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第六章 ————の場合
十四 ◯本多 瑞季【 1月10日 午後11時30分 】
しおりを挟む「お、俺は…」
そこまで言ったところで彼は続きを言うことを止めた。同時に困惑した表情を浮かべる。
(え…?な、何これ)
数秒後、彼の態度と理由が分かった。私の瞳から大粒の涙が、滲み出てきていたのだ。それらは私の頬に川のような筋を作り、とめどなく流れ落ちる。ひたすら手で拭おうにも、自分の意思とは無関係に流れるそれを止めることは、できそうに無かった。
「ごめんね…ごめんね、達ちゃん」
謝って済む問題ではないことは分かっている。しかし、それでも、言わずにはいられなかった。
「達ちゃん…根岸さん」
私は二人の顔が見えるように横向きになり、数歩下がった。
「四年前、あなたたちが私のことを逮捕した時、一緒にいた男のこと。覚えてる?」
ああ、もう、全てを話してしまおう。考えたら、今の達ちゃんから見た私の印象は、単に柳瀬川と浮気をした最低な女だ。キャバクラ嬢はともかく、前科者に加えて浮気女のレッテルを新しく貼っているところである。
先程「信じてほしい」なんて勢いで言ったが、こんな印象で信じろなんて、ちゃんちゃらおかしいというものだ。全てを話すことが善という訳ではないし、場合によっては言い訳がましく聞こえてしまうが、もうここまできたら隠すこともできない。
彼は少し考え、頷いた。
「…奴なのか。お前に金を要求している変な男っていうのは」
そして私に対し聞いてくる。私も同様に頷いた。
「お金を渡さなければ、あなたとの関係をあなたの職場に全て暴露する。そう言って、私を脅してきたの」
「あの野郎…何も懲りてねえのか」
達ちゃんは苦虫を噛み潰したような顔で、私を見る。根岸さんも、深い溜息をつく。
「半年前から続けて三回、五十万円を渡せって。次は明後日までに…七十万。自分の貯金も合わせて五十万円は集まったけど、あと二十万円も足りない。あの男の性格は私が十分に知ってる。お金を払わないと、本気であなたの職場に乗り込むに決まってる。いや、それだけで終わらず、復讐としてあなたに危害を加えるかもしれない。そんなことになったら…いや、そんなことを絶対にさせるわけにはいかなかった。前科者の私と交際しているっていうだけで、あなたは悪い印象を受けるというのに、あの男が原因で更に大きな問題になるなんて、本当に嫌だったの」
「そのために、金が必要だったのか?」
達ちゃんが、低い声で訊いてくる。私は頷いた。
「散々お金をもらった柳瀬川…さんには申し訳ないけど、彼の下心から来る提案に乗るしか無かった。ただ、もちろんそれは一時の関係であって、彼とこのまま続けるつもりは無かったの。でも…」
そこで、私は一拍置いて続きを述べた。
「たとえ一時で、そして別の目的があったとしても、達ちゃんに糾弾されるようなことをしていたのは事実、よね。だからあなたがさっき言ったとおり、裏切ったことと同じかな…」
達ちゃんは俯きつつ唸る。彼の瞳からは、私と同様に涙が出てきていた。彼は自分の指で頬のあたりを摩ると、鼻を大きく啜る。
「で、でも。そこまで金が必要なら、俺に頼れば良かったじゃないか。柳瀬川だけではなく借金までして。君にとって俺は信頼できない、どうでも良い男だったというのか。俺は君の、瑞季の恋人だというのに。一体どうして…!」
「違う!」
意識せず、大きな声で叫んでいた。椅子から立ち上がり、達ちゃんの目をじっとみつめる。
(そんな…そんな、訳が無いじゃない!)
「信頼していたからこそ。本当に愛していたからこそ、あなたに迷惑をかけたくなかった。あなたはこんな私に生きる希望を与えてくれた。これまでの人生で、あなたといる時間が一番、幸せを感じることができたの」
涙混じりで、鼻水が飛び散る。もう自分でも何を言っているのか、あまり理解できていない。
でも、それでも、そうであっても。彼に分かって欲しかった。私は頭の弱い女だが、あなたに対する気持ちは偽りではないこと。
あなたを、今も愛しているということを。
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