蜃気楼に彼女を見たか

夜暇

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第二章 雨と傘

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 深青がトイレに向かってから、十分以上経過していた。
 遅い。一体何をしているのか。メイクをし直しているとか?いや確か、彼女は手ぶらだった気がしたのだが。
 色々と考えながらも、こうして深青が来るのを待っている自分を省みて、徐々に笑えてきた。先程、言い合いまでして腹が立ったというのに、結局は彼女のことを置いていかずに、待っているなんて。態度と台詞が裏腹、俺は何をしたいのだろう。何を彼女に求めているのだろう。
 救い?
 こんな俺でも、死ぬまでの道程は救われるべきだと?
 何を考えている。俺が、救われるなんて。
 むしろ、その逆——。
 髪をガシャガシャと掻きむしると、わけもなく運転席側のドアを開けて、外に出る。直射日光が全身に突き刺さる。痛い日差し。八月に入ってからは、雨も減った気がした。季節は真夏も真夏。蝉の鳴き声に耳が麻痺し、カラリとした暑さに。体力は徐々に失われていく。
 夏は嫌いだ。
 じんわりと滲んできた汗を手で拭うと、店の方へと視線を泳がせた。あんな言い合いをしたこともあって、もしかすると、俺が嫌になったのだろうか。しかしそうだとすると余計に惨めで腹立たしい。ここまで連れてきたのに。服も買ってやったというのに。
 俺はハッとした。まさか、それが狙いだったのか。ある程度の物を自然な様子でねだり、買ってもらう物乞いのような——。
 いやいやと、俺はかぶりを振る。
 深青の口ぶりや態度から、流石に彼女が、そんな性根が捻じ曲がったようなことをするとは思えなかった。
 とはいえ、果たして俺が彼女の何を知っているというのだろう。昨夜会ったばかりの関係だというのに。何故だか俺は、へんに深青のことを信用しているようだった。放っておくことができていないのもそのためだ。それは彼女が可愛いから?若いから?実はあわよくば、体の関係を持ちたいからだなんて、下心からそう思うのか?
 いや、違う。
 しかしそれなら、何故?
「お兄さん、ちょっとすみませんね」
 ぼうっと考え事をしていたら、背後から野太い声が聞こえてきた。ゆっくりと体を反転させたところで、俺は体をピシッと硬直させた。
 男が二人いた。顔も知らない連中だ。しかし、彼らが何者なのかは、一見してすぐにわかる。紺の制服に青いシャツ、制帽を頭に被った、全国にいる連中。彼らは警察官だった。
「はい」無意識のうちに背筋を伸ばす。「なんでしょう」
「少しお聞きしたいんだけど」二人のうち、年配の方の警官が、わざとらしく申し訳なさそうな顔つきで「お兄さん、お一人でここで何してんで?」と尋ねてきた。
「何って買い物ですけど」
「ああそれなら良いんですがね。もしや違った理由だったらって、思ってね」
「それは、どういう…」
「いやねえ。通報があったんですわ」
「通報?」
 若い方の警官が肯く。「未成年の少女を連れた男が、婦人服売り場にいる。そういう通報でした」
 背筋にヒヤリとした感覚。誰がそんな通報を。その男とは、俺のことに違いなかった。恐らく店内で、じろじろと俺と深青を見てきた中の誰か…深青は制服を着ていたし、容姿も若い。未成年と判断するのは間違っていないし、実際にそのとおりだろうから、何も反論する余地はなかった。
 俺は回答に窮した。深青の存在を話せば、何故一緒にいるのか、どういう関係なのか。話は波及していくだろう。本当のことなんて、話せるわけがない。
 頭をぐるぐるとフル回転させる。どう答えるのが正解なのか。やはり、自分は一人でした。連れはいないです。嘘をつくのが良い。今は、今だけは、彼女が帰ってこないように祈るばかりだった。
「おじさん?」
 口を開こうとしたところで背後、店の入り口から今一番聞きたくなかった声が響いた。ビクッと体を震わせ、俺は恐る恐る、後ろを振り向く。
 そこには深青が立っていた。後ろの自動ドアが閉まる。店の中にいたようだ。
 トイレは店内だから何もおかしくはないのだが、身に纏うのは制服だ。彼女が、俺に話しかけるという構図自体が、ある意味不自然な状況でしかなかった。
「み、深青…」
「ごめんなさい、トイレ混んじゃってて」
 顔面蒼白の俺のもとに、深青はスタスタと近寄り、両手を合わせて謝る。
 しかし今はそれどころではない。俺はまたも警官の方を向き、「あはは」と作り笑いを浮かべた。
「あの」こうなれば自棄だった。「この子、姪っ子なんですよ」
「姪っ子?」
「ええ、はい。夏休みで学校も休みなんで、少し買い物に付き合ってやってるんです」
 適当に口にした内容にしては、良いんじゃないかと納得する。二人の警官はそれでもなお訝しげな表情だったが、深青に視線をシフトさせた。
「ごめんね。一つ聞かせてもらえる?君は、この人の」
「姪です」
「えっ」
「この人、私の叔父です。そしてこの人が言ったとおりで、私は姪です」
 淡々とした口調。しかしその声色には、俺と話す時のような緩んだ雰囲気はなく、刃のような鋭さ、冷たさが含まっていた。質問した若い警官は、思わず閉口する。
「えっと…」
「これで満足ですか」
「満足って、君ねえ」
「いや、うん。それで良い、それで」片目を釣り上げた若い警官の肩をぽんぽんと叩いて、年配の警官が肯く。それから、彼は俺を見た。「すみません、お嬢さんに変な質問しちゃいまして」
「い、いや。別に良いですけど」
「最近、都内じゃ女性を狙った通り魔なんてものも出てて、世の中物騒なもんでね。我々も神経質になってるところがありまして」
「そうなんですか」
「上からも、いつもうるさいんです。怪しい奴には職務質問しろしろってね。あ、お兄さん達がそうだってわけじゃないですけど。他にも、必要そうであればという感じです。結果、証拠もないのに疑うようなことになってしまって、すみません」
 彼らも悪気があるわけでない。それだけ不審者やら、道理に反した者が多いのだろう。疑われるのはこりごりだが、むしろ同情するに値した。
 それに本来、俺は彼らのいう職務質問の対象に相当する。それだけに、彼らを責めるだけの資格は無かった。
「じゃあ、そろそろお暇させていただきますか」
「捜査協力、ありがとうございます」
 彼らはそう口にして、店内へと入っていった。
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