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第二章 雨と傘
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しおりを挟む「それ…言わなくちゃいけないですか」
衣料品店の時と異なり、今度はまるで懇願するような口ぶり。しおらしさに俺はわざとらしく前方、フロントミラーから見える景色を見る。外は炎天下だ。車体温度計のメーターは、四十度近くなっている。しかし車内は、氷河期のような冷え込んだ空気になっていた。
「嘘、つかないでくれよ」
「ごめんなさい」
今度は素直に詫びる深青。俺はいたたまれなくなり、こめかみをかりかりと人差し指で掻く。
「何もさ。事細かに聞くつもりはないんだよ」言い訳しているような、そんな気持ちのまま、俺は更に言葉を紡ぐ。「ただ、その。君を乗せるっていうのは、アラサーの俺からしたら、なかなかリスキーなことなんだよ」
さっきの警察の眼差しを思い返す。まるで尋問、彼らは俺のことを、犯罪者とまではいかずとも、同等の存在のように見えていたのではないか。事実無根にせよ、彼女といることでこの旅が頓挫するのは防ぎたかったのだ。
ただ、俺が彼女のことを…深青のことを同行する仲間として思えるようなことがあれば、話は別である。旅は道連れ、彼女を車に乗せた時にそう思ったではないか。温情をかける訳ではないが、事情を知らない間柄の人間と乗るよりも、その方がずっと良い。
そのためには、彼女をもっと知る必要があった。
少しの間、沈黙があったが、それは深青の言葉で解かれた。
「弄ばれたんです」
俺が何も言えずにいると、彼女は続けた。
「少し前に、好きになった人がいました。その好きな人は、私よりも歳が上で、社会人の男の人でした。ひょんなことから、私はその人と関係を持ちました」
「関係って…」
「聞くのは野暮ですよ」
深青の言葉に俺は素直に閉口する。彼女は俺の様子に頷き、続ける。しかし何故だか落ち着かない。心が澱む。
「二人は、それから定期的に会うことになりました。幸せでした。その人はこれまでモテなかったとか、自分に自信がないみたいでした。でも、私から見たら、普段が立派な中で、そんな弱音を吐くところもまた魅力的に思えて、本当に好きで好きでたまらなくて。そんな人に相手にしてもらえる。それだけで、同じ立場に立ったような気もして。誇りにも思えました。そんな訳、ないのに。
最初から遊ばれていたんです。可愛い可愛いって言われて、舞いあがっちゃった愚かな私。そんな私なんて、下に見ていたんでしょうね。そのくせ、獣のように私の体を求めるんです。ああ、なんて滑稽な姿。そんな滑稽な男に求められて、良い気になっていた私が、ひどく情けなくて、惨めに思えて。どうしようもなくって。それで」
「それで…」
「死のう。そう、思ったんです」
静寂。どうやら今ので、彼女の語りは幕だったようだ。
「でも、どうして俺と一緒に来たんだ」
俺は、またも聞いてみることにした。彼女はすぐには答えない。静寂。かと思いきや、「だって」と呟いた。「同じような、顔をしていたから」
「え?」
「私と同じような」
「俺が?深青と?」
彼女はこくりと肯く。
「前に一度会ってるの、龍介さんは覚えていますか」
「前にって…」
「私達初めて会ったわけじゃないんですよ」
唖然とする俺に「車、止めてください」と深青は言う。慌てて俺は車を路肩に寄せ、サイドブレーキをかけた。
「前って、いつだ」
「雨」
「え」
「降ってきましたね」
見ると、ついさっきまで晴れていた空が灰色に変わっていた。窓ガラスには、ポツポツと空から雨粒が落ちてきている。
「まさに夏の天気って感じですね」
「あ、ああ。そうだけど」
「あの時も、降ってましたよ」
「あの時…」
呟く俺。窓から外へ視線を外さない深青。彼女はそれから「あの時は傘を貸してくれて、ありがとうございました」と、俺に顔を向けた。
そんな深青の顔を見て、俺はようやく思い出した。
雨、傘。彼女の、雰囲気。
「まさか、あの時って」
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