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第五章 本多瑞季の場合
六 ◯本多 瑞季【 1月9日 午前6時30分 】
しおりを挟むその電話は、突然かかってきた。
眠り込んでいる私の耳元で、携帯電話の着信音がけたたましく鳴り響いた。こんな朝早くから一体誰だ。昨夜は寝る前に急に気持ち悪さと吐き気を感じ、寝に着くまで時間を要した。故に睡眠をとった気がしない。寝ぼけ眼のまま携帯電話の画面を見ると、その画面には『非通知』と表示されている。
胸騒ぎを覚えた私は、通話ボタンを押すことなく、着信音が消えるまで放置することに決めた。が、数分待ってもその音が消えることは無い。
何だか腹が立ってきた。ここまでしつこいなんて、一体なんだというのか。常識の無い早朝からの電話も含め一度、相手に文句を言ってやろうと、先程までの考えを取り消して通話ボタンを押した。
「あの、聞こえますか?」
何も声は聞こえない。再度呼びかけても無言のままである。何だ、悪戯電話か。こっちは昨日夜遅くまで仕事で、今日はその疲れを癒すためにも、昼過ぎまで熟睡しようと考えていたのだ。とんだ邪魔が入ったものである。
若干苛つきながらも、その電話を切った。そのまま、携帯電話を枕元に置き、改めてベッドに寝転び、大の字になる。
今日は、そうか。もう年が明けてから、一週間以上経過したのか。光陰矢の如しとはよくいったものだが、それにしても早すぎやしないだろうか。
カレンダーを見る。期限まであと三日。あと三日だ。不足している金額は、クリスマスの時から減っていない。あと二十万円。どうすれば良いのか。
待てよ、そうだ。柳瀬川のように愛彩での「カオル」を気に入ってくれる男の常連客は他にも数人いる。数が多い訳ではないが、彼らが次回来店した際、生活費の困窮と偽り金を要求してみるのも良いかもしれない。
いや、それは止めておいた方が良い。柳瀬川は私がお願いするまでもなく、自ら金を渡してきたため、成り行き上苦労せずに金を受け取ることができた。しかし他の客からそんなことをされた記憶は無い。あったとしてもアクセサリーや衣服等しか無く、それを全て売り払っても数万円。これまで現金を受け取ったことなど…ましてや数十万円もの大金なんて、一度もない。
無論私だって、いつも良くしてくれている客に金を要求したことも無い。そうだというのに、急に「お金をください」なんて、言える訳が無い。それを言えば、その客は今後私を指名することは無くなるだろう。
やはり警察に、達ちゃんにこのことを話すべきか。それが一番、この苦しみから逃れる近道なのだろう。…駄目だ。達ちゃんに言ってしまえば、私との関係は彼の職場で白日の下に晒されるかもしれない。大和の恐喝は無くなり私は楽になれるが、代わりに彼がこれから苦労することになってしまう。
そうは言っても、これ以上は本当に限界だった。既に今回二十万円不足していることからわかるとおり、もう大和に渡す金は無い。加えて今回無事に金を渡すことができるとしても、また金を要求してくるだろう。
彼にとってはちっぽけな弱みを握っただけで、ほいほい金を出すのだ。そんな、悪く言えば金の湧いてくる「財布」である私の首輪の紐を、彼が手放す訳がない。
どうすれば良いのだ、どうすれば。そう考えていた私の元に、またも着信音が届いた。しかし今度は電話ではない。「telco」の着信音だ。
ここのところ私の携帯電話に届くメッセージなんて、割引目的で登録したメールマガジンや広告ばかりで、普段読まずに削除する。そうだというのに、今日は自然と、着信したメッセージを開いていた。まるで、それを見ることが、予め決まっていたかのように。
それが誰から送られたものなのかは、本文の内容から読み取ることができた。
『檜山だ。急にメッセージを送り、驚かせてしまって済まない。申し訳ないがすぐに本題に入らせてもらう。瑞季、お前にやって欲しいことがあるんだ。
スカイタワーの最寄り…地下鉄西街駅の構内、五桁のテンキー式のコインロッカーがある。そのナンバー「1」のロッカーを開けて、中に入っているペットボトルを、新出ちづるの鞄に入れてほしい。解除キーである五桁の番号は次のとおり【90124】。
それだけだ。簡単だろう?ちなみにお前が断る権利は無い。分かっているだろうが、俺はお前が柳瀬川と不倫していることを知っているぞ。もし断るようであれば、そのことをお前の恋人である金井達也に全て暴露する。それが嫌なら、先述のとおりのことをしてほしい。
なあに、ペットボトルを運ぶだけだ、そんなに難しいことを頼んでいるわけじゃ無い。ちなみにペットボトルは開封せず、そのまま彼女の鞄に入れてくれれば良い。見れば分かると思うが、外見も中身もただの飲み物だ。それ以外の何物でもない。
無事に達成してくれれば、恋人には黙っておいてやる。加えて、お前に口止め料として二十万円くれてやる。どうだ、これで魅力的に思えるんじゃないか。期間は明日十日から一週間以内だ。依頼は「telco」にて、俺の宛先にお前が完了した旨のメッセージを送信し、俺が中身を確認したことで達成となる。
最後に。この依頼に関する質問は受けていないし、話すことは何もない(会ったとしても、会話には出さないように)。また、ハプニング等あれば連絡をしてくれて構わないが、電話は控えてほしい。全てメッセージにて完結したい。くれぐれも、よろしく頼む』
あやうく、携帯電話を落とすところだった。驚くどころか、頭が真っ白になるくらい、放心してしまった。
どうやらこれは、コモレビの檜山さんより送られてきたもののようだ。端的に言えば、私を脅迫する内容である。本文中で言っている「依頼」を私が達成しなければ、柳瀬川との関係を達ちゃんに暴露する、というものだ。
「ど、どうして檜山さんがこんなことを」ぽつりと呟く。呆気に取られていた。私の中での檜山さんのイメージは、 外見も内面も男らしく、女性や部下に優しいものであった。それだけに、このメールが彼より送られてきたことにショックを隠しきれなかった。
確かに彼は、私が柳瀬川と不倫(私は金のために柳瀬川を利用したにすぎないのだが)していることを知っている。一度、柳瀬川といるところを目撃されていたのだから。
しかしそれは、半年以上前のことである。どうして今になって。そうは言っても、彼が私を脅迫する内容の文章を送ってきたことは事実である。直接会って聞きたいものだが、彼は確か復帰したアンナを避けているため、もう一ヶ月以上愛彩に来ていない。
直接会社に行くということも手だが、わざわざメッセージで質問や話を受け付けていないというくらいだ。もしそれを破り、会いに行ったら。
…仕方がない。ここはおとなしく彼の言うことを聞くしかない。依頼の内容を見れば、単にペットボトルをちづるの鞄に入れれば良いだけだ。
そうして私は大和からの脅迫に加え、檜山さんからも脅迫を受けることとなった。
しかし何だかんだ後者に関しては逆に幸運に思えた。それは、この依頼を達成すれば檜山さんより報酬…二十万円を受け取ることができるのだから。
檜山さんからの依頼は十日から一週間。大和への金の受け渡し期限は十二日。十日その日にすぐ檜山さんからの依頼を達成しよう。そうすれば、前者の脅迫についても解決することができるはずだ。
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