蜃気楼に彼女を見たか

夜暇

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第三章 秘密とカクテル

11①

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「へえ、こいつの友達の娘さんね」
「父がいつも龍介さんにお世話になっていまして」
 にこにこと、平然と嘘をつく深青。先程のやる気のなさに少し不安だったが、杞憂だったようだ。
 「SHELLY」は、カウンター席が六席だけのこぢんまりとしたもので、内装はシックモダンスタイルに統一されており、まさに大人の空間を体現した場所を作り出していた。
 バーカウンターは大理石のようで、艶々な濃紺の中に白い線がいくつも入っている。椅子は背もたれの無い、白の丸椅子。しかしクッション性に富んでいるようで、座り心地が良い。焦茶の壁面には、なんだかよくわからない小さな絵画、それとシックなライトが等間隔に並んで、淡い暖色光を放っていた。
 俺と深青の二人は、手前二つの席に案内された。西尾はさっきのラフな格好ではなく、白シャツにストライプの入った黒ベスト、それから金色のネクタイを身につけ、仕事モードになっていた。とてもじゃないが、彼が先程の男と同一人物とは思えなかった。
「びっくりしたよ」
「何がだ?」
「こんな可愛い子を、お前に預ける友達がいるなんてな」
「なんだよそれ」
 けらけらと西尾は笑いながらも「よし」と先程から振っていたシェーカーをテーブルの上に置き、何やら作り始めた。「そんな可愛い深青ちゃんに、はい」
「うわぁ。なんですか、これ」
 彼女の目の前に置かれたものは、カクテルグラスの中に仄かに薄い赤色をした、半透明のカクテルだった。グラスのフチには、ライムが一切れ、差してある。
「サマーデライト。夏の喜びって言われているカクテルだよ。折角の出会いに、喜びをってことで」
「ありがとうございます」
 感激するように深青はカクテルグラスを右手で持ち上げると、一口。それから「ははあ」と嘆息した。
「どう?」
「甘いんですけど、あと味がさっぱりしてて。飲んでて爽やかな気分になりました。まさにサマー、夏にぴったりですね」
「だろ?」
 西尾は嬉しそうに、またもシェイカーに何かを入れて振っている。俺は、美味しそうにカクテルを飲む深青を見ながら、いやいやと首を振る。
「こいつ、未成年だぞ」
「龍介さんまだそんな…」
「ふふ」西尾は笑みを浮かべる。「サマーデライトはモクテルだからな」
「モクテル?」
 深青が首を傾げる。
「深青ちゃんみたいな若い子が飲んでも大丈夫なカクテルのことだよ」
 えー、と深青は大きな声をあげる。
「そんなお酒があるんですね。知らなかった」
 俺は内心、流石バーテンダーなだけあるな、と感心した。
 モクテル。ノンアルコールカクテルの、最近呼ばれ始めた呼び方だったはずだ。まねた、という意味の「mock(モック)」と「cocktail(カクテル)」を組み合わせた造語だ。
 つまりはアルコールは一滴も入っていないということ。俺の意図を、特に指示せずとも汲んでくれたことになる。
「もちろんお前もな」
「え、なんで…」
「お前、運転してんだろ。ここら辺に住んでりゃまだしも、東京からってなると車に決まってる。わかってるぞ」
 深青がしたり顔で俺を見る。くそ。悔しそうにする俺の前に、西尾は透明のタンブラーが置いた。注がれている液体の中にはライムの切身が数個、また、ミントの葉が数枚入っていた。
「あれ、これって」
「気づいたか」にやりと、西尾は笑みを浮かべた。「ジントニック。お前が好きだって言ってたやつだよ」
 一口飲むと、ライムとミントの爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、喉ではシュワシュワと、微炭酸が弾ける。職場の忘年会など、飲み会の場で飲むこともあるが、このジントニックは味、香り共に格別な深みがあった。
「龍介さんと会ったのって、結構前なんでしたっけ」
「そうだな。どれくらいだっけか?」
「四年ぶりかな。お前がこっちに行っちゃって、それきりだから」
「電話では何度か会話してるけどな」
 しかし確かにそれきりなのだ。深青が言いたいのは、そんな前のことなのに、よくも覚えているものだ。そういうことだろう。
「人との会話は一字一句ここに入ってるよ」西尾はこめかみのあたりを、人差し指でつんつんと突いた。「バーテンダーをやる上で、最低限のマナーだ」
「かっこいいですねえ」
「それに聞いた話もお口にチャック。絶対に口は滑ってはならない。それも、マナーの一つだな」
 深青は羨望の眼差しを西尾に向ける。何だか面白くなくなった俺は、ジントニックを一気に飲み干すと、もう一杯!と叫んだ。
「お前さ、もっと味わって飲めねえの」
「良いから作れって。何でもいいからさ」
「面倒だから同じのでも良いか?」
「良い、良い」
 まったく。そう言って西尾はシェイカーに液体を入れ、シャカシャカと振る。俺と深青は、その様子をぼーっと眺めていた。こうして何も考えずに見ているが、彼がこの店を持ち、こうして自然にシェイカーを振り、客に素敵なカクテルを振る舞うようになるまで、それなりの苦労があっただろう。彼の慣れた手つきは、汗と努力の結晶なのだ。そう思うと、胸にジーンとくるものがあった。
「お前も頑張ったんだな」
「なにがだ?」
「この店。構えるの、大変だったんじゃないか」
 俺の言葉に、彼は表情を顔を和らげた。
「まあな。趣味で酒のことは好きだったけど、店を持ちたいなんて思ってもいなかった。大学も普通のとこだったしな」
 俺と西尾は同じ大学、同じ理学部専攻だ。しかし彼は三年の春に中退している。理由が、今のこれのためである。
「バーテンダーになりたいって、どうして思ったんです」深青が尋ねる。
「俺さ、昔趣味でよくバーを巡ってたんだけど」
 そういえば彼に連れられて、一時期俺も何店舗か訪れた記憶がある。もう、八年は前の記憶になる。
「それこそ中退した年の少し前ぐらい、かな。行きつけを見つけてさ。そこのバーテンダーの方と仲良くなって。中退後は住み込みで数年働かせてもらえたのよ」
「へえ、それは知らなかったな」
「その時忙しすぎてさ。お前も含めて、誰とも連絡とったり会ったりしてなかったからな」
 西尾はフッと笑うと、カウンターの後ろから「はい」と一つ長皿を俺と深青の前に置いた。「3種のチーズ、盛り合わせ。俺からのサービスだよ。左からスプリンツ、テットドモアンヌ、パルミジャーノ•レッジャーノって種類な」
 皿の上には左から長方形のもの、花びらのようにヒラヒラしたもの、石ころ大にざく切りにされたものの三つが並んであった。
 深青はまたも目をキラキラさせ、両手を組んでそれを見る。「これまた、お洒落ですね」
「全然聞いたことないチーズの種類だな」
「パルミジャーノ何とかは、パルメザンチーズのことじゃないですかね。粉チーズとかの」
「お、あたり。深青ちゃん詳しいね」
「いやあ」深青は照れながら頭を掻く。「でも他は知らないですけど…」
「スプリンツとテットドモアンヌはスイスのチーズで、前者は少し硬いがコクがあって旨くて、後者は甘味と旨味がちょうどよくマッチした面白いチーズさ。さあ、召し上がれ」
「ありがとうございます、嬉しいです」
 深青は頭を下げて一つ、テットドモアンヌを口にして「美味しい!」と歓喜の声を上げた。
 俺も試しにスプリンツをフォークで刺し、口に入れてみた。なるほど、確かに硬いというか、なかなかの弾力がある。噛むと旨みが口内に広がり、舌の上でとろける。これだけ美味しいチーズがあるとは。思わず頬が落ちそうな味だった。
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