侵入者 誰が彼らを殺したのか?

夜暇

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第六章 空き部屋

十三

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 若月が振り返ると、そこには二人の男女がいた。両者共に端正な顔立ちに色白、紳士淑女と言わんばかりに小綺麗な服を見に纏う、美男美女。初見の印象からしてみれば、彼らは若月よりも歳上に思えた。
「あんた達は…」
 今の女の声に、若月は聞き覚えがあった。それもそうだ。今夜、ここに忍び込んだ時に一度聞いていた。
「志織、さん?」檻の向こうから、驚く尚哉の声。「どうしてあなたがここに」
 藍田志織は、にこりと妖艶な笑みを浮かべた。
「どうして?ここは私の家よ。私がこの家のどこにいても、不思議じゃないわ」
「…隣の方は?」
 志織はちらりと、横の男に目を向けた。「尚哉君とは、結婚式以来なのかしら?夫よ」
 夫。藍田真琴。彼は言葉を発せず、会釈だけをする。若月は足下から頭まで、黒目だけで眺めていく。今日は仕事という話だった。が、腕時計を見れば、0時を過ぎていた。時間的に、戻ってきていてもおかしくはなかった。
「おいで」真琴の低い声で、部屋の扉の向こう側から、少女がやってきた。
「この子は、娘の瑛子」
 ポニーテールの少女は、室内全体、若月、檻の向こう側の三人を、順々に見る。
 若月は、突然の来訪者達に困惑していた。彼らがここの住人であることを知り、改めて今、ここにいる自分の身分が、不法侵入者であることを思い出した。
 有紗の無事は確認できた。今すぐ目の前の藍田夫婦と娘の間をすり抜け、この家から逃げた方が良いのではないか。
「別にいて良いの」
 心を読まれたようで、心臓が飛び上がった。「あなた、心の声が外に漏れてるわよ」と志織は苦笑し、固まる若月の横を真琴と共に通った。瑛子は、入り口に立ったままである。
「というより、いてくれないとね」
「い、いてくれないと?」
 彼女達の挙動と発言の意図が読み取れず、若月は一人混乱する。そんな彼をそのままに、志織はポケットから銀色の鍵を取り出し、鉄格子の一箇所に差し込んだ。すると鍵を差し込んだ一角が手前側に開いた。なんてことない、その一角は扉になっていたようだ。
「なあ。早く教えてくれよ」そこでようやく声を出せた。
「何を?」
「さっき、あんたは、有紗がその」緊張で言葉に詰まる。「俺に謝ってきた理由を、教えてくれるって」
 志織は上品にも口に指を揃えた手を当て、笑みを浮かべる。「あなたにとって、嬉しい理由のはずよ」
「は?」
「さあ、若月くん」志織は大声で、唖然とした若月の名を呼んだ。そうして開いた檻の一箇所を、人差し指で差す。「お入りなさい」
「何で…」
 自分の名を知っていることはさておき、若月は志織がポケットから取り出したものを見て、二の句が告げなかった。
 志織は黒色の拳銃を若月に向けていた。本物か、それは分からない。しかしその存在は、若月だけではなくその場にいる者を支配するだけの力を持っていた。
「お入りなさい」
 有無を言わさない様子の彼女。無言で若月を睨む真琴。逆らうことはできない。言われるがまま、覚束ない足取りで、檻の向こう側へ。檻の扉をくぐると、そこには三つの椅子それぞれに拘束された男女。一番手前には。
(芳川、尚哉…)
 彼の存在は、先程までは腹立たしかったのだが、今は今で、困惑するばかり。彼や有紗への感情は、どこかに吹っ飛んでしまった。
 志織は若月が檻に入ったところで、扉に再び鍵を閉めた。
「お、おい!」
「いちいち叫ばないで。うるさいわね」
 彼女は扉に近寄ってきた若月に銃口を向ける。若月は反射的に一、二歩ほど後ずさる。
「彼の椅子、後ろ側をご覧なさい」若月は志織に言われるがまま、視線を彼の後方へとずらしていく。するとそこには、一本の折り畳み式の鋸が、細長い銀色の筒に入れて置いてあった。「手にとってみるといいわ」
 恐る恐る、若月は柄を握り引き抜く。そうしてぎょっとした。刃が、血に塗れて真っ赤だったのである。
 これは一体。若月は志織を見た。彼女は笑みを崩さぬまま、自分を見ていた。その微笑みが現状とひどく不釣り合いで、寒気もした程だ。
「これが答え。私達、あなたにサプライズを用意したのよ」
 理解が追いつかない若月に、志織は柔らかな声色で次のとおり述べた。
「あなたは、あなたが恨んでいた尚哉君に復讐できるの。しかも、合法的に」
「復讐だって?」
「あなたが尚哉君に恨みがあること。有紗ちゃんはそれを知っていて、あなたに近づいた」
「そ、そうなのか?」
 若月の問いに、有紗は応えない。代わりに、雛子が口を開く。
「今日ここにこうして、あなたが忍び込んでいること。それはあなたがそうするように、私達が促したことよ。…あなたのもとに、探偵から報告書が届いたでしょう?」
「まさかあれは」
「そう。言っちゃえば、あなたが調査を依頼したあの探偵、私達と、ぐるだったの。有紗ちゃんにホの字な若月君、有紗ちゃんが突然いなくなったことと、あのアパートの住人から藍田勝治の仕業であることを仄かしてもらえれば、あなたは藍田勝治のことを調べるはずだし、有紗ちゃんを助けたいと考えることは、予想できた。それを分かってて、あのチラシをあなたの家のポストに入れた」
 若月は呆気に取られた。有紗が住んでいたセントラルハイムの住人達の芝居は「彼女が住んでいなかった」ということだけではなく、「自分に藍田勝治の存在を示す」こともそうだったというのか。
 また、探偵への電話もそうだ。自分のここまでの行動は、全て彼女達が意図したものだった。そのとおりに動いてしまった己の無能さも含めて、思わず脱力する。
「もしかして、藍田勝治の日記も?」
「さあ。でもその子、必死で何か書いていたようだけど」
 有紗は何も言わない。俯いたまま。その態度は、尚哉が放った質問の答えになっていた。
「…さっきの、合法というのは?」
「ああ。ええ、私達も協力するわ。この部屋で起きたことは全て『無かったこと』にしてあげる。それは例えば今、あなたの持っている鋸で、尚哉君を殺してしまったとしてもね」
 ちらりと、志織は真ん中で座る芳美を見る。芳美は志織の様子に畏怖の念を抱いているのか、縮こまりつつも彼女を見る。
「私や真琴さんは、芳美ちゃんに用があるのよ。もしやるなら一緒の方が、都合良いの」
「おおお、奥様っ」突然、芳美が甲高く叫んだ。「ゆ、許してください、私はそんな」
 涙を流しつつ、許しを懇願する彼女を、志織は無表情に睨め付ける。
「芳美ちゃん。あなた、尚哉君に伝えなくて良いことを伝えたわね。告げ口みたいなことをするなんて、私ひどく傷ついたわ。その報いよ」冷たく言い放った後に、彼女は異質と思える程に大きな笑みを浮かべた。「でも。本当のことを言うとね、あなたの死は前々から決まっていたの。仕方がないことなの」
「ど、どうして」
「本当なら、もっと早くそうするつもりだった。瑛子が先走って、あなたをつき落としてしまったから。傷が治るまで、少しの間待たなくちゃならなかった」
「やっぱり瑛子様が、私を」
 呆然とする芳美に、「でも、あなたも悪いのよ」と唇を尖らせた。
「手紙、勝手に読んだのよね。あの子、それが大事なものって知っていたから、何とかしようとしただけなの。遠藤君にまで、手伝ってもらったそうだし」
「遠藤君が…」
 そこで若月は檻の外、瑛子の姿が無いことに気がついた。
「なあ」真琴が志織に声をかける。「俺、あの子の様子を見てきて、良いかな」
「あの子の担当は数部屋だけでしょ。大丈夫よ」
「いや、なんていうのかな」
「心配なの?」
「まあ、そんなところ。駄目かな」
「うーん」ちらりと、志織は若月達に目を向ける。「良いわ。ここは任せて」
 真琴は微かに肯くと、部屋の外に向かった。早足気味。室内にいる全員が、出て行く彼の様子を見ていた。

「病院の駐車場で、俺を襲ったのは志織さん達だったん…だな」
 そこで、聞き役に徹していた尚哉が志織に尋ねた。
「いまさら?この状況でそうじゃないってこと、あるのかしら」
「つまり、若月が俺に復讐できるように、こうして俺をここに拘束しているっていうのか」
「くどいわね。事細かに説明しないと理解できない?」
 彼女の挑発的な台詞に動じることなく、尚哉はかぶりを振る。
「彼が俺に、復讐か。それは仕方が無いさ。俺はそれだけのことを若月にしたんだ」
 えっ、と若月は尚哉を見た。尚哉は「すまなかった」と小さく呟いた。 
「あの頃の俺は国家試験に落ち続けて、なまじ荒れていた。そこでちょうど目に入ったのが、あんただった」
「俺のこと、覚えていたのか」
 尚哉は肯くと同時に、自分が犯した罪のことを思い返した。
 試験勉強の夜食を買うために寄ったコンビニで、若月は雑誌コーナーで、週刊誌を立ち読みしていた。ぺらぺらと、売り物を我が物顔で読む彼。しまりのない顔。何不自由なく、のんべんだらりと暮らしているのだろう。
 何故だか無性に腹が立った尚哉は、その若者を万引き犯に仕立て上げることを思いついた。理由はない。単なる憂さ晴らしで、彼自身軽い気持ちでそれをした。
 というのも、事実彼は万引きをしていない。調べが進めば、それが事実無根であると分かるものだと思っていたからである。まさかその行動が、若月の人生を狂わせることになるなんて、彼は夢にも思わなかった。
「でも」尚哉は俯く。「罪悪感って、日が経つにつれて重くなってくるものらしい。あの後、あんたがどうなったのか。何度、あんたに謝ろうと思ったか。でも俺にはできなかった。万引きの冤罪を故意に作ったなんて、職場から…世間から何て思われるか。怖くて、行動に移せなかった」
「若月君より、自分を優先したんじゃない」やれやれと、志織は肩をすくめる。「客観的に聞いていても、自己中心的な意見ね。結局、自分が可愛いってこと。笑っちゃうわ」
「そんなことはわかっているさ」尚哉は志織を睨んだ。「だから、若月は俺のことを恨んでいいし、復讐をするだけの理由はあるんだよ。でも」
「でも?」
「あんた達は違うだろ。志織さん、真琴さん、そして有紗ちゃんも。君達が彼の復讐に手を貸す理由は、なんだ」
「知らないと思うけど、有紗と若月君は恋人同士なのよ」
「えっ」
「恋人の心の底にあったトラウマを解消するため。つまり、彼の復讐を手助けするため、有紗は私に声をかけた。私と真琴さんはただ、手助けをしただけよ」
「…それなら一つ、聞きたい」
「何?」
「有紗ちゃんは、どうやって若月と俺の因縁を知った?若月が彼女に話したのか」
「い、いや俺は何も…」
 首を強く振る若月。確かに不思議だった。若月と尚哉、二人の、しかも十年弱は昔の因縁なのである。
「探偵」有紗が掠れた声を出す。「孝司君を騙すこと、刑事さんを調べること。私達、探偵に依頼したんです。お二人のつながりは、それで分かりました」
 また、探偵か。どうにも最近は縁があるらしい。
「でも、かなり昔のことだろう。それをピンポイントで調べるなんて、できるのか」
「別に、孝司君と刑事さんの関係を知りたかった訳じゃないんです。使えそうな情報があれば、何でもよかった」
「えっ」
 何でもよかった?
「幸いにも、彼は刑事さんのことを知っていました。古い知り合いって、言っていました」
 尚哉は思わず、声を上げた。探偵、古い知り合い。まさか。
「そ、その探偵の」
 名前は。尚哉が有紗に尋ねようとするも、会話はそこで強制的に終了となった。志織が両手を何度か、パンパンと叩く。
「お喋りは、そろそろ終わりよ」
「待ってくれ!それだけでも…」
「待つのにも限界があるの」
 取りつく島無く、志織は首を横に振る。「有紗もそのくらいにしておきなさい」
 志織の言葉に有紗は口を閉ざす。尚哉は唇を噛む。一体、この二人の関係はなんなのだ。有紗が志織の言うことを聞く、その理由が全くわからない。
 皆黙ったところで「メインイベントに入りましょう」と、志織は人差し指を立てた。
「メインイベント?」
「ええ」志織は若月に目をやると、「今から、若月君に五分あげる」と宣言した。
「五分、尚哉君に復讐するチャンスをあげるわ。もう一度言うけど、いたぶるも、ましてや殺してしまっても良い。あなた次第よ」
「五分だって?もしその時間を過ぎたら、どうなる」
「あなたに罰を与える」志織は拳銃の銃口を若月に合わせた。「これ、実弾入り。モデルガンじゃないわ。言っとくけど、私は本気よ」
 つまり五分後には、一方の死は確定していることになる。尚哉は、いや若月もまた、血の気が引いた。
「時は金なり。すぐにやりましょ」
 志織はスマートフォンを片手で操作し、「5:00」と表示された画面を三人に見せた。
「さあ」志織は拳銃の撃鉄を親指で引いた。カチリ。無機質なその音は、開幕の合図の意味を含んでいた。
「始めるわよ」
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