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第三章 隠し部屋
五
しおりを挟む大河内浩は、尚哉らS区警察署の長であり、顔剥ぎ事件の捜査本部長でもある。
野本みたく大柄な体躯では無いが、眼光炯々で淡々とした口調の彼を前にすると、緊張で上手く話せなくなる者は多い。それは尚哉が、貴明を前にした時と同じ感覚。警察官としての長年の経験、自信が作りだした貫禄によるものなのだろう。
捜査本部室に入るや否や、野本は脇目も降らず彼のもとへ進んでいった。少し怪訝そうな周りの視線に、尚哉は冷や冷やしつつも、彼の後方についていく。
大河内は本部室一番前の机で、数人の刑事達と何やら資料を読んでいた。机の上に置かれた資料には、これまでの被害者の写真と資料。柏宮の写真が一番上に乗っていた。
「署長、お忙しいところすみません」
野本の声に、大河内はうんざりとした表情を浮かべた。
「本部長と呼べと言ったでしょう、野本君」
縁のない眼鏡の奥、灰色の瞳。ひやり。機械のように、野本と尚哉を一往復する。
「すみませんね、私には、いつもの呼び方がしっくりくるもんで。…で、本部長。少しお話がありまして」
「手短に願います。ああ、話はここで」
大河内は座ったまま、人差し指で机をとんとんと叩いた。野本は眉根を寄せたが、瞬時に眉間の皺を延ばす。一つ咳払いをすると、
「これからこいつと、柏宮の自宅に行ってみます。以上です」
後ろの尚哉を親指で示し、それだけを述べる。いやに綺麗なお辞儀をして、くるりと大河内に背を向けた。そのあっさりとした態度は、大河内だけではなく、一緒に来ていた尚哉も驚いたくらいだ。
「ま、待ちなさい!」
そんな野本をそのままにするはずもなく、大河内は椅子から立ち上がり、彼を呼び止めた。野本もまた、その場で振り返る。両者、対面する。
何やら波乱が起きそうな雰囲気に、室内にいた周りの警官達も彼らを見て、ざわざわと沸き立ち始めた。気にも留めず、大河内は視線を野本に焦点を合わせた。
「被害者の自宅に、これから行くと?」
「ええ、はい」
「冗談が好きなようですね」
「いやあ、至って真面目が取り柄な警察官ですがね」
大河内は、飄々とした態度の野本を睨む。「あなた方が最初に行くのはおかしいでしょう」
「何がおかしいんです?柏宮の自宅は、本部長ご認識のとおり、私の捜査担当地域です。担当が担当の場所に、一番乗りをしても良いとは思いますが」
「先程の、三人目の被害者。彼の事務所か自宅が、本当の犯行現場の可能性もあるんです。鑑識らと調整をしますので、それが終わってから一緒に行くべきです」
「本部長の仰ることは分かります。しかしそれをしていると、間に合わないかもしれない」野本は、大河内のもとに近寄った。「今回、早く身元が判明したんですよ。それなのに順を踏んで…馬鹿げたやり方だとは思いませんか。もしも、被害者宅に痕跡が遺されていて、今まさに犯人が、それを消そうとしていたら。間に合わなかったなんて言い訳、できないでしょう」
最後の方は、半ば力がこもっていた。険しい表情で、野本は大河内を見る。
野本の態度に、尚哉を含む周囲の人間は内心はらはらしていた。彼は普段から天真爛漫気味なやり方で周りを困らせることはあったが、今回みたく全体の動きを無視した捜査はとらない。故にこの状況は、誰もが思わず唾を飲み込む程の緊張感があった。
野本と対峙している数秒の間、大河内は沈黙していたが、やがて静かに溜息をついた。
「そこまで言うなら、君の好きにしなさい。ただし」大河内はそこで、尚哉にも目を向けた。「行くなら、君達二人だけではなく、今現場にいる橋本巡査も同行させなさい」
何故橋本?とも思ったが、考えたらなんてことはなかった。橋本は大河内の甥にあたるのだ。簡単な話自分への報告係、目付役ということだろう。
「わかりました、あいつは行き際に拾っていきます」
「ありがとうございます。あ、それと」大河内は肯いた後に、人差し指を立てた。「現場で見た、聞いた、知った内容は戻り次第、この安西君に報告してください」
「私、ですかい?」大河内の隣、我関せずと立ったまま資料を読んでいた、長身で髪をオールバックにした男が怪訝そうに声を上げる。
「良いですね」
「ああ、ええ、はい。私で良いんなら」断る余地を与えない、ばしっとした言い方。安西はしぶしぶ肯き、野本に目配せをした。申し訳なさそうな表情。野本は面白く無さそうに眉間に皺を寄せた。
「橋本もそうですが、そんなに私が信用できませんか」
「どの口がそういうのやら」大河内は大袈裟に溜息をついたあとに、「単に、気になるだけですよ。勘違いしないことです。初動は大事ですからね」
「はいはい、分かっておりますよ」
二人の会話はそれで終わりだった。大河内はまたも席に座り直し、手持ちの資料の確認を再開する。野本はすっかり自分に興味を失った上司に、うんざりとした表情を微かに示すも、小さく頭を下げる。それから、尚哉の肩をぽんぽんと叩いた。
尚哉は、何も言えなかった。大河内はその後頭を上げることも無かったが、とりあえず野本同様、一度敬礼後に、尚哉は彼と共に捜査本部を後にした。
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