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1章 危険な幼馴染み
5
しおりを挟む田中家の居間には座卓を二台繋げた食卓が用意されている。
大家族が揃ったそこには昔懐かしい昭和の風景が垣間見えていた。
相変わらず賑やかな食事の時間だ。
「姉ちゃん、オカワリ!」
口を揃えて御代わりをねだる三つ子達。
そして、
「悟、ようけ食え!」
「……っ…」
九十歳を越えた稲婆ちゃんがワザワザ口でねっぶった箸で、悟の皿にアジのフライを二枚摘んで乗せてくる。
「稲ばあ、一枚でいいからって…」
「ほうか、じゃあ一枚戻さないかんな…」
「…あ…またっ…」
ちゅくちゅくと箸を吸うと、稲婆さんはまた箸先をねぶってアジフライを大皿に戻していた……。
余計な奴が混ざってはいれど、やっぱりこの明るい家族に癒される。
NYでの侘しい食事風景とはまったく違う。
晴樹は食事を済ませて妹の子守りをオカンと交代した苗に目を向けた。
みのりを抱っこしてあやす苗を眺め、自然と笑みが浮かぶ。
いずれ、自分達の間にも子供ができる時がくる。
子育てに慣れた苗を見ていると、その時の光景も違和感なく思い描けてしまう。
・
「苗、俺にも抱かせて…」
「………」
晴樹の言葉に顔を上げた苗の表情が何だか可笑しい。
「なんだよその顔は?」
「兄さんが言うとどうもおハレンチにしか聞こえないだよ……」
「…っ…失礼なやつだな!?純粋に抱かせてって言ってるだけだろっ…」
「その、“抱かせて”ってのがどうも…」
「……っ…」
真っ赤になって慌てる晴樹に田中家一同が揃って深く頷いていた。
「じゃあ、兄さんお願い。苗、ちょっと片付けするからさ」
苗は、あっさりとみのりを晴樹の腕に託し、食事の後片付けを始めた。
たくっ……
抱かせるなら最初っから抱かせろつーのっ…
「………」
晴樹はブツブツ呟きながらふと、思った。
「“抱かせろ”はやっぱ確かになんか変だな……」
小さく反省しつつ、ぐっすり眠るみのりを眺めた。
くっきり眉毛が何となく満作父さんに似ている……
このだんごっ鼻は苗だ…
「クスッ……」
晴樹の口からつい笑いが零れた。
柔らかそうな唇を指でつつくと小さな口をモゴモゴさせる。その仕草が可愛くて晴樹は自然とみのりに頬擦りをしていた。
悟は晴樹のその姿を目にすると腰を上げた。
・
「苗……手伝うことある?」
「え?ないよ」
「皿洗おうか…」
「いいだよ、先に帰って勉強しなよ? 悟ちゃん、学年一番で居なきゃだめなんだからさ」
「………」
皿を洗う苗の背中を悟は見つめた。
「首席で居なきゃ田舎に戻る約束だっただよね?」
「うん…」
「教科書貰ったばっかだから予習でもしてればいいじゃん」
「……うん」
「ね!…って、悟ちゃん近っ!?…」
横を振り向くと悟の胸元が視界を塞いで苗は焦った。
「……っ…」
「苗…」
悟は急に苗を背中から抱き締めていた……。
悟は耳元で囁く。
「俺が傍に居た方がいい?……」
「……えっ…」
「向こうに戻らない方が苗は嬉しい?…」
「…う……」
苗は言葉に詰まった。
すがるように弱々しく抱き締めてくる悟にどう答えていいか迷ってしまう。
傍に居ない方がいい とは言えないし、向こうに戻った方がいいとも答えられない……
こ、…っ…これは困った…っ…
苗は見えない汗をかく。
こっちに来てからの悟は晴樹と張り合う程に危険な香りが漂う。
・
「ちょ…さ、悟ちゃ…」
「なに」
「あ、洗い物しにくいからちょ…っ…」
「ああ、そうだね」
見るからにドギマギしている苗の横顔を覗き、悟は苗から離れた。
「じゃあ、先に戻る……」
「う、うん…っ…だね!だね!そだね!」
」
「うん」
緊張した口調の苗を悟は笑う。そして不意に腰を屈め、苗の耳に口を寄せた。
「苗の傍に居たいからいっぱい勉強する…」
「………」
悟はとても小さく囁いた。
それこそ苗の耳たぶに唇が擦れる程の距離で、悟の声は吐息とともに苗の頬に掛かる。
「じゃあね…」
「う…うん…っ」
赤くなった苗の耳を見つめ、悟の口角がゆっくりと上がる。
まだまだこれから──
ただの幼馴染みだとしか考えていなかった苗に教えてあげる……
苗は俺のずっと特別な存在だったってことを少しずつ……
苗の心に刻んであげるから……
悟は硬直したままの苗の頭を撫でて静かに背を向けた。
床を軋ませて歩く音が遠ざかる。
家の奥に居たオカンに礼を言い、そして居間に居た皆にも声を掛け、悟は田中家の玄関を出ていく。
「どぁぁあっ…な、なんかつ、疲れがっ…」
苗は思わずその場にヘタリ込んだ。
高校生になって、すっかり妖しくなってしまった悟と、帰国して早速ハレンチ三昧の晴樹。そのダブルの攻撃に苗はゆっくりと頭を抱えていた…。
・
「ありがとう晴くん、重かったでしょ」
「はは、少し」
抱き方に慣れないせいか、腕に痺れがくる。
片付けとついでに風呂を済ませたオカンに晴樹はみのりを返すと腰を上げた。
濡れた手を拭きながら台所から出てきた苗と供に晴樹は田中家を後にする。
「みのりちゃん重いな」
少しどころかかなりズシッときた。
晴樹はみのりを抱っこした感想を苗に語った。
「生まれたてで三キロ超えてたから今はその倍だよ」
「七キロ近くか…」
「九キロ」
「それは“倍”とは言わねえ」
三倍じゃねえかっ…
晴樹は子供の成長の早さを改めて実感していた。
マンションまでの近い距離を苗と歩きながら、晴樹はふと夜空を見上げる。
四月の夜空は真冬の満天の星空と違い、少々寂しくもある。
でも今の晴樹に寂しいという感情は湧いてこない。
そうだ…
これから俺の隣には毎日、苗がいる──
愛しくて可愛くて…
面白い…
見てるだけで疲れを癒してくれる苗と毎日を過ごしていける。
晴樹は夜空から視線を苗に移すと苗の手をゆっくりと握った。
苗は優しく微笑む晴樹を見上げ、思いきり笑顔を返す。
「苗…」
「……?」
大きく笑った苗に晴樹の影が静かに重なった。
チュッと軽く音が鳴る。
重なった影が離れると、微笑む晴樹の表情が月光で微かに眩く見えた。
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