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第五章 旅とその目的
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しおりを挟む「どうして、深青が、理乃のことを」
訥々と訊く俺を前に、深青は神妙な顔つきだった。
「全て聞いていました。お姉ちゃんから」
「お姉…えっ」
呆然とする俺をそのままにして、深青は椅子から立ち上がり、冷蔵庫を開ける。「水、飲んで良いですか」
「あ、ああ」
ありがとうございますと一言述べたあと、彼女はミネラルウォーターのペットボトルを抜き取った。キャップを開けて一口飲む。彼女の白い喉が何度か上下する。ふぅと吐息を漏らした後に、深青はまた同じ椅子に座った。俺はその間、ただ彼女を見つめていた。何も話せなかった。
「すみません」
数秒の沈黙の後、口を開いた彼女が述べたのは、謝罪の一言だった。
「ずっと、龍介さんのことを騙していました」
「騙していた?」
「はい。それも、いくつも」
びゅう。エアコンの音が耳にざわついた。
「まず、私は高校生じゃありません。本当は二十二歳の、大学生です」
「大学生?」
「ええ。幼く見られがちなんです、私」
深青の容姿をジロジロと見てしまった。大学生と言われれば、確かにそうも見える。しかし制服を着た時の彼女は、高校生で十分に通じる風貌だった。
「あまり見ないでくださいよ」
「あ。す、すまん」
思わず目を逸らす。深青はふうと息を吐く。
「でも、私達ぐらいの年齢だと案外、制服着たらわからないもんですよ。特に、龍介さんみたいに歳上の男の人からみれば、変わらないでしょうし」俺の心を読んだかのように、深青は肩をすくめた。「とにかくですよ。実は私は、龍介さんのことを知ってました。あの雨の日にお会いする前から」
「さっき、理乃に聞いていたって言ってたな」
深青は肯く。
「私の名前は、坂宮深青と言います。でも幼い頃の苗字は、円城でした」
「円城…」
その苗字は理乃のそれと同じだった。深青は「両親が離婚して、私とお姉ちゃんは互いにそれぞれの親のもとに引き取られたんです」と付け加えた。
「私が言うのもなんですけど。本当に仲の良い姉妹だったんです。両親も離婚してはいますが、子ども同士が会うことにとやかく言うことはなくって。だから、頻繁に会ってました。 一緒に住んでいない、親戚の仲良しお姉ちゃん。そんな感じでした。
私、大好きだったんですお姉ちゃんのこと」
そこで深青は、俺を見た。俺は思わず口を結ぶ。
「六月下旬とかでしたっけ。お姉ちゃんに会った時、なんか雰囲気が違くって。問い質してみたら、恋人ができたって言うじゃないですか。話し出したらダムが決壊したみたいに、めちゃくちゃ龍介さんとのことを話し出して。まだ付き合って一ヶ月も経ってない頃でしたかね。すごい惚気てくるのは良かったんですけど…お姉ちゃん、しっかりしてるけどあまり色恋の話を聞いたことがなかったし、不安だったんです。変な男に、盲目になっているんじゃないかって。
でも、この二日間一緒に過ごして、それが私の杞憂だってわかりました。龍介さん、優しい人なんですね。お姉ちゃんも言ってました」
「理乃がそんなことを…」
「ただ、優し過ぎて時々不安になるとも言っていましたね」
「不安に?」
「働きアリのようだって言ってました」
働きアリ。理乃と話した働きアリの法則。ふわりと頭に浮かぶ。怠けるアリと真面目に…いや、馬鹿真面目に働くアリ。幸福度と真摯さは比例しないのだ。理乃が示す働きアリとは、後者に違いなかった。
「私は龍介さんの仕事の様子は知りませんけどね。ただ、お姉ちゃんが言った優し過ぎるという言葉は、褒め言葉じゃないことだけはわかります。お人よしなんです、龍介さんは」
「…それは間違いないな」
「何を笑っているんです」
「いや、理乃もそんなことを言っていたなって」
彼女の声が、耳元で聞こえてくるようだった。
「それにこれは苦笑いっていうんだよ、これは」
「わかってますよ。そんなこと」
「むっ」
なんだか張っていた気が緩む。しかしそんな俺を見て、深青は呆れ顔を浮かべた。
「そんな優しすぎるところというか、なよなよしているから。私みたいな人間を車に簡単に乗せちゃうんでしょうね。
大体怪しくないですか。あんな夜中に、突然一緒になんて。普通なら乗せないと思いますけど。
でも、龍介さんは乗せてくれましたね。最初は下心かと思いました。結局お姉ちゃんのことはそんな大事じゃなくて、目先の性欲に従うだけの人なのかなって思いました」
「いや」俺は強く首を振った。「深青を乗せたのは、俺に似てたからだよ」
「龍介さんに?」
「あ、いや」口から出た言葉を振り返って考え、思わずどもる。「なんていうのかな、そうかなって思っただけなんだけど。憂いというか…なんというか」
「何を言っているんです」
「あの雨の日、橋の上で会った時のことが、不意に頭によぎったんだ」
しかしその時、俺は深青のことを思い出せてはいなかった。しかし記憶にあった彼女の面影、雰囲気。深青を乗せても強引におろさなかった理由は、それだったのかもしれない。
「そうか。深青は、理乃の妹なのか」ふうと息をつく。「納得できる。理乃に似てるんだ、君は」
「姉妹ですもの。親違いでもないですし」
そりゃそうだと思いながらも、俺は思案を巡らしていた。
「でもすぐに思い出せませんでしたね。私のこと」
「それはすまなかった」
昨日はそもそも自分は何か、思い出す程に余裕があるわけではなかった。何せ、こんな旅に出ているくらいなのだから。
「内心ヒヤヒヤでしたよ。いつ放り出されるんだろうって」
「そう思うなら、最初に説明してくれれば良かったんだ」
「だって。いきなりじゃ唐突だから、龍介さんも変に思うかなって思ったんです」
むしろ何も言わない方が怪しく思えてならなかった…とは、口から出さずにとどめた。
「だから。思い出させるために強硬手段に出ました」
「強硬手段?」
「龍介さん、昨日服屋で一人の時、警察の人達が来たのを覚えていますか」
「ああ」
「変に思いませんでしたか。ただ店に入っただけで、通報されるだなんて。兄妹とかかもしれないのに」
「まさか…」
「あれ、私が呼んだんですよ。トイレに行った時に」
確かに深青はあの時、トイレに少し時間がかかっていた,
「でも、どうするつもりだったんだよ。俺が君を連れていることに懲りて、本当に放り出すなんてことも考えられたっていうのに」
「今考えるとそうですよね」彼女は舌を出す。「私、多分その場で考えるタイプなんですよ。でも結果オーライでした。警察を追い払った私に感謝をしたあたりも、龍介さんはやっぱり優しい人なんですよ」
優しい。何度か言われたその言葉を、頭の中で反芻させる。
「いや」
自然と首を振っていた。怪訝そうに、深青は眉間に皺を寄せる。
「龍介さん?」
「そんなことはないさ」
「え?」
「俺はただ甘かった。甘かったから」息を吸う。というより、飲み込んだ。「理乃が死んだ」
先程まで耳に聞こえていたエアコンの音が聞こえなくなった。沈黙が耳に響く。
深青は俺をじっと見つめたが、それからふうと息をついた。
「お姉ちゃんは死にました。それは、龍介さんとお会いした、あの雨の日の二日前だったでしょうか」
「ああ」
声が掠れることさえ、まるで気にすることもない。
「お姉ちゃんの死に責任があると言えば、龍介さんにも少しはあると思います。龍介さんがうまく立ち回れれば、もしかするとお姉ちゃんは死…いや、殺されることはなかった。そうでしょう」
何も言えない。まさに、そのとおりなのだから。
「そこで、教えてもらって良いですか」
「なんだ?」
「お姉ちゃんが殺されたあの日の夜。龍介さん、お姉ちゃんから連絡があったんじゃないかと思うんです」
「…ストーカーに追われているって連絡があった」
そうだ。あの日、彼女は俺に連絡を入れたのだ。
やっぱりといった顔で、深青は目を見開く。
「お姉ちゃんから連絡があって、龍介さんはどうしました。それから」深青は言葉を一度切った。「何があったんです?」
胸が、ずきんと痛む。その痛みを強く感じると同時に、俺は俺自身を、あの日あの時の記憶の中へと遡らせた。
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