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第五章 本多瑞季の場合
八 ◯本多 瑞季【 1月9日 午後2時00分 】
しおりを挟む空は正午頃から変わらず、澄み渡るような青色をしている。しかしもう一、二時間もすればすっかり夕焼け色、赤々とした空が頭上に広がることになるだろう。やはり、冬の日の入りは早いものである。
今日は特に仕事がある訳でも無かった。故にこのまま自宅に帰るだけ、西街内を自宅に向けて、てくてくと歩みを進める。
…それにしても。私は檜山さんの思惑について考えを巡らせた。
(彼は何故、こんな命令を私にしたのだろうか?)
ロッカーに入っていたペットボトルは、今私のバッグの中で沈黙している。こんな物を運ぶだけで二十万円なんて。高額な報酬からか、何か後ろめたい理由のある事は見て取れた。それは頭の悪い私であっても十分理解できる。
ペットボトルは「milk tea」の表記があるが、中の液体はそれとイコールでは無いだろう。もしかして毒か何かが入っているのだろうか?いやいやそんな馬鹿な。漫画の中の世界じゃないのだから。
第一そうだとしても、檜山さんがちづるを殺す意味なんてあるのか。
(…いや待てよ、ある。一つだけ)
そうだ。ちづるは檜山さんに想いを寄せているのだ。
先月、同僚であるちづるに話があると呼び出された。その際、檜山さんと自分が体の関係を持っているという噂を、店の女の子たちに広めて欲しいと、彼女に頼まれたのである。
それをする理由を教えてくれることは無かったが、そこまでしなければ、彼女は檜山さんと会うことができない…そういった関係ということは理解できた。大方玲子さんに聞かせるために噂を広めて欲しかったのだろう。推測ではあるが、ちづるの思惑どおり玲子さんが檜山さんに、この噂の真偽を確かめたに違いない。ちづるはそれで、檜山さんが自分を気にして会いに来てくれると考えたのだ。
しかし、事実それを聞いた檜山さんは、どう思うだろうか。
『面倒な女だ。この際、死んでもらった方が都合が良い』
ただし、自分の手で殺すのはあまりしたくはない。
『そうだ。確か瑞季のやつ、柳瀬川と不倫をしていたな』
渡りに船、というものだ。私を小間使いさながらに使い、自らの手は汚さず、邪魔者を排除する。
「いやあ、それはちょっと…」
頭を掻く。流石に暴論過ぎるか。第一、檜山さんの人となりを知っている身としては、彼がそんな極端な考えの持ち主ではないことは百も承知だった。
はあ。もやもやする。そんな私の心と相反する煌々な灯りを体中に浴びながら、西街の大通りを歩く。加えて今朝から続く気持ち悪さも健在だ。込み上げてくる吐き気を我慢する。涙が滲み出て来る。
「ふう…」
とりあえず、頭を切り替えよう。私はもう一つの疑問を思い浮かべた。
ペットボトルが入っていた、ロッカーのパスワード。『90124』。私がロッカーを開けるためだけに檜山さんが設定したものだ。一見、適当に設定しているようだが、何故かこれが無性に気になった。
私の知っている何かと、この五桁の数字は関係があったような。そんな気がするのだ。もちろん本当に関係あるのか、定かではないが。元々他人より頭が弱い自分だ。何故?どうして?といった疑問に合った答えなんて、早々見つけることなんてできやしない。
(だから、四年ぶりに再会した高崎なんかに易々と脅迫などされるんだ)
「でも、だからといっても…」
何故だろう。今回は私が考えなくてはならない、そんな気分に囚われていたのである。
そんな考え事をしながら、ふらふらと歩いていた時だった。
「よう瑞季、偶然だな」
その声に、私は反射的に勢いよく、素早く振り向いた。そんな私に、声をかけて来た人物は少々驚く。
「…あ。ひ、檜山さん。こんばんは」
そこにいたのは、現在の悩みの根源とも呼べる男…今朝、私を脅迫してきた檜山さんだった。
(まさか、偶然とはいえこんなところで出会うとは…)
慌てぶりを悟られぬよう、作り笑顔と思えぬ程に大きな笑顔を見せた。
「これから仕事か?」
彼は屈託無い笑みを浮かべ、私にそう尋ねる。
「え、ええ。まあ…」
今日は特に何も無かったが、急に声をかけられたこともあって上手い返しが浮かばなかった。適当に誤魔化す。
「そうか。最近はあの店にも行かなくなっちまったなあ。本当は、行きたいところではあるんだけどな」
まるで故郷を思い浮かべるように目を瞑る彼の顔を見て、私は不思議だった。この男、人を脅迫しておいて、それが何事も無いかのような態度をとる。一体…一体何を考えているんだ。脅迫相手にここまでゆとりを持って話せるものなのか。
「そ、それなら、是非ともいらしてくださいよ。玲子さんも、檜山さんがいらっしゃらなくて寂しがっているんですから」
とりあえず、適当に話を合わせよう。それでいい、今は少し様子見だ。
「まあ、行きたいのは山々なんだけどなあ」
「え?」
「あ、いや。なんでもない」
彼は首を横に何度か振った。
それから二言、三言話したが、やはり違和感を覚えた。この男は、脅迫しているという実感は無いのだろうか。メッセージ上に『会話に出さないように』とはあったが、ここまで普段通り変わらないとなれば、流石に呆気にとられてしまう。私の様子についても本気で分かっていない様なそぶりを見せる。
少し考えれば、原因が自分であると、彼自身分かるものだと思うが。励ますような台詞まで吐いて、どういうつもりなのか。
「カオル、大丈夫か?」
ハッとして前を見ると、不安そうな目をした檜山さんがいた。
「は、はい、大丈夫です」
心を落ち着かせ、とりあえず回答すると、檜山さんは「そうか。それなら良いんだ」と後頭部を掻く。そして一言謝ってきた後、「そうだ」と鞄から写真を出し、私に見せてきた。
その写真には、男が一人写っていた。まだ若い。とは言いつつも、檜山さんと比較すればだが。髪型はワックスでオールバックにしており、肌が綺麗で端正な顔立ちだ。この男。どこかで…見たような、見ていないような。
「この人はどなたでしたっけ?」
聞いてみると、檜山さんは「俺の部下の小林だ」と教えてくれた。
恥ずかしながら、写真の彼の顔に覚えが無かった。檜山さん曰く、何回かお店に来てもらっているというのに。
「物忘れ」、また私の悪い癖が出てしまった。
「…すみません、少し記憶が」
とりあえず形だけでも謝りを入れておく。途中で彼に止められたが。
次に、彼は「最近こいつと会ったりしていないか?」と質問してきた。
「うーん。いや、無いです。檜山さんと一緒にいらした時しか、お会いはしておりませんね」
先程は名前も顔も覚えていなかったが、話すうちに彼に関する記憶がぼんやりと浮き出てきた。確か、今の時代では珍しい程に真面目気質な男であった気がする。
しかし、言葉のとおり来店された時の記憶しかなく、それ以外で彼を見た、話した記憶は無い。
「この方が、どうかされたんですか」
そう聞いた私を見て、檜山さんは一つ咳払いをし、続けた。
「少し野暮用で探していてな。カオル、今後もしこいつを見かけたら、俺に連絡をしてくれ」
「…はあ、分かりました」
我ながら気の抜けた言葉を返す。すると「おっと、そうだ」と、彼はその写真を私から受け取り、縁に小林さんの名前を平仮名で書いた。私の物覚えが悪いことへの対応策だろう。有難いと思って良いのか、それともそれだけ阿呆と思われていることに対し、憤慨すべきなのか。
「よろしく頼む。もし連絡をくれれば、その分お礼はするからさ」
…お礼?まさか。彼はメッセージで、ペットボトルの運搬をすれば二十万円の報酬を渡すと言っていた。小林さんを見つけて彼に連絡をすれば、それ以上の報酬を与える。暗にそう言っているのだろうか。
私は咄嗟に、背を向け立ち去ろうとした彼のスーツの裾をとった。予想通り、彼は戸惑いの表情を私に向ける。
「ど、どうした?」
その言葉どおり、私はどうしたというのか。念のため、小林さんを発見した際の報酬の内容を聞いておきたかったのだろうか。
しかし「お礼とは、何をいただけるのですか?」なんて、そんな卑しい台詞を発するのは、少々忍びない。引き留めておいてなんだが、それはできない。
「あの、檜山さん…」
そ、そうだ。やっぱりメッセージの件について、状況報告をするべきだ。直接的な表現でなければ良いだろう、別に。
「例の件ですが、明日の勤務時間で必ず。落ち着いた時にメッセージで連絡を入れますので。もう少しだけ、待ってください」
ぼそぼそと、周りに聞こえない少ない声量で話す。明日、一月十日は愛彩での仕事が夕方午後五時より入っており、ちづると同じシフトであった。方法は未だ考えていないが、どうにかして彼女の荷物に、ペットボトルを入れ込もうと考えている。
しかし私の言葉を聞いた彼は、先程以上に動揺した様子を見せた。
「お、おい。それは何の話だ」
「えっ?」
檜山さんは険しい顔をして、私を見る。いや、その表情は私の方がすべきだろう。私と対面したとすれば、それはもう一つしかないだろうに。
「檜山さんが今朝、私に送られた『telco』のメッセージのことを言っているんですよ?ほらあのロッカーのパスワード、『90124』って…」
分かりやすくそう伝えると、彼は更に小難しい表情になった。
「メッセージ?俺はお前にそんなもの、送った覚えはないぞ」
「ええっ」
(送っていない、だって?)
「そんな、馬鹿な。冗談ですよね?」
再度確認しようにも変わらず、檜山さんは首を横に振る。それを見た時、私は開いた口が塞がらなかった。
嘘だ。差出人は確かに檜山さんだった。私はそれを確認している。
いや、待て。思い返してみれば、あの「telco」のメッセージは新規の連絡先より来たものだった。誰から送られて来たものなのか、それを判断したのは本文頭に彼の名前があったこと、私が金のために柳瀬川と背徳的な関係であったことが書かれていたからだ。
前者はともかく、後者に関しては、知っている者の方が少ない。もちろん檜山さんは知っている。いつだったか、直接その場を見られている。それならば…彼の言うことをそのまま信じるとすれば、他に送ることができる人物は、誰だ?
「お、おいカオル、大丈夫か。一体…」
檜山さんが、心配そうに怖々と声をかけてくる。しかし私には既に、それに相槌を打つほどの元気は無かった。
「ごめんなさい!」
それだけ言い、彼の元を足早に去った。
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