29 / 73
第三章 秘密とカクテル
11①
しおりを挟む「へえ、こいつの友達の娘さんね」
「父がいつも龍介さんにお世話になっていまして」
にこにこと、平然と嘘をつく深青。先程のやる気のなさに少し不安だったが、杞憂だったようだ。
「SHELLY」は、カウンター席が六席だけのこぢんまりとしたもので、内装はシックモダンスタイルに統一されており、まさに大人の空間を体現した場所を作り出していた。
バーカウンターは大理石のようで、艶々な濃紺の中に白い線がいくつも入っている。椅子は背もたれの無い、白の丸椅子。しかしクッション性に富んでいるようで、座り心地が良い。焦茶の壁面には、なんだかよくわからない小さな絵画、それとシックなライトが等間隔に並んで、淡い暖色光を放っていた。
俺と深青の二人は、手前二つの席に案内された。西尾はさっきのラフな格好ではなく、白シャツにストライプの入った黒ベスト、それから金色のネクタイを身につけ、仕事モードになっていた。とてもじゃないが、彼が先程の男と同一人物とは思えなかった。
「びっくりしたよ」
「何がだ?」
「こんな可愛い子を、お前に預ける友達がいるなんてな」
「なんだよそれ」
けらけらと西尾は笑いながらも「よし」と先程から振っていたシェーカーをテーブルの上に置き、何やら作り始めた。「そんな可愛い深青ちゃんに、はい」
「うわぁ。なんですか、これ」
彼女の目の前に置かれたものは、カクテルグラスの中に仄かに薄い赤色をした、半透明のカクテルだった。グラスのフチには、ライムが一切れ、差してある。
「サマーデライト。夏の喜びって言われているカクテルだよ。折角の出会いに、喜びをってことで」
「ありがとうございます」
感激するように深青はカクテルグラスを右手で持ち上げると、一口。それから「ははあ」と嘆息した。
「どう?」
「甘いんですけど、あと味がさっぱりしてて。飲んでて爽やかな気分になりました。まさにサマー、夏にぴったりですね」
「だろ?」
西尾は嬉しそうに、またもシェイカーに何かを入れて振っている。俺は、美味しそうにカクテルを飲む深青を見ながら、いやいやと首を振る。
「こいつ、未成年だぞ」
「龍介さんまだそんな…」
「ふふ」西尾は笑みを浮かべる。「サマーデライトはモクテルだからな」
「モクテル?」
深青が首を傾げる。
「深青ちゃんみたいな若い子が飲んでも大丈夫なカクテルのことだよ」
えー、と深青は大きな声をあげる。
「そんなお酒があるんですね。知らなかった」
俺は内心、流石バーテンダーなだけあるな、と感心した。
モクテル。ノンアルコールカクテルの、最近呼ばれ始めた呼び方だったはずだ。まねた、という意味の「mock(モック)」と「cocktail(カクテル)」を組み合わせた造語だ。
つまりはアルコールは一滴も入っていないということ。俺の意図を、特に指示せずとも汲んでくれたことになる。
「もちろんお前もな」
「え、なんで…」
「お前、運転してんだろ。ここら辺に住んでりゃまだしも、東京からってなると車に決まってる。わかってるぞ」
深青がしたり顔で俺を見る。くそ。悔しそうにする俺の前に、西尾は透明のタンブラーが置いた。注がれている液体の中にはライムの切身が数個、また、ミントの葉が数枚入っていた。
「あれ、これって」
「気づいたか」にやりと、西尾は笑みを浮かべた。「ジントニック。お前が好きだって言ってたやつだよ」
一口飲むと、ライムとミントの爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、喉ではシュワシュワと、微炭酸が弾ける。職場の忘年会など、飲み会の場で飲むこともあるが、このジントニックは味、香り共に格別な深みがあった。
「龍介さんと会ったのって、結構前なんでしたっけ」
「そうだな。どれくらいだっけか?」
「四年ぶりかな。お前がこっちに行っちゃって、それきりだから」
「電話では何度か会話してるけどな」
しかし確かにそれきりなのだ。深青が言いたいのは、そんな前のことなのに、よくも覚えているものだ。そういうことだろう。
「人との会話は一字一句ここに入ってるよ」西尾はこめかみのあたりを、人差し指でつんつんと突いた。「バーテンダーをやる上で、最低限のマナーだ」
「かっこいいですねえ」
「それに聞いた話もお口にチャック。絶対に口は滑ってはならない。それも、マナーの一つだな」
深青は羨望の眼差しを西尾に向ける。何だか面白くなくなった俺は、ジントニックを一気に飲み干すと、もう一杯!と叫んだ。
「お前さ、もっと味わって飲めねえの」
「良いから作れって。何でもいいからさ」
「面倒だから同じのでも良いか?」
「良い、良い」
まったく。そう言って西尾はシェイカーに液体を入れ、シャカシャカと振る。俺と深青は、その様子をぼーっと眺めていた。こうして何も考えずに見ているが、彼がこの店を持ち、こうして自然にシェイカーを振り、客に素敵なカクテルを振る舞うようになるまで、それなりの苦労があっただろう。彼の慣れた手つきは、汗と努力の結晶なのだ。そう思うと、胸にジーンとくるものがあった。
「お前も頑張ったんだな」
「なにがだ?」
「この店。構えるの、大変だったんじゃないか」
俺の言葉に、彼は表情を顔を和らげた。
「まあな。趣味で酒のことは好きだったけど、店を持ちたいなんて思ってもいなかった。大学も普通のとこだったしな」
俺と西尾は同じ大学、同じ理学部専攻だ。しかし彼は三年の春に中退している。理由が、今のこれのためである。
「バーテンダーになりたいって、どうして思ったんです」深青が尋ねる。
「俺さ、昔趣味でよくバーを巡ってたんだけど」
そういえば彼に連れられて、一時期俺も何店舗か訪れた記憶がある。もう、八年は前の記憶になる。
「それこそ中退した年の少し前ぐらい、かな。行きつけを見つけてさ。そこのバーテンダーの方と仲良くなって。中退後は住み込みで数年働かせてもらえたのよ」
「へえ、それは知らなかったな」
「その時忙しすぎてさ。お前も含めて、誰とも連絡とったり会ったりしてなかったからな」
西尾はフッと笑うと、カウンターの後ろから「はい」と一つ長皿を俺と深青の前に置いた。「3種のチーズ、盛り合わせ。俺からのサービスだよ。左からスプリンツ、テットドモアンヌ、パルミジャーノ•レッジャーノって種類な」
皿の上には左から長方形のもの、花びらのようにヒラヒラしたもの、石ころ大にざく切りにされたものの三つが並んであった。
深青はまたも目をキラキラさせ、両手を組んでそれを見る。「これまた、お洒落ですね」
「全然聞いたことないチーズの種類だな」
「パルミジャーノ何とかは、パルメザンチーズのことじゃないですかね。粉チーズとかの」
「お、あたり。深青ちゃん詳しいね」
「いやあ」深青は照れながら頭を掻く。「でも他は知らないですけど…」
「スプリンツとテットドモアンヌはスイスのチーズで、前者は少し硬いがコクがあって旨くて、後者は甘味と旨味がちょうどよくマッチした面白いチーズさ。さあ、召し上がれ」
「ありがとうございます、嬉しいです」
深青は頭を下げて一つ、テットドモアンヌを口にして「美味しい!」と歓喜の声を上げた。
俺も試しにスプリンツをフォークで刺し、口に入れてみた。なるほど、確かに硬いというか、なかなかの弾力がある。噛むと旨みが口内に広がり、舌の上でとろける。これだけ美味しいチーズがあるとは。思わず頬が落ちそうな味だった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる