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第五章 旅とその目的
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しおりを挟む八月も二週目に入った。汗ばむ体、蝉のけたたましい鳴き声。夏はピークを迎えていた。
「おはようございます」
非番明けで出勤してきた中津に、太田原はおうとだけ口にする。それから、今朝の新聞に目を通した。
「暑いですね、今日も」
「最高気温は?」
「40度近くになるそうですよ」
「灼熱地獄だな」
中津はリュックを太田原の横にある自分の席に置いて、「でも」と歯を見せて笑みを浮かべた。
「太田原さんには、これから付き合ってもらいますよ」
「はあ?なんだってこんなくそあちぃなか」
「先月の事件、良い話があるんです。もしかすると」中津は声のトーンを若干落とした。「僕のお陰で進展するかもしれないんですよ」
「これだけ進捗が悪いのにか」
先週、坂宮圭子のお陰でようやく被害者の身元が割れた。
被害者は円城理乃。坂宮圭子の、前夫との間にできた娘らしい。彼女は前夫に引き取られ、今は一緒には住んでいないが、頻繁に連絡を取り合う仲ではあったという。
身元がわかれば、芋づる式にわかることがあった。居住地や彼女が働く会社など、手当たり次第に聞き込みをしたが、どれも空振りに終わっていた。
「TNSでしたね」
「ああ、円城理乃が五月から勤め始めたとこか。美人で仕事もテキパキとこなすだけに、入社してすぐだというのに注目の的だったそうだが」
しかし、職場に彼女のことを殺したいと思うほどに恨んでいる者はいない。それが捜査本部の見解だった。何せ働いた期間が短いのだ。加えて彼女は人当たりが良く、好きになる者はいても、恨みを持つ者はいない。聞き取りをした誰もがそう答えたという。
「社員全員に聞いたわけじゃないが、職場は無関係だ。やはり彼女の過去を洗っていくのがベスト。そうだろう」
しかし中津は、首を横に振る。
「なんだ」
「無関係じゃないかもしれません」
「は?」
「あの。僕、先月頭に合コンがあってですね」
「いきなりなんの話だ」
「一昨日思い出したんですけど。実はその時一緒だった子が、その。被害者の職場で働いていたんですよ」
「なにっ」
太田原は思わず中津を見る。彼は自慢げな表情を浮かべていた。
「その子は四月から働いてるそうですけど。今野美沙ちゃんって子で。それで、連絡をとってみたんです。で、昨日当直が終わった後に会ってきたんですけど」
美沙は会うことを快く了承してくれたという。警察官からの連絡というのもそうだが、他人事といえど自分が働く職場の人間が殺された。その事件の調査だと聞けば、ワイドショーのように思えるだろう。
「驚きだな」
「ええほんとに。偶然ってあるんですね」
「俺はお前の行動力に驚いてんだよ」
きょとんとした表情の中津を「それで?」と呆れ気味に太田原は促す。
「あ、ええ。それで、聞いてみたらですね。なんと被害者、殺害される少し前、社内恋愛の噂があったそうなんですよ」
「職場に恋人がいたってことか?」
中津はかぶりを振る。
「どういうことだよ」
「美沙ちゃん曰く、噂で終わったらしく。そもそも、その相手があまり被害者と相応しくないような男だったそうです。なので、信じない者も多かったそうなんですけどね」
「はあ?相応しいって、周りが決めることじゃないだろ」
「まあそうなんですけど。容姿とか性格とか、合いそうにないなって客観的に思うことってあるじゃないですか。その類ですよ」
「はあ…そういうもんか」
「そういうもんです」
中津は断言する。太田原は、とにもかくにもと咳払いをした。
「でも、それなら話が早いな。その相応しくないっていう相手に話を聞けばいい。何か知っているかもしれない」
もしくはそいつが犯人——痴情のもつれによる犯行。よくある話だった。
しかし中津は残念そうに肩を落とす。
「それが実は。その男…辻龍介っていうらしいですけど。一昨日から無断欠勤中らしいんです」
「無断欠勤だと?じゃあ行方は誰もわからないのか?」
「連絡しても返事はないようで」
「…怪しいな。その辻とやら」
無断欠勤…誰も行方を知らないとなれば、円城理乃を殺害し、時間が経って不安になって、どこかに遠く逃げだした可能性もある。
そんなことを考えていたが、ふと中津を見ると、彼が強張った顔で自分を見ていることに太田原は気づいた。
「どうした。まだ何かあるのか」
「実はここからが大事なんです」
「大事?お前がさっき言ってた、僕のお陰ってやつか」
「ええ、まあ。でも、可能性というだけですけど」
いったいなんの話だろうか。
「坂宮圭子には大学生の娘が一人、いますよね」
「ああ。いたな」
実際に妹本人と対面したことは無い。しかし少し前に読んだ彼女ら遺族の調書に書いてあった。被害者の実妹で、彼女は円城理乃とは違い、坂宮圭子に引き取られ、一緒に住んでいるのだという。
「その妹さんがなんだってんだ」
「今、その子の行方もわからなくなっているそうで」
「なんだと?」
「はい。坂宮圭子が交番に駆け込んだそうですよ。一昨日から娘の行方がわからなくなったって」
「一昨日…」
「はい、一昨日です」
円城理乃と交際していたとされる男と、彼女の実妹が、同じく一昨日から行方がわからない——。
「偶然とは言い難いな」
「でしょう。もしも、もしもですよ。二人が一緒にいたとすれば、理由はわかりませんが、危険な香りがしませんか。辻が犯人だったとすれば、妹さんもまた」
円城理乃のように、殺され、指を切り落とされ——。憶測でしか無いのだが、太田原の拳に自然と力が入った。
しかし…
「二人がどこにいるかなんてわからないだろ」
東京にいない可能性だってある。そうなると捜索域は全国だ。とてもじゃないが、その中で特定の二人を見つけることなどできる気がしなかった。
しかし中津は首をまたも振った。
「なんだよ」
「確かにわかりません。今は」
「今は?」
「手段はあるかもしれませんよ」
「手段って…」
「僕達、有名人と知り合いじゃないですか」
そこで中津は、自分のスマホの画面を見せた。
『ゴッチとタクヤのその日暮らし』。男二人が、土だらけの格好で、満面の笑みをしてガッツポーズを決めている。どちらも見覚えのある顔だった。
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