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第二章 雨と傘
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しおりを挟む「助かった」
衣料品店を出て、車は国道に入ったところだ。俺は目線を変えないまま、深青に話しかけた。
「え?」
「ほら。さっきの、警官のあれ」
「なんだ、あんなことですか」
深青はずりずりと、助手席の背もたれに寄りかかる。
「流石に空気読みますよ。だって、本当のことを言ったら最後、この旅も終わりでしょうから」
「…そうか」
そこで俺は、自分が小さく思えてならなかった。一回りも歳下の相手に、優位な立場を主張して、挙句頭にきて。対する彼女は、細かい所作や生意気な言動はともかく、中身は外見よりもずっと落ち着いているようだ。
「でも、本音を言うと。龍介さんを助けたいと思ったのは別に理由があって」
「別?」
「呼んでくれたからかもしれません」
「呼んでくれたって…」
「深青って。ね?」
俺は顔が熱くなった。「呼んだっけか」
「ええ、ええ。忘れませんとも。私が店から出て、龍介さんのところに駆け寄った時ですよ」
恥ずかしくて顔から火が出そうだった。実は俺ももちろん、しっかりと覚えていた。思わず口走った彼女の名前。
「嬉しかったです」
微笑む深青。横目で見たその笑顔に、俺はひどく既視感を覚えた。
赤信号で車は止まる。俺は改めて何気なく、深青に顔を向けた。彼女は首を傾げて「なんですなんです」とじとっと目を細める。視線がぶつかる。
「そんな見ても、何も変わらないですよ。可愛くて美人ってことしか」
こいつ、自分のことをしっかりと客観視してやがる。
「馬鹿。子どもに興味ないわ。どこぞの変態と一緒にするなよ」
「龍介さんは歳下は歳下でも、少し下くらいが良いんですよね」
「なんだそれ。どこから得た情報だ」
「適当です」
苦笑しつつ、深青は肩をすくめた。「まあ、興味があっても困るので。良いんですけど」
そこで信号は青に変わった。車はのんびりと、道路を滑るように走る。
「ちなみに。今更なこと聞いて良いですか」
「なんだよ」
「この車、どこに向かっているんです?」
確かに、本当に今更の話だった。確かに彼女を乗せてから、今に至るまで行き先を伝えていなかった。
俺は彼女に伝える。すると深青は、目を丸くさせた。
「能登半島…ですか?」
俺の中でのゴールは決まっていた。能登半島。石川県の十二市町、富山県の一市から成る、日本海側最大の半島である。そこが、この旅における終着点だった。
「その上の方なんだけど」
「そこに何があるんです」
「何があるってわけじゃないけど。まあ、あのあたりは海沿いがな。崖になってんだよ」
「崖って」そこで深青は少し唸ると、「飛び降りですか」
俺はハンドルを切る。車体はゆるりと、右に曲がる。「まあ、それが一番良いのかなって」
「なんだ、まだしっかりと決まってないんですか」
「どうせなら楽な死に方を選びたいなって」
「それなら私、飛び降りはなんとも」
「やっぱり楽な死に方じゃないかな、飛び降りって」
「そりゃそうですよ。確か、高いところから落下すると、下が水でもコンクリートに落ちたような衝撃を受けるらしいですよ。龍介さんの想像する場所の高さがどれくらいかわからないですけど、プールの飛び込みとは違うんですよ」
「へえ。それ、本当にそうなのかな」
「さあ。やったことないですし」
「そりゃそうだ」
「それにたとえ水に落ちなくても、岸壁や岩に落ちれば体がバラバラになって、無惨な有様になっちゃうかも」
女子高生が口にするにはあまりにも似つかわないような台詞を、深青は淡々と述べる。
俺は自分の手足、首が胴体から千切れる様を想像した。その痛みは、いかほどのものだろう。その時に上げる断末魔は、どんなものなのだろう。思わず唾を飲み込む。
「いずれにせよ」こほんと咳払いをする。「まず、助かることはない。そういうことか」
「そういうことです。それなら別の」
そこで彼女は言葉を切る。
「どうした?」
「龍介さん、なんで笑ってるんです?」
「えっ」
俺は片手で口に手を当てる。彼女の言うとおりだった。無意識のうちに、口角が上がっていたようで、その笑みは意識してもすぐに治せそうになってかった。
「あれ、なんだろうな。はは」
乾いた声で笑う俺を、深青は薄目で見る。
「死ぬなら私、別のやり方が良いです」
「なにか良い死に方でもあるのか?」
「いや。なーんにも」
「なんだよ」
「だから、見つけたいと思います。龍介さんがゴールする前に」
ゴール。俺が死ぬまでの間に。彼女は、そう言っているのだろう。
「良い死に方があったら教えてくれよ」半ば他人事のように、俺はそう言った後で「じゃあ、本題だな」
「本題?」
「ああ」
「おま…深青が、こうして俺と一緒に来た理由。それと、死にたい理由。それを教えてくれないか」
途端に、車内の空気が少しだけ重くなったように思えた。
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