ないことだった。そんなことをすれば、必ず共倒れになる。彼は私を使い、まだまだ儲けたいのだ。みすみす手放すようなことをするわけがないのは、少し考えれば分かることだったというのに。私は彼に逆らうことができなかった。思い込み…いや、洗脳というのだろうか。
「いや!やめて!」
何か、気に食わないことがあると家にやってきて、殴る。「仕事」に支障が出ないように、あえて腹や腰など、目に見えない箇所を狙う。その「仕事」で儲けた額がいつもより少ない時は、特に酷いものだった。
「てめえ、これっぽっちの金じゃあ、やってもやらなくても同じなんだよ」
「やる気、あんのか?無いなら出させてやるよ」
「お前も歳だ。今稼がねえと、誰にも相手してもらえなくなるぞ。稼げる時に稼げや」
いつの間にか、私はこの「仕事」を辞めたいと思うことは無くなった。いかに上手く、沢山の金を奪い取るか。その一点ばかり考えていた。そうしなければ、彼に殴られる。蹴られる。貶される。
― 私の人生なんて、こんなものだ ―
幼少期、まだ両親が健在だった頃。大人になったら好きな人と結婚して、子どもを産んで。温かい家庭を築きたい。そんな、人並みの幸せですら、叶わないということを知った。
― 私は、なんのために生きているのだろう ―
ふと、そう思うこともあった。私はきちんと自我を持っていて、意思を持って生きている人間という存在だ。しかし情けないことに、悲しいことに、その意思で何を求め、これから何をしていきたいのか。それが分からなかった。
― 私には、未来を描く自由なんて無い ―
叶うことの無い希望にすがるよりも、金を稼ぎ、この男を満足させる。そうすれば、痛い思いをすることもない。目の前の現実の辛さを軽減することに必死になっていたのだ。
一生、このままなのだろうか。全てを諦めかけていた、その時だった。
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