蜃気楼に彼女を見たか

夜暇

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第四章 幻と嘘

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「先方との約束、午後一時だっけか」
「あ、はい」
 理乃の話をしていて気が良かったが故なのか、仕事に引き戻されて、いまいち仕事モードに戻れないせいなのか。気の抜けた返事の吉田に、俺は彼の目をしっかりと見た。
「仕様説明、本当に大丈夫なのか」
 今日は、TNSの開発したコネクタ部品を搭載したタブレットについて、それを取り扱う販売企業に製品説明を行う予定だった。
 コネクタとは一言で言えず、多種多様に存在する。数年の間で何度も規格が変わり、その度にうちの部署では対応するコネクタの開発、調整をしている。
 これまで俺が説明をしていたのだが、採用されて三ヶ月も経つ現状、簡単な説明はさせてやってもいいのではないか。師崎の意見もあり、吉田に最初の製品説明を任せることにしたのである。
「そんな大した話をするわけじゃないし、そう気張る必要はないからな」
「わかってますって。俺に任せといてください」
 うんざりした表情を微かに浮かべる吉田。しつこく言えば、かえって気が散るものだと思い、俺はそこで黙ることにした。師崎の言うとおり、今回彼が説明するのは俺が作ったパワーポイントに沿っただけの簡単な内容である。俺も採用された当時はこの時期…いや、もっと早く打ち合わせで説明できていたかと思う。
 大丈夫。たまには信じても良いかもしれないと、そのまま俺と吉田の二人、打ち合わせ先に歩みを進めた。


 しかし…結論、この判断は大きな誤りだった。
「黙りこくっちゃったんですか」
「うん」
 打ち合わせが始まり、まもなくして彼が説明するタイミングとなった。しかし途中途中でつっかえては、趣旨を掴めないフワッとした説明。販売企業の営業担当も、苛々を隠せなくなり、それで?これは?と途中途中で挟んできた。
 吉田は、ただ自分の説明を聞いてもらえるものと考えていたようだ。どれも答えられず、俺が代わりに対処することになった。ついには頭がショートしたかのように、彼は途中で説明をやめてしまった。最終的に全て俺が説明し、事なきを得た。
 つまり、吉田のデビューは失敗に終わったのである。
「それでなんで、辻さんが課長に怒られるんです」理乃は煙草の吸い殻を灰皿に置く。「辻さんは何も…それこそ、むしろフォローしたんじゃ」
「師崎曰く、そのフォローが下手くそなんだってさ」
「下手くそって…」
「彼の説明に不審な点があれば、説明相手に不快な思いを抱かせる前に割って入る。それが普通だって」
 ——お前は吉田の隣にいるのに、途中まで何もしていなかったわけだな。
 縁無し眼鏡に光が反射した師崎を思い出す。瞳は見えなかったが、俺を非難の目で見ていることは理解できた。
 理乃は憤慨する。「そもそも、きちんと製品知識が頭に入ってなかった吉田さんを責めるべきだと思いますけど」
「同感なんだけどさ。俺も、大丈夫と思ったのがいけなかったんだろうな。でも」俺は天を仰いだ。「その後の吉田の態度が一番モヤモヤするんだよな」
 ——もっと早く助けてくださいよ。俺、無駄に恥かいたじゃないですか。
 申し訳なさというか、吉田にそれがないことに愕然とし、俺は返す言葉が浮かばなかった。
「吉田さん、想像以上に…あれ」彼女は、己のスマホの画面を見る。それから顔を引き攣らせた。「噂をすれば。吉田さんからです」

 
 お疲れ!仕事、慣れてきたんだってね!でも油断禁物、わからないことがあったらなんでも言ってくれよ。疲れたとか、愚痴でも聞くよ笑 後輩を助けるのが、先輩の役目だからさ。
 ちなみに明日夜空いてる?飯行かない?笑


「ああ、気持ち悪い」理乃は、テーブルに置き直したスマホを引いた目で見る。「大して仕事できないくせに、なんでこんな上から目線なんでしょう。ご飯のお誘いも唐突だし、時間が夜ってのも下心しか感じないし」
 それから彼女は、スマホを裏返した。
「…苦労かけるよ」
「なんで辻さんが謝るんです」
「あいつは俺の、その。後輩だから」
「それが役目だと?」
「先輩は後輩を助けなきゃいけないそうだから」
「笑えない冗談ですよ、ほんと」
 そこで理乃は、テーブルの上に置いていた俺の手を取る。彼女のまさかの行動に、俺は目を丸くさせた。
「無理しないでください。お助けできることがあれば、私に言ってくださいね」
「もう、助けてもらってるよ」
「本当に?」
「うん、本当に」
 こうして、会って話せるだけで。俺の言葉に理乃は首を傾げたが、俺はそれ以上言うことはなかった。
 事実、彼女との「会合」は、俺の中で欠かせないものとなっていた。日々の師崎のパワハラ、吉田の不遜ふそんで無礼な態度に苛立ちが募り、擦り切れていた心の傷を癒してくれる。それだけの力があった。
 俺は彼女に惹かれていたのだろう。天真爛漫な彼女は、物事を客観的に見る力があった。会話もするすると、途切れることなく話せるのは、ストレスなく過ごせる、心地よい時間だった。


 彼女への恋心をはっきりと自覚したのはそれから半月後。しんしんと降り荒んでいた雨が無くなってきて、カラッとした天気が目立つようになった、そんな時期である。その日も理乃と仕事終わりに「会合」で落ち合い、他愛もない会話をしていた。
 その日の彼女はどこか虚ろな様子だった。どうしたのか、俺が尋ねたところ、理乃は深刻そうな面持ちで、次のとおり打ち明けた。
「最近、ストーカーをされているみたいなんです」
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